楽しい学問のすゝめ
時に翔が妖達に教えることだってあるのです(本編にも掲載中)。
目下、翔は平成生まれの現代人である。
便宜の良い暮らしの中で何一つ不自由ない生活をしてきた彼にとって、妖の世界、その価値観は非常に時代を感じる。
例えば井戸から水を汲む。釜で飯を炊く。火鉢で暖を取る生活風景。草木を愛し、自然を愛する妖の価値観。どれも翔にとって不慣れな環境である。どこぞの時代にワープしてしまったのかと頭を悩ませることもしばしば。それだけ妖の世界は昔ながらの知恵生活を大切にし、大自然と共存していく形を取っている。
さすがに衣類や下着系に関しては現代のものが良いと思う翔だが(褌を穿く勇気はない)、妖の文化は積極的に受け入れようと思っている。
また翔は人の世界では受験生として、妖の世界では神主出仕として目まぐるしい日々を過ごしている。
人と妖の世界の共存を望む翔にとってどちらも大切で、どちらも外せない学び。過酷ながらも朝昼は学生として、夕夜は神主出仕として勉学や稽古に精を出している。
「比良利さま。お客様がお見えです。至急お会いしたいそうですよ」
さても今宵はいつもと違う時間を過ごしそうである。
日輪の社行集殿にて師である北の神主・比良利に神主舞を見てもらっていた十代目南の神主出仕の南条翔は、北の巫女の訪れによって飛躍しようとしていた足を止めた。
「客人じゃと?」入り口に立つ紀緒に視線を配る比良利が確認を取る。首肯する彼女はやや困ったように眉を下げ、客人が荒れている旨を伝えた。火急の用事と見える。
承知した。比良利は返事をし、翔には続けて稽古に励んでおくよう命じた。
翔は行集殿を出ていく比良利と紀緒を見送る。その時は思うこともなく、北の神主は多忙だな、と感想を抱く程度。自分もいずれそういう立場になるのだろうかと一抹の不安を抱きながら、一人で神主舞を踊っていた。
しかし三十分ほど時間が経った頃だろうか。
行集殿にまで轟く喚き声によって翔の肝が飛び上がる。
一体全体何事だろうか。むくむくとこみ上げてくる好奇心に負けてしまい、翔はつい稽古を放り出して様子を見に行く。声は憩殿の表から聞こえた。中庭に咲き乱れたヒガンバナ畑を横切り、忍び足でそっと表を覗き込んでみる。
そこには困り果てた神職達が顔を揃えていた。
おかしいことに月輪の社の者達もいる。大方、青葉は紀緒に付き添って仕事を、ギンコはツネキと遊んでいたというところだろう。では月輪の社の留守は猫又のおばばと旧鼠七兄弟か。しみじみと考えていると、面会を求めてきた妖三人が助けて欲しいと神職達に懇願した。
彼等の名は鳴釜と呼ばれる者。人の容はしていれど、奇妙なことに釜をかぶっている。相手は釜の付喪神だ。釜をかぶった妖の顔は分からず、けれど首から下は立派に蓑を纏っている。よって余計に奇抜に見えた。誰が誰なのか翔には見分けもつかない。
話は戻り、どうやら鳴釜達は比良利に助けを求めているようだ。
声を揃えて息を吹き返してやって欲しいと彼に縋っている。
息を吹き返してやって欲しい。人命救助、いやこの場合は妖命救助の要請だろうか? 首を傾げている翔だったが、「まことの話かのう」困惑した北の神主が疑問を投げかけた。
「この鉄の箱が生き物とは思えぬのじゃが。開ける蓋もなければ、中に入る空間もなさそうじゃし。なんともおかしな形をしておるし。はて、この無数の穴はなんじゃろうか?」
比良利は箱、と呼ばれる金属を持ち上げてはあらゆる角度から眺めているようだ。翔の方角からでは見えない。
「我々は毎日のように箱の歌声や雑談を聞き、励まされていたのです。ゆえに、これは生きているのです! いえ、いたのです。なのに先程、急に声がおかしくなり、最後には苦しそうに声が掠れ……きっと箱は付喪神の半妖だったのでしょう。こちらが話し掛けてもうんともすんとも言わなかったのですが、不思議と声を変え、時に一人芝居をし、我々を楽しませてくれました。刻も教えてくれたのですよ! よく分からない言葉も発していましたが、箱にはいつも元気をもらっていました」
「半妖……と、言うてものう。妖気も感じなければ、気配も感じぬのじゃが」
いいえ、これは半妖なのです! 付喪神なのです! そう言い張る鳴釜達が比良利に救ってくれるよう何度も頭を下げている。
ますます彼は困り果て、どうしたものかと紀緒達と知恵を振り絞っている。
翔は懸命に背伸びをして付喪神となっている箱をようやく目にする。
「へ?」思わず間の抜けた声を出してしまった。鳴釜達が息を吹き返して欲しいと頼んでいる箱は、比良利の言うとおり、妖でも半妖でも生き物でもなかった。銀色に伸びたアンテナに、スイッチが複数、無数の穴は流れる音声を聞き手に流すためのもの。名称はラジオカセットなり。
遠目を作った翔は思う。そら比良利さん達が分かるがわけない、と。
「ひとまず妖気を送ってみる、かのう……」
「薬の調合は如何しましょう?」
「……そうじゃのう。付喪神の気を探らなければ調合も安易にできぬし」
そのような会話を真面目にしている妖達と時代の差を感じる。
翔の目には機械を初めて触れたおじいちゃんおばあちゃんの図にも見えてならない。いや、年齢的には間違っていないのだろうけれど。
比良利達の下に向かう。「ぼん」来たのかと糸目を見開く比良利に会釈、鳴釜達にも会釈をすると、箱を貸してみて欲しいと手を伸ばす。北の神主が箱を差し出した。翔は迷わず箱を裏返し、指の力で蓋を開ける。
鳴釜達がそんなに乱暴に扱っては駄目だと自分を非難するが、「大丈夫ですから」翔は聞く耳を持たずに中にセットされていた電池を取り出す。
「単三電池か。よし分かった。鳴釜さん方、十五分ほど此処で待っていただけますか? すぐに息を吹き返しますので」
箱を比良利に返すと、翔は皆を置いて駆け出す。
月輪の社で着替えを済ませ、通学鞄から財布を取り出すと人の世界へ。向かう先はコンビニだ。
はてさてコンビニで買い物を済ませた翔は再び浄衣に着替えると、同じ歩調で皆の下に戻る。
今か今かと待ち構えていた鳴釜達の前に立つと、「これは人の世界で使用されているものです」名をラジオカセットだと告げ、買ってきた単三電池を定位置にセットする。蓋を閉めスイッチを押すと軽快な音楽がその場に流れた。
驚愕と歓喜の声が混じり合う。
片や本当に箱が歌っていると感心を持つ妖達、片や息を吹き返したと手を取り合う鳴釜達に頬を崩し、翔は持ち主にそれを返す。
「ラジオカセットは電池を力として動いていますので、もし動かなくなったらこれを先程の場所に嵌めてみて下さい。我々で言えば食事のようなものです」
「難しい単語ばかりで分からないが、らじおかせつとの食事なのだな、これは。つまりここが口の部分と?」
一から十まで説明しなければいけない苦労を噛みしめながら、翔はラジオカセットの使用法を一通り説明する。
電池で動いていることや、機械なので粗末には扱ってはいけないこと。また水を苦手としており、それに浸けてしまえば一発で壊れてしまうことを伝える。
理解しているのか、していないのか、とにかく鳴釜達は頷くばかりなので、もしも分からないことがあればまた自分を訪ねて欲しいということで事を片付けた。一度に説明をしても混乱させるだけだろうから。
鳴釜達はラジオカセットが息を吹き返したに大喜びだ。
一人が翔を抱きしめ、「さすがは時期十代目神主ですな!」褒めちぎってくる。
翔としては己の生まれ育った世界の文化を教えただけなのだが、妖の世界に生まれ育った鳴釜達とっては救済の手を差し伸べられたも同じなのだろう。鳴釜達は毎晩のようにラジオを聴いているリスナーらしく、ラジオを掛けながら仕事をしているのだという。
“Good evening everyone! さあ今夜も始まりました。皆、明日は華金だけど予定は埋まっているかな?”
ラジオが始まったようだ。
鳴釜の一人がいつも冒頭はこれで、何を言っているのか分からないのだと翔に伝えてくる。
異国の言葉なのだから当然分かる筈もないだろう。翔はこんばんは、みなさんと言っているのですよ、と教える。簡単な英語なら自分にだって教えられる。得意げに言うと「ほう!」鳴釜の一人が感嘆。ではこれが以前これで言っていた“セクシー”や“アイドル”とは何だと質問を重ねてくる。
これによって翔は恥ずかしい思いをしながら彼等に説明をしなければならなくなったのだが、それは余談にしておこう。
とにもかくにも人の世界で培った知識が役に立って良かった。
未だにラジオカセットを生き物、同胞と見ている鳴釜達ではあったが、物を大切にしようとしているのだから無理に訂正をしなくとも良いだろう。翔は鳴釜達を見送り、また何か遭ったら自分のところに来るよう再三再四言葉を送った。
青いあおい神主出仕ながらも妖の問題を解決することができた翔。本就任したらもっと皆の悩みを解決できたら良いな、と微笑ましい気持ちを抱いた。
「して翔よ。らじぃおかせつと……とは人の世界の道具と申したが、仕組みはどうなっておるのじゃ? それに電池とはなんぞや? どのように声が流れておるのじゃ。あそこに生き物が住んでおるのかのう?」
「……え、えーっと」
「今回のことはわしにとって大きな学びとなった。わしは多くのことを主に教えるが、お主もまたわしに教えることがあろう。やはり神主道とは日々精進。日々学びじゃのう」
「……う、うん。俺も比良利さんに教えられることがあってう、う、嬉しいよ。でも」
「しかし、ぼんは異国の言葉を会得しているのじゃのう。わしもまだまだ青い。それも学びたいのう」
(お、俺が比良利さんに英語を教えろって? そんな無茶苦茶な!)
「何から学ぼうかのう。どれも学びたいのじゃが……」
この直後、勤勉家の比良利に事細かな質問攻めにあい、翔は彼と日月の神主になった暁には苦労するだろうな、と近未来を予測してしまう。
今宵は日々送る神主修行とは少し違った一日。おもしろくもあり、人に教えることに苦労を味わう一日を過ごす翔だった。
(終)
人の世界の知識が役立つお話。
翔は妖達に教えられるだけではなく、持っている知識を妖達に教えることで、どこかしらで彼等のためとなっているのです。




