昨日の敵は今宵の好敵手
朔夜と天馬、手合わせするってよ。というお話。
どうしてこんなことになっているのだろうか。
彼、南条翔は千行の涙ならぬ汗を流しながら、必死に思考を回していた。
そっと右を見やれば、数珠を聞き手に巻きつけている妖祓、和泉朔夜の姿。左を見れば、手慣れた動きで錫杖を回す妖、名張天馬の姿。
ちなみにここはどこか。答えは夜の河川敷のほとり。両者は今から、手合わせを始める予定なのだから、一体全体どうしてこんなになってしまったのだろう。
「ショウ。合図は君に任せるよ」
「こちらの準備はいつでも良いので」
見守るこっちの準備はちっとも整っていないのだが。翔は心中でツッコミを入れた。
「和泉くんと天馬くんの手合わせか。見物だねぇ」
隣で能天気に笑っている雪之介に言いたい。少しは止めてくれ、と。
本日二度目の台詞だが、どうしてこんなことになっているのだろうか。翔は重い吐息をこぼし、記憶を遡る。
それまで、なんてことのない一日だった。
朝昼はぐっすりと眠り、夕夜は一大学生として学びに勤しむ。
それが終われば、普段であれば神主修行に励む……のだが、今宵は比良利が祈祷の依頼で遠出しており、社を閉めている。彼がいなくとも修行はできるのだが、曰く「遊び心を忘れてはつまらない神主になる」と言われ、今宵は休みを頂戴している。
事前に知らせてもらっていたため、翔は休みの予定を考えた。
間髪を容れず、久しぶりに幼馴染の顔が拝みたくなった。幼馴染病は完治しているものの、やはり定期的に幼馴染に会いたくなる。種族が変わろうとそれは今も変わらない。
そのため、翔は二人の幼馴染に連絡を取った。
結果、朔夜は都合がついたが、飛鳥は予備校があるとのこと。残念に思うが、朔夜と会えるだけでも嬉しかった。飛鳥とはまた後日、昼間にでも会おう。
おかげで今日の翔はたいへんご機嫌だった。それはそれは浮足立ってしまうほど。相手は妖祓の人間だとか、そんなもの二の次三の次。翔は幼馴染に会って、和気あいあいとした時間を過ごしたいのである。神主だって、たまには自分の時間を満喫しても良いではないか。
「翔くん。その様子だと和泉くん、もしくは楢崎さんに会うんでしょ?」
雪之介の苦笑いを買ってしまうほど、翔は上機嫌になっていた。
「和泉? 楢崎? それはまさか、南の地にいる、あの和泉と楢崎ですか?」
天馬からはやや難しい顔をされてしまったが、「俺の幼馴染なんだ。妖達には内緒だぞ」と言って、翔は人差し指を立てた。
大学が終わると、翔は即行で待ち合わせ場所へ向かった。
そこまでは良い。何も問題はなかった。ちょっとだけ顔を見せて、からかってやろうと目論む雪之介が引っ付いてきたのも問題はない。雪之介から半ば強引に引っ張られ天馬がついてきたことも、なんら文句はない。天馬のことだから、武の師として自分達の関係に言いたことはあれど遠くから見守ってくれるだろう。なんら問題はなかったはず、なのだ、が。
待ち合わせ場所のバス停に着くや否や、先に待っていた朔夜と、ついてきた天馬の空気が微妙に変わった。
いつもなら雪之介のからかいにキレて、猪突猛進に追い駆け回すはずの朔夜が、彼のからかいを受けても右から左へ流した。ありえない。あの朔夜が雪之介のからかいをスルーするなんて!
それどころか、朔夜の目は天馬に釘付け。それは天馬も同じらしく、舐めるように朔夜を眺めていた。
で、開口一番に放った言葉が。
「あの時はどうも」
「こちらこそ、世話になった」
である。
刺々しい物の言いに翔は冷汗を流した。
そういえば、この二人の初対面は『人災風魔』事件の、妖と妖祓が対峙した時である。まさに敵として対峙した時ぶりなのだから、そらあこんな空気にもなる。
「さ、朔夜。そろそろ行こうぜ。どうする、ファミレスでなんか食うか?」
ぴりぴりとする空気を打破するべく、朔夜に話題を振るが、彼は予想の斜め上の発言をした。
「話は聞いているよ。確か君はショウの武の師をしているんだってね。ぜひ、手合わせを願いたいんだけど」
「は、はい? 朔夜さん」
突然何を。びっくらこく翔とは対照的に、天馬は能面のまま返事する。
「妖祓とやらは、ずいぶんと血気盛んなんだな。会って早々、そのような申し出をするとは」
「そ、そうだよな。天馬さんの言う通り!」
「べつに断ってくれても構わないよ。ただ武の師であるお前に、ひとつだけ言っておきたい――人間と対峙した時、妖祓が真っ先に狙うのは未熟な神主。僕は時期、妖祓の長として弱いこいつを狙うだろう。そこに幼馴染なんて関係はないよ。それはショウも承知している」
天馬の眉が少しだけ動く。
「僕は幼い頃からのショウを知っている。そして十七年間、普通の人間と過ごしてきたことも。そんなショウをお前はどうしてやれる? 少し腕があるだけで、神主が守れるとは思わない」
にっこり。眼鏡の縁を押し、朔夜が冷たく微笑む。
片眉をつり上げる天馬は「なるほど」と、相づちを打ち、はじめて口元を緩ませた。細い紐を取り出すと、それで髪を一つに結い、本来の姿「烏天狗」に戻る。
「お手並み拝見させてもらうぞ。妖祓」
「そっくりそのままお返しするよ。近くに河川敷がある。そこへ行こう」
とか、なんとか言って、二人が歩き出すものだから、翔は素っ頓狂な声を出す。
「お、お前ら。ちょっと落ち着け。な、なんでそんな話になるんだよ! 手合わせなんて俺が許すわけ」
「まあまあ。翔くん。本気で命を奪い合うわけじゃないんだし、二人の好きにさせたら?」
「好きにさせたらって言われても」
「天馬くんは安い喧嘩を買わない。なのに喧嘩を買ったってことは、それなりに理由があるんでしょ。和泉くんだって安い喧嘩を売らないでしょ」
確かに。短気ではあるが、くだらない喧嘩は売り買いしない。それをするのは兄弟か、幼馴染のみに見せる顔だ。
心配する翔をよそに、雪之介は笑いながら言った。
「あの二人って気質が似ているんだと思うんだよね。ものすっごく言葉足らずなところも、ものすっごく行動的なところも」
こうして話は冒頭に戻る。
たいした会話も交わしていないのに、なんだか大ごとになっているのだから、翔の胃が少々痛み始めている。幼馴染は大切だ。そりゃもう泣かせるもんなら、地の果てまでいって喧嘩を売るくらいに。けれど、妖だって大切だ。天馬は自分の師なのだから、怪我はしてほしくない。
また一つ溜息をついたところで、「合図はまだ?」「いつでもどうぞ」催促の声が二つ。人の気も知らないで。
翔は止めることを観念し、財布から十円玉を取り出した。
「言っとくけど、危ないと思ったらすぐに止めるぞ。いいな」
返事を待たずして、十円玉を指で弾く。
真上にあがった十円玉は月明かりを浴び、音を立てながら翔の足元に転がった。
その瞬間、両者が地を蹴って飛び出す。風を斬って走る二人は、目にも留まらぬ速さで法具を振り翳し、振り上げ――激しい火花を散らしながら数珠と錫杖が衝突する。
おいおい。これは手合わせではないのか。双方の妖気、霊気が尋常に無いほど上がっているのだが。
「お前の腕はそんなものかい?」
だったら拍子抜けだ。朔夜は持っていた数珠を両手で広げるとじゃら、じゃら、じゃら、と音を鳴らす。
「天地陽明、四海常闇、満天下陽炎の如く成りけれ」
その唱え詞は妖を調伏するための術では? 翔は幾度か、あの術を食らっている。いやいや、あの妖祓は天馬を調伏するつもりなのか!
「隙だらけだぞ。妖祓」
自分が唱え詞を言わせるとでも? 不敵に笑う天馬が、持ち前の翼を広げて風に乗った。間合いを詰め、数珠を鳴らす朔夜との距離をなくす。
追い詰められているのは朔夜だが、彼は表情を崩すことなく、唱え詞を続けた。
「さすれど翳と化す妖在り」
錫杖が宙を裂く。
紙一重に避ける朔夜に対して、何度も錫杖が振り下ろされる。その度に朔夜は避け、天馬は距離を詰める。唱え詞は止まらない。
「即ち祓除の無限の翳に一光とつかさん。妖滅閃光!」
天馬が飛び膝蹴りを出し、朔夜が受け身を取った時だった。
暗紫に発光していた数珠から、朔夜の蓄積された霊力が四方八方に放たれる。珠一つ一つから霊力の刃が放たれ、浄化の光が天馬の身を裂こうと牙を剥く。
盛大な舌打ちを鳴らし、天馬は錫杖を回して浄化の光から逃れようと空へ飛行した。いくつかの光は天馬の翼を貫くが、彼は修羅のような顔で翼から落ちる羽根を指に挟むと、朔夜目掛けて投げた。鋭い羽根は妖祓の頬の皮を見事に裂いた。
まずい、手合わせが手合わせでなくなっている。
「あはは……ちょっと、やばいかも」
「朔夜、天馬、そろそろやめろ。まじになってんぞ!」
翔の怒鳴り声すら、天馬の起こす風によって掻き消えてしまう。
双方は天から地からと、得意分野の陣で術を繰り出していた。また隙を見ては、間合いを詰めて拳を入れようとするのだから、本当にタチが悪い。これのどこが手合わせと言うのだ。
二つの風が吹きすさぶ。
それに乗り、妖祓と烏天狗が衝突する。拮抗する力は負けず劣らず、やがて二人の身が衝撃に堪えられなくなり、勢いよく後ろへと弾かれた。
何度も宙を返り、勢いを止める朔夜に対し、天馬は錫杖を地面に突き刺して勢いを殺した。けれども、視線は一点に留められたまま。逸らされることはない。
手合わせは大層、体力を消耗するようで二人は肩で息をしていた。汗も少々。それでも、視線は外されず……息が整ったところで、二人が同時に口を開いた。
「それが武の師の実力なら、僕は弱いお前を絶対に認めやしない」
「それが時期妖祓の長の実力なら、鼻で笑ってやる。貴様は弱い」
お互いに弱いと罵りあった。
翔の目にはそうは見えなかったが、二人とも感情的に弱いを繰り返す。
「なにが武の師だ。単純な攻撃ばっかりしてきて。先が読めるんだよ」
「なにが時期妖祓の長。隙が多いんだ。わざと隙を見せているのすら、隙になっている」
「認めるものか、お前が武の師なんて。そんなんじゃ、僕は簡単に南の神主の首を討ち取るだろうね」
「弱いままで妖祓の長を名乗るだけ、笑い者になる。やめておけ。今の貴様には向いていない」
気が済むまで罵ったかと思えば、おもむろに法具を仕舞い、二人は翔の下へと戻った。
「腹減ったね。ショウ、ファミレスに行こうか」
「そろそろお暇します。どうぞ楽しんできてください」
「……はあ?」
もはや意味不明である。
なぜ、二人は何事もなかったかのように振る舞っているのだろうか。開いた口が塞がらない翔を余所に、天馬は深く頭を下げて、雪之介を呼びつけるし、朔夜は早くファミレスへ行こうと急かしてくる。なんなんだこいつら、自分をからかっているのか。
混乱する翔の前で、妖祓と烏天狗は一言だけ言葉を交わした。
「次会う時は」
「もっと強くなっていることを期待する」
「――べつに、彼が弱いとは思っていないんだよ。ショウ」
天馬達と別れた翔が、朔夜の心境を聴けたのは道すがら。ファミレスに向かう途中のことであった。
「彼はとても良い腕を持っている。ショウよりもすごく良い動きをするし、敵にすると厄介だ。できることなら戦いたくない相手だよ」
「じゃあ。なんで天馬に」
「神主の武の師を務めている相手を簡単に強い、なんて認めれば、彼は種族の名の通り天狗になると思ってねぇ。それじゃ困るんだよ。妖と妖祓が対峙した時のことを考えるとさ。それと、まあ、普通に同族嫌悪に近いものを感じてね。つい挑発しちゃったんだ」
当たり前のように隣に立っていた、その場所を、彼が取ろうとしているのだから。
「僕はもう、その場所に立てない。それが悔しくてね」
もしも、翔と同族であれば自分が武を教えていたかもしれない。今の自分はそれすらも、気軽に教えることができない。ああ、ほんとうに悔しい。悔しい。
笑いながら答える朔夜は、黙って聞く翔の肩に手を置き、微笑んだ。
「良い師を持ったね。安心したよ。ああでも、まだ君の隣は譲らないよ。たとえ種族が違っても、君の隣で夢を一緒に追えることはできるからね。そうだね。僕の寿命がきたら、まあ譲ってあげないこともないかな。ああ、でも彼が弱かったら、死んでも譲ってあげないかもしれないけど」
朔夜は意地悪く、ちょっと拗ねたように呟いた。
「――和泉くんのこと、そんなに悔しかったの? 天馬くん」
夜道を歩いていると、肩を並べる雪之介からこんな疑問を投げられた。天馬は彼を一瞥し、鼻を鳴らした。
「あいつは強い。異種族の翔をおもんばかり、あいつのために自分を挑発し、そして……神主を守り通せるだけの強さを求めた。本来は己が守る立ち位置に立ちたいだろうに」
「和泉くんは翔くんの幼馴染だからね。気持ちが強くなるんだよ」
「その気持ちを押し殺し、自分に立ち位置を譲ろうとしているのだから敬服する」
まあ、簡単には譲ってくれなさそうだが。
天馬は肩を竦め、もっと強くなると小さく呟く。べつに朔夜に認められたいからだとか、弱いと言われただからとか、そういった理由で強さを求めているわけではない。ただ純粋に……彼の心の強さが羨ましく思えた。
そんな自分が少々器の小さい男に思えたので、もっと強くなりたいと思う。
「そのためにも、和泉から必ず一勝する。次は負けない。仮に負けたら、まあ、次の妖祓長を認めてやらなくもない」
天馬は鼻を鳴らした。その顔は負けず嫌いにまみれていた。
こうして、ひっそりと好敵手のような関係になった二人のことを、翔は飛鳥にこう話したという。
「言葉足らずで、行動力があり過ぎて、周りを巻き込むほどわけ分からんことしてくる二人。すげー似てるんだよ! 俺はもう胃に穴があきそうだっ、仲良くしてくれ!」
見守るこっちの方が寿命が縮みそうだと、翔は延々嘆いていたとか、嘆いていなかったとか。
(終)
二人とも相棒、右腕でありたいと思っているので、自然と好敵手になっていたりいなかったり。
手合わせの時は二人ともしゃべりますが、普段はまったくしゃべらず、翔を困らせているそうな。




