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白狐ノ草子   作者: つゆのあめ/梅野歩
▼web版小噺
26/77

あさきゆめみし(壱)

もしも、天城惣七が生きていたらのIF話。

彼が翔と師弟であれば、このように衝突していたやもしれません。



 たとえば、選ばれた者が一目で状況を把握できる優れた眼を持っていたら。

 たとえば、選ばれた者が一言ですべて理解できる賢い頭を持っていたら。


 たとえば、選ばれた者が――鬼才だったら。


 きっと受け継がせる側に失望を与えるもなかったのだろう。

 そして受け継ぐ側もまた、己に失望することもなかった。そうに違いない。


 彼、一尾の妖狐、白狐の南条翔は薄っすらと苦笑いを浮かべ、白い尾っぽを靡かせながら、吸い込まれるように地上へ落ちていった。

 うつくしい満月が落ちる狐の姿を照らしていた。



【あさきゆめみし/壱】



「だーかーら! 俺は教わったとおりにやってるじゃんか!」


 南の地を統べる社、月輪の社から(かまびす)しい怒鳴り声が響き渡る。

 その声は第九代目南の神主の後継者、第十代目南の神主出仕のものであった。

 翔は行集殿にいた。白張に身を包み、時期南の神主の名を継ぐために、日々修行に励んでいる身の上である。今宵は神主にとって大切な演舞のひとつ神主舞を、当代から教わっていたのだが、あれよあれよという間に喧嘩が勃発。当代の天城惣七と言い争いが起きていた。


「惣七さんの言うとおり、二拍子ごとに跳躍してるじゃん。何が違うんだよ!」

「まったく音頭が取れていないと言っているんだ。飛ぶ間に三拍子になっている。何度教えれば分かるんだ」

「まだ一回しか教わってませんよーだ」


 うえ。赤い舌を出して、一回じゃ無理だと諸手をあげる。

 それを見るや、口元を引きつらせ、惣七は痛むこめかみを強めにさする。


「そうやってまた小生意気な口を……一回教えれば、半分はこなせるはずだ。なのに、お前は半分すらできていない。これはどういうことだ」


「いやいや。普通さ、一回教わるだけで半分もいけると思う? 惣七さんが言っていることは、英語の教科書を一回読んだら、教科書の半分の英語は読めるはずだって言っているようなもんだから! 無理だから! そんなことできるなら、英語の授業なんていらねーんだバッキャロウ!」


「……頼むから俺に分かる例えで物申せ」


「わざとそうしているしっ、イッデー! なんで叩くんだよ!」

「お前には年上への敬意が足りんのだ!」


 頭を押さえつけられてもなんのその。翔はギャアギャアと文句を飛ばした。

 教わった回数「1」に対して、何度教えれば分かるのだ、という苦言はひどい。もう少し、まともに教えられないのか。大体、まだ1回しかやっていないのに、もう駄目だしは短気すぎないか? などなど、胸の内に溜まっている苛立ちを惣七にぶつける。


 一方、こめかみに青筋を立てる惣七としては、教わる身の上だというのに、一々言動が生意気。齢十八なら十八らしく年上を敬ったらどうだ。同じように教えた青葉は、一回で出来たというのに。などなど、胸の内に溜まっている苛立ちを翔にぶつけた。


 結果がこれ。大喧嘩である。


 もはや修行どころではない。

 自他ともに厳しい性格と、負けん気の性格が激しく衝突した。


『おやまあ。こりゃまた賑やかに喧嘩して。どうしたんだい? 坊や達』


 終止符を打ったのは猫又のおばばであった。

 翔にとっては祖母のような存在で、この猫から一声鳴かれてしまえば、大人しくなるしかない。とはいえ、今しがた口論していた惣七と同じ空気を吸いたくないので、中に入ってくるおばばと入れ違い、行集殿を出て行く。


「どこへ行くんだ」


 止められると、翔は体ごと振り向いて、あっかんべえ。


「外で練習してくるだけ。サボるわけじゃねーから」


 出て行く背中を見送ったところで、おばばが苦笑いをこぼした。


『もう少し仲良くできないのかい?』

「俺も喧嘩などしたくはない。そういう相手は助兵衛狐で十分だ。まったく、青葉と違って生意気なことこの上ない」

『あまり青葉と比べるんじゃあないよ。あの子は、要領よく覚える青葉と違うんだから』


 それは分かっているつもりなのだ。

 それでも、あの出来栄えをみるとなんともかんとも。惣七はうめき声をもらす。一度にすべてを会得しろ、とは言わないが、教えた半分くらいはできてほしいもの。


『坊やは努力しているよ』

「……分かっている。あいつは俺に隠れて、よく練習している」

『時に比良利のところへ行って教わってもらっているみたいだね』


 うっ。惣七は言葉を詰まらせてしまう。

 それも知っている。犬猿の仲である比良利と翔は、たいへん馬の骨が合うようで、翔はよく彼の下へ遊びに行っている。比良利は教え方が上手いので、彼に教わったことは難なく会得していた。それが腹立たしいやら、切ないやら。


『もう少し優しくできないのかい? お前さん、青葉には優しいけれど、坊やには厳しさばかり与えているよ。厳しさだけじゃあ、惣七も坊やも何も得られないよ』

「ああ」

『オツネの二の舞いになるよ』

「……ああ」


『負けん気ばかり見せている坊やだけど、あの子はお前さんに褒められたいんだよ。そのために、とても努力している。寝る間も惜しんで』

「コタマ。どうしても、俺には分からないんだ」


 鬼才と呼ばれる惣七にとって、翔に教えていることはどれもこれも一夜でこなせるもの。だから翔が何に躓いて、何に苦手意識をもって、なぜできないのか、どうしても理解ができない。ましてや寝る間も惜しむほど、努力しなければならない内容なのか、それすら理解に苦しむ。

 ぽろりとこぼした本音に、おばばはしゃがれた声で笑う。


『だったら、お前さんは寝る間を惜しんで、坊やのことを知らなければいけないんじゃあないかい?』


 知ろうとしなければ、相手のことを理解できるはずもない。




「はああ。また喧嘩しちまったよ」


 一方、行集殿から離れた翔は、ひとり月輪の社の参道を歩いていた。

 特に目的はない。如いて言えば、募った苛立ちを解消するための散歩、だろうか。とにもかくにも翔は腹を掻いていた。今ならヘソで湯が沸けそうだ。

 しかしながら。冷たい夜風にあたっていると、次第に苛立ちもおさまってくる。代わりに襲ってきたのは不安と自己嫌悪だった。


(また、教わったこと……一回で出来なかったなぁ)


 口では無理だのなんだの強がっていたものの、本当は一回で会得したかった。そして、惣七に「やればできる」と褒めてもらいたかった。そのために、事前に比良利から今度はここをやるだろうと予習をして挑んだのに。結果は残念無念惨敗である。

 今頃、惣七は失望している頃だろう。分かる。翔もまた自分に失望している。

 そして。それがすごく怖い。失望されることで、自分はどう悪く思われているのか。出来損ないと思われているのか。はたまた、何もできない奴だと落胆されているのか。

 そう思われないために努力したのに。付き合ってもらった比良利には、あとで謝罪しておかなければ。


「青葉みたいに、才能があればいいんだけど」


 うじうじ落ち込んでも仕方がない。

 自分に言い聞かせても、なんの慰めにもならない。


「せめて。惣七さんと仲良くなれたらなぁ」


 惣七のことが嫌いではない。寧ろ命の恩人であり、心の底では尊敬している。彼が市井の妖達から好かれ、敬われていることも知っている。やさしい狐だと知っている。


 翔は元ヒトの子である。

 ある満月の夜、銀色の狐と出逢った矢先、妖に襲われ、ヒトの姿を失った。一度は妖に八つ裂きにされたものの、銀狐とその繋がりのあった天城惣七、そして宝珠の御魂に救われ、妖狐として第二の人生を歩んでいる。

 色々悩み苦しみ事件事故もたくさんあったが、今は妖狐として生きる覚悟を決めているし、なりゆき宝珠の御魂から南の神主の素質があると見出されたので、惣七から宝珠を受け継ごうと日夜修行に励んでいる。

 いるのに、これだ。


 翔は自分のことをよく理解していた。

 自分は惣七のように鬼才ではない。巫女の青葉のように才溢れた狐でもない。ただのボンボン凡才狐。一言ったところで十分かるような賢い頭だって持っていない。なんの取り柄もない狐だ。


 ただ、ひとつだけ。誇れるところがある。それは努力だ。


 翔は努力していた。妖の常識に社会、知識を身につけるため、朝日がのぼるまで勉強に励んだり、神主舞をはじめとする神主としての立ち振る舞いを身につけようと、これまた朝日がのぼりきっても体に覚えさせていた。

 それだけではない。神主は市井の妖達と交流を多くするため、自分も真似て交流をしている。世間話が大半だが、妖達のことを知れる良い機会であった。


 神職達とだって沢山交流している。

 他愛もない会話、好きなこと、嫌いなこと、みなはどうして神職を目指すことになったのか。色々話を持ち掛けて、仲良くしようと努めている。銀狐のギンコなんて、毎日布団で寝るくらい仲良しだ。

 努力はしていたのだ。でも。


(世間話になった途端、くだらないって足蹴にしてくるんだよなぁ。勉強の話は喜んで答えてくれるのに。俺はもっと気楽に話したいのに……惣七さんは違うのかな)


 仲良くするどころか喧嘩になってしまう。なんでこうなる? 彼はコミュ障か。そうか、そうなのか。

 翔は思い悩んでいた。惣七のような気難しい性格の持ち主と関わりを持ったことがない。


(比良利さんとしょっちゅう喧嘩しているけど……気難しいせいだと思うんだよな)


 はてさて。これはどうしたものか。

 やはり自分の才に問題があるのでは。

 翔はすっかり自信を無くし、重いため息をついてしまう。

 いやいや。これでは駄目だ駄目。翔はかぶりを振り、参道の方を見やった。そこには出店がずらり。おもむろにそこへ近づくと、翔は花つぶみと呼ばれた揚げ菓子を売っている店の前に立つ。


「すみません。花つぶみ、一袋くださいな」


 これは惣七の大好物だ。

 もみじの辛酒と一緒に、これを食べているところをよく見かけている。花つぶみを肴にしているのだろう。一度だって本人の口から聞いたことはないが、翔は周りに聞いて知っていた。


「あ。ギンコじゃん。散歩か?」


 店を出たところで、参道を散歩しているギンコと顔を合わせる。

 銀狐は翔の足元にすり寄り、抱っこをねだった。その頭をわしゃわしゃと撫で、翔はギンコを抱っこする。

 と、ギンコが鼻をひくつかせる。花つぶみの入った竹筒に目を向けたため、翔は「ごめんな」と、食べたそうにしている狐に詫びた。


「これは惣七さんのなんだ。お前の分は今から買ってやっから。ちょっと……ひでぇこと言ったし。一応、謝っておこうと思って」


 ただし。直接これを渡したら、明日は雨あられが降ると揶揄されそうだ。

 そこで翔は惣七の自室の文机に、こっそりとこれを置いた。礼を言われるとはまったく思わなかったが、まあ、それとなく自分の気持ちは受け取ってくれたら儲けものだろう。


「これは青葉からか。粋なことをしてくれるよ」


 儲けものとは言ったが。が!

 ちょっとくらい伝わってくれても良いのではないだろうか!

 障子越しに惣七の様子を窺っていた翔は、自分の空回りに遠目を作った。

 ギンコが心配そうな目を向け、自分が言おうか? と言わんばかりに訴えてきたので、それをやんわり制する。


「いいよ。俺からだって言っても、気味悪がられそうだから」


 明日こそは惣七と仲良くなれる契機を掴めたらいい。翔はギンコの鼻先を指で押し、さみしげに笑いを噛み締めた。




「――明日こそ、お前に厳しさ以外のものを与えてやりたいよ。明日こそは」


 翔の自室を訪れた惣七は、畳まれた布団の上で仲良しこよしに眠りこけている二匹の狐に優しいまなこを送り、そっと障子を閉めた。



 ◆◆



 今日こそは。


 その思いに反して、今日も二人は激しい口論を繰り広げていた。

 なぜできないのか。教え方が悪い。双方の言い分はぶつかり合うばかりで、まったく引けが見えなかった。それはいつものこと。

 ただし。


「ああ、もういい。今日の学びは仕舞いだ」


 いつもと違うのは、先に惣七が言い合いに匙を投げたことであった。

 いつもであれば、第三者の登場もしくは翔が匙を投げるのだが、今宵は惣七が匙を投げた。彼は言い合う時間すら惜しいと肩を竦め、早足で行集殿を立ち去る。

 その際、惣七はため息交じりに、こんなことをこぼした。


「なぜ。お前が宝珠に選ばれたんだろうな」


 たった一言。

 されど一言。

 翔の胸に深く突き刺さった。

 反論の言葉すら見つからず、惣七の背中を見送るしかできない。


「なぜって」


 そんなの選ばれた翔に聞く方が野暮、というものではないだろうか。

 なぜ選ばれたのか。惣七が問うたその意味は? あれは明らかに疑問であった。そして失望が含まれていた。凡才のお前なんかが選ばれた意味が分からん、と言いたかったのだろうか。これは被害妄想だろうか。いやでも。


(なんで、俺が選ばれたのか)


 遅れながら、翔も重い足取りで行集殿を出る。

 廊下を歩いていると、中庭で和気あいあいと会話している惣七と青葉の姿を見つける。到底、自分と惣七では作れない、和やかな空気。それがこれまた胸に突き刺さる。

 なぜだろう。今まで努力していた自分がばかばかしく思えるような、そんな無気力感に駆られた。

 ああ、そうか。自分はたった一言で深く傷ついているのだ。


「だせぇの」


 強い自己嫌悪が襲ってくる。

 なんで宝珠が自分を選んだかなんて、そんなの、自分が一番聞きたい。

 ああ、もしも。自分が才溢れた狐であれば、惣七は失望することもなく、世間話に耳を傾けてくれたのだろうか。


「お? ぼんではないか。また惣七と喧嘩して飛び出してきたのか? お主も苦労するのう」


 気づくと、翔の足は日輪の社へ足を伸ばしていた。

 そこで何をするわけでもなく、拝殿の傍でぼんやりと立ち尽くしていると、通り掛かった比良利に声を掛けられる。

 「少しは息抜きをせねばならぬぞ」と、おどけ口調で話を振ってくる比良利は翔の顔を見るや、その口を閉じた。


「どうした。お主。泣きそうじゃぞ」


 どうやら随分と情けない顔をしていたらしい。翔はなんでもない、と言ってかぶりを振る。へにゃりと笑ってみせるが、相手には通じなかったようだ。

 肩に手を置き、ひどい喧嘩をしたのか、と問うた。その優しさが堪えている感情を疼かせる。

 けれど。翔は感情を呑み込んで、「べつに」と気丈に振る舞って、比良利に背中を向ける。逃げるようにその場を後にしようとするも、一度だけ足を止めて、彼の方を見やる。


「なあ、比良利さんはさ。どうして宝珠の御魂に選ばれたのか、悩んだことある?」


「どうして宝珠に選ばれたのか」

「やっぱりなんでもないや。ごめん。今のは忘れて」


 駆け足で表社へと向かう。

 比良利は察しが良いから、きっと翔の気持ちに気づいて、的確な返事をくれるだろう。が、それすら今の翔には受け止める自信がなかった。聞くだけ聞いて逃げる、なんて卑怯極まりないだろう。それでも、それでも聞く勇気が持てなかった。

 何度も躓き、転びそうになりながら、石段を下っていく。人間の世界に飛び出し、表社の社殿前で両膝をついたところで、とめどなく汗が零れた。


「なんでお前が選ばれたのか、なんて……そんなの」


 その汗は頬を伝い、静かに流れ落ちていく。


「俺が分かるわけねえじゃん」


 そう、これは汗。


「けど。選ばれた以上……俺なりに覚悟を決めてっ、努力してたんだよ」

 

 汗なのだ。


 止まることを知らない汗を、何度も目元ごと白張の袖で拭う。

 いつだって喧嘩ばかりしていた。ゆえに、惣七が苦言を呈するのも理解はできる。青葉のようにおとなしく、素直でいい子だったら。才溢れる狐だったら。惣七だって翔を認めてくれたに違いない。期待だって寄せたに違いない。失望なんて一抹も抱かなかったに違いない。

 遺憾なことに自分は、そんな可愛い性格の持ち主ではない。負けん気だって強い。だから生意気ことばかり口走って。

 それでも認められたくて、期待を寄せられたくて、失望なんてされたくなくて。本当は仲良くしたかった。和気あいあいと妖達のことを教えてもらいたかった。


 ただそれだけなのに。ああ、どうして。どうして。

 悔しい。とても、とても悔しい。


「いっそのこと、才能がないから諦めろって言ってくれた方が良いのに。そしたら、諦めの悪い俺だって」


 今日こそは。明日こそは。

 そんな気持ちすら砕け散ってしまった。

 南条翔という狐が候補から辞退したら、きっと新たな狐が選ばれるのだろう。それこそ自分よりもずっとずっと才溢れる、素敵な狐が。

 もうやめようか。やめてしまおうか。虚しく努力を続ける行為を。


「こういうのって、辞表を出せばいいのか?」


 何度も袖で目元を拭い、今後のことを漠然と考える。

 神主出仕を辞めるとなると、自分は妖の世界のどこで過ごせばいいのだろう。社にはもう身を置けないだろうから、ヒトの世界でひっそりと暮らそうか。雪童子の雪之介に聞けば、伝手でそういう場所も見つかるに違いない。

 ずずっ。洟を啜り、のろのろと立ち上がった、その時だった。


 翔の耳に小さな悲鳴が聞こえた。

 それは確かに助けを求める、妖の小さな、けれど悲痛な悲鳴だった。


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