めぐる、観桜
桜をめぐる、七つの小噺其の四。
白木夕立中心、時々ギンコ。推しのお話。
オツネのこと銀狐のギンコには、ちょっと変わった友、いや同志がいる。
部屋に翔がいないことを十二分に確認すると、二段ベッドの下段、翔の使用している枕元に放置されている携帯を鼻先で起動。
さっさと暗証番号を入力すると、LINEを起動させ、ある人物に画像を送った。
それはちょっと前、青葉の協力を得て隠し撮りをした、満開の桜を見上げ、あどけない顔で喜ぶ翔の姿。
画像にはすぐに『既読』がつき、こう返事がくる。
――翔さま……尊い……
ギンコは満足気にクン、と鳴き、大喜びする人間のスタンプを送った。
相手は蝶化身の白木夕立であった。
※
蝶化身の白木夕立は今年で齢十九。
ヒトの世界で暮らす、ヒトの世界で生まれ育った妖である。
身分こそ妖であるがヒトに化けて、ヒトと過ごしている。人間社会に慣れ親しんだ妖である。ゆえに嗜好は極めて人間に寄り。妖の世界に暮らす化け物どもより、ヒトの世界に暮らす人間と話した方が気が合う。
そんな夕立の好きな物はアイドルにライブに旅行にアクセサリー作り、と年頃の女の子らしい趣味をしている。
高校時代はミサンガ作りがマイブームで、甘酸っぱい恋を寄せた先輩に送ったもの。いやはや今思い返しても、良き青春だったと思う。
しかしながら。
そんな青春すら霞んでしまうほど、夕立は衝撃的な運命と出逢う。
今春のことだ。夕立が暮らす南の地に、新たな神主が誕生するとのことで、統べる土地はお祭り騒ぎとなった。妖達の誰もがようやっと平和が訪れる。南北の神主が揃う。めでたい、非常にめでたい。なんぞと言って、諸手を叩いていた。
正直なところ、夕立はあまり興味を抱かなかった。
ヒトの世界に暮らしているせいか、あまり妖の世界や、妖の社と関わりを持たなかったし、そこそこ治安は悪い、と思っていたが、己の身に危険が降りかかることは殆ど無かった。
ゆえに両親姉が本幕の就任式へ行こう、と誘ってきた時は、たいへん気が重かった。表向きでは承諾したものの、内心家でドラマを観たい、友達と遊びに行きたい気持ちが強かった。
本幕の就任式など、どうでも良かったのだ。
誰が南の神主になろうと同じ。勝手にやってくれ、との思いが強かった。なのに。
「――今宵より神主出仕の名を捨て、新たに十代目南の神主の名を賜る、三尾の妖狐、南条翔と申す。聞け、我が同胞よ。白の宝珠の御魂に導かれ、天命を授かった我はこの御魂を南の地に捧げる。先導するはこの白狐なり」
いざ本幕の就任へ赴くと、夕立は呆気に取られるばかりだった。
今年齢十九となる南の神主が大勢の妖の前で、堂々たる態度を示したのだ。それだけでも圧巻だったというのに、彼の洗練された立ち振る舞いにも舌を巻いた。
上瞼に引いた赤い隈取りは年齢にそぐわない威厳があった。太い三本の尾っぽは貫禄があった。
なのに、どこか脆く儚い面影があった。頼りないわけではないのに、危ういものを感じさせた。齢十九と先に情報を得ていたからやもしれない。
夕立の心を射止めたのは、北の神主と舞う、神主舞であった。
神楽殿で舞う二人の神主の舞は、本当に目が放せなかった。繊細で美しさを強調する北の神主の舞と、大胆で力強さを強調する南の神主の舞に、夕立は瞬きすら忘れた。
感動のあまり涙が溢れた。
ライブでも似た体験をしているが、比にならないほどの感動であった。北の神主の美しい舞と、南の神主の力強い舞の魅せられ、ついつい泣きじゃくっしまった。両親や姉が驚くほど、むせび泣いてしまった。一目で虜になってしまった。
「ええっ? か、神主舞っていつでも観れるわけじゃないの?」
すっかり神主舞の虜になってしまった夕立は、また舞が観たいと思い、両親にいつ舞を踊っているのかを尋ねた。
すると両親は苦笑い交じりに返事した。滅多に観られるものじゃない、と。
「神主舞は神事に観られるか、観られないか。それくらい貴重なものなんだ。特に今年はもうお目に掛かれないかもしれないねぇ」
「ど、どうして? お母さん」
「九十九年ぶりに南北の神主が揃ったんだ。今まで南の神主が不在だった分、やることは山のようにあるだろうから、神主舞どころじゃないと思うんだよ」
実際、本幕の就任で目にした神主舞も九十九年ぶりに表舞台で披露されたとのこと。しばらくはお目に掛かれないだろう、と母は言った。
それを聞いた夕立は大層落ち込んだ。そして悔いた。どうして自分は携帯で動画を撮っておかなかったのだろう、と。
あれほど強く美しく、心魅せられる舞なんぞ他にはないだろうに。
「夕立がそこまで神主舞にハマるなんてねぇ」
「だってお母さん、格好良かったんだから仕方がないじゃん。とくに夕立は、南の神主さまの舞が好きで好きで。あんな綺麗で力強い舞を踊る狐が、夕立と同じ十九なんて信じられない」
「おやん? もしや十代目に惚れたのかい?」
「惚れたとかそんなんじゃないんだって! 夕立は魅せられたの。南の神主さまの舞に、心から……誰かカメラに収めていないかなぁ! 写真でもいいから!」
嘆き悲しむ夕立は手当たり次第、妖に声を掛けて、神主舞の写真や動画を求めた。誰か一人くらい、神主舞を収めている妖がいることを願いながら。
悲願する白木を余所に、いとも簡単に動画を収めている妖が見つかる。なんと友人の雪童子、錦雪之介が映像に収めているというのだ。
さっそく夕立は雪之介の家に向かい、彼に神主舞の動画が収められたDVDを取りに行く。ついでに彼の家で少しだけ、神主舞を観たのだが。
「し、白木さんっ! どうしたの? え、何か遭った?」
「お気になさらないで。感動のあまり、夕立の涙腺が崩壊しているだけですから。ううっ、すごい。格好良い。心臓がきゅってなる」
観たのが仇になった。
友人の家だというのに、感極まって大号泣してしまったのである。また神主舞を目にできた。それが本当に嬉しくて嬉しくて。
ぐずぐずに泣きながら神主舞を観ていると、雪之介が言葉を投げてくる。
「そんなに好きなんだね」
「はい。好きになっでじまっで……どごがら観でも尊いんでず……恋とかそんなじゃなぐでっ。がっごいい。うづぐじい。死にぞう」
「あああっ、ほらまた涙が。確かに神主舞は綺麗だよね。南北の神主が揃って、はじめて一つの舞になるんだから。魅せられるよ」
「ぞうなんでず。夕立っ、とくに十代目の舞が好ぎで好ぎで。あの力強い舞をもう一度っ、生で観だいんでず」
すん、すん、とティッシュで鼻をかみながら胸の内を明かすと、「翔くんに頼んでみようか?」と、聞き手の雪之介がこんな提案をしてくる。
度肝を抜いてしまった。いまなんと?
「た、頼むって」
「白木さんが翔くんのファンだってことは、よく分かった。今度、紹介してあげるから、神主舞の想いを伝えてあげてよ。翔くん、すごく喜ぶと思うんだ」
紹介。紹介。紹介。
何を言っているのだ、この男は。
口をぱくぱくさせる夕立に一笑し、雪童子は「翔くんと僕は友達なんだ」と、誇らしげに頬を緩めた。
十代目の舞に感涙する夕立の想いを受け止めた雪之介は、己のことのように喜び、耳寄りな情報を教えてくれる。
それは三尾の妖狐、白狐の南条翔が今春から、雪之介や夕立と同じ大学に通い始めること。それも同学部の生徒なんだとか。
「翔くん。妖の友達が少ないんだ。せっかくだし白木さん、彼の友達になってあげてよ。そしてヒトの世界に暮らす、妖の生活をたくさん聞かせてあげて。翔くん、絶対に興味を示すと思うから」
すったもんだな提案は、とんとん拍子に決まってしまう。
神主舞の話から、どうしてこんな話になってしまったのか。嬉しくない? そんなわけない。本人に会えるのは嬉しい。飛び上がるほど嬉しい。でも少し待ってほしい。テレビの画面越しですら、これ、なのに、本人に会うなんてとんでもない。心臓が口から出てしまうかねない。
ああ、どうしよう。断ろうか。いやいや、そんなの勿体無い。でも、どうすれば。夕立はどうすれば良いのだ。
(誰か助けて)
正直な気持ちであった。
※
第十代目南の神主のこと、三尾の妖狐、白狐の南条翔は気さくな少年であった。年齢的にいえば青年なのだろうが、寿命が長い妖狐ゆえ、周りの妖よりも幼く見える。
なにより、彼は親しみやすい。
てっきり神職として、一般の妖と区別した振る舞いを見せるかと思ったのだが、本人曰く「ここはヒトの世界だから」とのことで、周囲と同じ身分で振る舞う。
そこが夕立の好感度をあげるなんぞ、彼は知る由もないだろう。
はてさて雪之介に紹介してもらい、晴れて友人となった夕立は、よく翔に声を掛けられる。今でこそ平常心を保って返事できるようになったが、最初の頃はたいへんだった。
「あ。雪之介に夕立じゃんか。昨日のレポート、どう書いた?」
たとえば、のんびりとした口調で、翔が世間話を振ってきたとしよう。
同じようにのんびりと返事する雪之介とは対照的に、夕立の内心は嵐、嵐、大嵐である。だってそこに心奪われた神主舞を踊る演者がいるのだ。神主がいるのだ。平常心なにそれ美味しいの? 状態である。
ゆえに夕立は近づく翔を目にするや、雪之介を引っ掴み、彼を盾にした。
「えーっと白木さん。どうして僕を盾にするのかな?」
「だだだだだって、そこに翔さまがいらっしゃるんですよ。夕立、死にそうです」
「せっかくなんだし、もっとフレンドリーに話したら良いのに。翔くんだってそれを望んでいるよね?」
おずおずと雪之介越しに翔を見やれば、困った笑顔で「よっ」と手を挙げる翔の姿。
あ、死んだ、と思った。
だって神主の時の翔は慇懃丁寧な振る舞いで接する。
なのに、今は砕けた口調。これはそうあれだあれ。所謂ギャップ萌え。
夕立は雪之介の服を引っ張り、背中に貼りついた。ヒトから妖の姿に変化が解けかけていたが、そんなこたぁどうでも良いのだ。どうにかなってしまいそうだった。ついでに、服を引っ張られる雪之介は息苦しそうであった。
「にっ、にっ、錦くん。夕立は心臓が持たないですっ。ととと尊いです」
「ぼっ、僕は息が持たなっ……白木さんっ、服っ……服っ!」
「ふええ。どうしましょう。泣きそうですっ」
「僕は死にそうですっ! 白木さんッ、死にそう!」
「おーい、俺を置いて行くなよ。お前ら」
翔が一声掛けた瞬間、「うひゃい!」夕立は奇声を上げながら、全力で後ずさりした。
そしてすぐに我に返る。これでは避けているようではないか。自分は避けてなどいない。ただ、その、ちょっと心臓が持たないだけなのだ。それを伝えるべく、向こうにいる翔に言った。
「翔さま。砕けた口調の貴方様も、格好良いですっ。夕立、泣きそうです」
「え、あ、うん。ありがとう。ありがとう? ありがとうなのか、これ」
「ふええ。無理っ、翔さま無理ぃいい!」
「それは傷つくんだけど! 無理ってなんだ? 無理ってなにー?!」
「無理なものは無理なんです尊い!」
「と、とうと……? はい?」
とにもかくにも、知り合った頃の夕立は翔と気さくに会話することが難しかった。
しかし、翔の意外な一面を知ることで、夕立の心境に変化が訪れる。
大学の敷地内にある食堂で、三人仲良く駄弁っていた時のことだ。翔が蕩けた笑顔で夕立と雪之介に、携帯を見せてきた。
「見ろよ。可愛いだろう? ギンコが膝の上で寝転んでいるんだ」
それは銀狐の画像であった。
妖の社の守護獣オツネだと一目で分かったが、翔は銀狐をギンコと呼び、愛おしそうに画像を見つめていた。
「ギンコ、周りにはつんけんどうな態度を取るんだけど、じつはすごく甘えん坊なんだ。それが可愛くて可愛くて。俺の癒しになってる」
うへへ。
締まりのない笑顔で画像を眺めている翔に、夕立は衝撃を受けた。
そこにいたのは力強い舞を踊る神主でも、みなを先導する頭領でもない。狐に癒される、ただの少年。年相応の、可愛らしい笑顔。
その姿に失望? まさか! その逆だ。
(翔さま。こんな表情もするんだ)
この上なく幸せそうな姿に、胸がきゅっと締まる。
強い庇護欲に駆られた。これはあれだあれ、守りたい笑顔、というやつだ。
力強く美しい舞を魅せてくる神主は大好きだ。一ファンとして、心の底から応援したくなる。目の前にすると上手く喋れなくなるほど好きだ。格好良いと思う。
一方で、幸せそうな笑顔を浮かべる神主がいても良いと思った。応援している人が幸せになっている。それだけで自分も幸せな気持ちになれる。もっと応援したくなる。
そこで夕立は翔に尋ねた。
「それはオツネさまですよね。どんな風に甘えられるのですか?」
途端に雪之介がしきりに首を横に振り、その話題だけは、と顔を引きつらせていた。どうやらタブーの話題だったようだ。
しかし、すでに遅し。翔は子どものように目を輝かせ、「甘える姿はこれだけじゃないんだ」と、意気揚々に携帯を弄って画像を探し始める。
うんざりとした顔で肩を落とす雪之介には悪いが、夕立にはこの時間が楽しくて仕方がなかった。
だって推しの彼が、嬉しそうに、そして無邪気にギンコについて語る。その姿が幸せそうなのだから。
閑話休題。
耳がタコになるほど、たくさんギンコの話を聞いた夕立は、その狐と知り合う機会を得る。
本当に偶然であった。
日輪の社へ使いに出かけた際、たまたま参道の出店で花飾りを眺めているギンコを見掛け、「あ。オツネさまだ」と口に出してしまったのである。
おかげでギンコから、警戒心の宿った眼を投げられてしまったが、夕立は精一杯、悪意がないこと。翔から話を聞いていること。大学の同級生であることを弁解した。
「いっぱいお話は聞いていますよ。夕立、オツネさまのお話をしている時の翔さまが好きで好きで。あ、好きっていうのは恋とか異性の好きじゃないんです。尊いの好きなんです! お分かりいただけます?」
うんっと捻るギンコは、ちょっとお分かりいただけなかったようなので、茶屋へ移動し、縁台に座って仲良く羊羹を食べながら事を話した。
自分が神主舞の、とくに翔のファンであること。翔が推しになっていること。彼の幸せそうな顔を見るのが好きなこと。その姿を見られる一番の姿がギンコの話だと事細かに説明すると、ようやっとギンコは理解し、警戒心を解いてくれた。
それどころか、翔が推しだと知り、ギンコはいろんな話を夕立に聞かせてくれた。
翔との出逢い。自分を守ってくれた話。可愛がってくれる話。翔の好きなご飯は洋食中心だとか。じゃれ合いが好きだとか。じつはちょっと寒がりだとか。
夕立の知らない一面をたくさん聞かせてくれた。
また彼に恋していることも教えてくれた。いつか、ヒトに変化する力を得て、彼の隣に寄り添いたい、なんて聞かされたものだから、甘酸っぱい気持ちにさせられた。心からギンコの恋を応援したくなった。
「好きな人の話を惜しみなく話せるって良いですよね。また、夕立と話してくれませんか? 今度は大学にいる翔さまの姿を撮ってきますから」
好きの種類は違えど、慕っている心は似通っているのだ。また好き勝手に語りあいたいし、相手の話を聞きたい。
ギンコに交渉すると、狐は快く承諾してくれた。
どうやら銀狐の方もそういう相手が欲しかったようで、クンと鳴き、夕立には特別にみなが知らない十代目の話を聞かせてあげる、と言ってくれた。推しを語りあう、秘密の同志となった瞬間だった。
※
「オツネさまが送ってくれた、翔さまの画像が尊い。どうしよう」
家のリビングで寛いでいた夕立は、ギンコから送られてきた画像を飽きずに眺めていた。送り主こそ『南条翔』だが、これを送ってきてくれたのはギンコだと容易に分かった。
満開の桜を見上げ、あどけない顔で喜ぶ翔の姿は、可愛いの一言に尽きる。早いところ保存しておかなければ、本人が気づいて削除しかねない。
「翔さま。桜が本当に好きなんだ。子どもみたいにはしゃいで、可愛い」
だけど最近のお気に入りには敵わない。
夕立は少し前に送ってくれた画像を携帯から探し出す。それは神職のみなで映った、とギンコが送ってくれたものなのだが、これの写真が本当に良い。翔を筆頭に日月の社のみなが、生き生きとしているのだから。
「九十九年ぶりに揃ったんだもん。みんな笑顔になるよね」
翔の部屋で撮ったであろう、神職らの集合写真に頬を緩ませる。
みなで鍋をつつきながら映っている画像は、本当に幸せそうだ。見ているこっちが、ほっこりしてしまう。
「翔さま、オツネさまだけじゃなくて、神職の家族といる時も幸せ、なんだ。ううん、きっと夕立の知らないところでも、幸せと感じる場所を作っている。そんな気がする」
ぜひとも幸せと感じる、その場所を増やして欲しい。
だって、ああ、だって。推しが幸せなだけで、こっちは元気が貰えるのだから。周りが未熟神主だとか、凡才神主だとか、なんと言おうが夕立は変わらない心で十代目を応援する。
だからどうか、今日も推しが幸せでありますように。
夕立は満開の桜を見上げ、あどけない顔で喜ぶ翔を眺め、ひとつ笑みをこぼす。
「あーあ。なんだか、すっごく語りたくなってきたなぁ。オツネさま、時間空いてないかなぁ」
だめもとでLINEを送って数十秒、送り返されたスタンプを見た夕立は、支度をするべくリビングから飛び出した。
(終)
誰がなんと言おうと、推しの幸せを陰から見守りたいのだ。




