以津真天、いつまで
以津真天という妖のお話
三尾の妖狐、白狐の南条翔はその日、以津真天という怪鳥を保護した。
それは鳥のような顔と翼を持ちながら、蛇のように長い胴を持っている、それはそれは不気味な声で「いつまで」と鳴く奇妙奇怪な化け鳥であった。
以津真天は全身の羽毛が落ちており、まったく飛べる状態ではなかった。
どうやら白狐が統べる南の地の住宅街に棲みついていたようで、一角のマンションに設置されているゴミ捨て場のゴミを漁っているところを、通りすがりのぬらりひょんに拾われ、月輪の社へ届けられた。
以津真天はたいへんおとなしい性格で、その都度「いつまで」と大きな声で鳴くものの、抱き上げられても暴れる様子はなく、ゆったりと翔の膝の上に座っている。優しい性格も持ち合わせているようで、羨ましそうに膝を見つめるギンコに気づくと、うんっと首を傾げて場所を空けようとした。
以津真天の頭を撫でてやると、気持ち良さそうに「いつまで」とこぼし、クルルル、と喉を鳴らす。奇怪ではあるが愛敬のある妖なので、翔は人知れず笑みをこぼしてしまう。
「青葉、以津真天はまた飛べるようになるんだよな?」
先ほどまで付喪神の一聴に以津真天を診察してもらっていたので、その結果を狐巫女の青葉に尋ねる。
「はい。しかといただいたお薬を塗って安静にしていれば、元通りの美しい羽毛が生えてくると一聴殿は申していました」
以津真天が翔の膝から下りた。
ギンコと顔を合わせると、二匹楽しそうに大広間の中を走り始めたので、さっそく心打ち解けた様子が窺える。
「なぜ羽毛が抜け落ちていたのかは、原因が分かりかねている、とのことですが」
「そうか。妖同士の縄張り争いや、瘴気の後遺症が原因かと思っていたけど」
南の地に南の神主が戻っても、簡単に荒れたその地を治めるのは難しい。
翔が神主に就任する少し前は瘴気が蔓延していた地なので、てっきり瘴気の後遺症で羽が抜け落ちたのではないか。もしくは人の地で縄張りを張っている気性の荒い化け物に襲われたのではないか、と考えたのだが、どちらも予想は外れていそうだ。
走り疲れた以津真天を抱き上げて、顔を合わせると、「いつまで」と鳴き声をひとつ。優しく鼻先突いてくる。
「面白い鳴き声をしているな。お前。なんで『いつまで』なんだ?」
『それはね坊や。この子が死人の霊から生まれた化け鳥だからさ』
「おばば?」
大広間に猫又のおばばが入ってくる。
物知り婆さんは以津真天のことを詳しく教えてくれた。
曰く、以津真天は非業の死を迎えた死者や弔われなかった死者の念が化け鳥として具現化したもので、「いつまで。いつまで」と鳴くのは、いつまで屍を放置しているのか。死者を見捨てたままにしているのかと、生者に非難を込めて鳴いているからだという。
『以津真天が棲みつく場所には、弔われなかった死体が転がっていると言い伝えられている。この子はマンションのゴミ捨て場で保護されていたと言っていたね』
「ああ。ぬらりひょんの話によると、ゴミ捨て場のゴミを漁っていたって」
『気掛かりだねえ。以津真天の羽が抜け落ちたことも、そこに行けば何か分かるやもしれないよ』
翔と青葉は顔を合わせると、以津真天を見つめた。
化け鳥はうんっと首を傾げて、またひとつ、「いつまで」と鳴いた。
◆◆
翌夜。
以津真天の羽が抜け落ちた原因を探るため、翔は青葉やギンコと共に化け鳥が棲みついていたマンションのゴミ捨て場へ足を運んだ。
ちなみに以津真天も一緒に来ている。
本当は留守番をしてもらおうと思ったのだが、賢い化け鳥は翔達が自分の棲み処に行くのだと察し、無理やりついて来てしまったのである。
はてさて。
以津真天は自分の棲み処に辿り着くや、さっそくゴミ捨て場のゴミを漁り始めた。以津真天は生ゴミを食べるような化け鳥ではない。なのに化け鳥は一生懸命に、ゴミ袋を食い破ってゴミを漁っている。翔が止めてもまったく聞く耳を持ってくれない。
やがてゴミの中から餌らしきものを銜え、ゆるりと顔を上げた。否、それは餌ではなかった。小さすぎる命尽きた犬であった。目も開いていない獣の赤ん坊であった。
それを銜えるとゴミ捨て場から出て、細道の土の上に置いて、ひとつ「いつまで」と鳴いた。
抜け落ちて無くなっているはずの羽毛を毟った振りをし、獣の上に載せる仕草を何度も見せた。やさしい化け鳥はそうして死者を弔おうとしていたのだろう。そうして死者を慰めようとしていたのだろう。そうして死者に寄り添おうとしていたのだろう。
よく目を凝らせば細道には骨と羽毛が点々と散らばっている。これが抜け落ちた原因なのだろう。
翔は下唇を噛み締め、そっと泣き笑いを浮かべると、以津真天の隣でしゃがんだ。
「お前がゴミ捨て場に棲みついた理由が分かったよ。以津真天、お前は助けたかったんだよな」
でも、どうすればいいか分からない。
死者の傍で「いつまで」と鳴くことしかできない。
非業の死を迎えた死者が此処にいることを知らせることはできても、それ以上のことができない。心優しい以津真天は悲しみに暮れたに違いない。
それとも、以津真天もまた死者が具現化された妖。己の死を重ねて、死者を慰めたい気持ちに駆られていたのやもしれない。それは翔にも分からない。
ただひとつ言える。
以津真天は死者を慰めようと、ここに留まっていた。名前も知らない死者のために。
翔は側に咲いていた一輪の花を摘み、そっと獣の傍に置いて手を合わせた。
「ここにいる死者は俺の我が子。手厚く弔うと約束する。以津真天、この子達のために身を削って傍にいてくれてありがとう」
以津真天は、何も言わない。「いつまで」と鳴く様子もない。
ただ「いつまで」もここに放置されている死者が慰められることが分かったようで、安心したように身震いをすると、翔を真似るように側の花を摘み始めた。
「以津真天。人間を許してくれ、とは言わない……お前が慰めようとした死者はあまりに身勝手な都合で死んでいった。だけど」
以津真天は顔を上げて、翔を見つめる。
物言いたげな眼を向けてくる以津真天を抱き上げると、ゴミ捨て場に視線を投げた。
そこにはマンションの住人らしき人間が青い顔で小さな獣らを拾い、必死に救おうとする姿が。獣の命を粗末にしたのは人間なので、あれを見ても気持ちは割り切れないかもしれない。が、救おうとする人間がいることもまた現実なのだ。
「ああいう人間がもっと増えるといいな」
すると以津真天は小さく頷き、頷いて、「いつまで」と鳴いた。
こうして以津真天の羽毛が抜け落ちた原因を突き止めた翔は、以津真天の気持ちを汲んで、非業の死を迎えた死者たちを手厚く弔った。
以津真天はたいへん嬉しそうに花を摘んで、死者にそれを捧げていた。
毛を毟ることもなくなったので、すっかり羽毛も生えそろい、飛ぶことができるようになった。
近頃は月輪の社と人の地を行き来し、毎夜を楽しく過ごしているようだ。
そうそう。以津真天はまだあのマンションのゴミ捨て場に行っているらしい。
月輪の社に棲みつき始めているので、てっきりマンションのゴミ捨て場にはもう行かないと思っていたのに、きっと心残りがあるのだろう。
そのことをおばばに話すと、猫又は複雑な顔をして、小さく鳴いた。
『以津真天はその性分から、弔われなかった死者の傍に赴く習性がある……からねぇ』
「まだ弔われなかった死者がいるってことか? だったら申し訳ないことをしたな」
『いや、坊やはきっと約束を果たしていると思うよ。ただ』
以津真天もまた、歪んだ生き物であり、念から生まれた化け物だから。だから。
おばばはひげを垂らし、しゃがれた声で言葉を繰り返していた。
妙に嫌な予感がした翔は同じことを双子の対に話した。
赤狐は話を一通り聞いた後、無用な詮索はしない方がいい、と助言をした。以津真天とて一介の妖、誰かに日常を干渉されるようなことはされたくないだろう、と返事した。
赤狐はやけに上機嫌に、妖しく笑っていた。
それがまた嫌な予感を抱いて仕方がないのだが、翔は思いとどまることにした。彼の言う通り、干渉は良くない。問題を起こしているわけでも無いので、以津真天には好きに過ごさせなければ。
「翔殿、以津真天が戻って来ましたよ」
朝日が昇れば以津真天は帰って来る。
迎えに出てやれば、肩に乗ってお八つをねだってくる。時にギンコやツネキと追いかけっこをしていることもあるので、大丈夫だろうと思い込むことにした。
あの子は優しい性格の持ち主だから、だから、きっと人間のいる世界で問題を起こすようなことはしない。
うん、大丈夫。杞憂だ。
「以津真天。お饅頭があるから、縁側で一緒に食べようぜ」
翔の誘いに以津真天は、うんうん、と頷き、「いつまで」と鳴いた。
そんな噂の以津真天は毎夜、棲み処にしているマンションのゴミ捨て場、ではなくマンションのベランダを訪れている。
そこは六階の部屋で、ベランダには空き缶が詰めらているゴミ袋が密集していた。
化け鳥は半開きになっている窓に首を突っ込み、ゲージだらけの荒れている部屋を見回す。
空っぽのゲージたちの向こうで、大きな生き物が倒れているのを確認すると以津真天はそれの傍に座った。
非業の死を迎えた死者が此処にいる。その死を誰にも知られず息絶えた者がいる。分かっていても、以津真天は「いつまで」と鳴くことはなかった。
代わりに死者の側に、ゴミ捨て場から拾った生ごみを置いて、死者の生前の行いに応じた。
弔われない死者の傍で、以津真天は朝が来るまで満足気に毛づくろい。朝が来ると南の神主が待つ月輪の社に戻って行った。
「いつまで」と鳴くことは、やはりなかった。
(終)
「いつまで」と鳴かれず終わった、つまりそういう意味。




