妖狐となった彼と色鮮やかな日々を
本編完結後の幼馴染達の学校生活。妖祓視点(本編にも掲載中)。
妖祓とは妖を祓う職を指す単語である。
代々続く妖祓の家系に生まれ育った和泉朔夜と楢崎飛鳥は、幼少から霊気を宿すその身を狙われながら妖と対峙していた。
妖祓の強大な霊力は妖の力となる。だからこそ悪意ある妖は幼子の彼等にも容赦なく牙をむき、命を食らおうとした。 妖の醜悪な部分ばかりを見てきた二人にとって妖は不倶戴天の敵であり、生涯平行線を辿る相容れない存在だと思っていた。思って疑わなかった。ヒトが妖になってしまった、その現実と直面するまでは。
「あ、ショウくんだ。相変わらず、朝から眠そうだね」
「仕方がないよ。彼は妖狐、夜行性だか、らっ……うあぁああショウ、また変化が解けかけているから!」
早朝。いつものように飛鳥に迎えられ、相棒と共に通学路を歩いていた朔夜は彼女と共に育った“元一般家庭の子”である幼馴染を目にし、ついつい声を上げてしまう。
わけあって人間から妖に種族転換してしまった幼馴染の南条翔は、妖祓にとって不倶戴天の敵。
しかも南の神主と呼ばれる頭領の見習いである。人間という種族を捨て、妖として新たな人生を歩み始めた翔とは様々な障害、対立、諍いを起こし、ようやく和解することができた。
そんな彼とこうやって登校中に顔を合わせた朔夜と飛鳥は、寝ぼけながら学校に向かう翔を見るや一目散に走る。
「ショウ!」「ショウくん!」 声を揃えて名を呼ぶと、「んぁ?」翔は半開きになっている眼を二人に向ける。
「朔夜と飛鳥じゃんか。はよ。今日は寒いな。朝だからかな。肌寒い……」
ぶるぶると身を震わせる彼は、「マフラーを巻いてきちまったよ」へらっと笑い、これのおかげで幾分マシだと教えてくれる。
「それはマフラーじゃなくて、君の尻尾だから!」
よほど寒かったのだろう。翔は己の三尾のうち、一本を首に巻いて満足げに笑っている。
完全な妖になった彼は、普段人間に化けているのだが、ちょっとした気のゆるみですぐに変化が解けてしまう。本来の姿は白髪のため、変化が解けかかっている彼の髪の色が黒から白へ。まるで脱色しているように色が抜けている。
「タオル。ショウくん、タオル」
飛鳥が翔の頭にタオルをかぶせる。これで白髪は隠せるだろう。
今のうちに変化をしなおし、人間に戻るよう促す。けれど寝ぼけている翔はうん、うん、うん、と頷くばかりだ。
「ショウくん起きて! それじゃ学校にいけないよ!」
「うん、分かってる。寒いな、今日は」
だらしなく尻尾と耳が垂れ始めている。眠気が極限に達しているようだ。
何度も変化を唱えると、「え。ああ」ようやく事態が呑み込めたのだろう。変化をしなおすと言い、彼は妖力を全身に巡らせる。眩い光と共に変化した彼、朔夜と飛鳥は視線を落とす。いるべき人物はそこにいず、白い狐と通学鞄がアスファルトに転がっているばかり。
完全な狐となった翔は大きな欠伸をして、もう駄目、おやすみなさいと呟いてくるんと身を丸める。そのまま目を閉じてしまった。
「なっ!」「え゛っ?!」
周囲を気にすると園児らしき子供が狐を指さし、お兄ちゃんがワンちゃんになったとはしゃいでいる。手を引いている母親は笑いながら、はいはいと流している。
子供よ惜しい、彼はワンちゃんではなく、コンちゃんである。いや、馬鹿を言っている場合ではない。
「ささささ朔夜くん、学ランの上衣でショウくんを包んで!」
「ああああ飛鳥! タオル、タオルもかぶせて!」
大慌てで狐を腕に抱え、朔夜と飛鳥は走る。走る。通学路から外れて、狐の身を隠せる場所まで走る! どこかで人間の姿に戻れる、人気のない場所を探さなければ!
これは度々ある妖祓と妖の奇妙な光景の一つである。
「――いやぁ、ごめんごめん。またお前等に助けられた。昨日も神主修行をみっちりしたせいで、すっげぇ眠くって。ほんっとお世話になりました」
彼、南条翔はそう言って片手を出す。
人間に化けた翔は外貌、変哲もないただの高校生だ。朔夜や飛鳥と何も変わらない。
しかし中身は正真正銘の妖狐。夜行性であるために、昼行性の人間と合わないことが多く、人間の世界で暮らすことに苦労している。妖の世界で暮らすこともできるのだが、翔は百年あまりは人間の世界に留まると言った。
それは彼の持つ野望のため、妖と人間の共存のために、ここに留まって勉学するのだそうだ。
寿命も活動時間も何もかも違う翔に苦笑を零し、「まあ。いつものことだから」朔夜は気にするなと肩を竦めた。
時刻は昼休み。各々クラスが違う三人だが、今日は集って学食を取っている。
「でも人前で変化するのは、どうにかならないかなぁ。今日も子供に見られていたよ、ショウくん」
「ゲッ、まじで? やっべぇ。寝ぼけていると、全然頭が働かないから何をするか分かったもんじゃないな」
困った、本当に困った。
項垂れる翔の頭に狐の耳が生える。その耳もシュンと垂れるものだから、朔夜と飛鳥は笑いそうになった。
翔曰く、変化を持続することはまだ不得意らしく、すぐに耳や尻尾を出してしまうという。
取り敢えず、一般の人間には視えない程度の変化のゆるみだから黙っておこう。
「夜行性のショウくんにとってお昼の活動はしんどいんじゃない? 大丈夫?」
「うーん。しんどいけど、学校には行っておかないと。家に居たら居たで、過度に親から心配されるし……心配される度に罪悪を感じて心苦しいんだ」
「そっか。おじさんやおばさんは、君の“意識障害”を未だに心配しているんだね」
「まあな。けどこれも自業自得だよな。妖の世界に身を投じて約一ヶ月。その間、俺の身代わり人形が人間の世界で一ヶ月も眠りに就いていたんだ。親にとってそれが“俺”なんだから、頬を張っても、怒鳴っても起きない息子を一ヶ月も目の当たりにしてりゃ……なあ」
無理して学校に行かずとも良いと言われる度に、申し訳なさで潰されそうだと翔。
ズルズルとうどんを啜り、深い溜息をつく。種族転換をする際、彼は様々な苦難に直面し、得るもの捨てるものを繰り返した。詳細は知らないが苦労はあったのだろう。力なく三尾を振っている様がそれを物語っていた。
朔夜は同情を向けながら、自分の丼に入っているキツネうどんのキツネを箸で抓む。瞬く間に翔の目がそこに釘づけとなった。素知らぬ振りをして朔夜は汁をたんと吸っている油揚げを持ち上げる。
「申し訳ないと思っているなら、ショウのやり方で償うしかないんじゃないかな」
油揚げを丼に戻すと翔の視線も下がっていく。
「偉そうなことを言うつもりはないけど、ちょっとした親孝行で」
油揚げを持ち上げる。翔の視線も上がり、尾が大きく揺れ始める。
「ご両親の」油揚げを下げる。翔の尾が萎んでいく。
「心を」再び油揚げを持ち上げる。翔の尾が期待に大きく膨れ、耳がぴんと立つ。
「癒せばいいんじゃ」飛鳥が必死に笑いを噛みしめている。
「ない、かな」同じように朔夜も肩を震わせていた。声まで震えそうだ。
妖狐は油揚げが大好物な生き物である。
既に己の分の油揚げを平らげている翔は無自覚のようだが、彼は確実に朔夜の油揚げを狙っている。仕方がないことなのだろう。大好物なのだから。
ちっとも人の話を聞いていない翔の垂れる耳、立つ耳、膨れる尾、萎む尾を目の当たりにし、とうとう二人は声を上げて笑ってしまう。
よって我に返った翔は、「なに? え、何がどうした?」と一人慌てふためいているが、ツボに入ってしまったため説明する口がない。涙目になりながらテーブルを叩く自分達の様子に、「なんだよ」全然話についていけないと翔。
あまり蚊帳の外に出しても可哀想だ。朔夜は笑ってしまった詫びを込め、丼の入っていた油揚げを翔の丼に放ってやる。
そこで鈍感な妖狐はようやく気付くのだ。自分が物欲しげに油揚げを見ていたのだと。
「油揚げはしょうがないんだ。ほんっと、俺自身もしょうがないんだ。しょうがないくらい、好きなんだ。目がいっちまうんだ。だから、お前等、そんな俺に目を瞑って食っちまってくれよ。ハズイだろっ!」
「ショウくん。私のもあげる」
「あんがと!」
わぁい。子供のように喜ぶ翔だったが、大笑いする飛鳥を目にするや、「穴があったら入りたい」頭を抱えて落ち込んでしまう。
それでも油揚げを貰ったことは嬉しかったようだ。忙しなく尾は揺れ、彼の口からクンクンと鳴き声が。
朔夜は思う。
幼少から妖は身近にいたというのに、こうも妖に親近感を持ったなかったのではないか、と。
きっとそれは大好きな幼馴染が妖になったことが大きな要因だろう。自分達のことが大好きで、いつも背を追い駆けてきた彼。時に執着と取れる行動すら起こしていた彼は、今自分達から卒業し、己の道を進んでいる。
どちらかと言えば、今は自分達が彼の背を追い駆け、自分の生き方を探している。
(ショウは分かっているんだろうな。僕等と一緒に居られる日々はほんの爪先程度だって)
千年は長生きするという妖狐。
いずれ自分達は翔よりも先に老い、翔の生き様を目にすることもなく、召されていくのだろう。
いつも隣に並んで歩いていた日々が当たり前だったからこそ、これから先の未来を考えると寂しく思う。長生きする翔の人生を考えると、同情すら芽生えそうだ。
だけど。
(可哀想だと思うなんて、筋違いなんだろうな。今の君は、妖狐であることを誇りに思っているのだから)
どちらかと言えば、親友であり対等である彼の隣にいつまでも立っていられない現実に、こっそりと自分が悔しさを噛みしめている。口が裂けても翔には言えないが。
(まあ、今はこの瞬間を楽しむべきなんだろうな。ショウが妖の頭領になるのなら、僕は妖祓の頭領になろう。二種族が共存できるように)
頬を崩し、翔と飛鳥の様子を見つめる。
油揚げを貰った翔は早速箸でそれを抓み、かぶりつく。
「うましうまし」
ご機嫌に油揚げを食べる彼は、味を変えようと調味料置き場から七味に尾を伸ばす。手ではなく尾を伸ばす。
「あ、ショウくん! また尻尾を使って! 学校では使っちゃ駄目って言ったじゃんか! 一般の子達には調味料が浮いているように見えるんだから!」
「んぅ? なにふぁ?」
夢中で油揚げを食べている翔は無意識に尾を使ったようだ。うんっと首を傾げている。連動したように三尾も先端が折れ、なんともおかしい光景だ。
「もう」呆れながらも笑いを絶やさない飛鳥、「いつものことじゃないか。飛鳥」つられて笑う朔夜、それにますます首を傾げながらも油揚げを一生懸命に頬張る翔。
朔夜と飛鳥は妖祓、翔は元人間で今は妖狐。相容れない関係と言われる人間と妖は今日も同じ空間で他愛もない日常を過ごす。
それは退屈で、代わり映えのない、でもちょっぴりおかしな日常。
(終)
本編終了の三人の高校生活。
翔は朔夜達に助けられながら、人間だった頃と変わりない生活を送っています。
朔夜と飛鳥は妖と化した翔を支えながら、少しだけ“人間だった翔”を恋しいと思いつつ、また新たな関係を築こうと努力しています。