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白狐ノ草子   作者: つゆのあめ/梅野歩
▼日輪の章:祟りノ編(完結)
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雨の後は、きっと上天気(九)

喧嘩、五日目の様子。

神主には神主の、守護獣には守護獣の、巫女には巫女にしかできないことがある。



 ヒトの世界にいる日月の神主らに危機が迫っている。


 その知らせは日輪の社にいる巫女らの耳にも届いていた。

 日輪の社参道で清掃を行っていた青葉は、事を知らせてくれた烏天狗の使いカラスに礼を告げると、同じ境内にいる紀緒とギンコに急いで伝えた。

 神主の危機は、南北の地に危険が迫っていることを示唆している。

 ゆえに巫女狐らはすぐさま行動を起こした。妖型に変化したギンコに跨ると、日輪の社を飛び出して、真っ昼間のヒトの世界へ。銀狐は青空を翔け抜け、翔の住むアパートへと向かった。

 しかしながら目的地を前に、無数の紙切れが(ハエ)のように飛び交い、やがてそれは青葉らを捉えてこちらへ襲いかかって来た。


「オツネ。高く飛んで!」


 青葉はギンコに上昇するよう指示すると、持ち前の癇癪玉を放つ。

 瞬く間に癇癪玉は爆ぜ、視界は白い煙幕に包まれた。その隙にギンコが高く翔けあがるも、(ハエ)のこと式神は執拗に青葉達を追ってくる。


「紀緒さま」

「あれが翔さまを狙ったという例の式神ね。ずいぶん数が多いこと」


 これだけの式神を飛ばすことができるなんて、相当腕の立つ術者だろうと紀緒は唸った。

 さらに厄介なことに、あれの目的はハッキリ日月の神主。もとより宝珠の御魂、というわけではなさそうだ。様子を見る限り、式神が視える者を無差別に襲っている。

 それこそ、より式神に近づいた者を襲っているようで、巫女らがアパートに近づくと、それまでアパートに群がっていた式神が雨嵐のようにこちらへ向かってきた。


 一枚相手ならばなんてことない相手だが、数多の式神ならば話は別。

 あれが体中に貼りつけられでもしたら、身動きが取れないどころか、式神越しに奇妙奇怪な術を掛けられるやもしれない。否、それが輩の狙いなのだろう。こうも目立って式神を飛ばし、奇襲を掛けてくるのだから。


「宝珠の御魂を持つ神主であれば、式神くらい消し飛ばせそうですが」

「おおよそ外に出られないのよ。部屋にいるであろう翔さまのお傍には、比良利さまやツネキがいる。でも、一緒にいるのは彼らだけじゃない」


 そうだ、翔の部屋にはネズ坊がいる。

 神職狐だけなら、どうにか隙を突いたり、突破口を開くために窓を開けて式神を消し飛ばし、少々無茶をしてでも外へと出ている。輩の術中に嵌らないように手を打つ。が、子どもらが傍にいるとなれば話は別。


 無理に突破口を作るよりも、三重結界を張っている室内で策を練った方が安全安心だ。

 一枚でも式神を部屋の中に入れてしまえば、子どもらに害が及ぶやもしれないのだから。翔達は式神をどうこうするよりも、子どもらを優先しているに違いない。


 ならば青葉達がすべき行動はひとつ。

 青葉は指で輪を作ると甲高く指笛を吹き、室内にいるであろう神主狐らに自分達の存在を伝えた。

 次いで、少しでも多くの式神をこちらに引きつけるために、癇癪玉を放って注目を集める。できることなら一枚残らず自分達に狙いを定めてほしいが、まだ多くの式神が翔の部屋の窓に貼り付いている。一体全体、どれだけの式神がここに集っているのだろうか。


(ん?)


 青葉は式神の群れから、妙な悪寒を感じた。

 それはまるで冷たい眼を向けられているような寒気。恨みつらみをぶつけられているような痛み。殺されるやもしれない恐怖。それらを合わせたような気持ち悪さだった。一言で言い表すと、それは――怨念。


 間もなくのこと。

 数枚の式神が青葉達の脇をすり抜け、地上にいる通行人に貼り付いた。

 式神から凄まじい気が放たれるや否や、悲しみと叫びを喚き散らしながら、道路に飛び出すという奇行を始めた。危うく車に轢かれそうになっても、その人間は狂ったように喚いている。涙している。青い顔で叫んでいる。


「何が起きて……」


「式神から怨念が放たれたように見えたわね。もしくは怨霊が取り憑いたのか、それとも……どちらにせよ、あれを妖が浴びれば理性を失う可能性があるわ。わたくし達もタダで済むと思えない。オツネ、決して式神に触れないように」


 とはいえ、このまま逃げるだけでは何も解決しない。

 式神は切り落としても、燃やしても、何をしても再生する。おおよそ核となる式神を討たねば、いつまで経っても式神と追いかけっこをする羽目になる。

 そうこうしている間にも、式神が先ほどのように怨念を放つやもしれない。怨念は怨み、憎しみ、怒りを与えるもの。それにヒトも妖も区別はない。あれを受けてしまえば、感情を持つ者はみな狂う。

 今まで怨念を使用せずに人々を襲っていたようだが、ここにきて思惑が生まれたのか、術の強行を試みているのだろう。そのように思える、と紀緒は意見した。


「本来であれば、宝珠の御魂の依り代がこれを狐火で一掃するのが良いのでしょうけど。わたくし達の狐火では一度に燃やし尽くすことは難しいから」


 しかし生憎あれは室内から出られない。


 であれば、方法はひとつ。


 紀緒は懐から神楽鈴を取り出した。

 持ち手をつよく引いて、折りたたまれている持ち手を六尺棒ほどの長さにすると、左手に宝珠の御魂から授かった巫女の証・勾玉を浮かべ――北の巫女は力を発動させる。


「紀緒さま。まさか神懸かりを?」

「ええ、これは一気に片した方が良いわ」


 神懸かりとは、憑依のこと。

 神主は宝珠の御魂を体内に宿し、其の力と共鳴する。

 巫女は宝珠の御魂が生みし『勾玉』を体内に宿し、新たな力を生む。勾玉を通し、其の地の力を己に神懸かりさせてしまうのだ。巫女はそうして其の地の力を、神霊を己に憑依させて、より力を得て戦に挑む。これは巫女の切り札でもある。

 青葉はまだまだ未熟な巫女なので、神懸かりを扱えた試しがないが、優秀な紀緒はこれを己が物にしている。しているが。


「紀緒さま、それはなりませぬっ。いま神懸かりを使用するのはあまりにも危険。神懸かりは其の地の声を聞き、己が身を器にするもの。その力は強大な力ですが、諸刃の剣にもなりまする」


 なぜなら神懸かりは正しい声も悪しき声も、どちらも己が身に降ろしてしまうのだから。

 正しい声を聞き、其の力を神懸かりさせた場合は何にも勝る力を得られる。が、悪しき声を聞き、其の力を神懸かりさせた場合は己が身にどのような影響をもたらすか計り知れない。


 使用してはいけない。

 青葉は何度も思いとどまるよう訴えた。自分は未熟巫女だから、まだ神懸かりを扱えたことがないが、それでもそれの危険性は伝え聞いている。

 せめて怨念やら怨霊やらはびこっている、この場で使用するのはやめてほしい。万が一がある。

 それこそ一年前、瘴気が蔓延していた時期は神懸かりの使用を禁じられていた。瘴気の声を聞き、神懸かりさせる可能性があったから。


「オツネ、貴方もそう思うでしょう?」


 ギンコに同意を求め、姉妹揃って紀緒に訴えるが、彼女の意思はかたい。


「わたくしの名は宝珠に仕えし二尾の妖狐、ハイイロギツネの紀緒。またの名を第四代目、日輪北の巫女」


 発動させた勾玉は唐草のように伸び、四方八方、紀緒の肌をめぐり、白黒の模様となる。


「北の神主が動けぬなら、北の守護獣が動けぬなら、北の巫女が動く。そうして三職は互いを補って成り立っている」

「紀緒さまっ」


「青葉、憶えておきなさい。南北の地を統べるのは神主だけにあらず。南北の地を守護するのは守護獣だけにあらず。巫女とは南北の地の声を聞き、民の声を受け入れ、みなに代わって声を上げる者。妖に危機があれば、その声に耳を傾けなさい」


 右の手に白の巴を、左の手に黒の巴を宿し、最後に額に双方の巴を浮かべ、その証を発光させると、彼女は神楽鈴をその場で大きく鳴らす。その足元には二つ巴の印が浮かんでいた。

 ああ。青葉は握りこぶしを作ると、癇癪玉を構えた。

 この巫女を止める術はない。紀緒は己が身より一妖を優先している。だったら自分がすべきことは、少しでも彼女を援護して、式神を一掃する手伝いをすることだ。


「どうか此の地を守護する神霊にお頼み申す。其の式神に宿りし術を滅するため、どうか一時の力をこの器にくだされ。二尾の妖狐、ハイイロギツネの紀緒にお力をくだされ」


 しゃん、しゃん、しゃん。

 神楽鈴を鳴らし、鳴らして、紀緒は二つ巴を開示すると風の声に耳を傾けた。微かに寒気のする声が聞こえたが、聞こえぬふりをした。

 次の瞬間、神楽鈴を大きく振って風を呼びつける。それによって空を翔けていたギンコは加速、目にも留まらぬ速さで式神の群れの前に回る。いくら式神の数が多くとも、術者は式神を通してこちらの様子を窺っているはず。


 だから紀緒は風を味方につけ、その目に映らぬ速さをギンコに与えた。

 そこに青葉の癇癪玉を放れば、新たな煙幕が生まれ、さらに術者の視界は奪われる。式神の動きは鈍くなり、青葉達の動きに対応できなくなる。


 煙幕から逃れるために式神が立ち昇った。

 紀緒はそれを見るや否や、ギンコの背中を踏み台にすると、神楽鈴を大きく薙いで式神を八つに裂いた。これだけでは再生すると知っているため、北の巫女は鈴音を鳴らして、その場で音波を出した。音波に呑まれた式神はどのように再生するか分からず混乱。その隙に神楽鈴に狐火を宿し、「この風を呑みて大きくなれ」と、呼びつけた風を狐火で呑み込んで素早く式神を燃やした。

 その火力は神主らが宝珠の御魂を使用して生むものより小さいものの、紙きれを燃やし尽くすには十分な威力だった。


「巫女は神主ほどの力はない。守護獣ほどの威光もない。しかしながら、巫女は神主よりも守護獣よりも多くの声を聞くことができる。其の地に宿る者らの声を――ッ!」


 だから巫女はその力を用いて、神主の背中を、守護獣の導き、妖達を守らねばならない、ならないのだ。

 紀緒はその双眸を赤く染めると、装束の袖を棚引かせ、近くの民家の屋根に着地した。

 刹那、冷たい声が己が身に溶け込んでいくのが分かった。

 それは怨みであり、悲しみであり、怒りであり、憎しみ――さりとて紀緒は持ち手の先端で地面を叩くと、神楽鈴を鳴らして、気丈にそれを振り翳した。

 核らしき式神が神楽鈴と衝突する。

 凄まじい怨念が肌を叩いてきたが、紀緒はそれに小さく微笑んだ。


「それくらいの怨念じゃあ、わたくしを討てないわ。むしろ、その怨念は」


 赤い目はやがて臙脂色となって、ハイイロの体毛は黒に変化していく。


「おいしそうだから、わたくしが喰らってあげる」




 その時、室内にいた翔は外から聞こえる指笛と、馴染みある妖気がこちらに向かっていることに気づき、なんとか窓の向こうの様子を見ようと躍起になっていた。

 怯えているネズ坊らをあやしながら、「青葉とギンコと紀緒さんの妖気を感じる」と言って、窓の近くをうろうろ。洗面器に水を張り、網戸に貼り付いている式神を落として、様子を窺うも、すぐに新しい式神が貼り付いてくるので、きぃきぃと鳴き喚いていた。

 足元でツネキが短気め、と言わんばかりに見上げてくるのが、これまた腹立つ。


「あーもう鬱陶しいんだけど! 比良利さん、あれ燃やしていいか?!」


 冷静に状況の突破を思案している赤狐に訴えると、彼は呆れたように糸目を下げた。


「結界を張っているとはいえ、窓を開けてはならぬ。式神が入ってくるやもしれぬ。ネズ坊らに危害が及ぶ」

「大丈夫、網戸を閉めたまま燃やすから!」

「狐火の加減がお主にできるか?」

「うぐっ」

「網戸を燃やさず、式神を燃やせることができるか?」

「う、うぐぐぐぐっ、で、できる」


 まったく信用していない糸目が遠い目を作る。

 「あと百年は子どもじゃのう」とため息をついてきたので、翔は尾っぽの毛を逆立てるばかり。子ども、確かに子どもだけど、だけども! 百年は言い過ぎだ。せめて十年と言え!


 ぞわり、とした妖気が肌を叩いた。

 その瞬間、比良利とツネキが焦ったように窓を見やった。翔もつられて窓に目を向けると、貼り付いていた式神が消し炭になっていた。一切の式神が姿を消していた。

 ゆえに容易に雨戸を開けることができたのだが、向こうに広がっていた光景に翔は思わず目を瞠る。


「紀緒さん?」


 平屋の屋根に見たことのない妖狐が一匹。否、それは見知った巫女狐であった。


「体毛が、くろい」


 紀緒の体毛は半分ハイイロではなかった。

 半分はハイイロであったが、半分は黒に染まっている。

 その表情はいつもの紀緒だが、彼女に駆け寄る青葉の顔色は随分と青い。青葉の腕にいるギンコも心配そうに耳を垂らしている。


「紀緒さんになにが」

「あの、戯け」


「あ、比良利さん。待ってくれよ」


 赤狐が金狐と共に飛び出したので、翔もネズ坊らを抱えたまま外へ。

 屋根から屋根へ飛び移り、紀緒の下に向かい、「お主は何を考えておるっ!」比良利の怒声に足を止めてしまった。


(比良利さん……)


 怒鳴り声に驚くネズ坊らの頭を撫でながら、少し離れた場所で、その様子を見守る。


「お主から瘴気に近い気を感じる。紀緒っ、神懸かりで何か喰ろうたろう」

「神懸かりでは何も喰らっておりませぬ」

「ではその身の変化はどう説明をしようか!」


 烈火の如く怒れる比良利をよそに、紀緒は飄々と返事をするばかり。それがまた彼の怒りを煽っているのだろう。糸目が開眼し、瞳孔が縦長に膨張している。

 それに青葉が恐る恐る進言した。


「比良利さま。紀緒さまは、守るべきものを優先したのです。どうかお怒りを鎮めてくんなまし」

「青葉は神懸かりに反対しました。これを使用する判断を下したのはわたくし自身の思いによるもの」

「紀緒さまっ!」


「少しばかり無茶をしたと思っておりますが、わたくしに悔いはございませぬ。災厄があるなら、それを喰らうまで。ええ、喰らうまで――紀緒は許しませぬ。此度の厄災は、かなしみは、憎しみは、その声は紀緒が喰らいましょう。誰にも渡しませぬ、わたしませぬ」


 様子が、おかしい。

 神楽鈴を鳴らし、鳴らした、紀緒は周囲にいる比良利や青葉らを薙ぎ払うと荒れた風を呼んだ。

 そして平屋の屋根から飛び下りると、瞬く間に風に乗って走り去ってしまうのだからとんでもないことになってしまった。


「き、紀緒さん! 待ってくれ、どこに行くんだ!」


 翔の呼び声よりも、「ツネキ!」先に比良利が動いた。


 金狐は颯爽と屋根から飛び下りる。

 その背中に飛び移った赤狐は、手中に召喚した大麻を口に銜えると、長い髪を紐でしかと縛ってひとまとめにした。


「戯け、あの戯け。わざと怨念を喰ろうたな。自ら祟り狐になるような真似をしよって」


 だれよりも、祟り狐になりたくないと(こいねが)っているのは紀緒だというのに。


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