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白狐ノ草子   作者: つゆのあめ/梅野歩
▼書籍版小噺
47/77

異界の夏とおやつと心太

書籍設定。三巻くらいの話。

なんてことない出仕前長、七尾の妖狐、ホンドギツネの玉響の昔話。

そして心太(ところてん)のお話。



「翔。おやつを用意しましたよ。洗濯が終わったら来てください」



 それは人里に帰れず、異界で夏休みを過ごしていたある日のこと。

 半妖狐の南条翔は神職の補佐をする出仕前のお役をこなしていた。

 人里に帰ることを許してもらえない身分であり、見張りもついている暮らしを強いられているのだが、それはそれとして暇は嫌いなので毎夜、助勤(アルバイト)に精を出している。

 今宵も夜もすがら奉仕に励み、そろそろ終わりの刻を迎えようとしていたところで、出仕前長であり妖狐の当主でもある、七尾の妖狐、ホンドギツネの玉響(たまゆら)が声を掛けてきた。夜明けを目前のことだった。


「おやつ?」


 たらいの前で白布をこすり洗いしていた翔は、こめかみに伝う汗を手の甲で拭い、洗濯板を置いて立ち上がる。


「はい。もうすぐ朝餉(あさげ)の時間ではありますが、今宵も暑いですからね。体の熱を冷ましてあげましょう」


 異界は里山の奥地にあるので、人里よりも涼しく過ごしやすい。

 けれども、少しでも体を動かすと大粒の汗が滴ってくるので、今の季節は夏なのだな、と思い知らされる。

 翔は夜が明けてきた空を見上げると、「洗濯が終わったら行く」と軽く返事をした。

 待っていると会釈して立ち去る玉響を見送った後、翔は洗濯を再開する。


(おやつか)


 玉響の気持ちはとても嬉しいが、翔は少々複雑な気持ちに駆られていた。

 なぜなら異界の食事は口に合うもの、合わないものがハッキリしているのだ。


下手物(げてもの)じゃなかったらいいんだけど)


 異界に隠れ棲む妖たちは獣の肉を食う、魚を食う、野菜を食う、花を食う、蛇を食う、虫を食う、骨を食う、石を食う、人間を食う…………。

 とにもかくにも多種多様である。

 人間を食らう行為については、争いの火種になるからと基本的に禁じられているらしいが、妖は悪と思っていないのだとか。


 気分が滅入る話を耳にしてしまっているので、翔は異界の食文化に対してたいへん慎重になっていた。


(ラーメン、食いたいな)


 おまけに和食が主軸の世界なので、洋食を好む翔にはつらいことが多い。

 ああ、人里に下りることができたら、ラーメンもスパゲッティもハンバーグも食べられるのに。


(おやつ……西瓜すいかとか、干し柿とか、黒砂糖なら嬉しいんだけどな)


 どんなおやつが用意されているのだろう。

 翔は一抹の不安を胸に抱えながら、洗濯を終えた白布をきつく絞って綺麗に広げた。




 洗濯を終えて、参集殿(さんしゅうでん)に足を運ぶと玉響が縁側でおやつを用意してくれていた。

 体の熱を冷ますおやつを用意しているらしいので西瓜(すいか)やかき氷、砂糖を入れた水のこと『冷や水』らへんを想像していたが、玉響が差し出したのは心太(ところてん)であった。

 馴染みのある食べ物ではあるが、さほど日常的には食べず、それがおやつかと言われたら首を傾げてしまう。


(まあ下手物じゃないだけいいか)


 小腹は減っているので、翔はありがたく心太(ところてん)の入ったお椀を受け取った。

 縁側に腰かける玉響と肩を並べるように座ると、狐が問うた。


「翔は酢醤油をかけます派ですか。お砂糖をかける派ですか。だし汁? 黒蜜?」


 四つほど味を用意したと玉響が言ってくるので、翔は迷わず盆の上に載っている酢醬油を選んだ。

 ところてんを甘く食べる発想はなく、かといってだし汁よりかは舌に馴染んだ酢醤油の方がいいな、と素直に思ったのだ。


「おかわりもあるので遠慮せず食べてくださいね」


 盆に載っている木材の器具は天突(てんつ)きは、心太(ところてん)を押し出すためのもの。

 この中にまだ心太(ところてん)が詰まっている、と玉響が尾っぽでさした。


「出仕前狐たちは呼んでないの?」

「まだ心太(ところてん)を器用に食べることができない子が多いので」


 酢醬油をたっぷりまぶす翔の隣で、玉響が砂糖をぱらぱらと振りかけている。彼は心太(ところてん)を砂糖で食べる派のようだ。


心太(ところてん)を啜るって難しいもんな」

「それに滑りますからね」

「箸を持てないと厳しいよな」


 つるつる、心太(ところてん)を啜りながら二匹は会話を広げる。


「おやつに心太(ところてん)を食べるのは初めてだよ」

「おや、江戸時代では庶民的なおやつだったのですよ」

「そうなの?」

「ええ。饅頭やおはぎなどは高級なおやつで、手が出せないものでしたから」

「異界でも高級だったの?」

「はい。ここ百年くらいで手軽に食べられるようになりました」

「玉響さん。七百歳だっけ?」

「それくらいですね」

「おじいちゃんだよなぁ」

「ふふ、翔もすぐに七百年生きますよ。百年なんてあっという間ですから」


 半透明の心太(ところてん)を啜っていると、「私の好物でもありましてね」と玉響が言葉を重ねる。


「人里で暮らす人間に、心太(ところてん)の食べ方を教えてもらったことをきっかけに好物となりました」

「人間に教えてもらったの?」

「ええ。まだ妖の存在が受け入れられていた時代だったので、人間に直接教わりました。あの頃は人間との交流も盛んでしたから」


 羨ましいな、翔は内心で思う。


「妖は不変を好む生き物ですので、新しい文化を開拓することに消極的なのです。ゆえに人里で流行った食い物を、異界も真似ていくことも多く……心太(ところてん)もそうでした」


 とても新鮮味のある食い物で、当時は衝撃を受けたと玉響。

 教えてくれた人間は、妖が視える気の良い農民青年で、驚く玉響を見て大笑いすると、心太(ところてん)には様々な味をつけて食べる楽しみ方があると丁寧に説明してくれた。


 そして言った。

 人里に下りてきたら、いつでも声を掛けてほしい。

 心太(ところてん)をいっしょに食べよう。いつだっていっしょに食べる、と。


「でもね。いっしょに食べられたのは一度きりでした」


 ぺろりと心太(ところてん)を平らげた翔は、昔話に花を咲かせる玉響を見つめる。


「私が人里に下りる機会は十年に一度程度。私にとってなんてことない年月でした」


 妖の十年なんて、人間にとって一か月過ごすような感覚だ。


「しかし、人間の十年は違った」


 当時二十代だった気の良い農民青年は三十と一余りで亡くなってしまった。

 江戸時代の男性の平均寿命は三十路から四十路程度。病を患ったのか、大怪我を負ってしまったのか、それともそりの合わない武士に盾突いて斬られたのか、理由は分からないが三十年ちょっとで死んでしまった。

 その人間は玉響が人里に下りてくるのを待ちわびていたと風の噂で聴いたので心が痛んだ。

 どうやら心太(ところてん)以外のおやつを教えたかったようで、木簡(もっかん)にいくつかの料理やおやつが記されていた。気前良く笑いながら教えてくれる予定だったのだろう。


「たった一度きり。けれど一度きりの心太(ところてん)をいっしょに食べた味は忘れませぬ」


 砂糖をまぶして食べた心太(ところてん)は美味しかった。

 玉響はしみじみと語る。


「翔」

「なに?」

「元人間である貴殿は、きっと一日の尊さを、一年の長さを、十年の重みを知っている。どうぞ妖狐になっても忘れないでくださいね」


 忘れるかもしれない。

 だって翔もまた妖狐になったら、長生きをする部族なのだから。

 いつか人間である己を忘れるやもしれないし、玉響のように月日の残酷さに切なさを覚えるやもしれない――それでも。


「じゃあ。もう一杯、心太(ところてん)をおかわりしようかな」


 だって。


「大事な昔話を聞かせてくれる玉響さんと、もう少し心太(ところてん)を食べていたい。この時間を大切にしたいや」


 七尾の化け狐は微笑ましそうに鳴く。


「今日だけと言わず、また私と心太(ところてん)を食べてくれますか」

「もちろんだよ」


「今度はお砂糖をまぶしてみてください」

「……美味しい? それ」


「ええ、美味ですとも」

「うーん。黒蜜から挑戦してみようかな」


「花びらと酢醤油や黒蜜をまぜて食べるのも美味しいですよ」

「花びらを?」

「花の香りと渋さが相まって、まことに美味なのです。人間はあまり花を食べないようなので、次に会ったら教えようと思っていました」

「教えられなくて、ちょっと残念だね」

「そうですね」


「だけど、玉響さんの好物になったんだから、その人間は嬉しいんじゃないかな」


「もう顔も声も忘れてしまいましたけどね。気の良い人間の存在を、私はきっと生涯忘れないでしょう」


 おやつに心太(ところてん)を食べているかぎり、きっと。

 どこか遠くを見つめつつ、けれどいつまでも、やさしい顔をして語る玉響に笑顔を向けると、翔は心太(ところてん)をおかわりするため、天突き(てんつ)きを持ってゆっくりとお椀の中に押し出した。


 ここにはもういない、その人間に思いを馳せながら、心太(ところてん)を食べる。


 それでいいのだ。

 約束は一度しか果たせなかったやもしれないが、思いを馳せている玉響はいま、気の良い青年といっしょに食べている。心のどこかで青年を感じている。

 玉響が心太(ところてん)を食べる度に、約束が果たされているのだと、翔はつよく信じていたい。


(終)

人間の十年、妖狐の十年。

半妖狐にはきっとどっちの気持ちもわかる日が来ると思います。

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