烏天狗と護影、時々雪童子
大学にいる時の翔と、陰ながら見守る友の烏天狗と雪童子の小噺。
かの悪名高き名張一族の末裔、名張天馬は北の四代目の頼みを買って南の十代目の護影を担っている。表向きは武を教える師として十代目に仕えているが、水面下では未熟な妖狐の守護を受け持っている。
十代目は元人の子、加えて妖狐と化してまだ一年余り。妖の世界も殆ど把握していない。南の地を救ったと称賛されている十代目だが、一方で若過ぎると冷ややかな声も多い。それは老若男女問わず、囁かれている意見だ。
それだけならまだしも、悪しき妖は彼の未熟を弱点として突こうとする。
そこまでの気持ちに至らずとも、意地の悪い輩は十代目に声を掛けて難問を振り、その答えを求めようとする。
答えたところで幼稚な答えだと失望し、答えられないならば、期待外れだと落胆する。そういう心のない輩も多く存在するのだから、世の中は嫌なものだ。
妖の世界にいる間は十代目の周りに百を過ぎた妖狐達がいるため、不遜な態度を取る者は少ない。
しかしながら、人の世界にはお目付けが少ない。特に大学の場では多くの生徒が集っており、十代目も生徒として過ごしている。
その機会を狙って、ちょっかいを出す者が必ずいるのだ。
十代目は妖達を良い目で見ていることが多く、悪意ある妖の生徒に声を掛けられ、試されるようなことを聞かれても真摯に受け答えする。
またある時は実力を見ようと、体育の時間にわざとらしい態度を取ることがある。
今がまさにそうだ。天馬はバスケットボールを床でつきながら、不遜な輩の会話を読唇術で盗む。
いかにも調子に乗っていそうなチャラい妖二人が向こうでバスケットボールをつき、「十代目に当ててみっか」「避けられるか賭けしようぜ」と、ひそひそ声で話している。
耳の良い十代目はバスケに夢中なのか、それに気付かない。傍にいる雪之介にバスケットボールの持ち方を教えて、それをゴールに放っている。
自分達がどういうことをしようとしているのか、輩達は分かっているのだろうか。妖の世界で育った妖ならば、そんな無礼講は決してしないだろう。命知らずもいいところだと分かっているから。
彼等はきっと人の世界で育った妖だろう。
ヒトの社会に紛れて暮らす妖は、時折人に近い価値観を持つ。相手が此の地を統べる頭領だと分かっていても、その脅威を忘れてしまっているのだろう。
いや、知らないと言うべきか。
大学にいる十代目は威厳の欠片もない。天馬も一時期はそれで落胆したものだ。が。
「翔」
「ん? なんだ、てんっ、あぶね!」
自分の持っていたバスケットボールを翔に向かって力いっぱい放る。
それは、もはや人間の目には見えない速さ。逸早く反応した翔は、それを両手で受け止めると、「パスにしちゃ酷くねーか?!」と文句をぶつけてきた。
「ドッジボール並だぜ、今の」
「いや……それ以上だって。たぶん人間には、今のボールは見えなかったと思うよ」
雪之介が意味深長に視線を投げてくる。
「お見事」天馬は旧友の視線を受け流すと、さすがだと十代目を褒め、パスしてくれと片手を挙げる。
「お相手を願えますか? 少々退屈してきたので」
「へえ珍しいな。天馬からそんなことを言うなんて。この時間は見物することが多いのに」
ご尤も。
人間と共同の体育など高が知れているため、不参加を決め込むことが多い。動きをセーブすることが苦手なのだ。
「バスケは嫌いじゃないもので。ワン・オン・ワンで勝負、なんてどうでしょう? 相手の先の先まで読み、一点を取った方が勝ち」
「天馬相手に先を読む……きっちぃこと言うなお前」
「棄権します?」
「ぜーってぇやだ。面白そう。天馬とスポーツで勝負とか燃えるじゃん!」
単純妖狐は間髪も容れずにやると答えた。
基本的に体を動かすことが好きな翔は、組み手以外で武の師と勝負ができることに燃えていた。とても燃えていた。その証拠にひょっこりと耳と尻尾が出ている。
「ここが人間の世界だって忘れないでよ」
周りには人間の生徒もいる。しっかりと釘を刺してくる雪之介に、「わーってるって」気を付けると翔は手をひらひら振る。
たぶん、あまり分かっていない。表情が緩み切っている。
「よし、やろうぜ。雪之介は審判な。言っとくけど手加減はしないでくれよな」
「分かっています。したら、怒るでしょう?」
「当たり前だ。手加減されて喜ぶ勝負なんてあるかよ」
決まりだ。天馬は持っていたバスケットボールを床に向けると、それをつき、向かい合う翔の姿を捉える。
既に向こうは真剣だ。縦長の瞳孔が細くなり、自分の動きを一瞬一秒と逃さないよう映している。
右、左、また右。左と見せかけて、右。
天馬が右に回ると、先の先を読んでいた翔が回ってボールを奪おうとする。普段、己が稽古をつけているせいか、読みの力は初日より遥かに上がっている。
その一瞬の思考が脳裏に過ぎったせいで、ボールが奪われた。
すぐさま取り返すために、翔の先の先を読む。相手は騙し打ちが苦手だ。最初に見た方角に必ず行こうとする癖がある。
翔が左を見た。一度は右に行こうとしたが、天馬には通用しない。
「ちょ、ちょっと二人とも。もう少し、手加減しないと」
雪之介が周りの目を気にし始めた。
それだけ自分達の動きが目立ってきているのだろう。しかし、加減なんかできるはずもない。相手が本気なのだ。本気でぶつかなければ、こっちがやられる。
視界の端に影が見えた。それに反応した天馬はシュートを打とうとする翔のボールを横から掻っ攫うと、その影に向かってバスケットボールを投げた。
影の正体は別のバスケットボールだった。衝突したバスケットボールは双方、弾みを付けて別々の方角へ。
ひとつはボールを投げつけてきた例の妖二人に向かい、ひとつは高い天井にぶつかって、勢いが衰えないままバスケットゴールに飛び込む。
かろうじてボールを避けたようだが、すっかり血の気を失くす妖二人に視線を流した後、天馬は翔に向かって目尻を和らげた。
「勝負ありましたね」
「はああ?! 今のありかよ! カッコ良過ぎるだろ今のゴールっ、じゃね、あり得ないだろ今のゴール! 審判、今のなしじゃね?!」
あれはありなのか、ありなのか。
翔がしきりに審判に指示を仰ぐが、聡い雪之介は自分の勝負の真実に気付いたのだろう。ありだと答え、この勝負は天馬の勝ちだと告げる。
「嘘だろ?」
素っ頓狂な声を上げる翔に目を細めると、天馬は輩達に歩み寄り、建前の謝罪をしに行く。
「すまない。怪我はなかったか? ボールの軌道上、十代目に向かっていたものでな。ああするしか手がなかったんだ。あの方に怪我を負わすわけにはいかない」
何故ならあの妖狐は南の地を統べる、此の地の頭領なのだから。
少しでも危険を察知してしまうと武の師として、体が動いてしまうと天馬。それこそ悪戯だろうがなんだろうが。
「まさかお前。気付いて」
輩のひとりがハッ、とした顔で見つめてくる。
「さあ」天馬は感情の宿さない声で返事をして踵を返す。
「自分はボールしか見えなかった。十代目を試す塵は見る価値もなかった」
去り際、「あの名張のくせに」と悪態をつかれたが、慣れているため聞き流す。
十代目の知名度のおこぼれにでもあやかろうとしているのか、という陰口に対しては、「どうとでも言え」
「何と言われようが自分は十代目を選んだ。それだけだ。他人に言われる筋合いはない」
選んだからには、自分のしたいようにする。
それだけの話だと天馬は嘲笑すると、審判に猛抗議している翔の下へ向かう。
どうしても納得がいかないのだろう。翔はもう一度ワン・オン・ワンをしようと持ちかけてきた。
しかし雪之介が駄目だと勝負を打ち切りにさせる。
「さっきので周りにすごく目立ったんだからね。二人ともバスケはおしまい。見学するよ」
「い、一回だけ! あと一回だけ! 雪之介ってば!」
「しつこいよ翔くん。はい、休憩しようね」
「あと一回っ、一回、いっかい! 俺はしつこさに定評があるんだ。勝負をするまで言い続けてやるだからな」
「翔。勝負の褒美はアイスでいいですよ。自分、小豆アイスが好きです」
「ちょ、待ってよ天馬! もっかいしようぜ! もっかい!」
駄々を捏ね始める妖狐の腕を掴み、ずるずると壁際に向かって歩く。しかし、翔は本当にしつこい。相手が折れるまで意見を主張し続ける。それを天馬は知っているため、耳元で喚き散らす妖狐に提案する。
「この時間が終わって、十分ほどコートが借りれるか担当に聞いてみましょう。人間の目がなければ、勝負ということで」
途端に翔の目が輝き、「俺、聞いてくる」今すぐに聞いてくると言って腰を上げてしまう。まだ一応体育の授業なのだが、翔は居ても立っても居られないのだろう。
苦笑して彼の背中を見送っていると、「心配だよ」隣の隣にいた雪之介がため息をついた。
「天馬くん。わざと、翔くんに勝負を持ち込んだね。気に食わなかったの?」
なにが、と聞くのは野暮だろう。
雪童子は賢い、すべて天馬の行動を見抜いている。
「十代目の名が汚されては、師を買っているこっちとしても困るんでな。正直、翔にはもっと頭領としての威厳を持って欲しいもの」
「大学は彼にとってプライベートな時間だからね。翔くんもオフになっているんだよ」
「それによって大学の妖に舐められていることを、翔は分かっているんだろうか?」
「分かっていると思うよ。へらへらとしているわりに、周りをよく見ているからね。そこらへんは比良利さんからも鍛えられていると思うし。それでも、彼は一大学生として過ごしたいんでしょ。妖の世界じゃ、常に頼られる存在だから気も張っているはずだ」
「それでも、翔は頭領だ」
「そうだね。翔くんは頭領だ。周りからどう評価されようとも、ね……天馬くん。ああいったことばっかりしていると、自分が悪く言われるよ。ただでさえ良い噂は持っていないでしょ。僕は心配だよ。これでも君との付き合いは長い方だと自負しているからさ」
天馬は雪之介を横目で見やる。
言葉通り、自分と雪童子の付き合いは長い。
彼とは幼少からの付き合いだ。彼の父は天狗であり、天狗の繋がりで自分の父と交流があった。謂わば親を通した付き合いなのだが、天馬は一度たりとも雪之介の口から名張一族の敬遠を聞いたことがない。
遠慮しているわけではなく、単に興味がないのだろう。彼は名張一族と付き合っているわけではなく、名張天馬と付き合っているのだ。
そういった点では蝶化身の白木夕立もそうなのだろう。彼女とは馬は合わないが、一族の陰口を二人は叩かない。天馬はそれを知っている。
だからこそ彼等と接する時は幾分、肩の力が抜ける。
「お前も物好きだな。これだけ付き合いが長いと」
「だって天馬くんは馬鹿にしないじゃん。僕が本気で人間になりたいと憧れていても。笑ったことなかったでしょ?」
「笑うような話じゃないだろ。お前の夢だ」
「叶わない夢だけどね。僕は人間のぬくもりが好きなんだ。生き方は不器用だし、寿命は短い。でも……優しい種族だと知っている。僕の手は冷たい。絶対に人を温めることはできない」
軽く両手を見つめる雪之介は、ズレ落ちる眼鏡を押し上げ、「せめて君達みたいに体温があったらいいのにね」と、力なく口元を緩ませる。
天馬は雪之介の手を一瞥し、何も言えずに視線を戻す。氷の体温を持つ雪童子になんと声を掛けてやればいいのか、どうしても言葉が見つからない。
「僕は人間にはなれない。翔くんは、人間から妖になったのに。どうして妖は人間になれないんだろう……なーんて、言ったところでどうしようもないんだけどさ」
「錦」
「けど、僕は翔くんを見ていると、そんな夢を見なくても人間と付き合っていけるんじゃないかって錯覚するんだ。僕が人間になりたいのは、人間の友達と合わせたかったから、だしね」
十代目は元人の子、若き妖狐として種族転換した妖。
どちらの気持ちにも理解を示せる彼は、二種族の架け橋となるために理想を追う。それこそ貪欲なほどに。
夢を叶えるために努力をしていることも知っている。
そんな彼を知っているからこそ、大学の場くらいはオフでも良いのだと雪之介は考えているそうだ。
「だって、疲れちゃうじゃん。いつも頭領の顔なんてさ。周りに馬鹿にされたって、舐められたって、翔くんはやる時はやる。僕達がそれを知っていたら、翔くんだって十分だと思う」
「そんなものだろうか」
「後で翔くんはやり返すタイプだから大丈夫だよ。頭領として、それなりに威厳を見せつけるって。まあ、それでも翔くんはこれからも試されるだろうから」
その時は友達として、自分達が動けばいいと雪之介。
天馬ばかり動かなくてもいいと彼は微笑み、「武の師としてプライドはあるだろうけど」たまにはこっちにも役を回して欲しいと肩を叩いてきた。
実は護影としても動いているのだが、雪之介には何も言っていないし話してもいない。これからも、自分は彼に話すことはないだろう。
だが、雪之介の気持ちにどこか心が揺らいだ自分がいるのも確か。
「友人、か。そう言っても良いのだろうか」
「当たり前じゃん。翔くん泣くよ。ただでさえ、大学の友達ができないって嘆いているのに。ちなみに僕は友達として翔くんが馬鹿にされたり、天馬くんが陰口叩かれているのを聞いてしまうとムカつくよ。そいつの足元を凍らせて転ばせてやろうかって思うくらい」
頬を崩して笑う彼につられ、天馬も優しい眼でそれを返す。
頃合いを見計らったように翔が戻ってくる。彼は見るからに落ち込んだ顔で、「次の時間も体育があるんだってよ」だから無理だったと唸り、悔しそうに尾を床に叩きつけた。
まだ勝負にこだわっているらしい。本当に子どもっぽい頭領だ。
「天馬とバスケ勝負できると思ったのに。くそ、手合わせは駄目でもスポーツなら勝てると思っていたのに」
「なに、天馬くんに勝ちたくてバスケに執着していたの?」
「今の俺が手合わせで勝てるわけねーだろ? ならスポーツだと思って。俺、勉強は駄目だったけど、体育の成績はいつも5だったんだ。勝算ありそうじゃんか」
五本指を立て、「張り合いがないと楽しくないじゃん」と翔が歯茎を見せて笑った。手合わせはお粗末でも、スポーツなら絶対に張り合えると十代目は主張し、今日が駄目なら明日にでも勝負をしようと持ちかけてくる。
こういう顔を大学で見せているから、周りの妖に舐められるのだが。
けれど、雪之介の言うように、大学にいる間くらい彼はオフでいいのだと思う。さっきみたいなことがあれば、自分が動けばいい。護影として、そして名乗ることが許されるのなら友人として。
体育が終わると、翔は真っ先に着替えを済ませて食堂へ行こうと提案してくる。
そこで飲み物でも買うのかと思いきや、彼は三本分のアイスを買うために自販機の前に立つと「一緒に食おうぜ」
「今日は俺の奢りだ。ま、一応勝負に負けたし? 一応だけど。雪之介もついでに奢ってやるから味を選べ」
「ごちそうさまです。チョコで宜しく」
「へいへーい。天馬は? 小豆はなさそうだけど。抹茶でいいか?」
こんな日々も悪くないと思う。天馬は小さく頷き、自販機のボタンを押す翔と先にアイスの封を開けている雪之介の下に向かった。
その際、一言。
「翔。次の勝負も自分が勝つ予定なので、その時こそ小豆のアイスをお願いしますね」
生意気だと返され、笑われたのは直後のことだった。
(終)
大学で過ごす時の白狐、雪童子、烏天狗の姿。
大体三人で行動していて、わりと仲良しさんです。翔にとっては貴重な友人なので、二人とよく行動しています。




