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白狐ノ草子   作者: つゆのあめ/梅野歩
▼web版小噺
36/77

後に銀狐療法と名付けたそうな

寝不足凶悪な顔になった翔には、とびっきりの銀狐療法で。



 季節は七月。


 彼、三尾の妖狐、白狐の南条翔はここ数日、たいへん凶悪な顔つきになっていた。

 まこと文字通りの凶悪顔で、その顔はこわもての大天狗が見ても、しかめっ面の鬼が見ても、真っ青になることだろう。


 なんなら身近にいる妖狐達を気遣わせてしまっている。

 翔の顔を見た青葉からは「甘い物を用意しましょうか?」、比良利からは「今日の学びはやめようぞ」、紀緒からは「もしや体調が悪いのでは?」、おばばからは『睡眠不足だねぇ』等々などなど。


 そう、的確な答えを出しているのはおばばで、翔が怖い顔になっているのは寝不足のせいだった。


 ここ最近、大学の課題と神主の奉仕と私生活の問題が面白いように重なり、睡眠時間を削った結果、このような顔になってしまった。


 大学の課題についてはレポート提出がえぐいえぐい。

 共に講義を受けている雪之介や天馬から、ひとつくらい課題を落としても大丈夫では? と助言を受けるくらい、課題の量が山になっていた。が、翔は自分の意思で大学に通うと決めているので、これを落とすわけにはいかない。


 神主の奉仕については当然、自分でこの道を進むと決めたので、絶対に休むわけにはいかない。学びも稽古も作法も、絶対にやり通すと覚悟しているので、これを投げるわけにはいかない。


 私生活の問題については、少々干渉的になってしまった両親が定期的に実家へ帰って来い。昼夜逆転している睡眠時間を元に戻すためにも、誰かが傍にいた方が良い、と訴えてくるので、これを説得するのに時間を要している次第。しかも干渉的になった理由は己にあるので、下手にあしらうこともできない。時間を掛けて説得する他ない。


 そんなこんなで目の前の課題、奉仕、問題を片していたら、睡眠時間が犠牲になってしまった。


 眠い、いやでも眠るわけにはいかない。

 その前にやることがある。自分に言い聞かせて過ごした結果、目の下にクマができてしまった。それ凶悪な顔つきになっている原因になっているのだが、翔本人はとくべつ機嫌が悪いわけでもないし、怒っているわけでもない。声を掛けられたらいつも通りに返事するし、笑い返すことだってあるのだが、それを見た相手は冷汗を流しながら気を遣ってくる。

 いやいや、ほんとうに怒っていないし、機嫌が悪いわけでもないのに……翔の顔を見た相手は、おろおろとご機嫌を取ってくるのである。


 ちなみにこの顔を見て大笑いしてきたのは幼馴染二人である。

 久しぶりに顔を合わせたと思ったら、「その顔は子どもに泣かれてもおかしくないから」「どんな無茶をしちゃったのショウくん」と、声を出して笑ってくれた。さすがは幼馴染。まったく遠慮ない意見をどーもである。


 ああ、そうだ。

 昨日、突然部屋に訪問してきた悪友にも会った時に大笑いされたっけ。

 「南条、そりゃ幼馴染病を患っていた時の顔だぜ。幼馴染にフラれた時の拗ね顔だ」なんぞと腹を抱えて笑われた。うるせえほっとけである、腹が立ったので、脛を蹴っておいた。


 しかし、ああ、しかし。

 本当に凶悪でひどい顔をしているのだろう。

 見かねた比良利が今日から三日、社に来てはならない。奉仕も出るな、ときっぱりすっぱり出禁命令を下してきた。もしも社に顔を出したら、問答無用で布団に入れて縄で縛る。結界の張った納屋に放る、なんぞと脅してきた。ついでにもっと生活を改めるよう叱ってきた。

 とても不満である。自分はちゃんとやるべきことをこなしているだけなのに! ちゃんとやるべきことをひとつずつ片しているだけなのに! どうして怒られてしまうのだ!


「はあ。暇だ」


 二段ベッドの下段に寝転がり、扇風機にあたりながら携帯を弄っていた翔は口をへの字に曲げて、持っていたそれを枕元に放る。

 三日間社に来てはならない、と言われた手前、妖の社に行くことはできない。

 だったら大学に……もう行ってきた。講義を受けてきた。夜間大学に通っている手前、長時間構内で過ごすことはできない。午前様には閉まってしまう。

 ひとりでファミレスに行ってもツマラナイし、かと言って大学の友人らを誘おうとすれば口を揃えて「寝てください」


 ああもう、みんなツレナイ!


(青葉とギンコは妖の社にいるし、ネズ坊達はおばばと夜の散歩。雪之介、天馬、夕立は帰って寝ろの一点張り。なんだよもう)


 確かに目の下のクマはひどいが、調子はすこぶる良い。

 なにより、寝ようとしてもあれこれ今後のことを考えてしまい、ちっとも睡魔が来てくれないのだ。

 「暇だなぁ」声に出して唸り、「つまんねぇー」声に出しては喚き、「寝れねーって!」声に出しては怒れた。八つ当たりに近い感情を抱いてしまった。


(しゃーない。暇つぶしにアプリゲーでも落としてみっかな)


 久しぶりにゲームでも堪能してみようかな。

 体勢をうつ伏せにすると、適当に流行っているアプリゲーを落としてみる。ダウンロードが終わったところで、ベッド柵から気配を感じた。顔を上げれば、むぎゅ、と獣の両前足が翔の瞼を押さえた。

 手探りで両前足を捕まえれば、今度は携帯を取られてしまった。犯人は青葉と妖の社へ行ったはずの銀狐。尾っぽを揺らし、翔の携帯を銜えている。


「ギンコじゃんか。お前、どうして部屋にいるんだ?」


 ギンコはたいへん自由気ままな狐なので、妖の社にいることに暇を感じてしまったのやもしれない。もしくは青葉と喧嘩をしてしまったか。

 「ツネキと今日は遊ばないのか?」翔が携帯に手を伸ばす。ふい、ギンコは右を向いた。

 「青葉と喧嘩をしたわけじゃないよな?」翔が携帯に手を伸ばす。ふい、ギンコは左を向いた。

 「お八つを食べに来たとか!」翔が携帯に手を伸ばす。ふい、ギンコは真上を向いた。


 なるほど、携帯を渡す気はないらしい。


「じゃあ、俺と遊ぶか? んー?」


 するとどうだ。

 ギンコは己の尾っぽを伸ばし、翔の視界を奪おうとしてくるではないか。

 なるほど、なるほど、ギンコは寝ろ、と言いたいようだ。可愛いギンコの頼みなので、ぜひとも聞いてやりたいものの、ちっとも眠くないのが現状だ。

 耳を垂らして重いため息をつくと、ギンコは何かを察したのだろう。ぽいっと携帯をベッドの外へ放り、思い立ったようにベッドから下りた。


「ギンコ?」


 ベッドから身を乗り出すと、銀狐は器用に鼻先と尾っぽを使って冷凍庫を開ける。そしてソーダアイスを見つけると、袋の端を銜え、後ろ足で颯爽と閉めた。


 いっしょに食べよう、いっしょに食べよう。

 そのようなことを目で訴え、目を輝かせ、ぶんぶんと尾っぽを振って、ソーダアイスを持ってくるので、翔は思わず声を出して笑った。

 銀狐の頭を撫でると、扇風機の前に移動してあぐらを掻いた上にギンコをのせた。


「んまい」


 封を切って、ソーダアイスをかじる。

 見上げてくるギンコの口元に運んでやれば、銀狐は嬉しそうに、アイスを一口かじった。美味そうに食べるギンコが可愛いのなんのって。

 おもむろに扇風機に向かって声を出し、その変化を楽しんでみる。

 クダラナイことだが、昔はこうやってよく扇風機の前で声を出したものだ。

 と、ギンコが首をかしげると、きゃあきゃあ、と扇風機の前で鳴き始めた。声の変化で遊び始めたので、翔も一緒に声を出して遊ぶ。それだけで楽しい気持ちになった。


 アイスを食べ終わると、ギンコと一緒にシャワーを浴びた。

 青葉がいたら、ものすごい剣幕で文句を言われただろうが、生憎彼女は留守。翔自身もたまにはいいだろう、とすっかり気が緩んでいた。

 ギンコとぬるいお湯を浴び、シャンプーで泡を立てて遊び、ひと時を過ごす。


 上がる頃には少しだけあくびが出るようになった。

 それでもまだ眠気が足りないので、テレビを見ながら自分と銀狐のドライヤー掛け。髪や体毛が乾いた後は、適当に流行っている音楽を携帯で流した。

 その音に乗ってキャッチボールをしよう、とギンコがゴムボールを銜えてきたので、しばらくはそれで遊んだ。


「あ、なんだよ。飽きたのか?」


 ボール遊びに飽きると、ギンコは翔の膝に乗って抱っこをねだってくる。


「しょうがない奴だな」


 腕に抱いてやれば、薄い舌が何度も翔の頬を舐めてきた。

 嬉しそうに尾っぽを振ってくるので、つい翔も嬉しくなって顔を舐め返した。忘れかけていた戯れ合いを思い出し、ついつい軽く甘噛みをしたり、耳を舐めたり、クンクンと鳴いて愛情表現を示してしたり。

 さすがに唇に鼻先を押してあてられた時は、ツネキの顔が過ぎり、苦笑いをこぼしてしまったが、翔にとってギンコは目に入れても痛くない狐。

 結局、同じように鼻先を口に押しあてて気持ちを返してしまった。


 大あくびがこぼれ始めたのは、流行りの音楽が携帯から途切れ始めた頃。

 翔は重たくなった目をこすると、携帯の電源を落として、洗面台の前に立った。歯を磨くために歯ブラシを取ったところで、鏡越しに己の顔を確認。

 そこにはやつれこけた顔をした狐が一匹。頼れる面影はまるでない。


「これが南の神主、なんてな」


 みなに気を遣わせてしまうはずだ。

 自嘲をこぼしたところで、ギンコが足元に座り、じっとこちらを見上げてくる。

 目はつよく訴えていた。どうしてそんな顔をするの? みな努力している翔を知っているよ。自分はそんな翔が好きだよ。情けなくても、無理しても、やつれこけても、それでも己の道に進もうとする自分を、どうして卑下するの? と鼻を鳴らし、切に伝えてくる。そんな気がした。

 翔はギンコを見つめ返し、見つめ返して、そっと頬を緩める。


「分かってたんだ。自分の許容を超えていることくらい」


 それでも変に負けず嫌いが出て、まだやれる。あとちょっとやれる。周りがあれこれ言っても、意地を張ってしまう。先代は鬼才、自分は凡才。見合うための対価は努力しかない。それが報われるわけではない。むしろ約束されていないので、空回りすることもあるだろう。

 でも、やっぱりその努力無駄だと思いたくないから、今回みたいにあれこれ欲張って無茶をしてしまう。これからも、そんな自分を変えることは難しいだろう。


「いつも迷っている。どうあるべき姿が正しい神主なんだろう。みなの理想の神主なんだろうって。近道なんてねーのに、楽して理想の神主になるための近道を探す俺もいる。全部分かっているんだけどな、自分の限界がどんくらいかなんて」


 それでも自分の決めた道から逃げたくない。

 分かっていてもやめられない。


 翔は苦々しく笑い、「だからギンコが思い出させてほしい」


「今日みたいな日常の楽しさを。一日二日くらいダラダラ寝て過ごしても、俺は自分の決めた道から逃げていない。足を止めているだけだって教えてくれ。限界を超えていたら、俺に楽しい気持ちを思い出させてほしい」


 真摯に願い申し出ると、ギンコは得意げにクオン、とひとつ鳴いて尾っぽを振った。

 獣の表情に笑顔、はないけれど、確かにギンコは笑っていた。当たり前だと笑っていかけ、大丈夫、傍にいるよ、と優しく鳴いてくれた。それが翔の心を軽くしてくれた。


 口をゆすいでベッドに入る頃、翔の意識は深い闇に沈みかけていた。忘れていた睡魔がどっと襲ってきたので、すぐにでも寝てしまいそうである。

 だから翔はギンコを呼んだ。一緒に寝ようと声を掛け、それが懐に入ってくると頭を撫でながら、ゆるりと瞼を下ろす。


「ぎんこ。あすもさ」


 クン、と鳴き声がひとつ聞こえる。

 返事をしてくれているのだろうか? ああ、意識が飛ぶ。


「いっしょにいてくれな。あすも社に行けないから、だから、おれといっしょに遊ぼう」


 明日はどうしようか。

 いっしょにテレビを観ても良いし、キャッチボールをしてもいいし、公園で走り回ってもいい。ああ、夜の散歩をしてもいいかな。少しだけ遠出をしてもいいかもしれない。内緒で遠出をしても、いいかもしれない。

 生温かい舌が頬を滑ったが、翔の意識はすでに夢の中。

 ギンコはそれを見守ると、タオルケットを銜え、そっと翔の肩にかけた。小さくあくびをこぼして尾っぽを丸めると、放られた腕に顎を置いて目を閉じる。

 明日と言わず、オツネは、南の神主が愛してくれるギンコは、いつでも傍にいる。だから安心してほしい。安心して眠ってほしい。


 ああ、でも――明日は、あさっては、どうかギンコだけの翔で。

 こんな機会滅多にないのだから。




 それから三日後、完全に寝不足が解消され、凶悪な顔から少年の顔に戻った翔は凄まじかった。

 何が凄まじかったか。それはもう、元気の良さも然り、気の入れようも然り、なにより。


「そんでな比良利さん。昨日はギンコと一緒に散歩したんだけど、あいつが木登りした時の後ろ姿がめちゃくちゃ可愛くて」

「……ぼん、勘弁してくれ。それ何回目じゃ」

「まだ四回目なんだけど。俺、語り足りない」

「はあああ、オツネにお主を頼んだらこれじゃっ!」


「朔夜、飛鳥、ギンコと朝飯を食べた時の写真なんだけどー!」

「昨日LINEしてきたってそれ」

「え、昼寝の写真? 仕方ねーなぁ。待ってろ」

「聞いてないよ。朔夜くん」


「でなでな。ギンコったら俺の脱いだ服を着ようとしてさ!」

「翔さまとオツネさまは、本当に仲が宜しいですね!」

「分かるか夕立!」

「はい!」

「可愛いよな!」

「はい!」


「天馬くん、白木さんってすごいね、翔くんのオツネちゃんトークについていけてる」

「たぶん、半分は勢いで頷いていると思うぞ。錦」


 翔持ち前のギンコばかが炸裂したとか、なんとか。

 ある者はその語りの勢いに気圧され、ある者はその語りに頭を抱え、ある者は真剣にその話を聞いて相づちを打っていたという。

 なお、翔のギンコ語りについていけたのは最初で最後、白木夕立だったとかそうでなかったとか。


銀狐療法は正しく利用し、第十代目南の神主に与えてください。

※ただし療法後はたいへん銀狐語りを始めますので、何卒ご注意ください。

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