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白狐ノ草子   作者: つゆのあめ/梅野歩
▼雪の章:病ノ編(連載中)
74/77

たとえばの雪解けに花束を(三)

雪童子の悩みはどこか白狐が抱えているものと似ている。


 はてさて。

 雪之介の診察が始まると、翔は天馬や夕立と口を噤んで様子を見守る。


 一聴は雪之介の右肩口を診るため、応急処置程度に縛ったタオルを解くと、こぼれ落ちる雪を桶で受け止める。いつまでもこぼれ落ちる雪の量に、四つ目の眼光が鋭くなった。

 助手のお有紀に小刀を持ってくるよう指示すると、「軽く削りますぞ」と言って患部を刃で削ぎ始める。麻酔もなしに患部を刃で削ぐなんて、見ているだけで痛々しいが、雪之介は平然とした顔で身を任せている。痛覚が無いのは本当なのだろう。


 ただし雪之介の顔色はあまり芳しくない。

 せっかく着替えたシャツもびっしょり濡れ始め、浅く呼吸を繰り返している。道中はへらへらと陽気に笑っていたが、やせ我慢していたようだ。すっかり口数が減ってしまっている。

 心配した翔が声を掛けるも、こちらに視線を投げる雪之介は曖昧に笑うだけ。余裕がなさそうだ。


「イ゛ッ!」


 お有紀がカンアオイと呼ばれる、大きな葉っぱを患部に貼った瞬間、雪之介の顔は露骨に引き攣った。涙目になって「沁みる」と身悶えている。

 おや? 雪之介には痛覚が無いのでは? 翔は首を傾げる。


「沁みて当然、そのカンアオイは清らかな水と百年草の汁に浸している。妖気を持つ我らにとって、それは血止め草であり消毒草、傷を負った者が触れれば、多大な刺激が襲ってくる。安易に大丈夫とお前は言っているが、雪解けは雪の化け物にとって良からぬ状態であることを思い知りなさい。毎度、注意しているこちらの身にもなってほしい」


 一聴が小刀を鞘に収めたところで、居ても立っても居られなくなった夕立が容態を尋ねた。


「先生。錦くんは……」


 小刀を畳の上に置くと、雪が溜まった桶を翔たちの前に置いた。

 これを触ってみてほしい、と頼まれたので三人は顔を見合わせ、代表して翔がそれに手を伸ばした。雪を右手で掬うと、それはとても冷たく手先が凍るよう。

 けれども、すぐに翔の手の体温で水となった。

 まごうことなき、これは雪だと思わせてくれる。

 

「これが今の雪之介の状態でございまする。少しの温度でも溶けかねない」

「少しの温度でも?」


 翔が聞き返すと、一聴は苦い顔で患者の寝顔を一瞥する。


「雪之介の体は雪の結晶体の集合体。一つ一つの結晶が繋ぎ合わさり、隙間なく結晶同士がくっ付いて雪片となっておりまする。そうして無数の結晶が雪片となり形となることで、雪之介の体は出来上がっておりまする。さりとて今の雪之介の体は結晶同士の繋がりが弱く、結晶同士に隙間ができている状態。これは非常にまずい」


「隙間……?」

「翔さま。雪にも種類があるのをご存知ですか?」

「雪に種類なんてあるのか?」


「ええ。代表的なものが二つ、ひとつは気温と湿度が高い時に生まれるぼたん雪。水分を多く含んでいるので溶けやすい雪と云われております。対照的に粉雪は気温と湿度が低い時に生まれる。ぼたん雪よりも湿り気が少ないため、溶けにくい雪と云われておりまする」


 雪の化け物は雪片で体を作り上げているので、外界から受ける気温と湿度を上手く妖気と調和させて、体を保たせている。

 極端に気温が高いと体内の湿度も高くなり体が溶けてしまう。ぼたん雪状態になってしまう。

 かといって極端に気温や湿度が低いと体内の水分が少なくなり、体が崩れやすくなる。結晶同士がくっつきにくい粉雪状態になってしまう。

 気温の化け物の中でも雪の化け物は、ひと際繊細な体を持っていると一聴は教えてくれる。


「先ほども述べました通り、今の雪之介の体は結晶同士の繋がりが弱く、結晶同士に隙間ができている状態でありまする。体内で粉雪状態とぼたん雪状態が入り混じって、上手く体の調和が保てていない。そこに結晶同士に隙間ができている。隙間は雪を溶けやすくする条件のひとつに当て嵌りまする」


 雪を溶けやすくする条件はいくつかあるか、その中でも気温と湿度、そして風は代表してあげられると一聴は語る。


「隙間は風通りを良くしまする。ゆえに本来、結晶同士は密に繋がり合っているものなのですが」


 翔は眉を顰めて一聴と雪之介を交互に見やった。


「つまり結晶同士の間に隙間ができればできるほど、外部から風を受けた際、体が溶けやすくなるってことか?」

「ご明察。気温と湿度が高くなり、つよい風を受ければ、瞬く間に雪之介の体は溶けまする。無論これも化け物の類い。簡単にくたばることはございませぬ」


 とはいえ、ああ、とはいえだ。

 一聴は雪之介の枕元に座り直すと、首に提げていた聴診器で何度も患者の額を叩いた。わりと本気めに。いい音がしている。


「いつからこのような状態になっていたのか、たいへん興味深い。雪之介よ、お前という奴は毎度雪の体を軽視しよって。体をなんだと思っているのか」


 聴診器で叩かれる患者は幾度も「痛い!」と悲鳴を上げている。痛覚は無いとはいえ、叩かれると痛いと言ってしまうのかもしれない。痛みはなくとも大きな刺激はあるのかもしれない。

 付け加えると腕を崩した時も、カンアオイの葉を貼られた時よりも、遥かに刺激は強いようでごめんなさい、勘弁してください、と懇願の声が聞こえた。

 仕舞いには翔らに助けを求めていたので、ついつい苦笑い。あれは助けられそうにない。


「今宵は一聴の下で半日入院してもらうゆえ覚悟せえよ。雪之介」

「えええ。は、半日入院?!」


 がばりと身を起こして、そんな大事にしたくはないと大主張。

 本気で入院は嫌なようで、青い顔で何度も首を振り、家に帰してほしいと片手を出した。そんなことを言っても体が溶けかけているのだから、一聴の下で安静にした方が良さそうなのだが……雪之介は絶対に嫌だ、もしも事が親の耳に入ってしまえば最悪だ、と言って頭を抱えてしまう。


「なんだよ。お前のご両親優しいじゃんか。ちゃんと説明すれば、入院のことだって分かってくれると思うぜ?」


 雪之介の家に何度か泊まったことがある翔は、当然雪之介の両親にも会ったことがある。

 父親は木葉天狗、母親は雪女の異類婚姻譚ならぬ異族婚をしている妖らだ。とても優しい妖夫婦で、翔が半妖時代から良くしてもらっている。

 何か不都合か? と問うと、雪之介が遠い目を作る。 


「僕の両親、親ばかなんだって……もしも僕が入院するなんて聞いたら、訳分からないサプリメントや健康器具を買ってくるかもしれない。それどころか雪の多い東北の山奥に引っ越すなんて言い出すかもしれない。僕はこの地で暮らしたいのに」


 これまでにも体を溶かすことがあり、その都度雪の多い土地に引っ越そうか、と話が持ち上がった。それがとても嫌なのだと雪之介は重いため息をつく。


 なるほど。

 翔は苦笑する。

 雪之介の気持ちは痛いほど分かる。翔も神職狐らから身の安全を考えて異界へ移住しろと言われたり、干渉的になった両親から定期的に実家で暮らすことを勧められる。

 それだけ心配させているので申し訳ない気持ちになるものの、十も二十も同じことを言われると気疲れしてしまう。雪之介もそれなのだろう。


「さりとて、その体を隠すこともできなかろう。家に帰ったところで何も変わらぬよ」

「う゛ぅ、そうなんですけど……そうなんですけども……」


「一聴めは医者として、命を守る生業(なりわい)に立つ者として、貴殿の願いに応えることはできぬ。溶けやすい体は崩れる寸前も同じ。帰宅許可を出したことで容態が悪化したともなれば、明日にでも医者の肩書きを返上するゆえ。それに」


 一聴はまだ何か思うことがあるのか、桶に溜まった雪を一瞥した。

 それだけで何やら嫌な予感を抱いてしまうのは、なぜか。


 翔の不安を余所に、入院のことを知られたくない雪之介は「せめて親には内密で」と新たに交渉をはかる。半日入院は自己管理がなっていなかったから、と反省する。猛省する。そりゃもう心から!

 もちろん、いずれ親にばれるのも分かっているが、せめて数日は、退院するまでは親に黙っていてほしい……と早口で頼み込んでいるが、一聴は頑なに首を縦に振ろうとはしない。


 それどころか、雪之介にこのようなことを尋ねた。


「雪之介。此処がどこで此処にいる者達が誰か、しかと分かっているか?」


 分かっている、とは?

 面を喰らう雪之介に「分かっているなら良いが……」と、一聴は意味深長に唸る。

 翔たちが雪之介を見つめると、ちゃんと分かっていると片手を振って、枕元に置いていた眼鏡を引っ掴んだ。


「此処は隠ろえで、向こうで見守ってくれる妖達は右から翔くん、白木さん、天馬くん。大丈夫、ちゃんと分かっているよ。全部わかっている」


 眼鏡のレンズに付着した汚れを服で拭いながら、雪之介は分かっていると繰り返す。

 言葉の合間合間に少しだけ熱くなってきたね。喉が渇いてきたかもしれない。暑いね、熱いね、と繰り返し、繰り返した後、眼鏡を畳の上に落としてしまう。


「お、おい雪之介。大丈夫か?」

「……大丈夫、少しだけ眩暈がしただけ。熱いだけ。暑いだ、けだよ。あつい、ね」


 あつい。

 あついからこんなにも眩暈がする。

 それでは自分が溶けてしまう、溶けてしまいかねない、溶けて消えてしまう――そんなのごめんだ。

 その目を青く光らせた雪之介の表情が無となる。見たことのない面持ちだった。いつも飄々と笑っている顔はどこへ行ってしまったのか。

 否、殺伐とした意思を感じた。これは殺意にも似ている。


「やはりか。お有紀、翔さま、天馬、雪之介を押さえてくだされ」


 翔は思わず腰を浮かす。


「押さえるってどういうことだよ、一聴さん」

「説明は後でしまする。このままでは雪童子の本能が――っ」


 刹那、雪之介がその身から猛吹雪が放たれる。

 同時に雪之介の体が音を立てて倒れてしまった。急いで駆け寄ってやりたいが文字通り、目の前が真っ白になるほど吹雪が診察所を襲い、翔らは雪風の猛撃に呑まれてしまった。


「な、なんだっ」


 前がまったく見えない。

 それどころか目を開けるだけで、雪の粒が眼球を突いてくる。これでは目が開けられない。となると頼れるのは耳だが、生憎耳が良過ぎるゆえにいろんな音を拾ってしまう。一聴とお有紀の声だとか、吹雪の猛風だとか、それによって物同士がぶつかっている音だとか、何かが凍っていく音だとか。

 凍っていく音?

 翔は自分の四肢に目を配る。見事に手先が白く凍り付いていた。


「翔さま。白木。身を屈めて目を閉じろ。このままでは目をやられる」


 と、翔の前に烏天狗の大翼が覆った。

 それは天馬のもので、彼が自分と夕立の目を守るために錫杖を床に突き立て、翼で壁を作っていることに気づく。それでも吹雪の猛威は留まることを知らない。翔は見る見る烏天狗の翼が凍っていくのを目にした。

 しかし下手に動けば天馬の努力が泡となってしまいかねない。

 翔は夢中で上着を脱ぐと夕立の頭にそれをかぶせて、彼女の身を屈めさせた。

 そして自分は盾となってくれている天馬の身を支えながら、手中に和傘を召喚。吹雪の流れを断つためにそれを勢いよく振り下ろした。

 けれども吹雪は診察所にいる者達に猛威を振るばかり。留まるところを知らない。


(チッ、やっぱり和傘じゃだめだ。断ち切れねえ。けど)


 和傘を大麻にすることはできない。

 万が一にでも、雪之介を傷付けてしまうやもしれない。大麻はそれだけの力を持っている。


「何が起きてるんだ。一聴さんっ、お有紀さんっ、それに雪之介は無事か?!」

「吹雪で何も見えませんが、これの原因はまぎれもなく錦です。錦が無意識のうちに、気温を下げようと吹雪を生んでいる。護身ゆえの暴走かと」

「気温を下げようとしているって……なんで急に暴走なんて」


「体の調和が上手く出来ていないせいです。あいつは溶けそうな体を癒すために、すべての妖力を使って冷やそうとしている。しかし、そのようなことをすれば体を保つための妖力まで使い果たしてしまう。あいつは――あのばかの体は、自分達が想像していた以上に本当に限界だったんです」


 耳を澄ませると聞こえてくる。熱い、あつい、溶けてしまう、と。

 それはあまりにもか細く、あまりにも弱々しい――今にも消えそうな声だった。


「早く錦を止めないとっ。このままでは妖力が尽きて溶けてしまう」

「天馬。雪之介はどうなってる? 意識はありそうか?」

「いえ、おおよそ気を失っているかと。意識を取り戻すことができれば、吹雪は止むやもしれません」

「ぐずぐず考えている暇はない。あいつの意識を取り戻そう。かといって、あいつの吹雪を止めるにはここじゃ狭すぎる。雪之介を外に連れ出そう」


 外に連れ出せば、いくらか猛吹雪を散らすことが可能だろう。


 とはいえここは「(かく)ろえ」。


 多くの妖らが暮らす集落。

 安易に雪之介を外に連れ出せば怪我、いやいや凍傷する者が出てくるやもしれない。

 そうすれば雪之介に批難の声が挙がってしまう。心優しい妖のことだから、自分の行為に心を痛めて自責の念を抱いてしまうやもしれない。それは避けたい。

 すると天馬が錫杖を握り直し、自分が彼を連れて空まで飛び上がると進言した。天高く飛び上がってしまえば、多少吹雪いても周りに迷惑を掛けることはないだろう。

 なるほど良い案だ。しかし。


「意識のない雪之介は容赦なく吹雪を生んでいる。最悪お前の身が凍っちまう」


 凍傷の危険性を述べるが、天馬は譲ろうとしない。これが最善の策だと言い切った。


「このまま錦を見殺しにするくらいなら、凍った方がマシだ。翔、どうかここは自分に」


 迷っている暇なさそうだ。

 翔は天馬の肩に手を置くと、「合図は三だ」と言って和傘の柄を握り締める。


「三の合図で、俺が吹雪の流れを全力で断ち切る。お前は雪之介を抱えて外に出ろ。夕立、戸まで走れるか? 外への道はお前が作ってほしい」


「はい。翔さま」

「翔、お願いします」

「いくぜ――っ、一聴さん! お有紀さん! 身を屈めてくれ! 吹雪を叩き断つ!」


 喉が裂けんばかりに声音を張り、「一」翔は数を数え始める。

 その瞬間、天馬が錫杖を構え、夕立が翔の上着を被ったまま出口の方向に触角を向けた。「二」その合図で翔は天馬の前へ飛び出し、渾身の力を込めて和傘を真横に構え、「三」それで猛吹雪を薙いだ。

 真っ白な視界もろとも断ち切ったことで寸時、吹雪が止み、視界が晴れた。

 それを合図に天馬が畳みを蹴って倒れている雪之介を抱え、夕立が引き戸を開けた。


「名張くん! こっちです!」


 声に導かれるまま烏天狗が外へと飛び出す。

 翔と夕立も急いで外へ出ると、天を仰いで烏天狗の行く先を探した。

 天馬は韋駄天のような速さで夜空へ上昇したようで、すでに姿かたちは見えない。代わりにゆらゆら、ゆらゆら、と雪の粒が降ってきた。

 翔はそっとを手を出して雪の粒を手のひらで受け止める。それはそれはとても小さな雪の粒だった。


「……雪之介の本能が暴走したのは久方ぶりですのう」


 診察所から一聴とお有紀が出て来る。

 室内はすっかり雪まみれとなっていたが、彼らは慣れているようで後片付けの心配よりも、患者の身に想いを寄せていた。


「一聴さん、雪之介はなんであんな暴走を」


「雪之介も化け物の類いということでしょう。雪女から生まれた雪童子なのですから、寒さを好むのはしごく当然のこと。ましてや気温による命の危機となれば、周囲を吹雪かせて気温を下げるのも頷けまする。また雪之介は普段、極力妖力を抑えて過ごしております。それも本能の暴走に拍車が掛かったのかと」


「妖力を抑えて過ごす……そうだな、雪之介が妖力を使うことは滅多にない。俺も稀にしか見ないし」


「あれはヒトの世界に生まれ育った化け物。たいへん人間に気を遣いながら暮らしておりまする。何度も助言をしました。暑ければ春夏秋冬関係なく、雪を降らして身を冷やし、癒すことも許されるであろう、と。しかし」


「雪之介のことだ。人間の目を気にして、雪を降らすなんてことはしない」

「妖の世界で行えば良いと提案したこともありましたが、『僕の都合で毎度雪を降らすわけにもいかない。我慢できる』と言うばかりで……」

「あいつらしいよ」


 相談してくれたら、いつだって場所を探したのに。

 いや雪之介のことだ。翔の身分を乱用したくなかったのだろう。

 翔は南の神主の肩書きを持った妖狐だ。それの友人関係を築き上げているのだから、無茶な頼みごとだってやろうと思えばやれる。

 しかし雪之介はそれを好まない。いつだって対等に翔の友人でいようと接し、時に神主と市井の妖として謙遜な態度で接してくる。あの雪童子はいつだって、そう、いつだってそうだ。

 だから翔は気兼ねない雪之介の友人でいられる。


(雪之介の願いを聞いてばかりだと、きっと俺は市井の妖らに贔屓にしていると思われかねない。あいつはそこも気遣ってくれているんだろうな)


 高い身分にいるとは不便だ。

 翔は複雑な気持ちに駆られながら、次から次へと己の身に降ってくる雪を受け止める。


「……天馬は無事に雪之介を止められたかな。まだ戻って来ねえけど」

「降って来る雪は緩やかゆえ、きっと大丈夫でしょう。ただ」

「ただ?」


 少しばかりの沈黙後、一聴は翔の肩に手を置いて、そっと言葉を重ねた。



「翔さま。恐らく雪之介は病に(かか)っておりまする。それはあの子が以前にも患った病。名を雪消病(ゆきげびょう)――今のままでは、おおよそ春一番の訪れと共に彼の身は溶け消えてしまう」



 言葉を失う翔の頬に、雪の粒が落ちる。

 それは見る見る結晶が小さくなり、溶けて、やがて水となった。



 ※ ※




「――しき。錦っ、起きろ、雪童子の錦雪之介」



 何度も揺さぶられ、誰かに声を掛けられたことで、雪之介の意識が浮上する。

 とても心地よい眠りに就いていたのに、乱暴に揺さぶられたせいで目覚めがたいへん悪い。とはいえ、冷たい風が何度も頬を撫でるので気持ちが良い。視線を落とせば、小さな長屋が見える。集落のようだ……集落?

 雪之介は周りを見渡し、しかと意識を覚醒させた。

 足元をもう一度見れば地上が見える、見える、見えるのだけれど、これは一体。


「えっと、これはどういう状況なのかな」


 自問自答したところで、頭上から大きなため息が聞こえてきた。

 視線を持ち上げると天馬が何とも言えない顔で吐息をつき、こちらを見下ろしていた。その両腕は背後から雪之介の胸を抱え、その顔や翼には霜が張っていた。凍っているのだと理解したところで、雪之介は青褪めてしまう。


(……僕の足元から雪が降っている。これは僕の体が雪を生んでいる証拠だ。じゃあ、天馬くんに霜が張っているのは)


 謂わずも、自分の仕業に違いない。


「お前が意識を取り戻したなら――俺はそれでいい」


 雪之介が言葉を紡ぐ前に、天馬が言葉を贈る。

 彼から話題を切り出すのはたいへん珍しいが、さらに己を俺呼ばわりするのも極めて珍しいが、確かに天馬から雪之介に言葉を贈ってきた。雪之介の心を見透かしているのだろう。謝罪は不要だと言わんばかりに、仏頂面ぶっきら棒に「終わったことだ」と言ってきた。

 おかけで泣き笑いしてしまう。少しは謝らせてほしいのに。じつに天馬らしい。


「ありがとうね。止めてくれたんでしょ。僕のこと」

「ああ」

「妖力を使った記憶はないんだけど、妖力が空っぽみたいだから、たぶん僕はど派手に使ったんだと思う」

「ああ」

「翔くんや白木さん、一聴先生達に迷惑掛けちゃったな。後で謝らないと」

「ああ」


「ねえ天馬くん。僕は君以外、誰かを傷つけた?」

「愚問だな。お前は自分を含めて誰も傷付けていない。普段から妖力を抑えているせいで、誰ひとり凍らせることができなかった。本当にお前は周りのことばかり気遣っている。少しは自分のことを労われ。いつも言っているだろう」


 語気が鋭くなるので、雪之介は力なく笑ってしまう。

 どうやら烏天狗は怒っている様子。


「今日の天馬くんは怒ってばかりだね。いつもは我関せずを貫いているくせにさ」

「誰のせいだと思っているんだ」

「僕かな?」

「分かっているなら聞くな」


 不機嫌に返事する烏天狗に、雪之介はひとつ苦笑して地上を見下ろす。


「さすがに騒動を起こしたんだから、半日入院は逃れられないよねえ。どうしようかな。親にばれたくないんだけど」

「まだそんなことを言っているのか」

「それはそれ、これはこれ。僕の抱えている悩みはヒジョーに繊細で複雑なんだよ」

「図太い神経を持っているくせに」

「え? こんなにか弱いのに!」

「誰が?」

「僕が!」

「…………はあ。数日泊まっていくか?」

「ほんと?」

「ああ」

「あ、でも部屋を凍らせちゃうかもしれないし」

「それくらいどうとでもなる」

「天馬くんは優しいね。そういうところが男前なのに、なんでみんなは君を避けるかな。損しているよ損」

「錦、お前のそういうところが本当に変人だ」


 体の中から雪解けの音が絶え間なく聞こえるが、必死に聞こえない振りをした。


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