たとえばの雪解けに花束を(六)
三歩進んで二歩下がる。
頭領と友人の狭間にいる翔、友に何もできない天馬、そして敵として振舞う誰かさん。
「青葉。起きてくれ!」
その日、翔は昼間から慌ただしく浄衣に袖を通していた。
朝昼は妖にとって眠りに就く刻であるが、雪中四友のひとつ『水仙』の在り処が綴られた文が翔の下に届いたので布団を蹴飛ばして、二段ベッドの上段で寝ている青葉を起こした。
雪中四友の水仙は南の地より、遥か東の地にある送り妖の集う隠ろえにあり、条件ありきで譲ってもいいと文に綴られていた。
条件はたったひとつ、南北にある墓場の赤きヒガンバナを譲れというもの。
さっそく青葉に条件を読んでもらうと、彼女は力なく眉を下げた。
「これはまた、難しい条件でございますね」
「そうなのか?」
「ええ」
赤いヒガンバナは妖にとって祝福の花であり、南北の地にとって特にヒガンバナは社の象徴である。
神職の生を知らせ、神職の死を知らせるヒガンバナは宝珠の御魂と繋がる花とも呼ばれている。魂の花と言っても過言ではない。
「宝珠の御魂は土地神『大御魂』の魂の一部であり神力が宿った魂ですので、それと繋がるヒガンバナにも自然と魂や神力が宿ることがございます」
「墓場の赤いヒガンバナを条件に出してきたのは」
「生死が近しい所ほど魂は集い、神力が宿ります。送り妖の集落は魂や神力の宿ったヒガンバナが欲しいのでしょう。『送り』のつく妖は人魂など死にまつわる化け物が多いので、魂の宿ったヒガンバナを守り花にしたいのやもしれませぬ」
翔は小さく唸り、顎に指をあてる。
「俺には大した条件に見えなかったけど……」
「我ら南北の地はヒガンバナを守り花にしているゆえ、簡単にお譲りすることはできないのです。この土地も魂の宿ったヒガンバナで守られているのですから」
多くのヒガンバナを譲ることはないだろうが、魂の宿ったヒガンバナは貴重だと青葉は語る。
譲った結果、土地の守護が著しく弱まるやもしれない。南北の地は瘴気問題を解決して、まだそれほど月日が経っていない。守り花は多いことに越したことは無いだろう。
翔は文を睨みながら、こめかみに手を添えた。
「下手をすれば、南北の妖たちの生活が脅かされるかもしれないってことか」
「はい」
雪之介には雪中四友が必要だ。
水仙は是が非でも手に入れたいが、たったひとりのために動くことで、周りの妖が傷つく結果になってしまえば本末転倒である、
かといって諦めることもできない。
翔は意を決して、青葉に告げた。
「青葉、墓場のヒガンバナは南地のものを譲ってもいいか。その分、俺が墓場を見回って妖たちの生活を見守る。さすがにそうなったらヒトの暮らしは難しいだろうから、大学も休学を視野に入れる」
親と揉めるやもしれないが、それでもいい。
いまの暮らしを捨てても水仙を手に入れたい。
しっかり胸の内を語ると、青葉が肩に手を置いて微笑んだ。
「翔殿。もう少し、我らを頼っても良いのではございませんか」
「まさにいま、頼っているんだけど………」
「いいえ。貴方は心のどこかで、『俺がやらなきゃ』と思っている。ヒトの暮らしを捨てるなんて、私や比良利さまが説得しても捨てようとしなかったのに」
「そりゃあ事情が違うわけだし」
雪之介の命がかかっているのだ。
背に腹は代えられない。
「何かを成すために犠牲は必要でしょう」
だけど。
「犠牲にするのは本当に打つ手がない時にしませぬか? 私もオツネも翔殿から南の地のヒガンバナを譲りたい。守護が弱まる分、三職で墓場を見守りたい。そのようにしていいか、と言ってほしいのです」
ね。青葉は膝に乗るギンコに同意を求めた。
うんうんうん、と頷くギンコは、翔を尾っぽで突いて鳴く。ひとりで突っ走ることは翔の良いところだけど、悪いところでもあるよ、なんて言っていそうだ。そのような顔をしている。
面を食らった翔は間を置いて、そっと口角を緩めた。
「比良利さんに相談してもいいか? 南の地のヒガンバナを譲りたい。守護が弱まる分、三職で墓場を見守りたいってさ」
やさしい眼は返事を聞くまでもなかった。
結論、ヒガンバナは北地の墓場のものを譲ることになった。
相談した比良利曰く、「南は北より荒れておるじゃろうて」とのこと。
客観的に見ても北地の墓場のヒガンバナを譲るべきだろう。神職歴から考えても北の方が手腕もある。少しくらい守護の力が弱まったところで、平穏な北の地が荒れ狂うことはない。
なぜ南地の墓場からヒガンバナを出そうとしているのか、まったくもって意味が分からないと鼻で笑われた。
暗に未熟者だと云われているのだと気づき、翔は口を曲げるしかない。
「これはぼんひとりの問題ではないことを念頭に入れよ。雪之介はわしが統べる土地の氏子じゃぞ。友のことで焦る気持ちは汲む。何かしてやりたい思いも理解する。さりとて、もう少しお主には冷静な心が必要じゃのう」
「返す言葉ねえよ」
「多少の無茶振りはわしが背負おうと申したであろう」
「そうだけど……」
「居ても立っても居られぬか」
「……雪之介に偉そうなこと言っておいて何もできない。それが情けなくてさ」
「過程で努力しても結果が得られぬと焦燥感に苛まれるものじゃて。じゃが、いまお主が友のために翔け回っている。それもまた事実ゆえ、少しは自身の努力を認めても良かろうて」
負けず嫌い狐はやはり口を曲げてしまう。
こういう慰めすら悔しいと思う性格をどうにかしたい。甘やかされているような気持になってしまう。実際、甘やかされているのだろうが。
比良利も翔の性格は分かっているのだろう。
「悔しいのであれば、早うわしの隣に立つことじゃな」
「へえへえ。二百歳になるまでに絶対隣に並ぶから覚悟しておいてよ」
肩を竦める比良利が、ふと思い出したかのように笑みを深めた。
「そういえばお主、ヒトの暮らしを捨てても良いと言ったそうじゃのう」
「げっ、青葉の奴。話したのかよ」
「ぼんがヒトの暮らしを捨てるのであれば、南の地のヒガンバナをくれてやるのも手か」
「な、な、なっ」
目を白黒させる翔に、比良利は追い打ちをかけた。
「わしは大歓迎なんじゃがなあ。お主がヒトの暮らしを捨ててくれた方が心配事も減るゆえ」
「そ、それはちょっと」
「異界に留まってくれたら、妖術も教えるのじゃがのう」
魅力的なひとりごとを呟く比良利に、翔は早々に音を上げた。
「し、心配事を減らせるよう努力するから、その話は忘れてくれ! やっぱヒトの暮らしは簡単に捨てられねえ」
はてさて。条件を呑んだことで雪中四友の水仙は翌夜に届く。
上等な木箱を開けると、冷気と淡い光を宿した水仙がそこにはあった。指を近づけるだけで、身が凍えそうな冷気を纏っている。雪の精が宿っている証拠だそうだ。
「へえ。これが雪中四友の水仙か」
色素の薄い水仙をまじまじと見つめる。
水仙そのものが凍っているのだろう。目を凝らすと霜柱が立っていた。
「綺麗だけど、なんだか溶けそうだな」
冷蔵庫に入れるべきだろうか。
翔はあらゆる角度から水仙を観察する。
すると青葉が笑いながら、涼しい場所に置く必要はあるが、その程度で大丈夫だと言った。
「雪の精が宿っているので溶けることはございませぬよ」
「雪の精が逃げたりすることはねえの?」
「ええ。花に宿ると永久に宿ると云われています。ゆえに雪の精が宿った花は百年も二百年も大切に保管しているところが多いのです」
「雪中四友のひとつだもんな」
重宝される理由は分かる。
翔は木箱を覗き込んだまま、大きく三尾を振った。
「やっと雪中四友の一個を手に入れた。先は長いけど安心した」
少しだけ光が見えてきた。
翔は雪中四友の水仙をいつまでも見つめ、残りの三つを早いところ手に入れようと気持ちを引き締める。病魔に冒されている雪之介も今ごろ、体が解けぬよう必死に足掻いているに違いない。こちらもできることをしなければ。
しかし雪中四友の水仙が届いた夜、丑の刻に騒動は起きる。
月輪の社に駆け込んできた夕立が助けを求めにきた。顔は真っ青であった。
「翔さま。どうか錦くんを止めてください!」
ちょうど本殿の神饌を変えていた翔は、危うくそれを落としそうになった。急いで夕立に駆け寄ると、彼女に事情を尋ねる。
「もしかして、また本能が勝ったのか? あの日以来、薬で症状は落ち着いていたけど」
「今日はいつもより暖かいので、雪解けが加速したみたいです」
夕立は語る。
夕暮れ時から天馬と見舞いに隠ろえへ赴いたのだが、雪之介は暑さに苦しんでいた。
受け答えも儘ならないほど浅く呼吸を繰り返し、「暑い」と言っていたので、一聴たちと手分けして彼の体を冷やせる氷をかき集めたのだが、それでも雪解けは止まらず。雪之介の苦しみも止まらず。呼吸は浅く繰り返すばかり。
これではいけない。
一聴は天馬に急いで季節の妖に呼ぶよう言いつけた。
もう氷をかき集めるだけではだめだ。
雪の妖に彼の体を冷やしてもらわねば、雪之介は溶けてしまう。
幸い、隠ろえには季節の妖が何人かいる。運が良ければ今宵、雪之介の母親であり、雪女が隠ろえを訪れるはず。誰でもいい。とにかく雪之介の体を冷やせる妖を!
「名張くんはすぐに呼びに行きました。でも」
雪之介の本能が勝る方が早かった、
体が溶けていくことに危機感を覚えた雪之介は布団から抜け出すと、本能だけで動き始めた。目に映るものを凍らせ、雪を降らせ、雪嵐を起こした。隠ろえに悲鳴があがった。
さりとて微かな良心が残っていたのだろう。
雪之介はどうにか隠ろえを吹雪かせないよう、その場から逃げ出した。取り押さえる間もなかった。最悪なことにヒトが暮らす町へと飛び出してしまった。
翔は冷静になれと己に言い聞かせながら、夕立に優しく聞き返す。
「雪之介は人間の町に出ちまったんだな」
「はい。錦くんは優しいから、誰にも迷惑が掛からないところで雪を降らそうと思ったんでしょうけど……」
「あんのばか。そんなところ、この土地にはねえよ」
南北の地は人であふれかえっている。
田舎町で見かける鬱蒼とした里山や空き地なんぞ無いことは分かっているはずなのに。小規模の裏山程度こそ近くにあるが、そこで雪を降らせるにしても距離がある。
「錦くんが飛び出して、間もなく人間の町が騒がしくなりました」
なぜ、なんて野暮なことは聞かない。
おおよそヒトの町に飛び出した雪之介は己の身を守るために町に雪を降らし始めたのだろう。それどころか目に映るヒトや動植物を凍らせる暴挙を起こしているに違いない。
(くそっ)
このままでは雪之介は悪行を起こす妖と見なされ、妖祓に目をつけられてしまう。
いや、もう動き出しているやもしれない。それだけ雪之介のしていることは大ごとになっているはずだ。
「翔さま」
夕立が下唇を噛んだところで、翔は彼女を安心させるべく声を掛ける。
「夕立、井戸で洗濯をしている青葉を連れて事を比良利さんに伝えてくれ。あいつは北の地の氏子だ。比良利さんに知らせる必要がある」
「翔さまは」
「一足先に雪之介を止める」
言うや否や翔は指笛を吹くと、鳥居の石段を急いでくだった。
指笛を吹くと銀狐が小さな体躯を大きな体躯に変えて宙を翔る。
翔はギンコの背中に飛び乗ると、ヒトの町がある夜空に出るやギンコに雪之介の下に向かってくれるよう頼む。
雪之介がいま。どこで暴れているか目星はついているか、なんて夕立に聞く必要なんぞなかった。夜空の向こうに見える分厚い雲が大雪を降らせている。それだけで雪之介がそこにいるのだと分かる。
(頼むっ、間に合えっ)
妖祓に見つかる前に、翔が雪之介を見つけなければ。
もし本当に雪之介がヒトに危害を加えているのならば暗黙の了解で妖祓は妖を祓う。妖側はそれを咎めるようなことはせず、相手の行いが悪かったで終わる。非は妖にあるで終わるのだ。
(俺はばかだ。あいつは俺と違う妖だってーのにっ)
季節から生まれた妖は化け狐や猫又とは、まったく違う化け物だ。
とにもかくにも季節に左右される。
雨から生まれた化け物は、雨が止めば力が弱まる。椿から生まれた化け物は、椿が枯れると命を終える。同じように雪の化け物は雪が解ければ、その身を水に変えて生涯を終える。
甘かった、化け物の中でも雪之介は繊細な分類に入る化生だった。
(あいつを止めたら、今度は妖の社に置こう)
境内であればいくら暴れても構わない。
神職が止めるために尽力すればいいだけなのだから。
――できる限り、君に意地を見せる。だから約束してほしい、僕が本能だけで動く化け物になったらその時は遠慮なく止めてくれるって。僕は特にヒトを傷つけたくないんだ。
脳裏に過ぎる、雪之介との約束に握り拳を作る。
あれはヒトを傷つけたくないと願った。雪之介ほどヒトを愛し、ヒトのことを想い、ヒトになりたいと願う妖を翔は知らない。ヒトと共栄共存したいと夢見たのも、雪之介の出会いがあったからこそ。
だからこそ。
だからこそ、だ。
分厚い雲に飛び込んだギンコが一声鳴く。
そこは目に刺さる雪が荒れ狂っていた。吹きすさぶ吹雪を翔るギンコが地上を見下ろしたことで、腰を浮かせて翔は手中に和傘を召喚。
視界の悪い吹雪の向こうに見える、住宅街の道路を目にするやギンコの背中から飛び下りた。
翔の目に飛び込んでくるのは住宅の一部や庭木、凍った人間、電柱にぶつかっている車、路面の凍結。なりふり構わず、目に映るものを凍らせる化け物。そして妖祓。馴染みある顔が二つ。
「錦っ、お前何やってるのか分かっているのか!」
数珠を構える妖祓は何やら怒声を上げているようだが、雪之介には届いていない。
「どうしちゃったの錦くん!」
側らで凍った人間を溶かすために呪符を張っている妖祓も、声を張っているが、やはり雪之介には届いていない。
化け物は無表情に凍らせる。
目の前の人間を、住宅を、木々を――天地を吹雪かせるのは雪を積もらせたいと見た。
ああ、本当に世話の焼ける化け物だ。ヒトを愛する化け物のくせに、こんなことをして。
(妖祓と鉢合わせて時間が経ってそうだな)
翔は和傘の柄を握りなおすと雪之介と数珠を構える妖祓、和泉朔夜の間に割って入るために和傘を大麻に変えてそれを振り下ろした。
双方が後ろへ飛び退く。
「ショウ」
着地した朔夜が鋭い視線を投げてくる。
目は説明を要求しているが、正直翔にも余裕がない。
朔夜に大麻を振るうと、もうひとりの妖祓にも大麻を向けて、雪之介から距離を取らせる。
「下がれ妖祓! これは俺たち妖側の問題だ!」
都合の良い事を述べていることは分かっている。人間の町に危害を加えているのだから、妖祓が動くのは当然のこと。
それでもこの始末は妖側が取るべきなのだ。
「雪之介っ! これ以上、悪行を重ねるなら俺が相手をする」
無表情で、けれど肩で息をしている化け物と向かい合う。
するとどうだ。
雪之介は「暑い」と呟いて、めいっぱいの妖力を解き放った。
有りっ丈の妖力を放ったことで、天高く覆う分厚い雲から新しい吹雪が生まれた。何もかも凍らせたいのだろう。暑くてたまらないのだろう。溶ける体を冷やしたいのだろう。
本能だけで動く雪之介こそまんま吹雪であった。
「あの時と同じか。見境がねえ」
瞬く間に吹雪で視界を奪われた翔は舌を鳴らすと、「約束は違えねえかんな!」と叫んで、大麻を横一線に振る。風は刃となり、雪を含んだ嵐は真っ二つに裂けた。
相手は化け物であろうと市井の妖。未熟ながら武を学び、宝珠の御魂を宿す翔の敵ではない。が、それはそうとして手加減はしなければ雪之介の体を砕いてしまう。
本気で止める約束は違えないが、それと命を取るは別問題なのだから。
(和傘にしたら容赦なく止められねえ)
だからこそ大麻でなければならない。が。
(狙うは足!)
翔は雪之介の胴を狙うことなく、右足に狙いを定めて大麻を振る。
寸前で氷の柱が立ったので、それを砕くだけの結果になった。
素早く左足を狙うと、雪之介が飛び上がる。雪之介は市井の妖であるが洞察力は高い。普段から人間観察をしていることが多い妖なので、翔の目の動きで、次の動きをある程度読んでいるようだ。
(けどな)
やはり翔の敵ではない。
大麻を逆手に持ち、雪之介目掛けて振り上げる。
それは溶けていない左腕に狙いを定めていた。砕いてしまう覚悟であった。
半端な加減では雪之介は止められない。
なにより約束を違えてしまう。翔は本気で雪之介を救うべく、本気で止めに掛かった。
カツン。
大麻がぶつかる。
雪之介の左腕には届かず、それは投げられた錫杖に当たって終わった。これが誰のものなのか確かめずとも分かる。
翔は大麻の方向を変えると、右に向かって風を起こす。
「烏天狗の名張天馬。自分が何をしたか、俺の前で言ってみろ!」
声音を張った先には烏天狗が息を切らして立っていた。
季節の妖を呼びに行った彼は、雪之介が隠ろえから飛び出した騒動を聞きつけて、単独で探していたのだろう。
そして翔が雪之介に大麻を振り上げる光景を目にして、急いで止めたといった流れだろうが、これは目を瞑れない行いであった。
翔は後ろに下がった雪之介に顔を顰めると、天馬に何をしてくれるのだと苦言する。
それは友人としてではなく、南の地を統べる頭領としての言葉であった。
「己が何をしたか、重々承知しています。しかし」
天馬は翔の前に立ちふさがり、大麻を下げるよう進言してくる。
「翔のお役は自分が引き受けます」
「ふざけるな。お前は市井の妖、私情で妖に手を上げるなんて許すか。下がれ」
「愚行であることは承知しております」
それでも譲れないと天馬。これが終われば罰でも何でも受けると言ってくるのだから頭が痛くなる。天馬が頭領の命令を聞かないなど滅多にない事であった。
「退け天馬!」
翔が尾っぽの毛を逆立てると、「錦に悪名がつきます!」と天馬が声音を張ってくる。
「貴殿が錦を止めれば良くも悪くも市井の間で話題になります。いくら病魔のせいとはいえ、人間の町で暴挙を起こした挙句、南の神主に止められたとなれば、あいつはレッテルを貼られる」
病魔より行いを注視され、周りから距離を取られてしまう。
それがどれだけつらいか、天馬はよく知っている。
「自分であれば、悪名のついた友人に殴られた程度で済みます。錦は自分が相手をします」
言いたいことは分かる。
要は肩書きを持つ翔が行動を起こせば、良し悪し関係なく尾ひれがつくと、天馬は主張したいのだろう。
周囲から悪口をつかれている天馬だからこその心遣いであり、雪之介を心配した行動だと理解はできる。天馬は天馬なりに友人を想ってのことだろうが、翔も譲るわけにはいかない。
天馬は市井の妖にしか過ぎない。
肩書きを持った翔だからこそやらねばならないのだ。
神職に就くとはそういうことなのだ。土地を統べるとはそういうことなのだ。頭領になるとはそういうことなのだ。
いつぞか翔は弱音を吐いた。
こんなことで友人を失いたくない。翔は神主ではなく友人として雪之介のために動きたい。
それを聞いた比良利が多少の無茶苦茶を背負うと手を差し伸べてくれたが、締めるところは締めるべきだと翔は思っている。
だから譲る気はない。
「悪いけど、お前に務まるお役じゃねよ」
翔が大麻を振り下ろすと、天馬が懐刀で受け止めた。
態度で向こうも譲らないと訴えてくるが、こちらとてそれは同じ。
誰かを救う本質を見失う障害は誰であろうと払いのける。
これは雪之介との約束でもあるのだから、はき違えるわけにはいかない。
「翔、引いてくださいっ」
「本気で雪之介にぶつかる覚悟もねえくせに、俺の代わりなんて務まるわけねえだろ!」
翔は勢いのまま天馬の胴目掛けて蹴り飛ばすと、向こうにいる雪之介に大麻を振る。
すかさず天馬が風の如く間に入って、大麻の斬撃の軌道を変えてしまう。まこと厄介な烏天狗である。
ふたたび吹雪かせる雪之介の様子を見ながら、道路に落ちている錫杖を拾い、翔の相手取るのだから。さすがは南の神主に武を教える師といったところ。
「ああくそ。邪魔すんじゃねえよ」
「貴殿が引けばよいかと」
大麻と錫杖がぶつかった直後、「事情は知らないけどさ」と、少々呆れを含んだ声が二人の間をすり抜けていく。
「肩書だの、噂だの、そんなのは妖祓の名前で上塗りすればいいだけ――錦は僕が仕留めるよ」
妖祓の自分にとって妖の文化なんぞ気にする必要はない。
その妖祓、朔夜は数珠を構えると、それを雪之介に向けて放った。調伏するための法術ではない。かといって捕縛する法術でもない。
ただ相手に衝撃を与えるためだけに数珠を放った。
霊気を纏った数珠は雪之介の左足に絡むと霊気で足を縛り上げた。雪之介の体は淡雪状態なので、左足は脆くも砕け散り、必死で吹雪かせよう、凍らせようとしていた化け物の行動は止まった。
雪の妖はその場に崩れてしまった。
「雪之介!」
急いで翔が駆け寄り、雪之介の体を起こしてやる。
暑いあついと小声で繰り返す雪之介は、幸か不幸か、法術の衝撃で正気を取り戻したようだ。ぜぇはぁと呼吸すると、焦点の定まらない目を翔に向けて、小さく苦く笑う、
「かけるくん」
「俺が分かるんだな雪之介」
「ぼくは、にんげんを、きずつけたよね」
翔は凍っている人間や路面に目を配り、「ああ」と正直に答える。曖昧なうそは雪之介を傷つけると分かっていた。
「止めるのが遅くなった。悪い」
「ううん。いいよ。てんまくんも、ありがとうね」
「………自分は何もできなかった」
隣で片膝をつく天馬を見やった後、雪之介は向こうに見える妖祓に気づき、泣き笑いした。
「ありがとうね。ぼくをとめてくれて」
「調伏しようとした妖祓に礼を言うなんて、お前はばかだな。風邪ひいているなら、さっさと異界で寝てろよ。此処で寝られても邪魔だ。吹雪は吹かせるわ、町は凍らせるわ、勘弁しろよ」
ぶっきら棒に返す朔夜は、仕方ないからここの後処理はしてやる、と言って飛鳥の下へ向かう。最後まで妖祓として、敵としての役目をまっとうしてくれる朔夜に感謝しかない。
妖祓が雪之介を調伏しようとした、と言えば、少なからず雪之介の起こした暴挙の話題も薄まることだろう。
翔が止めていれば妖たちは頭領が止めたと騒ぎ立てただろうし、天馬が止めていれば、市井の妖が手を出したと問題視されるのだから。
(朔夜、ありがとうな。飛鳥も俺の見ていないところで雪之介を止めてくれようとしたんだろう。ありがとう)
翔は内心で何度も感謝した。
うう。うめき声を上げる雪之介が砕けた左足を動かし、「ぼろぼろだ」と、またひとつ泣き笑い。
「本能をおさえることもできなかった。ばけものなんだな、ぼくも」
「………雪之介」
「にんげんがだいすきなのに。にんげんの町に生まれて育ったのに、どうしてぼくは」
人間になれないのだろう。
人間が妖になることはあるのに、どうしてその逆は無いのだろう。
雪之介はどうしてを繰り返した。
「ぼく、こんなこと、したくなかったのに」
自分を止めてくれるって信じている妖がいても、自分の病魔のために奔走してくれる妖がいると分かっていても、支えてくれる妖がいると知っていても。
「こんなにつらい思いするなら、あやかしになんか、なりたくなかった」
大好きなものを傷つける存在になりたくなかった。
「にんげんなんか、すきになるんじゃなかった」
雪之介の吐露は珍しくも弱々しい。
でも、それでいいのだ。
うそ偽りを続ける心より、ずっといい。
偽り続けることがどれだけつらいか、翔は知っている。雪之介が堪えられない感情を抱えて、それを聞いてほしいのならば、翔は何度だって耳を傾ける。
友人として、頭領として、元人間として。
「かえろう雪之介。お前の意地はこれからだろ? このままで終わる奴じゃないって俺は知っているよ」
(――冗談じゃないよなあ)
その妖祓、和泉朔夜は心中で悪態をついていた。
本当にまったくもって冗談ではない。何度でも言ってやる、冗談ではない。
なんでこんな悪役じみたことをしなければいけないのか。妖の起こした騒動の後処理を率先してやらねばいけないのか。
「飛鳥。凍った人間たちは大丈夫かい?」
「うん、大丈夫。気絶しているだけ。病院で診てもらう必要はあるけど、大事には至ってないよ」
「そう」
「まさか錦くんが人間を襲うなんてね」
「まあ、妖だからね」
相手は化け物。
どんなに理性があろうと、絶対に人間を襲わない、という保証はどこにもない。化け物とはそういうものだ。自分の意思すら捻じ曲げて本能だけで騒ぎを起こしてしまうこともある。雪之介がまさにそれだろう。
「錦くん……大丈夫かな」
「足を砕いた僕を恨んだんじゃないかな」
「そういう性格じゃないと思うよ、錦くん。自分を責めてそう」
「恨んでくれた方が気も楽なんだけどな」
「私たちにとっても錦くんは友達だからね」
朔夜はしかめっ面を作ってしまうが、飛鳥は苦笑するばかり。
「妖祓としては敵だけど、錦くんは私たちのために何度も走ってくれた。だから朔夜くんも、調伏じゃなくて錦くんを止める選択をしたんでしょ。ショウくんと名張くんの様子を見て、自分がやらなきゃって思ったんじゃないの?」
「飛鳥、僕と錦は不仲なんだけど」
「ええ? 連絡まで交換しているのに?」
「……嫌がらせをしたくて交換しただけだよ」
「もうちょっとマシな言い訳を考えておいた方が良いよ、朔夜くん」
ぐうの音も出ない。
朔夜は口を閉じると、黙って眼鏡を取り、レンズの汚れをハンカチで拭う。
「錦くん。人間になれたらよかったのにね」
レンズを拭く手が止まる。
「飛鳥、僕はね。あいつが化け物のままでいるべきだと思うよ」
「どうして?」
「化け物だからこそ、あいつはばかみたいに人間を想える。人間になったら、たぶん想いは薄まる。そんな気がする」
だからそのままでいい。
自分を否定するくらいなら、そのままでいい。
朔夜はそう思っている。
「錦は大丈夫だろう」
「ん?」
「ショウと繋がっている妖だ。簡単に折れるタマじゃないよ」
元気を取り戻したら、意気揚々と足を砕いたことに、笑いながら文句を吐いてくるだろう。ああ絶対にそうだ。そうに違いない。じゃあ、このまま姿を現さない方がマシだ。
朔夜がため息交じり言うと、飛鳥が面白おかしそうに笑った。
「嫌がらせをしたいわりに、よく錦くんを見ているね。朔夜くん。喧嘩するほどナントカってやつかな」
仏頂面になった朔夜からそれ以上の言葉はなかった。




