その頃、千葉さんは
「ねぇ、私と一緒に来た女性はどうしているのかしら?」
少し甘えるような声でこてりと首をかしげてみせる。
無邪気を装い、さも今思い出しました、みたいな。
「聖女様がお気になさることはありません」
家庭教師である男は頬を赤らめながら鯱張って答えるが、秀美は少し悲しそうな顔を作った。
「気にするわ。同じ世界から来た仲間ですもの。もうずっと姿を見かけていないし」
「げ、元気にやっていると聞いています」
「聞いている?」
「はいっ。彼女は修道女達が寝泊まりする場所で生活しています。彼女を指導している修道女から、その、聖女様に比べますといささか進捗状況が思わしくないので……」
「だから?」
「現時点で聖女様と同じ部屋での授業は無理なのです」
「誰もそんなことは聞いていないわ」
ちょっと驚いたように目をみはり、不思議そうに家庭教師を見やる。
「どうしているのかを聞いているのよ」
なおも追及するが、家庭教師からは何も聞きだすことはできなかった。
授業が終わると、静香に関する質問を恐れているのか家庭教師はそそくさと帰っていく。
それを見送った秀美はフン、と鼻息荒く立ち上がる。
家庭教師が出ていったドアを開けると、そこには綺麗な顔立ちをした騎士が二人いた。
「どうされましたか、聖女様」
きらりと光る白い歯が眩しい。
秀美は無言でドアを閉めた。
チッ、と舌打ちして窓辺による。
さすがに三階からは飛び降りられないのでそこから静香がどこかにいないかと黙視する。
眼下には修道女や神官見習いたちが行き来していた。
彼らの目が時折こちらへ向けられる。
聖女がここにいる事は周知されているようだ。
秀美は顔を引っ込め、イスに座った。
「これって……過保護って名前の監禁だよねぇ」
この部屋を拠点とするようになってから、秀美はおねだりしたりわがままを言ったりと、何がどこまで許されるのかを図っていた。
結論は、静香と会う事は絶対に禁止であるということ。
散歩が許されているが、顔面偏差値の高い騎士が絶対に護衛につき、エスコートと言えば聞こえはいいが気の向くままに行こうとするとやんわりと止められ、何気なく行動範囲を制限されていた。
雑談や勉強に関する話はできても静香の話はそらされる。
食事やスイーツ、装飾品や着る物に関しては高価な物でも惜しげもなく与えられた。
そして静香の事をしつこく誰かに問いただすと決まってある人物の訪問がある。
秀美の予想通りに軽いノックがされ、外から声がかかった。
「聖女様。アラン王子がお見えになりました」
「どうぞ」
秀美の返事にドアが開き、第二王子のアランが入ってきた。
柔和な笑みは世の女性の注目を集めるに相応しい美形だが、秀美は彼の目がどうにも好きになれない。
隠そうとしても隠しきれない下品な視線は不快なだけだ。
こういった視線は貴賤を問わない。
「こんにちは、聖女様」
「まぁ、アラン様」
秀美は笑顔で教わったお辞儀をする。
淑女が王族だけにする特別な礼だと教わった。
対等な者へ対する礼ではなく、忠誠を誓った臣下の礼。
それを当然のような顔で受ける王子に、心の中で舌を出す。
(臣下扱いって、聖女に対して不敬じゃないの?)
自分の身が可愛いのでさすがにこの疑問は口にしないが。
「ふふ、どうですか?少しは見られるようになりましたか?」
「完璧な淑女の礼ですよ。貴女は何をやらせても優秀なのですね」
掛け値なしの本音の中に含まれる仄暗い響きに秀美は笑みをこぼしながら体を起こす。
賢くて美しいが世間知らずゆえに飼いならせそうな女。
美しい王子に興味を持ち、少しずつだが彼に夢中になってきたというフリをする。
愛しい王子を前に、静香の事はすっかり忘れてしまった愚かな女。
それを確認して悦に入るアラン王子。
「よろしければご一緒に散歩でもしませんか?庭のバラがとても美しく咲いているのですよ」
好青年がほほ笑みながら誘ってくるので秀美はその提案に息を止めて少し力む。
顔にほてりを感じると力を抜いてはにかむ。
「はい」
美しい女性が頬を染め、恥ずかしそうに微笑む。
罪作りな自分に酔うように、アラン王子の口元に傲慢な笑みが浮かぶ。
タヌキは狐に騙されていることに気が付いていないようだ。
おしゃべり雀がたむろっていそうな場所を探すために、秀美は王子と散歩に出ることにした。
王子との散歩。
あこがれと嫉妬の視線は心地いいが、今はそれどころではない。
「私もたまには食堂で食べてみたいです」
侍女という名の監視もいるし、マナーの練習も兼ねているので一人で食事することはない。
「貴女のような方が下賤の身に混じって食事など、許されませんよ」
やんわりと秀美のお願いを一蹴する。
日本人には慣れない選民意識に苦笑する。
聖女という肩書がなければ秀美もまた、この世界の基準では下賤の身なのだ。
社会主義国もびっくりな一億総中流階級の一員として育ってきた秀美からすれば、貴賤云々は違和感しかない。
貴族階級のある国に生まれていればこういった感覚もまた違うのだろうが、あいにくと秀美はどっぷりと日本につかっていた身だ。
「では修道女たちが生活している場所を視察することはできませんか?」
「なぜです?」
「どういった場所かを把握するのは、聖女として必要な事だと思うのです。一度だけで充分ですの。こういうものは、話を聞くよりも見たほうが早いでしょう。教会の方々がどういった生活をし、どういった修行をしているのか、聖女が知らないなんて恥ずかしいですよね。アラン王子も兵舎とか厩舎とか、視察したことはあると聞いたものですから……」
可愛らしく、無邪気にほほ笑む。
聖女として上に立つからには下々の事を少しは知っておかなくては恥をかく、といったスタンスを見せる。
王子が、平民にわざわざ歩みよる俺様はなんて器がでかいんだと自慢していた事はリサーチ済みだ。
「わかった。後日、案内させよう」
「ありがとうございます。早く聖女として相応しくなれるように頑張ります」
秀美は嬉しそうに笑顔を浮かべてみせた。
日にちはかかったが、色々と探ってわかったことがある。
どうやらもう一人の聖女候補はここにはいないらしい。
では、どこに?
「西城さん……大丈夫かしら……」
自分を取り巻く者達の目が、秀美を聖女と確信している。
このままでは非常にまずいと焦りを覚え始めた。
「……そろそろ本格的に、逃げ出す算段を整えないとね」
不穏な呟きは空気の中へ溶けていく。
まずは大人しく、従順な女性を演じ、逃げ出すことはないだろうと彼らに思わせること。
「気は進まないけど……やっぱりあの王子に恋する乙女ってのが一番、油断してくれそうね」
好みとしてはドアの前を陣取っている鍛え抜かれた肉体の細マッチョの彼らだが、しょうがない。
「……つまみ食いは、許されるわよね」
彼らを使って王子の独占欲を煽り、それからさも王子一筋なのだとアピールさせて油断を誘う。
秀美はふふっ、と妖艶な笑みを浮かべると、恋する可愛らしい乙女の演技を鏡に向かって特訓し始めた。




