白狐さまの朝遊び奇行騒動
季節が少しずれてしまいましたが、ふたたび。
続・白狐の奇行、悩める赤狐、相談される雪童子と烏天狗のお話。
「翔くんを見張ってほしい……え、またですか?」
小舟のようなお月様が地上を照らす師走の夜。
雪童子の雪之介は素っ頓狂な声をあげた。
場所は日輪の社の大広間。
古くから付き合いのある烏天狗の名張天馬と共に呼び出された雪之介は、おずおずと天馬と顔を見合わせた後、相談主を静かに見つめた。
三尾の妖狐、白狐の南条翔を見張ってほしい、と頼んできたのは彼と双子関係を結ぶ妖狐。六尾の妖狐、赤狐の比良利であった。二度目の相談であった。
「翔くん。また奇行を起こしているんですか」
雪之介は恐々と比良利に疑問を投げる。
以前、雪之介と天馬は翔の奇行に悩んだ比良利に相談を持ち掛けられたことがあった。
白狐の様子がおかしい。けれど誰にもその心を見せない。様子がおかしくなるばかりなので雪之介と天馬に見張ってほしいと頼み、その末路は異界の食事が厭になっていた、というお笑い種なものだったが……。
比良利は小さく頷いた。顔は少々やつれていた。
「ぼんの奴、また我らに心を見せなくなってしまってのう」
「詳しくお聞きしてもいいですか」
雪之介の問いに、比良利はまたひとつ頷く。
「師走は神職にとって、非常に目まぐるしい月となる。特に年の瀬から三が日にかけて、煤払い、年越の大祓、初詣、若水の義、歳旦祭……とにもかくにも神事が詰まっておるゆえ、常に走り回っておる。まさに師走の言葉通りぞ」
「神道にとって目まぐるしい月ですよね」
「左様。それゆえ休める時に身を休めることを我らは徹底しておるのじゃが、どうもぼんは我らの目を盗んで朝遊びをしているようでのう」
「はい?」
「翔が朝遊びですか」
「うむ、朝遊びじゃ」
朝遊び。
ヒトの世界でいう『夜遊び』に類似する異界の造語である。
比良利曰く、近ごろの翔は朝遊びを熱心にしているとのこと。
「あの翔くんが朝遊びをねえ」
雪之介は腕を組み、にわかに信じがたいと進言した。
心から神主道を大切にしている翔が朝遊びをしているとは、とても想像しにくい。彼は一にも二にも神主修行、南の頭領として学びたい、強くなりたいから稽古をつけてくれと主張する狐である。
遊びより学びばかり取るので、祖母のコタマに何度も叱られていると話を聞いていたのだが……。
「本当に朝遊びをしているのですか」
天馬が眉を寄せた。武の師として聞き捨てならない様子。
比良利は脇息に肘を掛けると、深いふかいため息をついた。
「まことじゃよ。我らは奉仕を終えると憩殿に帰宅して就寝する。ぼんや青葉はヒトの世界に帰宅する。さりとて、ぼんはあまり就寝せず、ふらっとヒトの世界を歩き回っているそうじゃ」
一日二日ならば『気晴らしがしたいのだろう』で済んだ。
けれど七日経っても十日経っても、ちっともアパートで体を休めず、ふらふらっと向こうの世界を歩き回っている日々。
同居人の青葉やギンコ、おばばが声を掛けても、「夕方の奉仕は出るから」と言うばかり。何をしているのだと聞いても散歩の一言。思い切って彼の後をつけようとしたら、勘づいていた翔がさっさとバスに乗り、尾行する青葉たちを撒いてしまったそうだ。
それだけでも頭が痛いのに、近ごろの翔は少々やつれている比良利に負けず劣らず、目にクマができている。
ならば朝遊びなんぞせず、さっさとアパートで身を休めたらいいものを……。
しかも夕方になると翔から様々な匂いがこびりついている。菓子の甘い香りに、花の香り、鼻につく妙ちきりんな化粧の匂い、数多の人間の匂い。散歩にしては多くの匂いをもらって帰宅してくる。
「そのような匂いを発していれば、誰しもが朝遊びしているのではないかと疑うもの。さらに」
「え。まだあるんです?」
「ふむ、我らは馴染みがないが、ヒトの世界では交信に使う機器があるじゃろ。何と申したかのう。け、けい」
「携帯ですね」
「それじゃ天馬。ぼんは奉仕が始まるまで、ずっとそれを見ておる」
つまるところ携帯を弄っているとのこと。
「毎日朝遊びをし、奉仕が始まるまで機器を見続け、ぼん自身は誰にも何も語らず……これには我らも参ってのう」
師走の多忙な時期に朝遊びを繰り返す奇行に青葉たちは悩み、双子である比良利に相談した。
事情を聴いた比良利はさっそく翔に朝遊びをしているそうじゃないかと、少々威圧的に尋ねてみたが、翔の答えは「さ、散歩だってば」と、見事に目を泳がせていた。一貫してしらばっくれる態度を見せた。
散歩と言われたら強く咎めることはできない。
朝遊びをしている証拠もないので強く言うこともできない、が、それにしてもである。
「やんちゃで済む朝遊びであれば良いが、あまりにも素行が悪いと噂好きの妖たちが南の神主に疑心を抱いてしまいかねぬ」
比良利は一件についてもっと深く踏み込みこもうと思っているものの、どうしても師走の忙しさに囚われてしまっている。猫の手も借りたい状態なので、雪之介と天馬に声を掛けたと状況を説明した。
なるほど事情は分かった、が、ずいぶんと違和感のある話である。
「翔くんらしくないですね」
「そうさな。わしも思ってる」
「朝遊びか。翔くん……好きな子でもできたのかな」
「しかし錦……神職である以上、伴侶は持てない。翔もそれは知っている」
「おなごと遊びたい気持ちはわしも分かるが。なにも師走の頭から朝遊びをせんでも」
「…………」
「…………」
「なんじゃい、その目は」
「いえ、特には」
「あはは。翔くん、悪い女の人にでも引っ掛かったのかな」
冗談はさておき、とりあえず状況を整理したい。
翔は朝遊びを始めた。比良利の話によれば師走の頭から始めたとのこと。
神職狐らが声を掛けても、問い詰めてもまったく口を割らず、一貫して散歩をしているだけだと主張。けれど寝る間を惜しんで何かをしているのは確か。
比良利は翔の朝遊びの実態を調べてほしいのだろう。見張ってほしいとはそういうことだ。
「承知いたしました。翔の朝遊びは我らで探りを入れてみましょう」
「どうぞ翔くんには内緒にしてもらえると」
雪之介と天馬は二つ返事で承諾すると、さっそく計画を立てた。
いたってシンプルな計画であった。朝遊びをする翔を尾行する。以上。
青葉たちを撒けたのはバスを利用したからだろう。神職狐はヒトの世界の文明に疎いのだ。
しかし、今回尾行するのはヒトの世界で暮らす妖。そう簡単に撒かれることはない。
「翔は五感の優れた妖狐だが、ヒトの世界では人間に化けていることが多い。適度に距離を取っていれば、気づかれる可能性は低くなるだろう。朝遊びで注意散漫になっていればなおのこと」
「カラスを使いながら尾行する?」
「そうだな。それが最もやりやすい手法だ」
「決まりだね」
計画の方針が固まったところで早速実行に起こす。
比良利から相談を受けた翌日の朝、雪之介と天馬は翔を尾行するために彼のアパートへ赴いた。
話によれば、翔はアパートで体を休める間もなく、私服も着替えて出かけるそうだが……。
「(あ。来たよ)」
「(これまた一段と酷い顔色をしているな)」
大あくびをしている翔がアパートから出てきた。
私服に着替えている彼は、目をしょぼしょぼさせており、ただただ眠そうである。
ただ足取りはしっかりと目的を持っており、彼はバスに乗って駅まで向かった。適当な喫茶店に入ると、そこで軽食をとって時間つぶし。十時頃に喫茶店を出て駅構内に入る。
あとはただただウロウロ、ウロウロ、ウロウロ……。
「(散歩……駅構内限定の散歩があるだろうか)」
「(うーん。散歩コースにしてはあまりにも範囲が狭いね)」
「(朝遊びとは言い難いな)」
「(だね。店に入っては、すぐ出て行っているみたいだけど)」
駅構内を十分歩き回ると、今度は駅周りを歩き始める。
適当な店を見て回っているようだが、一向に不満げな顔を作っている。
昼過ぎになるとバスに乗って移動。少しだけ高級感のあるデパートに足を運び、ふたたび店を見て回り始めた。花屋や雑貨屋、本屋を見て回った後、おしゃれな酒売り場を見つけ、彼は目を輝かせた。
「すみません。おすすめの果実酒はありますか。できれば甘めの果実酒がよくて。あ、酒飲みです。普段の飲むお酒は…………えーっと甘酒?」
ラッピングされた酒瓶を買うと、今度は菓子屋を中心に見て回る。
適当に店に入ってはすぐに出て行き、店を入ってはすぐに出て行き、時々店に長居したり。時に目を輝かせて、「これならいいかも」とクッキー箱を持って、店員に包装を頼んでいた。
「包装をお願いします。え、メッセージカード? ……どうしようかな。一応つけてもらうかな。あ、メッセージカードは自分で書きます」
紙袋を手に提げて店を出た翔は、デパート内に設置されている休憩所に足を運ぶと、ひとり用のベンチに座った。
休む間もなく携帯を取り出して連絡を取り始める。
「朔夜。ごめん、これからお前の部屋に行く。また荷物を置かせてくれ……ごめんってば。だけど俺の部屋に置けないんだって。あとふたつで買い物終わるから。うん、うん、メッセージカードは飛鳥に頼んだ。俺の字は汚くてバレるからさ。残り? 今日は比良利さんと青葉の買い物が済んだから、あとはギンコとツネキの分かな。ネズ坊たちのはすぐ買えたんだけどな。あいつら何が好きなんだろう。意外と難しいんだよな。油揚げはあまりにも普通だし、包装するにしても贈り物ってかんじじゃないだろ」
適度に距離を置いて、翔の様子を見守っていた雪之介と天馬は視線を合わせる。
小さく噴き出してしまった。
「(そういえば、そういう季節だったね)」
「(師走だからな)」
「(こりゃ翔くん、寝れないわけだ)」
「(あの様子だと全員分用意するつもりなんだろう)」
「(翔くんにとって大事な家族だからね)」
「(携帯を見続けていた理由も分かったな)」
「(うん。きっと翔くん、一生懸命に店を探していたんだろうね)」
「(誰かのためになると、自分のことを顧みない。相変わらず猪突猛進な方だ)」
「(まあまあ、いいじゃない。翔くんらしい朝遊びだったんだから)」
尾行を終えた雪之介と天馬は、さっそく比良利に笑いながら朝遊びについて語った。
あれは奇行でもなんでもない。翔らしい朝遊びだと告げる一方で、どうか今は彼の奇行に目を瞑ってくれないかと頼んだ。
疑問符を浮かべる比良利に「翔くんの名誉のためなんです」と笑いを噛み締め、25日の朝以降はきっと朝遊びもなくなっていると助言した。
「きっと25日の朝に素敵なことが待っていますよ」
そう付け加えて。
その後、雪之介は飛鳥と連絡を取った。
彼女に真相を聞こうと思ったのだが、予想どおりの答えが飛鳥から返ってきた。
『ショウくん。みんなにクリスマスを楽しんでもらおうと思ったみたい。最初はクリスマスを心待ちにするネズ坊たちのためにプレゼントを選んでいたみたいいなんだけど、せっかくならみんなにもクリスマスを味わってもらおうと思いついたんだって。こっそりプレゼントを部屋に置くいたずらをするんだって張り切っちゃってね』
「あはは、やっぱりそういうことだと思った。翔くんらしいね」
『ショウくんは言ってたよ。神職狐たちだって、たまにはご褒美があってもいい。労ってもらうべきだって』
「それ、自分も含まれなきゃいけないことに気づいてるのかなー」
『あれは絶対に気づいてないよ。すっかり準備することに夢中になっちゃってるもん』
自分のことになると、うっかりさんになることが多いから。
飛鳥は始終笑いながら雪之介に語った。
後日、雪之介と天馬は比良利から感謝された。
その頃には年を越して、睦月の下旬となっていた。それだけ多忙を極める日々だったのだろう。
すっかり落ち着いた頃合いを見計らい、比良利は翔の奇行の顛末に語った。
「お主らの言うとおり、ぼんの奇行は25日の朝以降、綺麗さっぱりなくなった」
当時のことをしみじみと語る比良利の表情は柔らかい。
曰く、25日の朝、匿名の贈り物が部屋に置かれていた。それを見た比良利は疑問符を三つほど頭上に浮かべつつ、けれど包装紙から仄かに漂う匂いで翔の仕業だと気づいた。
夜に真意を問おうとしたところ、妖の社に遊びに来ていたネズ坊たちが、サンタさんが来たんだと大自慢。
おもちゃや絵本をもらったのだと鳴き、青葉お姉ちゃんやオツネお姉ちゃんたちにもサンタさんが来たんだよ、と比良利に教えた。
比良利はサンタが何者なのかは分からないものの、そういえば師走の半ばになると、ヒトの世界で盛大に盛り上がる行事があったことを思い出したので、それ関連の単語だと理解した。
ネズ坊たちの話を聞けば、いい子には贈り物がもらえるのだとか。
みんないい子だったからサンタさんが来たのだとネズ坊たちは嬉しそうに鳴いた。
比良利はここでようやっと、朝遊びの真意に気づくことができたそうだ。
ネズ坊たちの喜びっぷりを微笑ましそうに見守る翔を見ていたら、嫌でも気がついたのだとか。
比良利お兄ちゃんはもらった? と聞かれたので、お酒をもらったと目じりを和らげ、翔を一瞥。素知らぬ振りをする正直狐の尾っぽは見事に左右に揺れていた。
――そういえば、翔お兄ちゃんは何をもらったの?
ネズ坊たちが聞いてきたことで、翔は一変して石化。
どうやら自分の分をすっかり忘れていたようで、目を泳がせながら「おせんべいかな」と適当なことを言って凌いでいた。
ほんと? 純粋な目を向けてくるネズ坊たちに堪えられず、境内の清掃をしてくると言って、とっととトンズラしてしまったのだから、笑いが止まらなかった。そこは上手く嘘をつけばいいものを。正直狐め。
「後ほどぼんに聞けば、朝遊びの理由をしかと教えてくれた。そして謝罪してきたわ。純粋に行事を味わってもらうつもりだったが、余計な心配をかけてしまった。今度は上手くいたずらをすると」
「翔くん、またやるつもりなんだ」
「あの方は一度腹に決めると止まりませんからね。またやるでしょう」
「腹が立ったゆえ、今宵はわしから仕返しをするつもりじゃて」
おや、その意味は。
ぱちくりとまばたきする雪之介と天馬に、かの六尾の赤狐は慈愛溢れる微笑みをこぼす。
「ひと月遅れてしまったが神職狐とて、たまの褒美があっても良かろう。師走から睦月にかけて厳しい日程の中、奉仕をこなし切り、見事に疲れて寝込んでしまった狐の枕元に、飛び切りないたずらをしてやろうぞ」
なにせ今日は24日の夜、いたずらをするにはうってつけだ。
比良利は子どものように笑いながら語った。
ああ、なるほど。
それはとてもとても、楽しいいたずら返しになることだろう。
「いったい何をもらうんだろうね。僕らの南の神主さまは」
「きっと素晴らしい贈り物だと思う。翔にとって何をもらっても嬉しいはずだから」
さっそく明日にでも聞いてみようか。
枕元にどんないたずらをされたのか――と。
(終)
翔曰く「枕元に大きな風呂敷があったんだけど、サンタさんのプレゼントはひとり一個って教えれば良かったな」と笑いながら、けれど嬉しそうに語っていたそうな(プレゼントを贈った家族から全員何かしら贈られたそうな)
みなが翔から何をもらい、翔がみなから何をもらったのかはご想像にお任せ。
(協力者:匿名の幼馴染「ショウの奴。僕らに手伝わせてさ」「いいじゃない。私たちは私たちで、三人仲良くケーキを食べたんだから」)




