永い時の語り部
永遠を生きる妖狐の、ちいさな語りに御立ち合いを。
「十代目、本当に昔は人間だったの?」
小さな小さな妖、一つ目をもった少女が青年に声を掛ける。
憩殿で寛いでいた青年、六尾の妖狐、白狐の南条翔は侵入者に咎めの言葉をかけることもなく、少女の問いに頷いた。
「ああ、十代目は人間だった。珍しいか?」
「人間が狐になるっておかしいもん。十代目人間に見えないし」
「そらぁ今は狐の化け物だからな」
「そうだけど」
「人間だった頃の話でも聞きたいのか?」
好奇心旺盛な目が輝いた。当たりのようだ。
「人間だった頃の十代目は、そうだな。誰かの背中をついて回ってばっかりだった。自分で物事を決められず、人の意見に流されてばかり。相手を疲れさせるほど背中をついて回る、困った奴だった」
「十代目子供みたい」
「そうだな。本当に子供だったよ。けど、そんな十代目をいつまでも仲間にしてくれる奴等がいた。もう、顔もうろ覚えだけれど、良い奴等だった。十代目が妖になってもなお、傍にいてくれる優しい奴等だった」
「もうその人たちはいないの?」
「人間の寿命は、妖狐の寿命とは比べられないほど短いんだ」
「いつ死んじゃったの?」
「二百年も前かな」
「お顔。本当に憶えていないの?」
「思い出せないんだ。生きる時が長すぎて。顔も、声も、ぬくもりも、まったく」
聞き手の少女の方が、なんだか悲しそうな顔をする。悪いことを聞いてしまった、そんな決まり悪い顔でもあった。十代目は心優しい子だと頬を崩し、大丈夫だと慰めた。
寂しいことはあれど、悲しい気持ちは一抹もない。そう言って子供の頭を撫でる。
「だって好きな人だったんでしょう? いなくなるなんて、悲しいよ」
「そうだな。一時期は悲しかった」
「なんで今は悲しくないの?」
「妖の皆が支えてくれるからだよ。十代目が泣いてちゃあ、皆が不安になるだろう?」
「……好きな人を忘れちゃうのもヤダよ。ヤじゃない?」
勿論忘れてしまうことは嫌だと十代目は思う。大切な人達の顔も、声も、ぬくもりも、過ごした日々も擦り切れてしまうなんて、やっぱり悲しいし寂しい。
けれど仕方がないのだ。己は永いながい時を生きる妖狐、時を重ねるごとに出会いと別れを繰り返す。
彼等は過去として過ぎゆくしかない人々だった。
これから先、彼等に出逢うことはないだろうし、再びあの日々の記憶が鮮明に蘇ることもないだろう。
しかし、たった一つだけ、彼等のことを忘れないものがある。それは桜が咲く頃に必ず蘇りし記憶、想い、此処に在った関係。
「大切な人達と十代目は共に生きていた。それを桜が咲く頃に必ず思い出す。毎年、必ず思い出すんだ。まるで、十代目を励ますように」
「桜?」
「十代目はな、人間とたくさん対峙して生きてきた。けど、たくさん和解して生きてきた。大切な人達とも、そうして生きてきた。桜を見ると思い出があったことを教えてくれる」
難しい話だったのか、少女がしかめっ面を作ってしまう。十代目は一笑を零し、そろそろ皆と遊んでおいで、と背中を押した。
己の話ばかりで退屈だろう。子供とは能天気な生き物で遊びに行くよう促されると其方に興味を持ってしまう。
あとで遊んで、とせがまれたので快く承諾する
「翔殿」
あの頃の語りをしていたせいか、しんみりとなり、背後に立つ巫女の青葉に気付くのが遅れる。ぼんやりとしていた十代目は我に返ると、ふっと笑みを零し、憂慮を向ける彼女に振り返る。
「語るという行為は体力がいるな。少し、疲れてしまったよ」
「けれど、貴方様はやめないでしょう。人間と共に過ごした日々を」
青葉の慈愛溢れた笑みに頷き、やめてやらないと強く返事した。やめれば最後、あいつ等が化けて出てきそうだ。叱られそうだ。祟られそうだ。
(そうだろう? 朔夜、飛鳥)
でも、もし、本当に化けて出てきてくれるなら、もう一度だけ、もういちどだけ、思い出せぬ顔を拝みたいものだ。
もう誰も呼ばぬ愛称――ショウと、呼んでもらいたいものだ。
(終)
どうしても避けられない寿命。
妖は長寿である者もいれば、短命である者もいます。
前者である翔は遠いとおい未来、思い出すら思い出せない幼馴染達の想いを抱え、強く生きていくことでしょう。 でも、ほんの少し、彼等に会いたい。ショウと呼んでもらいたい。それも真の気持ちなのです。