仔狐看病日録(記念SS)
四巻発売記念。
書籍設定が入っておりますので、ご注意ください。
十六章に入れられなかった、とある妖らの看病話。
(ううぅ。頭が痛ぇ。体が痺れて動けねえ)
半妖狐の南条翔は南天之の森に建つ憩殿の自室にて、ものの見事に床に臥していた。
すっかり青ざめた顔色をしている理由は風邪……ではなく、昨晩南天之の森で大百足に襲われ、毒液を浴びてしまったせいである。
大百足の毒液は異臭が凄まじく、それを浴びてしまえば全身に痺れが回り、まったく動けなくなってしまう。五感の鋭い翔には毒液の異臭だけでも鼻がひん曲がりかねない。
そこに体の痺れが襲ってくるものだから、見事に布団の中で死にかけていた。大袈裟に聞こえるかもしれないが、わりと大真面目に死にそうになっている。
ああ、痺れているくせに体が火照っている。
(なんもニオイを感じない。痺れてるせいだな)
頭痛。発熱。痺れ。嗅覚麻痺。
泣きっ面に蜂である。
そんなにたくさんの症状を与えずとも、翔はとっくに苦しんでいるというのに。
「シロギツネ。熱また上がっただなぁ」
ゆらり。
天井から逆さまの婆さん、天井下りがぶらんぶらん、と下りてきた。
長い手を伸ばして、翔の額に手を当ててくる。熱が上がった、絶対に上がったと落胆する天井下りは手ぬぐいを冷やすために水桶を掴んでいた。
心配してくれるのは嬉しいが……天井下り、このやり取り、今しがたやった。たぶん三分も経っていない。
(……すげぇ視線を感じる)
目を少し動かすと、障子の升目に無数の目が浮かんだ。目目連である。
子ども好きの目目連は悲しそうに、翔を見つめてくる。じっと見つめてくる。いつまでも見つめてくる。
わかる、わかる。
心配してくれているのだろう。
わかる。分かっているつもりである。が。
(ね、眠れねえ)
視線が痛い。
ひとつなら良いが、無数。目を向けられる……この居心地の悪さ。どうにかしてほしい。
(こんなに心配してくれているんだ。贅沢な悩みなんだろうけど、もうちょっと俺を労わってくれ。頼むよ)
翔は涙ぐんだ。
心配してくれる気持ちは嬉しいが限度がある。限度が。
いま一番苦しい思いをしているのは翔なので、そっとしておいてほしい。静かに寝かせてほしい。部屋を出ていけとは言わないから。
「あー。ギンギツネ。またシロギツネの布団に入っとるだぁ。キジ三毛に怒られるだよぉ」
がばりと天井下りが布団を取ってしまう。寒い。
ぶるぶると身を震わせる翔をよそに、翔の腹に頭をのせて身を丸くしている狐が一匹。ギンコである。
翔の暖になろうと布団の中に潜り込んでいる様子。
二刻ほど前におばばに見つかって、布団から追い出されていたが、また潜り込んでしまったのである。
ギンコに対して黒砂糖並みに甘い翔なので、布団に潜る狐には気づいてはいたが、好きにさせようと目を瞑っていた。ギンコなりの看病なのだと翔には分かっていた。
「て、天井下り……布団、返してほしいんだけど」
「んだけどぉ、ギンギツネがぁ。だめぞ、ギンギツネぇ。殿方と寝るなんて、浮気だぁ」
ぶんぶん。
ギンコは浮気ではないと頭を左右に振り、翔の寝間着を銜えた。尾っぽを振って主張している。オツネの番いはこの少年なのだと。だから浮気ではなく、自然な光景なのだと。
天井下りはギンコの熱い気持ちに感心し、なるほど、頷いている。
どうでもいいが布団を返してほしい。
熱が出ているせいで、夏なのに寒気が止まらない。
翔は耳と尾っぽをぺしょりと垂らす。体が痺れているせいで、布団を取り返すことも儘ならない。ああ情けない。早く痺れが取れてくれたいいのに。
と、障子が半開きとなった。
視線を投げるとうつくしい黒帯のこと蛇帯が、これまた高そうな葛籠を引きずりながらやって来た。
帯の先端が蛇頭のように丸まっている蛇帯は、うんしょ、うんしょと重たそうに葛籠を引きずって翔の布団の傍に置く。
そして誇らしげに葛籠を帯の尾で叩いて、翔に主張した。
憩殿で最も高級な葛籠を持ってきた。これに入ればすぐに元気になる、と。
善意のかたまりで持ってきたのだろうが、正直に言おう。悪化しそうである。
とはいえ、まあ……まずは気持ちを受け止めるべきだ。
目を細めて葛籠を見つめた翔は、蛇帯に「ありがとうな」と感謝を口にする。気持ちは嬉しい、と言ったところで蛇帯が葛籠の蓋を開けるや否や、翔の胴に帯を巻き付けて、さっさと翔を仕舞おうとする。
「やっぱりこうなるんだよなぁああ!」
体が痺れている翔なので抵抗ができないまま、蛇帯と葛籠へ。
それを目にしたギンコはもちろん天井下りや目目連らも、びっくり仰天。葛籠に仕舞われた翔を出すよう蛇帯を説得したり、葛籠に体当たりしたり、蓋を開けようとしたりと、てんやわんやになった。
騒動を聞きつけたおばばと青葉に助けられるまで、それは続いた。
「まったく。お前さんたち。坊やを心配するのは分かるけど、もう少し静かにできないのかえ」
坊やは怪我人なんだよ、とおばば。
プイッとギンコと蛇帯はそっぽを向き合い、顔を合わせた瞬間、激しい火花が散るわ。天井下りは説教になんぞ興味なさそうに翔の濡れ手ぬぐいを冷やしては絞り。翔の額へ。すぐに取っては水桶に入れてまた冷やして絞る、を繰り返し……。
まともに説教を聞いていそうなのは目目連だけであった。
まるで効果がない。
「やれやれ。困った子たちだねえ。看病を任せたらこれだよ。坊や、具合はどうだい?」
「熱が……あがった気ぃする」
ゼェゼェと呼吸を繰り返す翔は、ちょっと寝かせてほしいと懇願した。
これでは看病という名の地獄である。
いっそ気を失いたい。
「少しだけ待っておくれ。青葉がお粥を持ってきてくれるから」
「粥?」
「ほら、噂をしたら来たようだよ。天井下り、坊やを起こしてやっておくれ」
「んだぁ」
「うひゃあ!」
天井下りにひょいっと持ち上げられる。
そのまま宙ぶらりんにされてしまったので、おばばが呆れたように、「せめて座らせてあげなさい」と注意。
天井下りは加減が難しい、と言いながら翔を布団の上におろした。
天井下りに背中を支えてもらいながら座っていると、青葉がおぼんを両手で支えながら部屋に入ってくる。
「翔殿。お味噌粥を持ってきましたよ」
お味噌粥。
初めて聞く粥である。
文字通り、粥に味噌をといたもので、味はねこまんまに近いとのこと。
葱をたっぷり入れたお味噌粥を食べて、薬を飲んだら、きっと元気が出ると青葉は言ってくれた。
「ありがとう青葉。でもごめん。食欲無くて」
「少しでいいので口に入れてみてください。オツネ、蛇帯、匙を二本持ってきましたので、交代で翔殿に食べさせてあげてくださいね」
青葉は匙をそれぞれに手渡し、喧嘩の火種を先んじて消してしまう。
尾っぽや帯で匙を受け取ったギンコと蛇帯は、うんうんと頷いて、さっそくお味噌粥とやらを匙で掬った。こぼさないか心配だったが、意外と器用に掬っている。
「坊や。早く元気になるんだよ」
お味噌粥を口に入れてもらったところで、おばばから、しゃがれた声で鳴かれた。
翔は咀嚼しながら、小さく微笑む。
「おう。あんがとな」
「子どもが臥していると、婆は悲しい気持ちになるんだ」
「だいじょうぶ。すぐに元気になる」
あちち。
ずいっとギンコから匙を差し出されたので、翔は口を開けて、お味噌粥を噛み締める。
優しい味噌の味と葱の香りが、失われた食欲を少しだけ取り戻してくれるような気がした。おいしい。
こうして誰かに作ってもらっているから美味いのだろうか。
(……粥。作ってもらったっけな)
こうして翔が倒れた時に、わざわざアパートに足を運んで粥を作ってくれた人がいた。
薬を飲まないからと見張りがてらに傍にいてくれた人がいた。
いまの妖らのように翔を看病してくれる人たちがいた。
その人たちに対して、いま翔が向ける気持ちは――。
「翔殿。おいしいですか?」
青葉に声を掛けられ、翔は我に返る。
おいしいと返事をすると、それは良かったと言って、青葉がおぼんに置いてある湯呑を手に取った。
「お薬を用意しました。これを飲めばすぐに良くなりますよ。なにせドクダミをふんだんに入れましたから。ドクダミは解毒薬として有名な薬草。これに少々蜘蛛糸と熊爪の粉を混ぜ合わせましたので」
ん?
翔はぎこちなく青葉を見つめる。
「ドクダミ?」
「見たことがありませんか? 山にも咲いている薬草ですよ」
「蜘蛛糸?」
「はい。水蜘蛛の糸なので、痺れなどあっという間に消してくれるかと」
「熊爪の粉?」
「苦味の少ないものを選びました。解熱効果もあるんですよ」
お味噌粥を食べ終わったら飲んでくださいね。
青葉に満面の笑みを向けられ、翔はしばらくの間、言葉を発することができなかった。
ギンコや蛇帯に助けてほしい。青葉の用意した薬を飲めば、きっと腹を壊す、と目で訴えるも、二匹が二匹とも飲んで元気になってね、と鳴いたり、帯を波立たせていたりした。
いやいやいや、本当に翔のことが好きなら気持ちを察してほしいのだが!
「……おばば」
祖母に目を向けると、猫又婆はケッケッケと不気味に鳴いた。
「坊や。良薬は口に苦し。観念して飲むんだねえ」
この時ばかりは、おばばも鬼であった。
結局、お味噌粥を平らげた翔は、青葉が煎じてくれた薬を飲み、脳天が突き抜けるほどの苦味に倒れたとか倒れなかったとか。
その後、翔はもう丸一日床に臥したが、まったくもって妖らの付きまといに近い看病は変わらず、喧嘩も絶えず、心配も絶えず。
とうとう辛抱堪らず、気合で治したのはお笑い種にしておく。
「一度床に臥したら最後、ちっとも休めねえんだ。大丈夫っつっても、ずーっと看病してくる。みんなの心配する気持ちは嬉しいんだけど、あれじゃ悪化するって」
ただ、うん、誰かが傍にいてくれるのは元気になるものだ。
助勤に復帰した翔は出仕前長の玉響に、そのような話を、少しだけ得意げに話し、照れくさそうに笑っていたそうだ。
(終)




