止まない雨の微睡み
翔と天馬と、雨少々。
たまには大学生らしく、一休みするのも悪くないって話。
「自分、止まない雨はない、という言葉はあまり好きではありません」
ある雨の日、大学の第二食堂で過ごしていた時のことだ。
翔は天馬と二人で、夕食を食べていた。取っていた授業が休講になったため、なりゆきで食堂に足を運んだ。
天馬ときつねうどんを食べながら、他愛もない会話を交わしていた。大半は稽古のことばっかりだったが、彼は嫌な顔一つせず、熱を入れて今後の稽古の予定や、己に足りないところを尋ねる翔の話を聞いていた。
その熱が少しばかり冷めた頃、窓の外へ目を向けた。それがきっかけで雨の話題になった。
翔は雨が好きだ。音も心地良いし、眺めるのも飽きが来ない。じめっとした湿度だけいただけないが、それ以外は何一つ不満がない。自然の音で満たしてくれる、雨音は大好きだ。
天馬は雨に好き嫌いもないそうだが、なんとなく雨にまつわる話で思うことがある、と言った。それが冒頭の台詞だった。
「止まない雨はない。それの何が不満なんだ?」
「ない、と断言していることです。なぜ、止まないと言い切れるのか、自分にはとても理解しがたいのです」
「まあ、物のたとえだし」
「分かっています。しかし、雨は己の力では降らせることも、止まらせることもできませんので」
天馬は少しだけ、苦い顔をした。他者から見たら、それは能面だろうが、翔にはその表情の変化を読み取ることができた。
翔は天馬の器に残っている、油揚げをじっと見つめる。まだひと齧りもしていないようだ。
「どうぞ」
視線に気づいた天馬が、さも当たり前のように油揚げを器に入れてくれる。
物欲しい目をしていたのだろう。翔は慌てて油揚げを戻そうとするが、天馬がやんわり首を横に振ったので、ありがたく貰っておくことにする。
「仮に止まない雨ない、があったとしても、またその雨が降り出すかもしれません」
そうなったら、ただのぬか喜びではないか、と天馬は疑問を抱いた。
「だから、というのもおかしい話でしょうが……止まない雨はない、という言葉は自分にとってあまり響く言葉ではないのです。止まない雨はないと、なぜ言い切れるのか。止まない雨は自分で止められるわけでもないのに」
ああ申し訳ない、つまらない愚痴を聞かせてしまった。天馬は真摯に謝罪する。
翔は油揚げを銜え、じっと烏天狗を見つめる。窓に視線を投げる彼の横顔を見つめ、見つめて、油揚げを口に全部押し込んだ。
「止まない雨はない、か。俺は好きも嫌いもないけど、そうだな。止まない雨の中、がむしゃらに自分の道を進もうとする馬鹿を知ってるぞ」
周りの冷たい視線にも耐え、理不尽な言葉にも耳を塞ぎ、それでも自分の道を進む妖を知っている。その環境はきっと止まない雨なのだろう。天馬の言う通り、自分でその雨は止められはしない。いつ止むのか、見当すらつかない。
だからこそ。この男は「止まない雨はない」という言葉を嫌うのだろう。
翔は言葉そのものを否定するつもりはない。止まない雨はない、と思う者もいて良いと思う。
けれど、天馬のような意見を持つ者もいて良い。思いなんて十人十色だ。
「止まない雨の中を突っ走る馬鹿は、俺に強さと弱さの大切さを教えてくれる。止まない雨の中、ずっと走っているからこそ、その大切さを知ってるんだと俺は思う」
視線を戻してくる天馬と視線が合う。
少しだけ、困惑している濡れ烏の瞳に笑い、「止まない雨に疲れたら言えよ」
「俺の和傘に入れてやっから。たまには傘を使ったって許されるだろう?」
予想外の答えだったようだ。天馬は軽く噴き出し、「貴方らしい」と肩を竦めた。
「しかしながら。それでは自分の立場がなくなります。傘を差してもらうなんて、守ってもらうも同じこと。自分は貴殿を守りたい立場です」
「いいじゃん。俺は構わないって」
「嫌です。師の肩書きが色褪せます」
「お前、言うようになったな」
「傘を持つ役を任せてくれるなら、それもありですが」
「いーや。俺の傘だから、俺が差す。当たり前だろ?」
「師の言うことを聞いて下さい」
「弟子の気遣いを分かってクダサイ」
なんてくだらない会話。
翔と天馬は笑い、なんでこんな話になったんだっけ、と振り返る。きっかけがもう思い出せない。それで良い。それだけ、きっとこの話題は他愛もないものだった。それだけのことだ。
「翔」
「ん?」
お冷を流し込み、うどんの汁を飲み干す翔に向かって、天馬はこう言う。
「止まない雨はない、という言葉は好きではありませんが、止まない雨、だけであれば自分は好きかもしれません。雨に濡れて、それでもひたすら馬鹿みたいに己の道を歩む自分のことは嫌いではありませんから」
「ん、そんでいいと思う」
「ただ、もし止まない雨に飽きてしまったら――その時は」
貴方の傘に入れて下さい。
「貴殿はきっと、傘に入れてくれた後、他愛もない話を沢山して下さるでしょう」
「どっちが傘を持つか、取り合いになるかもな」
「ええ。翔は譲ってくれないでしょう」
「ぜーってぇやだね」
「そのクダラナイやり取りが、きっと欲しくなる時もあるかと」
「うるさく騒いでやんよ」
けたけた笑い、翔は器を置いて両手を合わせると「ごちそうさまでした」
つられて天馬も両手を合わせ「ごちそうさまでした」
二人で窓の向こうの雨空を見つめる。
「まだ降ってるな」
「ええ」
「いつ止むかな」
「さあ」
「俺達じゃ分かんねーな」
「はい」
「それでいいんだろうな」
「きっと」
そういえば。
「お前、今日傘持ってきてるか?」
「いいえ。天気予報を見るのを忘れました。翔は?」
「大麻を和傘にすればいいんだろうけど、なんか今日は濡れて社に行っても良いかもって気分。もうちっとしたら、社まで走るか」
「どうせ、今夜は自分との稽古ですからね」
なら社まで競争だ。
笑いながら提案する翔の勝負癖に微笑み返し、天馬は「もう少しだけここに」と返事した。
分かってる、止まない雨の中を走るのも体力がいる。たまには休憩をしなければ。それくらいしても罰は当たらないだろう。
翔は器を横に寄せると、テーブルに体を伏した。
くわぁっと大あくびをして、軽く瞼を下ろす。腹がいっぱいになったら眠くなった。遠いところで聞こえる雨音が、また心地よい。
少しだけ寝てしまおうか。天馬ならきっと許してくれるだろう。尾っぽを組んでいる腕にのせ、そこに頭をあずける。眠気はすぐにやってきた。
「変化がとけていますよ。翔」
神主の顔から、ただの妖狐の顔となっている南条翔を見つめ、天馬は空となった器を己の方に引いた。
会話はなくなってしまったが、ただただ今の時間は心地よい。それは従者からくるものか。それとも師からくるものか。いや。
「互いにお役を一休みする時間ですね」
師ではない、従者ではない、護影でもない。
これ名前をつけるのならば、「友人」という言葉がぴったりなのだろう。
天馬は食堂の雑踏と雨音を聞きながら、狐が起きるまでその寝顔を見続けた。飽きはこなかった。
止まない雨の中の、あるひと時の話。
(終)
主従関係、師弟関係、そしてたまに友人関係な二人




