さみしさの行方
翔とギンコの秘密の時間。
翔を甘えさせてくれるのは、ギンコだけ。
「ギンコ。みーっけた」
銀狐のことオツネ、もといギンコは、月輪の社内にある参集殿の屋根の上で夜風に当たっていた。
決して、奉仕をサボっていたわけではない。
そう、決して堅苦しい奉仕に嫌気が差し、屋根の上でサボっていたわけではない。
少しばかり、夜風に当たって休憩をしていただけなのだ。傾いていた月が、真上に来るまで休憩していたので、小一時間以上は経っているような、いないような……とにもかくにも、ギンコは夜風に当たって、ひと時を楽しんでいた。なんとなく、のんびりと過ごしたい気分だったので、遊び仲間のツネキは誘わず、一人で屋根にいたのだが、とうとう見つかってしまった。
こっそりと休憩を取っているギンコを見つけたのは、大好きな白狐。
彼は周囲を確認すると、参集殿の屋根にあがり、ゆるりと尾っぽを揺らすギンコを腕に抱いた。
「ったく。青葉が探してたぜ。ずっとここにいたのか?」
つん、と明後日の方向を向く。
それに苦笑いをこぼした彼、南条翔は軽く飛躍して参集殿から拝殿、そして本殿の屋根へ飛び移り、最後に近くの御神木に着地した。
枝から枝へ飛び下り、より生い茂る葉の中へ身を潜めると、無遠慮に腰を下ろした。
どうやら翔はギンコと一緒に、休憩を取ろうとしているようで、ギンコの身を膝の上に置くと、わしゃわしゃと頭を撫でて浄衣の懐から干し柿を取り出した。
「お八つ。一緒に食べないか? ギンコと食べるために、二個持ってきたんだ」
まこと優しい眼差しを向けてくる翔に嘘偽りはないのだろう。
熟れに熟れた干し柿を両手で持つと、そのひとつをギンコに差し出し、うんっと首を傾げてくる。
じっと翔を見つめ、見つめて、尾っぽを振ると、翔は嬉しそうに干し柿を口元まで運んでくれた。喜んでかじると、翔も己の分の干し柿にかぶりつく。
それはそれは美味そうに頬張る横顔が、ギンコの胸を躍らせる。
大好きな狐の幸せそうな顔を見るだけで、こっちまで幸せになる。
なにより、久しぶりに翔とギンコだけ。それが嬉しい。
翔がどう思っているのか分からないが、ギンコにとって、それは贅沢な時間他ならない。
だって、翔はいつもはみんなの南の神主なのだ。市井の妖が呼べば、翔は誰であろうと、その妖の下へ走る。老若男女関係なく、妖のために翔ける。それは立派で誇らしい姿だが、南の神主に就任する前から翔を知っているギンコにとって、ちょっぴりさみしい。
ちょっと前はギンコが鳴けば、誰よりも早く翔は己の下へ翔けてきたのだから。ギンコだけの翔、という言い方は傲慢かもしれないが、それでも――自分だけを見てくれる時間が多かった。
でも今は。
毎日一緒に寝ているし、夕餉だって食べているのに、うんとたくさん甘えているのに、なんとなく寂しい気持ちになる。仕様がない。家には弟妹分の旧鼠七兄弟がいる。義妹だっている。祖母だっている。ギンコだけを見る時間が減ってしまっている。それは仕様がないこと。分かっているのに、やっぱり、思えば思うほどさみしい。
それはギンコが翔に恋をしているからだろう。
いつの間にか、ぼうっとしていたようだ。
食べかけの干し柿を地上に落としてしまった。せっかく翔が持って来てくれたのに、ああ、勿体無い。ギンコは地上を見つめ、颯爽と飛び下り、ようとしたのだが、翔の手に阻まれてしまった。
そっと見上げると、彼はやや疲れた顔で干し柿の食べかけを口に押し込んだ。
そしてギンコを腕に抱き、「少しだけ」と言って、己の体に顔を埋めた。それは、ギンコのよく見知った少年の顔であった。
「ギンコ、良い匂いがする。ホッとする」
これは珍しい、翔からギンコに甘えてくるなんて。
どうかしたのか。何か嫌なことでもあったのか。優しく鳴くと、翔は疲れた、と一言こぼした。
曰く、今宵は調子が出ないらしい。頑張らなければいけないのは分かっているのに、奉仕を前にぼうっとしてしまう。兄やの声が遠いものに聞こえるし、市井の妖らの話も全然耳に入らない。学びも稽古も散々で、ちっとも上手くいかない。挙句、周りから顔色が悪いと言われる始末。体調が悪いわけじゃないのに。
あまりにも調子が取り戻せないので、気分転換をするためにギンコに会いに来たと翔。溺愛している銀狐に会えば、少しは調子が取り戻せると思った、と力なく笑う。
「お前に会ったら、俺、自分が疲れているんだって分かったよ。ギンコの前だと素になれる」
それは誰にも見せられない、頼り甲斐のない少年の姿。
ギンコは察した。疲れを見せている翔は、少々頑張ることに息が切れてしまったのだ、と。
周りの目があると、大見得張って、立派な南の神主になろうと、がむしゃらに走ろうとするが、所詮齢十九の狐。気持ちがあっても、心身がついていかず、息切れを起こしてしまうのだ。
こんな姿を市井の妖に見せれば、ああ、頼りない狐だと呆れることだろう。嘲笑するやもしれない。
けれど、ギンコは違う。少年の顔をする翔だって、みんなのために走る翔だって、息切れしまった翔だって、全部ぜんぶ大好きなのだ。
ギンコは小さく鳴くと、翔の耳を舐めた。
くすぐったいと笑う彼の鼻先に、己の鼻先を当て、鼻頭を舐める。
すると、翔は顔をあげて、ギンコと向き合う。その顔はやっぱり、頼りなく、幼くて、大好きな人の顔であった。
「悪い。俺、うそついた」
本当はギンコとお八つを食べたくて探したわけではない、と狐。
「お前に甘えたくてさ」
気分転換をするために会いに来たわけでもない、と彼。
「ここに来たんだ」
銀狐なら情けない姿を見せても、きっと許してくれる。それを知っているから――翔は力なく笑った。
ああ、ギンコは忙しなく尾っぽを振り、翔の額に頭をこすりつける。
素直に嬉しいと思った。自分を頼ってくれることが。
素直に幸せだと思った。自分の前で素を見せてくれることが。
素直に贅沢と思った。自分に甘えてきてくれることが。
ギンコはさみしい、と思った。
自分だけの翔でいてくれる時間が少なくなったことに。
でも、翔がふとした時に、息切れし、疲れ果て、誰かに甘えたくなってしまう時が来るのなら。このオツネは、翔だけのギンコでいよう。それが彼の支えになるのなら、自分の望む時間を与えてくれるのなら。
何度も翔の額に頭をこすりつけ、頬を舐め、耳を甘噛みし、その腕でうんと甘えた。
同時に翔に甘えてほしかった。うんと甘えて充電してほしかった。その間、翔はギンコだけの翔だし、ギンコは翔だけのギンコなのだから。
「ほら、お前は情けない俺を見せても、許してくれる」
両手でギンコの顔を包み、翔は先ほどよりも、ずっと綺麗な笑顔を作る。
「だから、俺はお前に甘えちまうんだよ。ギンコは俺に甘いぞ」
大好きな人なのだから、甘くなってしまうのは、当たり前じゃないか。
翔だって、いつもギンコには甘くしてくれる。お互いさまだ。
鼻先を翔の唇に当てた後、己の口先も、優しくそこへ当てる。やや照れたような、やや困ったような、でもすごく嬉しそうな、そんな顔を作って、彼はおんなじことを返してきてくれた。
三本の尾っぽのひとつを、自分の尾っぽと絡ませ、ギンコは翔の腕の中で、しばらくを過ごす。
もう少し、時間が経ったら、翔は本調子を取り戻して、自分の道を走るだろう。
それでいい。翔はやっぱり、その姿の方が似合う。
けれど、疲れてしまったら、息切れしてしまったなら、どうかギンコと名付けた銀狐の下を訪ねてほしい。いつでも、南の神主の仮面を取っ払い、素の顔にしてあげるから。
どんな顔をしていても、このオツネは南条翔のことを、好きでいる自信がある。断言できる。
「ギンコ。大好きだよ」
ふたたび甘えるように、頬を舐めてくる翔に応えるため、ギンコもまた頬を舐め返した。
好きの気持ちの大きさは、誰よりも負けない。それこそ大好きな南条翔にだって、誰にだって。
(終)
また甘えさせてくれな。照れた顔を作る狐が人差し指を立てたので、ギンコはとても嬉しくなって、ひとつ鳴いた。




