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白狐ノ草子   作者: つゆのあめ/梅野歩
▼web版小噺
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いまも、ちゃんとおぼえている。

「<四>翔ける阿呆に諦める阿呆」の後日談、米倉の気持ち。

blogに載せていた小話をこちらに持ってきました。



 米倉は昔から足掻く、という行為は好きじゃなかった。


 物事に対して勝算のある足掻きならば、足掻いた結果が実を結んだ現実を受け入れ、その労力は無駄じゃなかったと安心できる。


 けれども、そうでなかった場合、勝算がなかった場合、足掻いたところでそれは「悪足掻き」にしか過ぎない。見えている負けを分かっていながら、足掻いたところで何も変わらない。寧ろ無様だ。


 そう思っているから、米倉は悪足掻きが好きではなかった。

 無駄な労力を費やすくらいなら最初から負けでいい。潔く諦めた方が賢い。適当に結果に見切りをつけて動いた方が効率的だ。


 そのようなことを常々思っている。

 思っていた。


 いまもそう思っている。


 だから、今回も適当に役目を終えて、さっさと成るようになれ、と思っていた。

 牛鬼に内側から喰われている。

 取り憑かれた右目はどうしようもない。

 すでに記憶をいくつも失っている。


 そう、だから、そう。お利口さんに、賢く、お行儀良く、自分なりに空気を読んで始末をつけてもらおうと思った。


 なのに、この有様はなんだ。

 米倉は参道につくねんと、ひとり座り込み、砂を握り締めていた。

 きっと首を捻った先の鳥居では、腹立たしい狐が己のことを待っている。米倉を嘘つき呼ばわりした狐は、こちらの気遣いや配慮なんぞガン無視して「死にたくないくせに」と鼻で笑ってきた。米倉の気持ちも願いもあしらってきた。なんて狐だ。高校時代はあんなに面倒看てやったというのに。


(なにも、知らないくせに)


 米倉は砂を投げた。

 むしゃくしゃが止まらない。

 せっかく不安も恐怖心も自分自身の願いもかなぐり捨てて、諦めて、誰かのために役立とうと思ったのに。あいつのせいで、狐のせいで、全部がおじゃんだ。足掻きたくないのに足掻きたいと思う自分がいる。どうしてくれる。この気持ち。


(こんな俺、手遅れだろうがよ)


 傍から見ても手遅れだと分かる現状。

 だから、だから、だから怖くて、死にたくなくて、苦しくて、現状を受け入れるのがしんどいから諦めようと思ったのに。思ったのに狐は無責任なことを言い放った。こんな自分に手を貸すと、自分の忘れた記憶は狐が憶えておくと。

 腹立たしいったらありゃしない。

 何を格好つけなことを言っているのだ。

 何もできないくせに。

 何もできっこないくせに。


 それでもどこか、心救われる己がいて、それがすごく悔しくて。


(ばかになれってか。くそったれ)


 やめだやめ。

 空気を読むだけ、ばかをみるのはきっと米倉だ。

 ああ、むしゃくしゃする。幼馴染病でめそめそしていた狐に、こんな気持ちにさせられるなんて。

 さっきのがハッタリだったとしても、法螺(ほら)だったとしても、なんだったとしても米倉は狐のせいでばかになった。それは確かなこと。


 もう一度砂を握り、それを適当にぶん投げると、軽く手を叩いて立ち上がる。

 足軽に鳥居に向かえば、耳をこちらに向ける狐が一匹。

 米倉が近づくと、さっさと背中を向けて石段をおり始める。ちっともこっちを見てくれないのは狐なりの優しさなのか、それとひどい顔だと暗喩する嫌味なのか。

 無言で石段をおりる狐の背を見つめ、米倉も石段をおりる。


(……南条、足を悪くしてたな)


 狐の足取りはぎこちない。

 そういえばこの狐は足を悪くしていた。

 米倉が知る限り、狐はいつも松葉杖をついて歩いていた。

 なのに、杖が見受けられないのは……おおよそ米倉の目玉を抉る茶番のために松葉杖を置いてきたのだろう。大した狐だ。その覚悟は認めてやっても良い。


 ふと米倉は狐の姿を見つめ、見つめて、あることに気づく。



「南条、お前ってさ。そんな小さかったっけ?」



 妙に背丈が小さく見える。

 すると狐は足を止め、小さな笑声を漏らしながら「いいや」と否定する。


「俺は変わってねーよ。変わったのは米倉、お前だ」


「なんも変わってねえけど」


「たぶんお前はまだ伸び盛りだろ? 俺は十七からこのままだ。百年後もきっとこのままだ。人間と時間の感覚が違うんだよ」


 米倉は狐の事情を何も知らない。

 けれど話の前後から予想するに、狐は妖狐になった瞬間から、人間と同じような時間は過ごせなくなったのだろう。ゆえに狐はこのままだと言った。来年も再来年も百年後もこのままだと言う。

 それを聞いた米倉は自然と鼻で笑ってしまった。そして口から出たのは「うそつけ」


「単にお前の成長期が終わっただけじゃねーの?」


 三尾の体毛が逆立ってきたので、米倉は口笛を吹き、狐の表情を予想する。

 おおよそ、口元を引きつかせているのだろう。ざまーみろ。これくらいの仕返しくらいさせろ。

 足を止める狐と同じように、米倉も足を止める。


 そして言う。


「来年もおんなじことを聞いてやるからな。南条覚えておけよ」

「……来年おんなじことを聞いたら、その目ん玉引っこ抜いてやるから安心しろ」

「こえーの」

「覚えておけよ」

「都合の良いアタマしてるから、忘れるかもしんねぇ」

「うぜぇお前。立ち直った瞬間これだ」


 米倉は笑った。

 なよなよとした悲劇のヒロインぶっていた方が良かっただろうか?

 そんなことしたってキモイの一言で背中蹴っ飛ばしてくるのだ。だったら生意気の一つ、嫌味の二つ、お小言の三つ言っても許されるだろう。


「南条。お前とどうやって出逢ったか、もう俺は憶えてねーんだ」

「そうか」

「お前は憶えてるんだろ」

「ああ」


「じゃあ、それでいい。お前が憶えてるなら、そんでいいって思えてきた。南条クンのせいでな。ああ、けど俺に傷心を負わせた、さっきの南条クンは忘れてやんねえ。ずーっと憶えておいてやるから。死んでも憶えておいてやるから。一生恨んでやらぁ」


「お前って意外とねちっこい奴だったんだな。一生言われそう」

「嬉しいだろ?」

「へえへえ、嬉しいですよ」


 悪態をつき返す狐は一度たりとも、米倉の方を振り返らなかった。

 ああ、腹立つ。また気遣われてしまった。くそったれ。

 どうせ日輪の社に着くまで、こっちを向くつもりはないのだろう。それくらい情けない顔をしているのだろう。大体誰がそんな顔にさせたのか。


 だから隙を見て、無理やりこっちを向かせて、そんでもって、めいっぱいデコピンをしてやろう。


 気遣われるばかりなんて、正直可愛い性格を米倉聖司はしていない。

 おなじように、気遣うばかりなんて、正直格好良い性格を南条翔はしていない。


 少なくとも、二人の間にそんな遠慮し合う関係はない。

 米倉はそのことをちゃんと憶えている。いまも、ちゃんとおぼえている。


(終)

永い時を生きる狐はいつか、短い時を生きる人間もいつか、忘れてしまう。

それでも忘れられない関係があったことは、ちゃんと憶えている。


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