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白狐ノ草子   作者: つゆのあめ/梅野歩
▼書籍版小噺
50/77

火とぼし送り(記念SS)

四巻発売記念。

書籍設定が入っておりますので、ご注意ください。

じつはここまで入れたかった「火とぼし送り」のお話。四巻を読んだ後に読んでいただければ、と思います。



 天之町(あまのちょう)は草深い里山に囲まれた町である。

 そのお山はただの人間から見たら、草ぼうぼうの無法地帯。手入れも存在も忘れ去られたお山に過ぎない。


 さりとてヒトならず者らにとっては心地の良い奇々怪々のお山。

 いびつでおぞましい化け物らが巣食っている。

 お山の朝夕は不気味なほど静寂。逢魔が時を迎えると、闇夜に紛れて化け物らが活発的に動き回るため、里山の夜風は常にざわついている。


 そんな里山の奥地。

 人間も足を踏み込めぬ境界には『異界の森』と呼ばれた、化け物らの森がある。

 異界の森は化け物らの集落があり、妖の社が統べる所であった。


 はてさて。

 異界の森北方にある所、日輪の社は大層な賑わいを見せていた。


 理由は朱夏祭りが行われているため。

 化け物らにとって夏祭りにあたるそれは、たいへんな盛り上がりであった。

 誰もが楽しさを求めて祭りに集まり、声を上げて笑い、あちらこちらでおしゃべり。悲しみに溢れた天之の地に幸で染める勢いであった。


 特に今宵は朱夏祭り最終日。

 『火とぼし送り』と呼ばれる神事が行われるため、化け物らは自然と日輪の社に集まっていた。みな火とぼし送りに参列することが目的であった。


(体がやべえくらい重い)


 半妖狐の南条翔も、火とぼし送りに参列するために日輪の社参道を目指していた。

 夜半(やはん)に異界に戻って来た翔は今宵『静の夜』を迎えており、その姿かたちはまんま人間、まるで妖狐の姿がない。

 ゆえに異界では少々目立つ格好となっていたが、翔は気にせずに日輪の社参道を目指していた。心なしか足取りは焦っていた。


 それも仕様がない話。

 火とぼし送りがまもなく始まるのだから。


(こんなぎりぎりまで寝るつもりなかったのになぁ)


 火とぼし送りが始まる暁方まで、翔は日輪の社神職らが住まいとしている憩殿でしばし体を休めていた。少々過酷な環境にいたためか、ゆっくりと湯に浸かり、たらふく夜餉を平らげ、柔らかな布団に身を置いていたことで熟睡してしまっていた。


 巫女の紀緒に「火とぼし送りが始まりまする」と優しく起こされたことで、どうにか布団から脱することに成功したが、正直まだ体がだるい。体は寝ていたいと悲鳴を上げている。


 しかし、どうしても火とぼし送りに参列したかった翔は、起こしてくれた紀緒に感謝すると、無理やり布団から這い出した。火とぼし送りが終わればまた眠れることができるのだ。

 この機を決して逃したくはなかった。


(腹が痛ぇ。くそ、あの妖祓……ぜってぇ許さないからな)


 異界に戻るまでにてんやわんや、宝珠の御魂を抜かれそうになった翔は腹に深手を負っている。

 これのせいで歩くたびに、じくじく腹が痛むので先ほどから苛々が止まらない。


 けれども。火とぼし送りが行われる日輪の社参道に足を運んだら、そんな苛立ちなんぞ吹き飛んでしまった。


(すごい)


 参道には数多の化け物らが松の棒に火をともして、「送り火」を焚いていた。

 本殿の迎え火に集まった守り神のために、帰路となる道のしるべを作るべく、みながみな送り火で道を作っていた。


 翔が参道に辿りついた頃には、すでに『火とぼし送り』が始まっていた。

 本殿の()()()は『火とぼし迎え』があった日と変わらぬ勢いで燃え盛っている。本殿も夜空も焦がす勢いで赤々と、時に青々と、炎々に燃えている。

 その迎え火に守り神らが集まり、次から次へと炎の中に飛び込んだ。


 するとどうだ。

 本殿の迎え火は()()()となって、大きな火柱となって空を目指す。帰路を辿り始める。後から後から守り神はやって来る。化け物らが焚いた「送り火」を頼りに本殿を目指し、そして本殿の迎え火に飛び込んで還ってゆく。

 本当に多くの守り神が迎え火に飛び込むのだから目が離せない。

 これほどの数の守り神、今までどこにいたのだろう。


「神には二種類おる」


 送り火を伝って空に昇っていく守り神らを見守っていると、翔の隣に一匹の狐が並んだ。赤き狐であった。

 人間の翔にもしっかりと赤狐の姿を捉えることができたのは、翔が純粋な人間ではないからだろう。

 暁方になっているので、そろそろ『静の夜』の終わりが近づいているのも理由に挙げられる。


 翔は視線を持ち上げて、比良利を見上げる。


「片や守り神になるもの、それは生ける者らを見守ってくれる神。片や祟り神になるもの、それは生ける者らを妬み、災いをふらせる。今宵火とぼし送りと共に去っていく魂らが、どちらになるか少々不安じゃのう」


「守り神と祟り神……がしゃどくろになった奴らはどっちになるのかな」


「生まれたからには、誰もが仕舞いを幸に満ちたものでありたいはず。それが叶わず、非業な死を遂げる者もおる。その者らにとってしてみれば、幸に満ちる終わりを迎えるやもしれぬ生ける者たちを妬むのは当然であろうのう」


 比良利はどちらになる、とは言わなかった。

 きっとどちらになる可能性がある、としか答えが出なかったのだろう。


 守り神、祟り神、どちらになるのかは、きっとその者次第だ。


「守り神として戻ってきてくれた方がいいよな」


「生ける者にとってしてみればそうじゃのう」


「祟り神になった奴らが悪さをしたらどうするの?」


「怒りを鎮めてもらうために手を尽くすまで。むやみに封じたところで、それはやがて憎悪となり瘴気となる」


「瘴気にもなるんだ」

「祟りの神じゃからのう」

「そっか」


 翔は化け物らが作る道しるべの送り火を見つめると、力なく笑い、比良利に小さく告げた。


「俺はさ。正直がしゃどくろになった奴らがどっちになってもいいや」


 糸目の向こうに見える、燃ゆる瞳がこちらを覗く。


「守り神になっても、祟り神になっても、まずは言いたい。おかえりって」


 おかえり。

 お前たちの帰る場所はここにある。

 そう言いたいと翔は胸の内を明かした。


「さみしいじゃん。帰ってきたのにただいまも、おかえりもないなんて。守り神になったら、これからもよろしくって言えばいい。祟り神になったら、やり切れない気持ちに耳を傾けてやりたい」


 それで解決するとは思えないが、そういう奴がひとりくらい居てもいいのではないか。

 甘っちょろい考えだろうが、翔は本気で思っていた。


「どっちになっても、お前たちの帰る場所はここだ。そう言えるような地になったらいい。なんて、ハナタレ小僧は思うわけですけど、どうです? 比良利さま」


 小生意気に笑う。

 大笑いされたのは直後のこと。

 それはそれは大層笑われてしまった。そんなに面白いことを言ったつもりはないのに。生意気を言った自覚はあるけれど。


「まことにお主は肝が据わったというか、大口を叩くようになったというか。ずいぶんと大きく言ってくれるのう。帰る場所だと言える地にしたい、か」


「べつに変じゃねえだろう? ただいまって言ったらおかえりって返ってくる。そういう場所って意外と大事だぜ?」


「出逢ったばかりのお主からは想像もつかぬ理想じゃが、悪い話ではない。あの頃は何かあれば、きゃいきゃいと鳴いて落ち込んでばかりじゃったのに」


「きゃいきゃいとは鳴いてねえ!」


 顔を紅潮させて怒鳴るが、かの赤狐は右からの左に流すばかり。

 面白おかしそうに、けれど慈しみと期待の眼を翔に向けて、「その気持ちは忘れるでないぞ」と比良利は言う。


「ただいまのない日々に、つまらぬ気持ちを抱える者もおる。おかえりのない日々に、さみしさを抱える者もおる。ただいまとおかえりは片方では成立せぬ言の葉。ぼん、お主は成立せぬ言の葉の大切さを知っておる。決して忘れることなかれ」


 小難しい言い回しだが、要は褒められているのだろう。

 翔は面と向かって褒めてくる比良利に向かって小さくはにかんだ後、「だけど、どうしても挨拶が成立できないこともあるんだよな」と苦笑いした。


 脳裏に過ぎるのはそう大切で、複雑で、相容れることのできない者ら――。


 と、比良利からそっと枝を差し出された。

 はて、これは一体。

 反射的に受け取った翔は、枝をまじまじと見つめる。小さな玉のような花がついた枝のようだが……これは。


(さかき)の枝じゃ。花がついたものを選んだ」


「さかきのえだ?」


「神事において榊の枝は神に捧げもの。送り火にくべるとよい。花をつけた榊の枝には祈りを込めた。お主の両親への土産になればよいと思う」


 あ。

 翔は榊の枝を見つめると、「憶えておいてくれたんだ」と比良利に笑い、感謝を口にする。


「さっそく送り火にくべてくるよ。きっと喜んでくれる」

「墓参りに行かせてやれず、すまぬのう」

「いいんだ。俺は全部を承知の上で戻って来たんだ」


 祈りは、きっとここからでも届く。きっと。


「俺は両親にとって、やんちゃすぎるバカ息子だったと思う」

「手を焼いたことじゃろう。心中察する」

「そんなバカ息子は人間じゃなくなったけどさ。まだ息子って呼んでくれるかな」

「お主はどう思う?」

「……分かんね。狐になったって言っても、きっと信じてもらえないと思う」


 だけど。


「息子なんだって言い続けてくれる。そんな気はする」


「ならば、そう信じてやるが良い。少なくとも、ご両親を知らぬわしより、ご両親を知るお主の方が説得力があろうじゃろうて」


「そうだな。ごめん、なんか言いたくなった」

「わしが聞きたくて聞いておるだけじゃ。気にせんでよい」

「あとでおちょこくってくるのが玉に瑕なんだよなぁ」

「くっくっ。めんこいと思っているだけじゃぞ」

「性格悪っ……」


 口を一の字に結ぶ翔であったが、すぐに表情を和らげた。


「比良利さんって、家みたいだな」

「ほう? 意味を問おう」


「助兵衛狐さまでも、みんなの拠り所なんだなって思った。なんか安心する」


 情けない弱音も、湿った本音も聞き流さずに聞いてくれる。

 それは誰にでもできるわけではない。

 懐の深い頭領だからこそできることなのだ。

 そんな狐にも拠り所があるのだろうか――向こう見ず狐と呼ばれた頭領狐にも、拠り所があればいいな、と翔は思ってならない。


「比良利さん。来年はみんなが笑って過ごせる、朱夏祭りにしたいな」

「そうじゃのう」

「北天之も南天之も笑っていればいい」

「そうじゃな」

「悲しみも苦しみも、もう腹いっぱいだ。懲り懲りだよ」

「わしの台詞じゃて」


「来年もさ。火とぼし迎えや火とぼし送りに参加していいか?」

「ぼん、来年はわしに断る間もなく参加するやもしれぬのう」


 その意味は?

 翔は抱いた疑問をゆっくり呑み込む。

 今は聞かずにおこう。まずは両親に榊の枝を捧げなければ。


「俺、榊の枝を捧げて来るよ」


「早う行ってまいれ。そうじゃ、供え物の酒とトカゲの干物も用意したゆえ、後ほど取りに来るが良い。墓参りは無理じゃろうが、供えることは異界でも出来よう」


「トカゲ……」


「上等な干物を用意したぞよ。あれは酒のあてに最高の干物でのう。やはり、炭火で軽く炙って食べるのが良い。ぼん、食したことは?」


「ないけど」


「じゃと思った。安心せえ。お主の分も用意したゆえ」

「ありがとう。うん、あとで取りに来るよ。うん」


 酒はともかくトカゲの干物は両親が悲鳴を上げるやもしれない。夢の中でなんてものを供えてくれるのだと叱ってくるやもしれない。

 いやいや善意のかたまりで用意してくれたものなのだろうが、それにしてもトカゲの干物はちょっと……なんて言えず。


(トカゲ……俺、食えるかな)


 内心、冷や汗を掻いている、とも言えず……。

 翔は比良利に胸の内を悟られる前に、榊の枝を持って本殿の送り火に小走りで向かう。

 比良利は多忙な身なので、わざわざ時間を作って翔に会いに来たのだろう。その気持ちは無下にできない。榊の枝もちゃんと捧げよう。


 ああそうだ。


「比良利さん」


 足を止め、翔は比良利に向かって満面の笑みを浮かべた。


「俺はこれからも比良利さんに『ただいま』って言うからな。ちゃんと『おかえり』って言ってくれよ。片方じゃ成立しないんだからなーっ」


 比良利がこの言葉をどう受け止めたのかは分からない。

 ただ、そう、ただ狐は当たり前のように笑い、当たり前のように小生意気だと悪態をつき、そして当たり前のように言うのだ。


「その言葉、そっくりそのまま返すわ。たわけ狐――ぼん、おかえり」


 十分すぎる返事は翔を笑顔にした。


「おう。ただいま、比良利さん。俺はちゃんとここに帰ってきたよ」




 時は進む。

 暁方はあっという間に夜明けとなり、やがて日が昇り始める。『静の夜』の終わりを迎えた翔は頭に耳を生やし、三つの尾っぽと揺らし、人間から狐となって送り火に向かって翔けていく。

 その後ろ姿を見守りながら、比良利は小さな背中に言葉を投げた。


「片方のみでは成立せぬ。それは我らも同じ」


 妖の道を歩き始めた小さな狐よ。

 心から言わせてほしい。


「おかえり、我が魂の対――わしの新しい双子よ」



(終)

「ただいま」と「おかえり」

「いってらっしゃい」と「いってきます」


挨拶は片方では成立しない、それは双子の対のようだといつも思っています。

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