エッセイを書けなかった作者の話
なろうに小説を投稿し始めて3カ月が経ち、幸運なことに私にも他の作者様との交流を持つ機会が訪れました。
その作者様は素晴らしいエッセイの数々を生み出しておりました。小説を書くということに向き合い、自分の考えを述べ、それに対する感想へ真摯に向き合い新たな力に変えていく―――他の作者様と一切の交流を持っていなかった私は、そのやり取りに強烈な羨望を感じたのです。
私も他の作者様と交流したい。意見交換したい。新しい考え方を身に着けたい。
憧れに目が焼かれた私はエッセイを書きたいと思い始め、何か書くネタはないかと考えました。
書くネタなど、いくらでもありました。なろう歴は3カ月と新参者ですが、創作歴は十数年とあります。その間に思った、小説とはこうだ、こう向き合うべきだ、ここを気をつけなくちゃいかん、という想いはたくさんありました。
これは書ける、エッセイを書き起こせると確信し、私はとうとう筆を執りました。
―――挫折しました。惨敗でした。私は想いを文字にすることが出来ませんでした。
何故か? ―――それは小説を書くことと自分を語ることが、私の中で大きく異なっていたからです。
小説を書くということは、世界を構築し、キャラクターを登場させ、物語を紡いでいく。私の中でこの作業は映画監督に近いものでないかと思っております。(もちろん、監督などやったことはありません。あくまでイメージです)
読者に対しては『小説』というボールを投げつけるだけで良かったのです。自分を曝け出すことはせず、どのような返球が来るのか一喜一憂しているだけで済んでいたのです。
一方、エッセイは間に何もありません。自分が文面に立ち、自分の言葉がそのまま文章となります。この作業は、役者に近いものでないかと思っております。
読者に対しては『自分』しか渡せるものはありません。どのような衝撃が返ってくるのか不安に思いながら、この身1つで突っ込んでいく他ありません。
―――私は、役者にはなれませんでした。気恥ずかしさが先に立ち、それを乗り越えても不安が襲い掛かり、文字数が100を超えませんでした。
私は小説という後ろ盾に隠れてしか読者様や他の作者様とのコミュニケーションが取れず、表に立って語り合うことが出来ないことに絶望しました―――まさか、ここまで口下手になるとは思わなかったのです。
ただいつか、思いの丈を文章で書き起こしたいという想いは強く、此度は練習の為に無理やりこのエッセイを書き起こしました。他人事のように語れば、それはそれで小説を書くのと同じく書ききれるのだと、学びました。
今後、いつか皆様と小説とは何ぞやと多く語れる日が来ることを切に願っております。
お目見汚し、失礼いたしました。最後まで読んで頂き、ありがとうございました。