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白狐ノ草子   作者: つゆのあめ/梅野歩
▼web版小噺
33/77

そんなにやなことじゃない

翔と比良利の手合わせの光景。

白狐の強さはひたむきな粘り強さだろう、だと痛感している赤狐です。



 今日の手合わせは武の師を務めている名張天馬、ではなく、北の神主である比良利だと聞いた。正直に言おう。怖い、なんてものじゃない。比良利は天馬も青葉も凌ぐ腕の持ち主。呼吸ひとつ乱さず、煙管だけで彼らを伸してしまうので、翔なんぞ赤子も同然だろう。


(そらあ惣七さんと手合わせをしていただけあって、その実力は遥かに上なのは分かっていたけど)


 始まって二十秒、比良利の姿を見失い、尻尾を捩じられて負けてしまうなんて。とんだ負け試合にもほどがある。せめて自分に見せ場があっても良いのでは?

 次の負け試合はすっ転ばされて、上に乗っかられた。その次は鼻でこぴんされ、その次は世界が回った。投げ飛ばされた。容赦なんぞなかった。


「ちっとは腕をあげたと思ったが、まったくじゃのう」

「化け物だ。比良利さん、その走る速度は化け物だって」

「なあにを言っておる。わしは化け物じゃて」


 そんなこと分かっている。しかし呼吸ひとつ乱されず、汗も掻かず、涼しい顔で翔と向き合っている、この現状が化け物なのだ。少しくらい肩を動かしても良いだろうに。

 かと言って、翔も無様に負けたままなんぞ、持ち前の負けん気に触る。


「比良利さん。もっかい!」

「ほほう。まだやるとな」


 当たり前ではないか。自分は誰よりも強くなりたいのだ。

 それこそ比良利にだって負けたくない。守られてばかりの存在なんてごめんつかあさい。弱い己は捨ててしまいたいのだ。


「お主はいつもそうじゃのう。負け続けても、諦めを知らぬ」

「しつこさは俺の長所だよ」

「分かっておる。貪欲狐よ」


 どうしてだろう。負け続ければ負け続けるほど、楽しくなってきた。圧倒的に比良利が強いというのに、勝ち筋なんて一抹も見いだせないのに、相手にすればするほど、「もっと」と言いたくなる。ああ、ほら、今回の負け試合は比良利の動きに捉えることができた。じゃあ、次は追いかけよう。その次は。

 ああ、楽しい。とても楽しい。何度だって、相手にしたい。自分は強い相手と手合わせをして、喰らいついていきたい。つよくなりたい。


「ぼん。そろそろ限界じゃろう?」

「俺はまだまだできるよ。もっとしようよ。比良利さん」

「……はあ。じゃからわしはお主と手合わせをしたくなかったんじゃよ」


 そのしつこさと貪欲さは、相手の神経をすり減らし、精神を追い詰めていく。お主は気づいておるか? 負ければ負けるほど、その顔が笑っていることを――比良利の声が遠い。なんだ。いま彼は何を言っている。次の試合を早くしよう。はやく。


「次で決める。ぼん、来い」


 次で決める。その言葉が胸に広がる。そうか、これで終わりなのか。じゃあ、次こそ相手に爪痕を残さないと。敬愛する狐との手合わせは怖い。勝てるわけがない。負けるしか道がない。

 それでも、もしも相手が邪な輩なら――それを想像すると、ああ、負けるなんて文字は認められない。

 目の前の赤い狐が消える。背後にいると気づいた時には、足が床を蹴っていた。次は右に回ってくる。煙管が振り下ろされるのか。だったら、前転して避けて……ああ、声が聞こえる。南の地を守らなければ、と声が聞こえる。内側から声が、その声に答えなけれゴンッ!!





「――避け回ってたら、壁にぶつかるなんてださすぎる。比良利さん、もっかいやろうぜ。なあ。俺はまだやれるって」


「いい加減にせぬか。もう立てぬじゃろうて」

「立てる。五分休んだら立てる」

「命令じゃ、これにて仕舞いにする」

「やーだーってば!」


 まだ手合わせをしたい、駄々を捏ねると「ならば文殿に行こうか」と比良利。まったく動けない翔の尻尾を掴むや、ずるずると引きずり、行集殿へと目指した。


「痛いっ、比良利さん痛いって!!やだって、頭使うより体を使いたいぃいい!」

「勘弁せえ。わしに対して、巴を開示しよって」


 ずるずる、ずるずる、と引きずられる翔の頭上から「珠算をするぞよ」と言われたものだから、翔は悲鳴を上げる他ない。疲れ切った体に珠算は酷だ。苦手なのに。


「歴代の神主でも、簡単に巴を開示することはできぬというのに。末恐ろしい狐じゃ。天馬の苦労が目に浮かぶわい。ぼん」

「……なんだよ」


 比良利が足を止めて、こちらを見下ろしてくる。


「最後の手合わせに何を見た?」

「え」

「深い意味はない。ただ、お主はどう映っていたのかを聞きたくてのう」

「どうって……まあ、とんだ負け試合だったよ。勝ち筋なんて一つも見えなかった。でも、正直にいって心が踊った」


 一言で言えばとても楽しかった。この手合わせを終えた先に自分は何を手に入れられるだろう。それを考えるとワクワクが止まらなくなった。ああ、理想がこの手に入るのでは、そんな幻想すら見えた。

 翔は、小さく笑う。


「比良利さん。俺はね、負けることがそんなにやなことじゃないんだ」


 聞き手の比良利が小さく苦笑いした。


「この変態め」

「ええ。なんで?」

「少しは折れぬか」

「無理。折れたら楽しくなくなる」

「相手する方は疲弊するわい」

「比良利さん。歳? イデデデデデっ!」

「珠算を三増しで出してやるわ」

「ひでぇ!」


 ふたたび翔を引きずり始める比良利は、「これのどこが凡才なんじゃ」とグチグチ文句垂れる。こんなにもしつこく、折れない心を持たず、宝珠と共鳴する狐はまごうことなき鬼才だ、と盛大にため息をついた後、ひとこと。


「翔よ、わしはお主に勝ちをひとつとて譲ってやらぬ。覚えておくがよい」


 ぽかんと宣戦布告を聞いていた翔は、ニッと口角を持ち上げ、上等だと返事した。


「じゃあ、意地でも勝ちを奪ってやるから覚悟しろよ。比良利さん。俺は百年に百年の年月の差があっても遠慮しない。空いた分だけ稽古してやるからさ」


 ああ、わくわくしてきた。


「比良利さん! だからもっかい!」

「たわけ。今宵は仕舞いじゃ。珠算と言っておろう」

「やだやだ。手合わせがいいってっ、比良利さーん!」


 理想のためにひた走る白狐と、其の白狐の奥底に眠っている才に気づいている赤狐の、宣戦布告の噺。

 比良利と翔は師弟であり、双子であり、好敵手。




 ちなみに。


「はあ。巴を開示するのは反則じゃろうて」

「分かります」

「天馬、お主にも……」

「日常茶飯事です」

「……わしらを輩と勘違いしておるのかのう」

「おおよそ、思い込んでいるのではないか、と」

「追い詰められれば」

「追い詰められるほど」


「…………」

「…………」


 師の悩みがあったりなかったり。


(終)


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