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白狐ノ草子   作者: つゆのあめ/梅野歩
▼書籍版小噺
52/77

赤狐が立ち上がる

四巻を読み終わってからを推奨。

あの時、まあまあ比良利は怒っていました。



 いまは眠りに就くお前さんへ。


 お前さんは寝坊助だ。

 いつも大変な時に眠りに就いて、やれ起きてほしいと思っても寝坊ばかり。喜怒哀楽を共に分かち合いたいというのに、やれ寝てばかりで片割れを置いてけぼりにする。


 分かっている。

 お前さんとて、眠るばかりはつまらないと思っていることを。

 天之の地を見守ると誓い合った我らなのだ。天之の地に生まれる小さな喜びを大きく祝い、大きな悲しみを小さな寄り添いとなって支えたいと願っていることを、片割れは誰よりも知っている。



 ああ、いまは眠りに就くお前さんへ。

 つぎに目が覚めたら、今度こそ末永く天之の地を見守ろう。

 決して離れ離れにならないように、天命に従って氏子の妖を見守ろう。ふたつでひとつの我らは双子として肩を並べて生きるべきなのだ。


 そのために。

 そのために。

 そのために。


 長寿ばかりの紅は、しずむ命を見守るだけではならない。

 短命ばかりの白は、いきる命を見守っていかねばならない。






 双子の対を失い、百年の節目を迎えた比良利(ひらり)は、昨日のことのように新たな双子が生まれた日を憶えている。


 それまで一切合切、何も感じなかった双子の魂を、いのちの炎を、前触れもなく感じた夜。

 あの夜はうつくしい満月であった。力強い月光の下、いつもどおりに天之の森にある日輪の社へ足を運んでいたところ皐月の風と共に、いのちの炎が燃え上がった。

 思わず足を止めて呼吸を詰めてしまうほど、それは輝きある御魂の強さであった。


「まさか」


 そんなはずはない。

 だって双子の御魂は、いまも眠りに就いているのだ。

 行方不明になっている銀狐の体内で、いつか受け継がれるべき依り代を待っている。

 気のせいだ。気の迷いだ。銀狐の行方不明を心配するあまり、気がおかしくなっているのやもしれない。比良利は自分に言い聞かせた。


 しかし皐月の風は運ぶ。双子の対の目覚めを。久方ぶりに天之の地に下り立つことができた声を。ふたたび片割れと相まみえることができる喜びを。


(新たな双子が生まれたのか)


 浄衣の袖を翻して、比良利は天之の森を飛び出した。

 ヒトが住まうお山に下り立つや否や、里山を駆け抜ける。麓まで下りたところで、糸目を開眼してしまった。


 そこは南天之のお山と呼ばれるところ。

 決して赤いヒガンバナが咲かぬ地。白いヒガンバナしか咲けぬ地。

 なのに。麓から里山をのぼるように、ヒガンバナが一斉に咲き始めていた。いのち燃やす紅のヒガンバナが風に乗って咲き乱れていく。


 祝いの象徴であるヒガンバナは比良利に教えてくれた。

 これより新たな南の神主が生まれる。双子の対が目を覚ました。天之の地を統べる妖が誕生した、と。


惣七(そうしち)が死んで九十九の年――百年の節目に奇跡が起きた」


 笑えばいいのか、泣けばいいのか。

 比良利は食えぬ笑みを深くすると、急いで天之の森に戻った。

 前触れもなく里山を飛び出したものだから、巫女の紀緒に咎められてしまったが、どうでもよかった。比良利は意気揚々に告げた。


紀緒(きお)よ。我が日輪の社を守護する巫女よ。わしは三日以内に人里へ下りる」


「な、何を仰っているのですか。貴殿が人里に下りてしまえば、妖祓に多大な警戒心を植え付けまする。お立場をお考えくださいませ」


「新たな対が生まれた」


 紀緒が呆ける。

 目を白黒させる巫女に「じっとなどしておられぬ」と比良利。


「ああ。まこと、今すぐにでも人里に下りてしまいたいが、さすがに事を急ぐのは早計。少しばかり事実を集めたい。やれ、どのような者が選ばれたのじゃろうか」


 犬猿の仲と呼ばれた天城惣七のような性格であればどうしようか。

 比良利よりずっと年上なのやもしれない。いっそ生まれたての赤子なのやもしれない。なんでもいい。まずは新たに選ばれた双子の対を知ろう。

 屈託なく笑う比良利は、久しぶりに心の底から笑えた。



 結論から言えば、比良利の新たな双子は生まれたての仔狐であった。

 物の分別こそできるが齢は十余り。人間から妖狐になったばかりの半妖狐で、何かと頼りなく、己の意思が弱い仔狐であった。


 さりとて妖を守ることには力を発揮した。

 さ迷える魂には帰る場所を与え、攫われた子どもらは誰に言われず救い、救えぬ多くの命に涙して、それでも自分の足で立ち上がった。


 比良利の気遣いすら足蹴にして頭領の頭角を現すようになった。

 

 独りに弱く、だからこそ一人ひとりの妖らに寄り添うことのできる仔狐。

 誰かに頼らねば生きていけぬことを知っている白狐。繰り返される天之の悲劇と向かい合う決意をした三尾の妖狐、白狐の南条翔(なんじょうかける)


 ああ。あの狐は。

 あの狐こそは。


天城惣七(あまぎそうしち)の、ひいては南の地で散った歴代神主らの御魂を受け継ぐべき狐なのじゃろう)


 比良利の双子と名乗るべき狐だ。

 心の底から願わずにはいられなかった。




   ◆◆◆




 オーシーツクツク。

 オーシーツクツク。



 あかひるの天之の森は静まり返っている。


 朝昼は多くの化け物が眠りに就いている異界の森なので、森中に聞こえてくるのはツクツクボウシの鳴き声ばかり。夕暮れになればツクツクボウシと入れ替わりで、カナカナ蝉が鳴き始めることだろう。


 はてさて、そんな天之の森は天之町の里山奥地にある。

 人目につかぬそこは化け物が巣食う森であり、そこは決して人間が立ち入ることができない所。

 そこに身を置く六尾の妖狐、赤狐の比良利は北天之の地を統べる妖狐であった。



(ぼんを里山に送り出したのは成功であり、失敗であったな)


 比良利は日輪の社大広間にいた。

 時刻はあかひる。

 夜行性の本能を持つ化け狐なので、本来は眠りに就いている頃であるが、他の神職狐や天之の三奉行と共に大広間に集っている。


 その理由は里山に張り巡らされたあやし(おど)しの罠や照魔の大鏡の対処。妖祓の手に落ちた仔狐奪還について、これからどう行動を起こすべきか話し合うため。


 妖祓と対峙しているせいで、ずいぶんと天之の地は不安定となっている。

 露骨に行動を起こせば、妖祓に白の宝珠の御魂が渡ったことが市井の妖にばれかねない。

 そうなれば混乱の種にしかならないので、異界で催している夏祭りのこと『朱夏(しゅか)祭り』を延長するべきか。はたまた別の神事を行い、妖の気を引くべきか、とあれやこれや話し合っていた。


「小僧が妖祓の手に落ちたのは想定外だったねえ」


 一尾の黄貂(きてん)、化けホンドの千早が毒づく。


 やはり里山に送り出さない方が良かったのでは?

 嫌味ったらしくため息をつく黄貂は言葉を重ねる。

 あの仔狐は宝珠の御魂を宿した依り代、第十代南の神主候補なのだから異界で大人しくさせるべきだったと肩を竦める。

 あれが死んでしまえば次の候補はいつ選ばれるのやら。


 軽口を叩く千早に烏天狗(からすてんぐ)の源八が強い口調で咎めた。


「里山に張り巡らされたあやし(おど)しの罠を壊すことができたのは、半妖であった翔さまの尽力あってこそ。翔さまの機転により、厄介なあやし威しをだいぶん減らすことができたじゃあないか」


「妖祓の手に落ちたじゃないか」


「だったら貂の小僧、おめぇは多くの逃げ惑う妖を見殺しにできたか? 翔さま以外にあやし威しは壊せんかったぞ」


「そうは言っていない。小僧の功績は称賛に値するよ」


 けどね。


「妖祓の手に落ちれば遅かれ早かれ、宝珠の御魂が奪われかねない。そうなれば救った命すら消える可能性がある」


 結果的に犠牲者が増えれば同じだ。

 千早の鋭い意見に、源八は冷静に返事する。


「それは結果論に過ぎない。あの時、里山のあやし(おど)しの対処に翔さまを送り出す決断を下したのは神職狐であり三奉行なのだ。我々とて同意したではないか」


 であれば、過去の判断を諫めるなど時間の無駄だろう。

 いま思案を巡らせるべきは今後の行動ではないか、と源八は問うた。


「まあ、それもそうか」


 珍しく千早が源八に同意を示した。

 多少ならず同意した責任を感じているのだろう。過去の判断についてそれ以上、言及する様子は見受けられなかった。

 代わりにこのようなことを言い始める。


「いっそ妖祓の棲み処を襲撃するのはどうかえ」


「ほう。戦を始めようというのか? 烏天狗は賛同するが」


「依り代を捕縛した時点で戦を吹っ掛けられたも同じだろう? 小僧は玉見神社の横穴磐(よこあないわ)ってところに幽閉されていると聞いた。そこは安易に化け物が入れぬよう、多重結界が張られた神社。そんなところに閉じ込めているのだから、向こうも依り代の重要性は知っているはず」


 今ごろ、宝珠の御魂を抜こうと躍起になっているのでは。


「小僧の奴、おっ死んでるかもねえ」

「千早よ。口が過ぎますぞ」


 化け蛙、大ガマの彦が窘める。

 それすらも聞き流す千早の無礼講に、比良利は苦笑を浮かべるほかない。

 狐狸嫌いの黄貂が神職狐を煽るのは日常の一部。反応するだけ疲労するので、ここは聞き流すべきだろう。


 それに、ああ、それに。


(妖祓は宝珠の御魂の価値を知っている。人間が手にすれば、妖側が怒り狂うことは理解しているゆえ、万が一にもぼんの身に宿った宝珠の御魂を抜くような真似はせぬと思うが)


 良識ある妖祓であれば、依り代を幽閉に留めるはず。

 妖祓とは不俱戴天の敵であるが、立場こそ違えど同じ守る役目を担う者。

 調和を保つ者として多少なりとも、心があると思いたい。


 そのようなことを考えている間にも、比良利の前ではやれ妖祓の棲み処は鼬族が襲ってやろうか、やれ烏天狗の方が戦に長けている、これこれおやめなさい、など三奉行同士で言い合いが始まっていた。

 これも日常であり、いつものこと。

 比良利は構わず、脇息にもたれて煙管を吸った。


 

 きゃいきゃい、きゃあきゃあ。

 きゃいきゃい、きゃあきゃあ。


 

 あかひる風に乗って、一匹の狐の鳴き声が聞こえた。

 それは若い狐の声であった。幼い狐の声であった。さりとて、力強い声であり、他の誰にも聞こえぬ白狐の鳴き声であった。

 声なき声は悲痛帯びた叫びを上げていた。


 このままでは山に還れなくなる。

 せっかく再会した御魂が離れ離れとなる。

 片割れをまたひとりにしてしまう。

 生きたい。死にたくない。帰りたい。


 身に宿す宝珠の御魂が比良利の腹部を熱くする。

 一方で腹部に鋭い痛みが走った。何もない腹部が声を聞くたびに痛む。

 けれども体の芯が熱くもなる。ああ、そうだ。これは仔狐の――生きるために必死で抵抗をしようと、白狐のいのちが燃えている。久しい感覚であった。懐かしい感覚であった。そして恐ろしくも思い出したくない感覚であった。


 その炎が小さくなっていくのを感じた時、比良利はいまの妖祓に心なんぞ無いことを知った。



(――左様か、そちらがその気ならば)



 気づけば、持ち前の糸目を開眼していた。

 大妖と呼ばれた比良利から妖気があふれ出ていた。額に二つ巴を開示していた。大広間の空気が一変した。


 傍らに座っていた巫女の紀緒が恐る恐る声を掛ける。


「比良利さま。如何されましたか」


 問いすら遠い。

 比良利はこの場にいない、双子に語り掛ける。


「我らはふたつでひとつの存在。その御魂は決して離れることなかれ。その御魂は決して他者が入れぬもの。その御魂は決して他者に奪われぬもの」


 なのに、ああ、なのに。

 比良利は笑みを深めた。滅多に見せぬ嗤いであった。冷たいものであった。口まで裂ける嗤いは、大広間にいる妖らに威を振るうものであった。


「千早よ」

「……なんだい。六尾の妖狐、赤狐の比良利」


 やけ千早が畏まる。

 一体どうしたというのか。

 比良利はいつも通りに声を掛けただけなのに。


「お主の提案を受け入れる」

「妖祓の棲み処を襲撃するのかえ?」


 千早が慎重に言葉を選ぶ。

 下手に刺激しない方が良いと判断したのだろうか。

 その通りだと言えば、すかさず彦が進言した。それは少々冷静を欠いた行動だと。社寺奉行(しゃじぶぎょう)らしく神職の行動を諫める姿勢は素晴らしいが、比良利も譲る気はなかった。


「妖祓が宝珠の御魂を抜こうとしたようじゃ。ぼんの奴、鳴き喚いておる」

「なん、と」


 すべてを理解したのだろう。彦が押し黙る。

 比良利は言葉を重ねる。


「よほどの痛みがあったのじゃろうのう。わしにまで痛みが伝わってくる。手荒に腹部を掻き回しておって。それほどまでに宝珠の御魂が欲しいのか。妖祓よ」


 それを手にしてどうするつもりなのか、ぜひ比良利の前で教えてほしいもの。


「何をしても赤狐が口を出さぬと思っておるのか」


 だとしたら、妖祓は六尾の妖狐、赤狐の比良利を舐めている。


「夜のとばりが下りた頃、百鬼夜行を率いて屋敷に赴く。千早と源八には百鬼夜行集めに取り掛かってもらいたい」

「承知」

「早急に手筈は整えるよ」


「神事は青葉と彦に任せる。引き続き市井の妖の気を引きつけてほしい。決して人里の動きを悟られぬようにせよ」


「分かりました。神事は我ら月輪の社と彦殿で承ります」

「火とぼし送りは市井の妖に参加させてもよろしいので?」

「良い。それで気が引けるのならば」

「であれば、気を引くことは容易いことでしょう。後のことはカエルじじいらにお任せを」


「紀緒、支度せえ。我らも里山へ下りるぞ」


 妖祓の棲み処を襲撃するお役は、この比良利が受け持つ。

 脇息を叩いて立ち上がる赤狐はみなに言い放った。


 いまの妖祓に心はない。

 調和を保つために存在していたはずの妖祓は、化け物らに敬意を払うことを忘れている。

 だから無作法に化け物の縄張りとしている里山に罠を張れるのだ。照魔の大鏡を発動させるのだ。依り代である白狐を捕らえることができるのだ。


「わしが動かぬ理由なんぞどこにもない」


 こうしている間にも白狐の声なき声が聞こえてくるばかり。

 あれは妖祓から宝珠の御魂を奪われようとしている。生きるために必死で抵抗している。宝珠の御魂を取られまいと抵抗する一方で、帰りたいと願い、片割れの隣で生きたいと叫んでいる。

 これを聞いてじっとしていられようか。留守居をしていられようか。双子が動かずにいられようか。


「ぼんの願いはこの比良利が聞き届けた」


 ここまでされて黙っていられるものか。

 妖祓を滅することも辞さない覚悟で里山を下りる。


 それだけのことを妖祓はしたのだから。


 そのような言葉を残して大広間を出る際、比良利の耳に小さな呟きが聞こえた。


「相変わらず、双子のことになると目の色が変わる狐だ。双子をひとり里山に送り出すことは平気なくせに、何かあると周りの声すら聞きやしない。怒らせると恐ろしい奴だよ」


 自覚は無かったが、どうやら怒れていたらしい。

 比良利は己の頬を軽く触る。未だに笑みが張り付いていたが、それが嗤いになっていることには気づくことができなかった。

 だからなのか、後からやって来た紀緒に励まされてしまった。


「二度も双子を失わせませぬ。大丈夫ですよ」


 ようやっと嗤いが苦笑いに変えることができた。




   ◆◆◆




「目の前の妖祓より帰りたいと願う妖を優先することが間違ってるなら、俺はここに残るよ」


 比良利にとって双子はとくべつだ。

 それは宝珠の御魂を宿している依り代だからだろう。

 誰が双子になろうと、天命を授かった相手がいるのであればそれは比良利の双子。

 同じ立場として導くのが役目だと思っている。前の双子は鬼才狐だったので導くなんぞなかったが、今回は仔狐。導くのは必須だろうと思っていた。


 しかし、誰が双子になろうと……は、少々考え直した方が良いと思った。

 比良利の行動を制して進言してくる翔は、無自覚に双子である者として比良利を諫めたのだから。


(それがどれほど、わしにとって喜ばしかったことか)


 玉見神社から脱した比良利は、自ら異界に還る道を選んだ仔狐を見やる。

 百鬼夜行から下りた翔は自分の足で里山の奥地にある天之の森を目指していた。

 疲労困ぱいしている翔はげっそりとやつれていた。今宵は新月なのでただの人間になっていた。


 あまりにもやつれているので、それまでの過ごした時間を聞けば、散々な幽閉生活だったとのこと。眠れないことはもちろん、食事もまともに喉が通らず、水も飲むことが難しかったのだとか。

 それでも比良利を見上げると、これからのことや、妖狐として生きることを宣言してくれた。屈託ない笑顔はうそ偽りがなかった。


「あ。ヒガンバナ」


 カナカナ蝉が鳴く中、翔は里山に咲くヒガンバナを見つけると足を止める。

 人間の夜目でもヒガンバナを見つけることができたのは、翔が純粋な人間ではないからだろう。


「こんな山の中でも咲いているんだな」

「天之の森が近いことも影響しておろう」

「異界じゃ年中ヒガンバナが咲いているんだってな」

「そうさな。異界では色こそ抜けてしまうことはあれど、滅多なことでは枯れることもない」

「そうなの?」

「それだけ異界のヒガンバナも長生きということじゃろうな」

「長生きかぁ。俺も長生きするかな」

「当然じゃて」

「どんくらい?」

「妖狐の寿命は千年以上ぞ」

「うげえ。長生きにもほどがあるんですけど」


 何を言うか。それくらい生きてもらわねば困る。

 比良利は出掛かった言葉を嚥下する。いまの翔にそれを言ったところで心に響かないことは知っていた。


 けれどヒガンバナから目を放した翔は比良利を目にするや、このように言葉を続けた。


「まあ、がんばって千年は生きなきゃだな」


 全然想像つかないが、翔は千年生きると口にした。


「だって、ひとりはさみしいじゃん」


 それは誰の心を見通しての言葉か。

 恍惚に白狐を見つめていた比良利だが、すぐさま小さく笑うと、翔の背中を叩いて先を歩く。すぐさま背を追ってくる翔も笑っていた。


「なあ比良利さん」

「なんじゃ」

「俺の声を聞いてくれてありがとう。届いていたんだろう?」

「我らは双子ゆえ聞こえてしまうものなのじゃよ」

「だけど、比良利さんは聞こえるだけで終わらなかった」

「そうさな」

「双子を救うために翔けてくれた」

「…………」


「だったら俺は『ありがとう』を伝えるべきだ。たとえ、それが宝珠の御魂を取り戻すためだけの目的だったとしても、俺は双子の狐に救われた」


「ぼん」

「ん?」

「今宵のお主はただの人間」

「そうだね」

「わしは待てると申したな」

「うん」

「ゆえに、いまお主の決意を聞くべきではないと思っておる」

「腹黒いくせに優しいんだよな。そういうところ」


「じゃがな」


 比良利は幼き白狐を、燃ゆる双眸で捉えた。


「六尾の妖狐、赤狐の比良利には新たな双子がおる。それは元人間であり半妖狐であり、幼いながらも妖のために翔けることのできる狐。帰りたいと願う妖の声を聞き入れる狐と双子を名乗れる奇跡を、わしは感謝しておる」


 ゆえに、そう、それゆえに決して失ってはならない存在なのだ。

 比良利がゆるりと微笑むと、見事に白狐は呆けた。

 間を置いてはにかんだ。宝珠の御魂だけで動いたわけではないと伝わったのだろう。


 早足で比良利の隣に並ぶと翔は嬉しそうに語る。


「いつか、俺も声が聞こえたら、必ず翔けるから」

「左様か」

「何百年後になるかもしれないけどさ」

「気長に待つことにしよう。まずは疲労困ぱいの体を癒すが良い」

「ふかふかの布団で寝てえや」


「ぼん」

「ん?」

「この後の言葉は聞き流せ。どうしても魂が抑えられぬゆえ」


 比良利は新月の空を見上げ、ひとつを吐き出す。


「天之の地を見守ると交わした、いにしえの誓い――いつか果たそうぞ」


 すると翔は聞き流さず答えた。


「いつか、なんて曖昧にはもうさせない。俺が完全な妖狐になった暁には必ず果たす、果たすから――もう少しだけ待っていてよ。ひとりにはさせないから」




 異界の入り口の一つなっている岩穴を通り抜け、翔は先を走る。

 日輪の社参道を目にするや、糸が切れてしまったように尻持ちをついて空腹を訴えていた。

そんな翔に駆け寄って心配を寄せる銀狐や猫又、巫女狐を目にしながら比良利は力なく笑声を漏らした。


「わしはいくらでも待てる。双子が生きているかぎり、いくらでも」



 カナカナカナカナ。

 カナカナカナカナ。


 天之の森のどこかでカナカナ蝉が忙しなく鳴いていた。


(終)

感情に敏感な翔と、双子に敏感な比良利のお話。

双子のことになると冷静さが保てなくなるのは、WEB版といっしょだったりします。



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