青葉は片仮名料理を作りたい
ある寒い日に温かい物が食べたいと言った翔と、好物を作ってやりたい青葉。
彼女、一尾の妖狐、キタキツネの青葉には悩みがあった。
それは常日頃から抱えている、ひっ迫している“月輪の社”をどうしていこうか、やら。未熟な第十代目南の神主をどう立派にしていこう、やら。はたまた、巫女修行をどうしていこう、やら。そういった問題ではない。
ただ、とても些細な悩みであった。されど、青葉にとって大きな悩みであった。
「オツネ。本当にこの、てぇれび、とやらで分かるのですね」
翔の暮らすアパート。テレビ前にて。
震える手でリモコンを構えていた青葉は再三再四、姉のギンコに念を押していた。もう、何べんも聞かれているせいか、銀狐は欠伸をしながら頷いている。飽きているのだろう。
だが青葉には、たいへん重要なことであった。欠伸をするギンコに、キィキィと文句を言い、真面目に聞くよう声を張った。
すると銀狐。さっさと番組を替えないと、終わってしまうぞ、と尾で指してくる。それに慌てた青葉は、たくさんあるボタンをまじまじと見つめ、恐々指でリモコンのボタンを押す。何度も押していると、青葉の見たがっていた番組が顔を表した。
『さて、今回紹介させて頂くお料理は寒い冬にぴったりの“シチュー”です』
そう、彼女が観たがっていたのは料理番組であった。
契機は翔の一言であった。
ここ最近、肌が痛くなるほどの冷たい北風に堪えた彼は、毎日のように寒いと言って帰って来る。冬なのだから当たり前なのだが、翔は寒さを苦手としているらしく、早く夏になって欲しいと嘆いていた。
そんな彼が三日前、ぽろりとこのようなことを言う。
『寒い時には温かい鍋だよな。シチューもいいな。スープなんか腸に染みるだろうな』
鍋、はまだ分かる。
しかし後者二つは、聞いたこともない料理であった。
その時は聞き流して終わっていたのだが、あくる日、翔は家族のためにみんなで食べれるよう甘いお菓子を買って来てくれた。
いつもそう、彼はみんなが好きそうなものを買っては、一緒に食べようと誘ってくれる。ああいうことをされると、やはり嬉しいもの。青葉とて、自分のためにチヨコレイトを買ってきてもらえると、やはり嬉しいものだ。
けれど翔はいつもしてくれる側だ。
食の違いもあるせいか、彼の方も滅多なことでは、自分達にあれこれと食べたい物を言わない。
それに気付いた青葉は思った。
たまには、彼の好きそうなものを作って喜んでもらいたい、と。
だって彼は大切な家族なのだ。
いつも美味しそうに自分の手料理を食べる姿を知っているからこそ、彼の好物を作って食べてもらいたい。青葉はモリモリとご飯を食べる翔の姿が好きなのである。
計画を立てる、ここまでは良かった。
問題は料理である。元人間の青葉であるが、人間である期間が短かったせいか、彼の好む料理の大半は存じ上げません……である。
しかも、片仮名の多い料理ばかりなので困ったもの。おとなしく鍋にしておくべきか、と考えるも、青葉は思い留まった。
片仮名に弱い自分が、彼の好む片仮名の料理を作ったら喜ぶついでに、驚いてくれるのではないか。感心してくれるのではないか。
想像した青葉は、ちょっと得意げになりたい気持ちであった。
ということで、片仮名の料理を作ろうと思い立った。それを姉に相談したところ、偶然にもテレビとやらで片仮名の料理情報が得られると知る。しかも、今日はシチューの情報が得られるとか。
さっそく青葉はカラクリ箱と向かい合い、気合を入れて番組を観始めた。今し方の出来事であった。
「オツネ、困りました。しちゅう……の作り方なのですが、聞きなれぬ物ばかりでした」
テレビを観終った青葉は力なく眉を下げてしまう。
「じゃがいもは分かります。人参も分かります。けれど、ぶろつこり? べぇこん……ちぃず……牛乳、お水をナントカシーシー……」
番組半ばから、異国の言葉としか思えなかった。
料理の完成形は覚えたが、作る過程で躓きそうだと青葉は唸る。
と、ギンコがシチューでなくとも良いのではないか、と助言した。翔の好きなものは何もそれだけじゃない。お湯を注ぐアレを作ってやればいいとクンクン鳴く。
「ええ? らぁめん、ですか? 確かにあれは簡単ですし、翔殿も好きでしょうけれど」
定期的にカップラーメンが食べたくなると言った翔は、あれを実に美味しそうに食べる。
それでもいいかな、と一瞬迷った青葉だが、あれは自分で作った料理とは思えない。やっぱりシチューを作ってやりたい。青葉は思い改める。
『おや、姉妹で仲良く何をしているんだい?』
大家の部屋にいた祖母が帰って来た。
ぎくり、と身を震わす青葉の代わりに、ギンコが答える。翔の好きな物を作って喜ぶ顔が見たいそうだ、と。
暴露する姉のちょっとした意地悪に、青葉は噛みついた。
「ち、ち、違います! わ、私は自分の知識を深めるために、お料理を研究しようとしたまでなんです。学び、そう、これは学びなのです」
赤くなる頬と、支離滅裂な言い訳。長寿のおばばにはすぐ嘘だとばれてしまう。
『そうかい、そうかい。坊やはいつも、わたし達の好物を買って来てくれるからねぇ。でも、あの子の好物はわたし達だけじゃ、たぶん作れないよ。そうさね、雪童子の坊やか、烏天狗の坊やに聞いておいで。あの子達なら、ヒトの世界で暮らしているから、料理にも詳しいんじゃないかい?』
的確な助言を頂戴した青葉は、さっそく彼らを頼ってみることにした。
もちろん、話す時は慎重に、翔がいない時を見計らって。できるだけ、翔には驚いてもらいたいのである。
さて、先に事を聴いた雪童子の雪之介は、微笑ましいと開口一番に感想をくれた。
「いいよなぁ。青葉さんに作ってもらえる翔くん、超羨ましいじゃん。ああ、でも、僕……熱い料理はできないんだ。ほら、僕は雪の化け物だから。ごめんね」
烏天狗の名張天馬に尋ねると、こう返される。
「シチューですか。申し訳ありません、我が家は和食が中心でして。ああでも、必要なカロリー摂取など計算はできるかと。武道を極める者として、カロリーは大切なので。少々お待ちを、今調べてまいります」
なんだか惨敗した気分である。
早々に詰んでしまった青葉は、料理の出来る人間のおなごに聞くべきだろうと思いつつ、そのような知り合いはいないと落胆してしまった。
ひとり、思い当たる人物はいるものの、なにぶん相手は妖祓であり、友人とも知人とも言えない関係。気楽に声を掛けられる者ではない。
諦めるべきなのだろうか。鍋にするべきなのだろうか。
(……やっぱり、しちゅう、を作らないと。翔殿の好物でないと、意味がないですもの)
こうなれば考えるより行動である。
青葉はひとりでスーパーマーケットへ赴いた。とりあえず、食材を買ってから考えようと思ったのだ。が。
(お野菜は分かりますが、しちゅう……の素とやらは、いずこに。うう、牛乳とはこれでしょうか。低脂肪牛乳? え、同じ牛乳じゃないんでしょうか?! ええっ、ちぃずってこんなにあるんです?!)
そう広くもないスーパーマーケットで、てんやわんやになっていた。
なにせ、店にはたくさんの種類の品があり、何が何処にあるのか、ちんぷんかんぷん。苦手な片仮名は当然、青葉には分からないアルファベット表記もある。
ついでにいうと、青葉はほぼ一人でスーパーマーケットへ赴かない。
彼女が買い物をする場所、といえば、妖の世界の市場なのである。
(お金の計算は、翔殿に教えてもらいましたが……品が分からないのでは意味がありませぬ。雪之介殿か、天馬殿にお付き添いを願えば良かったなぁ)
どうして、うまく事が運んでくれないのだろう。自分はただ、大切な家族のために好物の料理を作ってやりたいだけなのに。
「青葉。こんなところにいたのか」
ため息をついたところで、まさかの翔が姿を現した。
どうやら店に来て、二時間はさまよっていたようだ。翔はいつまで経っても帰って来ない青葉を心配して、わざわざ探しに来てくれた様子。
「どうしてここが分かったんです?」
「おばばから聞いたんだよ。青葉がスーパーに行ったことをさ。驚いちまったよ、お前がスーパーにひとりで行くなんて聞いた時は。こういうところ苦手じゃないか」
なにか欲しいものでもあったのか。
なら、どうして自分に声を掛けてくれなかったのか。一緒について行ったのに。
たくさんの言葉を浴びせてくる翔は、本当に心配してくれたのだろう。決まりが悪くなってしまう。
「あれ。青葉、お前……なんで牛乳を二本も入れているんだ? そんなに好きだっけ」
まさか牛乳と、低脂肪牛乳の差が分からないから、取りあえずどっちも入れた、とは言えず。青葉はたらり、と一つ冷や汗を流す。
「それに、チーズもこんなに入れて。クリームチーズに、カマンベールチーズまで入ってる」
それも、仕方がないではないか。どれを買えばいいのか分からなかったのだから。好物を作るのだから、食材も完璧にしたい青葉である。
「牛乳にチーズ。青葉が買いそうにないのばっかりだな」
じーっと見つめてくる翔の眼差しに気圧され、早々に観念した。どう足掻いても、今の状況は言い訳をしたところで誤魔化されそうにない。
「その、作りたいものがありまして」
「作りたいもの? 何を作ろうとしたんだ。この食材じゃ、想像もつかないんだけど」
「……し、しちゅう……というものを作ろうかと」
間。
「しちゅう? まさかシチューのことか? なんでまた」
「教養を広めようかと思いまして。私も、もう少しヒトの世界の文化を知るべきかと」
「あ、俺が食いたいって言ったからか。そっか、お前、俺のために作ってくれようとしてくれたのか」
ああもう、最後まで失敗の連続である。
瞬く間に青葉の計画を見抜いた翔は、それはそれは照れ臭そうに頬を掻き、「だから天馬があんなことをしてきたのか」と意味深長なことを言う。
聞けば、シチューのカロリー計算したものを渡されたとか。
まったく意味の分からない翔は呆然とし、それを目にした雪之介が腹を抱えて大笑いしたのだとか。
やっと意味が分かったと納得する彼は、満面の笑みを浮かべて、こう告げる。
「一緒にシチューの材料を揃えようぜ。むっちゃ食べたい」
それは青葉が何よりも見たかった、嬉しそうな顔であった。
本当はシチューを作り、それを目にした翔の喜ぶ顔が見たかったのが、これはこれで良かったのかもしれない。
その証拠に彼は始終ご機嫌だった。品を選ぶため、いつもよりも軽快な足取りで青葉を連れ回す。
態度で分かる。
自分のために行動を起こしてくれたことが、なによりも嬉しいのだと。子供のようにはしゃぐ翔に、つられて青葉も心が躍ってしまった。
「ひえっ、外は寒いな……」
スーパーマーケットを出ると、真っ暗な空から、ちらほらと雪が降り始めていた。
身震いする翔は青葉の着物姿を見て、さらに寒いと苦言する。
一応羽織りはあると言うが、「ぜってぇ風邪引くって」と言って、自分の首に巻いていたマフラーを青葉の首に巻いた。
寒がりのくせに、誰かに防寒具を貸すなんて、とんだお人好しな狐である。でも、そういうところが青葉は好きなのだ。
「これでよし。さ、帰るか。おばば達が心配しているぜ」
当たり前のように三本の内、一本の尾っぽを差し出す翔に向かって、小さくはにかむ。
「はい。翔殿の好物を作って差し上げないといけませんからね。あ、でも今回は私一人では無理そうなので……」
「あはは、一緒に作ろうな。俺も料理できる方じゃないから、足を引っ張るかもしれねーけどさ」
実のところ翔の好物にシチューは入っていない。
好きでもなく、嫌いでもなく、ただ寒い時に食べたくなる物、として分類されている。
けれど、今宵から大好物になるだろう。不慣れなヒトの世界で、青葉がここまでしてくれたのだから、好きになるに決まっている。
「それにしても、天馬はなんでカロリー計算なんかしたんだ。青葉、なんか言ったか?」
「私は作り方を聞いただけなのですが……かろりぃというものが、何なのかも分からないですし。翔殿、かろりぃとは何です?」
「んー……っと、カロリーって日本語にするとなんだぁ?」
「お料理と関係あるのですか?」
「あるっちゃあるけど、ないっちゃないような……いいんだよ。青葉、いまはシチューだぜシチュー。俺、ベーコンが入ったシチュー大好きなんだ」
「ふふっ、私も食べるのが楽しみです」
瞬く星空の合間から雪が落ちてくる。その空の下、尾を結び合う二匹の狐がシチューの話で盛り上がった。
温かな会話をしているせいなのか、それとも温かに笑う狐達のせいなのか、アスファルトに着地する前に、雪の結晶は溶けていった。
(終)
その後、家に帰った翔は家族と一緒にシチューを作ったそうです。それはそれは嬉しかったようで、後日雪之介たちに自慢したとかしなかったとか。




