疲れすぎるとおかしくなる
魔法に必要な想像力はあるけれど、具体的な現象を現実的なものとしてしかどうしてもとらえられなかった。
火といえばマッチかライターかチャッカマン、火炎放射器。
水は水道かペットボトルかウォーターサーバー、風呂、シャワー、電気ポット。
雷は静電気か自然現象、電気。
土は耕すなら耕運機、穴を掘るならパワーショベル、もしくはマンション建築現場で最初にガッシャンガッシャンけたたましい音で打ち込んでるアレ。
風はそよ風、つむじ風、突風、竜巻、台風。
光は電気の明かり。
闇は光がないだけ。
これらは想像ではなく現実で、機械を使って創造する。
そう、イメージができても機械を使って、という染みついた考え方が邪魔していて、機械の代わりに魔法を使って、という思考にならなかったのが原因だった。
イメージってそっちかよっ!と自分に突っ込んでしまったくらいに衝撃的だったよ。
自分が魔法を使うというイメージがそもそも弱かったからなんて……。
言い訳するわけじゃないけど、しょうがないよ。
だって大人だもん!
中二病を発症していたらきっとすぐに魔法を使えたかもしれないけどさ。
夢見る少女じゃいられないんだよ、現実は。
あざとく目ざとく現実的な女じゃないと結婚も子育てもできないんだよっ!
生きていくためには働いて金を稼がないといけないんだよ。
大人で夢を見ていいのは金持ちだけ。
貧乏人が夢を見ていたら、現実が辛くて生きていけなくなっちゃうからね。
『スムーズに形になるようになったな。無駄な魔力もなくなった』
「ありがとう、ナギ。先生の教え方がいいからだよ!」
『で、では今度は時空魔法の初歩である便利魔法、収納空間の練習をしよう』
「収納空間?」
『人間はアイテムボックス、アイテムバッグ、マジックなんちゃらと呼んでいる』
私も聞き覚えのある定番の便利魔法だ。
一番想像しやすいのは四次元ポケット。
たったらたったったと口ずさみながら半月のポケットからアイテムを取り出す。
想像しやすくていいね。
夢がいっぱい詰まったポケットは日本国民のみならず世界の人たちも欲しがった。
それが現実になるとなると、ちょっと感動が……。
テンションが上がるよね~。
『作り方は簡単だ。空間を異次元につなぎ、その入り口を箱やカバンの入り口に定着させればよい』
「なるほど……。どこが簡単なのかさっぱりわからないよ」
まず異次元につなぐって何だよ。
そもそも四次元ポケットの異次元空間ってどうなっているのかな。
理屈っぽい考え方しかできない私は細かい指示がないと想像できない。
『魔法はイメージだ。最初は小さな空間を作るところから始めるといい』
「…………どこに?」
『えっ?』
「えっ?」
私たちはお互いを見つめあった。
気のせいか、ナギの尻尾がだらりと下がっている。
ついでに耳も。
『……まずは植物のツルを編んで巾着を作ろう』
「そこからかよっ!」
私の空間魔法の修行はその辺の木に絡まっていた蔦を採取するところから始まった。
こう見えても私、編み物ができるんです!
うふふふ、意外でしょう。
リリアンとか編めちゃったりするんですよ~。
だがしかし……最後はどうやるの?
編めるけど、最後がわからん。
結べばいいの?どうやって?
わからない………しかたがないので適当に結んで……あ、ほどけていく……私の四時間の苦労が……ほどけていく……うふふふふ………。
『シズカーッ!』
「はっ!」
ナギの渾身の叫びが私の心に響き渡り、正気に戻れた。
いかん、色々とストレスが溜まっているので精神崩壊が……。
「ナギ、お願いがあるんだけど」
『なんだ?』
目が逝っちゃっている自覚はある。
きっと漫画とかならハイライトが消えている状態だ。
ナギが私の機嫌を損ねないようにびくびくしているのがいい証拠だろう。
「巨大化したナギをモフらせて」
『そ、それぐらいでよければいくらでもいいぞ!』
「!!!」
声にならない叫び声をあげてナギにしがみついた。
この毛並みは人をダメにする。
ああ、この毛でマフラーとか作ったら最高だろうなぁ。
『シ、シズカ?』
私のモフモフする勢いに困惑するナギの声が聞こえたけれど、無視だ。
無視だ無視、私は無心にモフるのだーっ!
ナギはお日様の匂いがした。
お日様の匂いと言えば、あれってダニの死骸の匂いらしい。
という都市伝説があったな。
嘘かほんとか知らないけど、もうググることもできない世界に私はいる。
与えられた情報が嘘か本当か、見抜くのは自分自身の力量なのだ。
「うおぉぉぉぉぉっ、モフモフーサイコーッ、ふわふわでつやつやでもこもこで幸せだよー」
涙が出そうだが、ナギの毛皮を汚したくなくて我慢する。
涙が出たら最後、漏れなく鼻水もついてきますってそんなの冗談じゃない。
「ずっとこうして触りたかったのっ!」
『俺はシズカの従魔だから、好きにしていいんだぞ』
それやめろ。
好きにしていいなんて、なんて、なんてアダルトな大人は変な事を考えちゃうからーっ!
「ナギは人の姿に変化できるの?」
『いいや、まだできない』
「そうなんだ」
よかった、さすがに私も獣姿のナギとどうなっちゃうような性癖はない。
しかし聞き捨てならない付属語が付いたような気もする。
人型のナギかぁ。
一人称が俺だから若いんだろうけど、長く生きてきた感じもあるし、年齢不詳なんだよね。
そもそも聖獣と人じゃ寿命が違うから、そう考えるとナギはまだ若者の部類に入るのか。
イケメンの獣耳の青年に抱き着いている自分を思わず想像してしまい、反射的にナギから離れた。
いや、それってちょっと……さすがに異性に抱き着くのはちょっと……。
付き合った経験はあるけどさ、それとこれとは別!
たとえ二番手の女と言われようとも、大和撫子の慎みは忘れるつもりはない。
『どうした?』
いきなり離れた私を不思議そうな顔で見ているナギに、考えすぎだと自分に呆れた。
「あ~、いや、なんでもない。だいぶ落ち着いたよ。ありがとう、ナギ」
『それはよかった』
ごまかせたようだ。
人恋しいあまり、おかしな思考(嗜好?)になりかけていたらしい。
『しばらくは俺が美味しいご飯を狩ってくるから、元気を出せ』
ナギの視線がほどけた蔦に向けられ、すっと背けられた。
ものすごくみじめで、なんだか泣きたくなってきた。
宣言通り、ナギは狩りを終えてきた。
巨大化したナギは大人の象さんくらいで、口にはサイクロプスのような青い肌の一つ目巨人がくわえられ、ぼたぼたと緑色の血が滴り落ちていた。
きっとこれから先、青汁系の野菜ジュースを飲むたびにこの光景を思い出すだろう。
シュールな光景に笑顔がひきつるのはしょうがない。
サバイバルって、自然の摂理って、現代っ子には刺激が強すぎるよ……。
そして気が付く。
ナギは獣なので基本は生食、かぶりつき。
脳裏によぎるのは洞窟暮らしでの魚の調理。
生魚でさえ直接かぶりつくということに抵抗があった。
ましてや人間の男より大きな魔物にかぶりつくなんて想像もできないししたくない。
「マジか……」
この場であれを調理できるのは私だけだ。
しかもナイフなんてしゃれた物はない。
ということは、だ。
私の目はほどけて無残に散らばった蔦に向けられた。
調理器具も一から作らなければならないという現実に打ちのめされそうだ。
「石器時代かよっ」
毒づきながら空を仰いだ。
うっすらと茜色に色づく空は綺麗だった。
ナイテモイイカナ?
『どうした、シズカ』
ドスンと魔物を地面に下ろしたナギが大型犬くらいの大きさに変化するのを見て現実に戻る。
どういう仕組みなのかいまだにわからないが、口の周りが綺麗になったのは素直によかったと思える。
質量保存の法則なんて、衛生観念の前にはどうでもいいことだ。
「ちょっと、ね。早く色々と達観できるようになりたいと思ったの」
悟りを開けたらどんなに楽になるだろうか。
「私は捌いて小さくしないと食べられないから」
『わかっている。ちゃんと捌いて小さくしてやるから安心しろ』
そう言ってナギは嬉々として魔物を自分の牙を使って解体し始めた。
安心って、なんだろう……。
かぶりついて肉を引きちぎり、足で押さえながら皮をくわえて剥いでいく様子を、どこか遠くから見ているような感覚で見ていた。
脳内が現実逃避しているのか、テレビを見ているような遠い他人事の世界のような感覚だった。
だけど目の前の光景がこの世界の現実で、日本にいた時だって肉は食べていた。
見ることのなかった現実で、牛や豚や鳥の代わりに魔獣なだけだ。
やっていることは変わらない。
他の命を奪って生きるのは自然の摂理だ。
自分も、人間もその中に組み込まれているのだということをまざまざと突きつけられる。
目の前の、これから食べようとしている魔物からすれば私は食物だ。
弱肉強食。
油断すれば私もこうなるのだとぼんやりと頭の隅で考えた。
吐くまでいかなかったのはきっと色々と感覚がマヒしてきているのだろう。
いくつかの塊にわけたナギは器用に火の魔法を使ってこんがりと焼いていく。
いい匂いにおなかがぐうっとなった。
「いただきます」
葉っぱの上に肉を乗せられ、味付けもなくただ肉を食らう。
口の中に広がる肉汁がとてつもなく美味しくて、体の細胞がいっきにそれを吸収していくような気がした。
この世界に来て食べたどの料理よりもうまいと思った。
そして魔物の肉を食らう自分の神経の図太さに笑いたくなった。
おなかがいっぱいになると今度は眠気が襲ってきた。
『シズカ、よりかかれ』
「いいの?」
『洞窟と違って気温の変化がある。布団代わりにするといい』
大きくなったナギが地面に寝そべり、私は彼の腹に寄り掛かる。
ふわりとした尻尾が掛け布団のように私の上にかぶさってきて、温かさにすうっと意識が引き込まれていく。
いい夢が見れそうだ。
私の意識は夢の中へ溶けていった。




