雨の後は、きっと上天気(二)
喧嘩、零日目の様子。
妖の世界に閉じこもっているおじいちゃんなので、基本ヒトのハイテクな文化についていけません。
【零日目】
はてさて。
北の神主と北の巫女が引き起こした喧嘩と、翔のちょっとした思いつき『七日間接触禁止』によって、ずいぶんと面倒な方向へ流れてしまった件の騒動。
お互いがお互いに翔の世話になる、と断言してきた狐二匹の気持ちは本気のようで、各々七日間の身の振る舞いや己がいない場合の対処などを文に綴った。
そんなこと一々紙に書かずとも口頭で言えば良いのに、比良利も紀緒も口すら利きたくないようで、わざわざ筆を紙に滑らせていた。
文を綴っている内に頭が冷えて、やはり撤回しよう。こんな馬鹿げている。百歳も二百歳も年下の子どもらの前で恥ずかしい態度を取っている、と思い直してくれたら嬉しいが、そんな嬉しい展開になるわけもなく……。
「何かあれば文を読むが良い。大抵のことは書かれておるゆえ」
「何かありましたら文を読んで下さいまし。大体のことは書き記しておりまする」
日輪の社憩い殿正門前にて。
身支度を済ませた比良利が素っ気なく文を差し出し、それを受け取った紀緒が己の書いた文を押し付けた。それだけのやり取りすら、見ているこちらはハラハラするばかり。本気と書いてマジで一触即発な空気なのである。汗が止まらない。
人三倍、空気を読むことに長けていると自負している翔は、努めて、そう努めて能天気な顔を作りながら手を叩いた。
「そんじゃ明日から七日間、比良利さんと紀緒さんは接触禁止ね。暮らしや奉仕について、俺も出来る範囲でお世話するから。いやあ、けど俺って齢十九のちんちくりん狐だから、俺の方が世話されるかもしれねえよなぁ!」
へらりへらりと笑い、どうにかこうにか空気を和ませる。
まったく表情を変えない二匹を余所に、青葉は何度も頷いて「そんなそんな翔殿。とても頼りにしていますよ!」と合の手を入れてくれた。彼女らしくない明るさであった。お互い必死に空気を和ませようと必死であった。
一方、それらの空気とはまったく違う雰囲気を醸し出しているのはギンコである。
銀狐は青葉の腕の中で、たいへん不貞腐れていた。
理由は簡単。
青葉とギンコは七日間、日輪の社憩い殿で暮らすことが決まったからだ。
というのも、翔はただ今、青葉達とアパートで暮らしをしている。
元々は一人で暮らしていた部屋なのだが、月輪の社が修繕工事に入っているので、いま月輪の社で暮らすことはできない。
そのため月輪の神職は翔の部屋に仮住まいしている。
ちなみに、そこまで広い部屋に暮らしているわけではない。寧ろ狭い。
そこに『比良利の世話』が入るとなれば、当然彼は翔の部屋に置くのが筋だろう。腐っても比良利は北の神主、下手に宿を取ってしまえば下種な妖に宝珠の御魂を狙われかねない。翔の部屋なら結界も貼ってるので安心安全は保障されている。
ありがた迷惑なことに比良利も、最初から翔の部屋に泊まる気のようだ。当たり前のように、翔に感謝を述べてくるのだから。
しかし、前述でも言ったように翔の部屋は狭い。
比良利が来るとなると、誰かが部屋から出て行かなければ寝る場所がない。
そこで翔は青葉と話し合い、この七日間は神職男女別で暮らすことを提案した。
神職とはいえ比良利はオス狐で、紀緒はメス狐。異性には言えない愚痴不満鬱憤が肚の底に溜まっているやもしれない。それを吐き出させれば、少しは二匹の頭も冷えるやもしれない。早く仲直りさせるための近道になるやもしれない。
だから比良利の傍には翔とツネキが、紀緒の傍には青葉とギンコが居よう。そう提案した。
青葉はそれが良いと受け入れてくれたが、ギンコは冗談ではないと不貞腐れてしまった。
銀狐の気持ちとしては「なんで自分が好きな狐と離れなければいけないのだ。向こうが勝手に喧嘩しているだけなのに!」だろう。
勿論、ギンコとて比良利と紀緒の喧嘩に思うところはあるだろうし、捻くれながらも心配はしているのだろうが、喧嘩と翔を天秤に掛けると、強い気持ちで後者を取ってしまうようだ。
それだけ翔のことを好いてくれているのだから、すこぶる嬉しくなるが、状況が状況だ。ギンコには我慢してもらいたい。
けれど。想いを寄せてくれる銀狐に「仕方がないだろ。我慢しろ」と頭ごなしに言うのは、あまりにも心無い。
そこで翔は知恵を絞って、このようなことを提案した。
「ギンコ。離れているからこそ出来ることをしないか?」
耳を垂らしていた狐の耳が経つ。
黄色の双眸が「たとえば?」と訴えきたので、「電話なんてどうだ?」と翔は人差し指を立てた。いつも一緒だと電話のやり取りなんて不要だから、この機会に丁度良いのではないだろうか。
するとギンコは一声鳴いて、あれが良いと尾っぽで向こうを指した。その先にあったのは、比良利や紀緒の持つ文だった。
「文? …………まさか文通したいのか? お前」
顔を引きつらせる翔をよそにギンコはうんうんうん、と頷き、尾っぽを大きく振った。
恋多き狐は翔からもらう電話よりではなく、カタチに残る手紙の方が欲しいらしい。通訳する青葉曰く、どんなことを翔が書いてくれたのか、ちょいとしたわくわく感を味わってみたいようだ。
(て、手紙……電話ならまだしも、手紙ってマジか。マジかよ)
手紙ってそんな、毎日会えない距離にいるわけじゃないのに。
大体、ギンコは文字が読めないじゃないか。
てことは、あれか? 誰かに読んでもらうつもりなのだろうか……ああもう、羞恥心で死ぬやもしれない。なにより、手紙なんぞ書いたことない。どうしよう。無理と言いたい。が、可愛い可愛いギンコが我慢してくれるのだ。そして期待してこちらを見ているのだ。応えないわけにはいかないじゃないか!
「分かった。七日の間に手紙を書くよ。二通は出す。だから、ギンコも俺に手紙をくれよな」
二本指を立てて、ギンコに交渉する。
現金な銀狐はころっと機嫌を直し、ふんふん、と鼻を鳴らした。交渉に応じてくれたようだ。絶対に手紙を書いてね、といつまでも尾っぽを振ってくる。
その傍らでは、じっとりと自分を見上げてくる金狐が一匹。
狐の右前足が、さり気なく翔の足を踏みつけている。
喧嘩の一件で恩義を感じているのか、嫉妬を抑えているのだろう。噛みつかないだけマシだろうが、とばっちりも良いところである。
と、紀緒が少しばかり、申し訳なさそうに眉を下げて、翔に声を掛けてくる。
「翔さま。七日間、だらしない狐が暮らしのことで、大層ご迷惑を掛けると思いますが、何かありましたらすぐに仰って下さいね。ほんっと、北の神主と名乗るわりに、その暮らしっぷりは目も当てられないので」
げっ、この展開は。
翔はぎこちなく、視線を比良利に流す。
ひえっ、思わず尾っぽの毛を逆立て、足元にいるツネキを抱き上げてしまった。顔が、笑っている顔が、とても怖い。
「ぼん。そこのおなごが下手な奉仕をしたら、わしに申すが良い。なにぶん、口ばかり達者じゃてえのう。ああ、そうそう、わしはべつに青葉を未来永劫、北の巫女に置いてもらっても構わぬよ。石頭狐が巫女でいるより、物腰柔らかい青葉の方がわしと相性も良いじゃろうて」
目には目を、歯には歯を、嫌味には嫌味を……と呼ぶべき状況なのだろうか。これは。
翔を間に挟んで、あれこれ嫌味を飛ばす狐らは視線を合わせるや、ふいっと顔を逸らした。子どもか!
心中で嘆いていると、「ぼん。ツネキ。行くぞ」と言って、比良利が参道を歩き出す。それを合図に紀緒も、「青葉。オツネ。行きますよ」と言って、憩い殿の方へ歩き出した。
慌てて紀緒の背を追う青葉に手を振り、翔もツネキを抱いたまま比良利の背を追う。心なしか大股で歩く赤狐の怒りの度合いに冷汗を流し、ツネキと視線を合わせた。
「(お前、一週間もよく二匹の傍で過ごせたな。さすがにシンドイぜ、これ)」
ツネキが力なく首を振った。
なるほど、彼にしか分からない苦労があったようだ。
(ひとまず二、三日は紀緒さんの話題を避けよう。まずは比良利さんに落ち着いてもらわないと、俺が八つ当たりを受けちまう)
想像するだけでげんなりしてしまう翔だった。
※※
「ただいま。みんな、出ておいで。お客さんが来たぞ」
そういえば、翔の部屋には青葉やギンコ以外にも、やんちゃな家族が暮らしている。
とても元気な家族で玄関に入ると、七つのかまびすしいネズミの鳴き声が聞こえてきた。部屋に上がれば、七匹の旧鼠が達磨落としのように重なって、冷蔵庫を開けようと躍起になっている。
翔は顔を顰めて額に手を添えると、深いため息をこぼした。
「お前ら、またつまみ食いしようとして……こらっ、何やってんだよ。ネズ坊」
強めに声を掛けると、ネズミの塔が崩れた。
翔が帰って来たことに気づかなかったようで、七匹のネズ坊は蟻の子のように散ると、さっさと部屋の物陰に隠れてしまう。
しかし、すぐに顔を出して翔の姿を確認。
兄分が帰って来たと分かるや否や、嬉しそうに駆け寄り、抱っこをねだってきた。
「ったく、しょーがない奴らだな」
この姿を見ると怒る気も失せてしまう。
翔はその場でしゃがみ、七匹を腕に抱えた。
大はしゃぎするネズ坊らだったが、客人の姿に気づき、首をうんっと傾げた。青葉やギンコがいないことも不思議に思っているようで、きょろきょろと周りを見合渡し、姉分のように慕っている二匹を探している。
「姉ちゃん達はちょっと泊まりに出かけているよ。代わりに、兄ちゃん達が遊びに来てくれたから、仲良くしてな。しばらく兄ちゃん達、泊まるからさ。はい、ご挨拶」
翔の掛け声でネズ坊らは、比良利とツネキに一礼した。
その姿を見た比良利は不機嫌の雰囲気を消し、笑いながら人差し指をネズ坊らに差し出す。
するとネズ坊らは嬉しそうに小さな前足を出して、比良利の指を掴んだ。この子らなりの握手だ。
「感心感心、礼儀正しいのう」
「うーん、いい子なんだけど、すっげぇやんちゃなんだよ。つまみ食いにしてもそうだけど……誰に似たんだか」
「ふふっ、ぼん。それは己の行いを振り返る好機やもしれぬのう」
「えー? どういう意味だよそれ」
眉を寄せると、比良利が面白おかしそうに鼻を弾いてきた。
「つまり、そういうことじゃよ」と言って、微笑ましそうに頬を緩めてくる。ネズ坊のおかげで喧嘩のことが念頭から消えているようだ。
すっかり機嫌を良くしているので、翔はツネキと視線を交わし、力強く頷き合った。
「(ツネキ、二日はこの空気を保つぞ。俺達の身のためにも)」
うんうんうん、と頷くツネキは、不機嫌狐の空気を和らげてくれたネズ坊を喜ばせるため、己の背中に乗るよう子どもらに鳴いた。ツネキなりのお礼だろう。
「さあて。ツネキがネズ坊を相手にしてくれている間に、俺は飯でも用意するかな。比良利さんは着替えてシャワーを浴びなよ。何にもない部屋だけど寛いでおいて」
「しゃわあ、とは?」
「……風呂が良いかな。風呂が良いかもなあ」
二百歳のおじいちゃん狐に、シャワーを扱えるだろうか。不安である。
とりあえず、教えるだけ教えておこう。七日間、この部屋にいるのだから。
翔は比良利の背を押して、浴室に入ると、蛇口を捻ってシャワーの使い方を教える。切替レバーを使うと、蛇口からもお湯が出るようになる、と懇切丁寧に教えるのだが、比良利は興味津々にシャワーヘッドを見上げて首をかしげるばかり。
「して、どうやって湯を出すのじゃ?」
「まずレバーを下げるだろ?」
「ればぁ?」
「……つまみを下げるだろ?」
「ふむ」
「それで赤いシールの貼ってある蛇口を捻れば、お湯が出る」
「しぃる……なるほど、赤い印じゃな」
「そうそう、それを捻ればお湯が出るから」
「ほう。ちなみに、この青の印を捻るとどうなるのじゃ?」
「あぁあああ! 今捻っちゃッ、しかもそれ水っ、ぎゃああああ冷てぇえ!!!」
「ぼん! 捻ると水が出てきたぞよ! どこから水が出てきておるのじゃ? まるで妖術のようじゃのう。この技術、我らの文化にも反映させられぬじゃろうか」
「感心している場合じゃないから! 考えている場合じゃないからっ! 早く止めっ、アチチチチチッ!」
「むっ、湯になった。なぜに?」
「お湯を捻ったからだよ!」
「ん? わしは赤い印の蛇口とやらを捻っただけで、お湯は捻っておらぬ。というより、湯は捻られぬ」
「ああもう、頓智じゃあるまいしっ! どうでもいいから、早くシャワーを止めてくれっー! ぜってぇ今日からしばらく風呂にするからなー!」
浴室中に翔の声が響いた。
ネズ坊らを乗せたまま、恐る恐る浴室を覗き込んだツネキは、翔の苦労にひとつ鳴き、身内の振る舞いにすまん、と耳を垂らした。
この様子を楽しそうに見ていたのは、ネズ坊七匹だけであった。




