第36話 裏切りの理由
――正しいことをしたはずなのに、いつも後ろめたさを感じていた。
兄弟のように育ったランバルトを、その罪を暴いて、絶望の淵へ追い遣って死なせてしまった。国の為に、王家の為に。大義という名の盾を持ち、正義という名の剣を振るった。だが、その剣を使う程に、心の中で罪の意識が脹らんでいった。
そして今、シャルルの言葉によって、彼は自分の罪を認める事になった。
「……父上、ラスフォンテへお戻り下さい」
シャルルの言葉に、ヴィランドはのろのろと顔を上げた。
「それは……陛下のお言葉でございますか」
「ライディアスではなく、シャルルのお願いにございます」
「自ら、官職を辞せよと……」
「はい」
「……そうか」
「はい」
王命であれば、ヴィランドの罪を公にしない訳にはいかない。そうなれば、メルブランカ王家の醜聞を、大陸中に広めることになる。
「……分かりました。ただ、陛下。一つだけ、申し上げておきたいことがございます。罪があるのだとすれば、それはすべて、この私の罪。陛下に罪はございません。陛下は、正当な王位の継承権のもとに、王位にお即きになりました。陛下は、メルブランカ王家の《《純粋な血を引く、紛れもなく正当な継承者》》……その王位には、微塵の偽りもないという事を、どうかお信じ下さい」
ヴィランドの言葉に、シャルルは眉をひそめた。この期に及んで、ライディアスの正当性を口にする、というのは一体……
「……それは、どういう事なのです」
「ご政務にお励みなさいます様」
問いには答えず、枢機卿はそこに額づきそう言った。そして目を伏せたまま立ち上がり、どこか覚束ない足取りで部屋を出て行った。
自分を玉座に座らせた父ヴィランドに、シャルルは初めから不信感を持っていた。そのせいで、その人となりを、素直に認めることは出来なかった。しかし、今になって思えば、この傾いた王国を支えていたのは、ヴィランドに他ならない。その仕事振りを間近で見ていながら、自分は正当な評価もしなかった。果たして彼は、私利私欲のみで、このような過ちを犯す者だろうか。何か、別の理由が、あったのではないだろうか。シャルルの心に、そんな疑問が浮かぶ。
「……アルベール、ここは任せてもいいか?」
「はい。しかし、兄上は……?」
「私にはまだ、確かめねばならぬことがある」
そう言い残し、シャルルはヴィランドを追いかけた。
「お待ちください、父上」
廊下の途中で追い付いて、シャルルがヴィランドを呼び止める。
「……ランバルト王の罪、とは一体何なのですか。この国を代価に魔女と契約したことがそうだと言うのなら、それは、この国に正しき王を取り戻す為に……」
「あの契約は、私に対するランバルトの復讐だった」
ヴィランドが疲れたような笑みを見せて言った。
「……共に来るがよい」
ヴィランドはそう言い、シャルルを自分の執務室へといざなった。
――私は、お前に奪われた本当の子供を取り戻す。そして、お前に奪われたこの国を、お前の手から奪い去ってやる。この契約は、その為の契約なのだからな。
……そう、あの時。あの王はそう言った……
そう追い込んだ身で言うべきではないのだろうが、あの頃の王は、もうすでに、まともではなかった。
「私の願いは、我が血を引く息子を取り戻すこと。それだけなんだ……頼むから……頼むからキース。私を救ってくれ」
その望みを叶える為に、魔女の甘言にそそのかされて王が縋ったのは、強力な魔法結晶……即ち、女神の瞳石を有していた、古くからの友人であるキース・ラ・ヴァリエ男爵だった。だが、彼は友人の懇願に、頑として首を縦に振らなかったのだ。
「なぜだ……なぜ、あんな魔女と契約なんかしたんだ。この国と引き換えの願いなどっ。聞き入れられると思うのか。なぜっ、そんな馬鹿なことを……この国を守るべき王が、国を売るなどっ……」
そう言い捨てて、キースは王の御前を辞した。彼らが、その友の姿を目にしたのは、それが最後だった。それから程なくして、ノースラポートの惨事の報がもたらされ、キース・ラ・ヴァリエの死と共に、女神の瞳石も失われた……自分たちは、そう思ってた。
一度手にしながら、再びその希望を失うことになったランバルトの絶望は想像以上に大きく、彼は失意の中で、それ以上生きる意味を見いせなかったのだろう。そのまま衰弱し、程なく息を引き取った。そして、最後まで叶わなかった彼の願い……強い思い残しによって、シャルルは呪いを受けることになったのだと言えた。
執務室に入ると、ヴィランドは真っすぐに机の前に行き、懐から取り出した鍵をその引き出しの一番上の鍵穴に差し込んだ。
その引き出しの奥には、小さな飾り箱が仕舞われている。《《あの日》》以来、一度も開かれていない箱が。
そこに封じられたものは、彼の罪そのものだった。その中に彼が封じたものは、一枚の小さな細密画である。一度くしゃくしゃに丸められて、それから丁寧に広げられた細密画には、痛々しいほどに細かな皺が、傷の様に刻まれている。そこに描かれていたのは、王太子シャルルの十五歳の肖像だった。
その肖像を手に、ヴィランドは自らの罪について語り始めた。
ヴィランドが、その肖像を初めて見たのは、アルベールの伯爵位の継承式に、ランバルト王がラスフォンテに行幸した時のことだった。
ランドメイアに行っていたシャルルが、十五歳の記念に描かせた細密画を送って寄越したと言って、ヴィランドに嬉しそうにそれを見せたランバルトの顔は、今でも良く覚えている。それが、彼が見たランバルトの最後の笑顔だったからだ。
その時のヴィランドは、皮肉な思いを胸に、それでもランバルトに、その罪を突きつける事を躊躇しなかった。彼は、隣室に控えていたアルベールを呼び、国王と対面させたのだ。
アルベールの顔を見た瞬間、ランバルトは、その理由を求める様に、ヴィランドに縋る様な視線を向けた。
「これが、私の息子、アルベールです」
淡々と答えたヴィランドは、卓上に置かれたランバルトの震える手が、そこにあった肖像画を握りつぶしている事に気付いた。
ランバルトはその時初めて、シャルルが自分の息子ではないと悟ったのだ。ランバルトは無言のまま、部屋を出て行き、ヴィランドは丸まって床に落ちたその肖像を、拾い上げて懐に収めた。
その後、自室に戻ったヴィランドは、正義と罪の意識とのはざまで迷っている自分に言い聞かせる様に、肖像画を丁寧に広げて皺を伸ばし、飾り箱に収めて、罪の意識と共に封印したのだった。
従兄弟どうしで、年の近かったランバルトとヴィランドは、幼い頃より兄弟の様に育った。王太子であったランバルトは、どちらかというと控え目な性格で、幼い頃は、いつも、年上で活発だったヴィランドが、主導権を取る事が多かった。
やがてヴィランドは、同じ王家の血を引きながら、そして何事においても、自分の方が、実力が上であるにも関わらず、いつもランバルトに対して、一歩譲らなければならないのだと気付く。
それがヴィランドには歯がゆく、常に、ランバルトに対して、自分の力を誇示することで、その憂さを晴らすようになっていた。
そして長い年月のうちに、ランバルトはヴィランドに対して、心の奥で劣等感を持つようになっていた。そんな劣等感から生まれた誤解に気付きながら、ヴィランドは事実を告げなかった。ランバルトが誤解したことによって、リシスは初めから、存在しなかったことになるからだ。
シャルルがヴィランドの息子であるという事実。そして、その母親が、カザリンであるという不幸な誤解は、ランバルト王の心を強烈な孤独と絶望で満たした。
「……そんな非道な行いまでして、あなたが玉座に執着する理由は、一体、何なのです」
「……」
シャルルの問いに、ヴィランドが押し黙る。そんな父の様子に、シャルルは溜息を一つ落として言った。
「全てが、ランバルト王の呪いのせいであるというのなら、その呪いを解くためにも、
その子であるリシスをこの国の王とすべき、と。私はそう考えています」
ヴィランドが顔を上げた。
「お前は、玉座を下りるというのか」
「星見が予言したのだそうです。リシスの星が、私の星の光を消し去るのだと。リシスが現れた今、私はここにいるべきではない、という事なのでしょう」
シャルルの言に、ヴィランドは深いため息をつく。そして、徐に言った。
「……リシスは、あの者は、メルブランカ王家の血を引いてはおらぬ」
ヴィランドの言葉の意味を、シャルルはすぐには理解できなかった。
「……リシスは、間違いなく、ランバルト王のお子なのでしょう……?」
「だから、問題なのだ」
ヴィランドの苦渋に満ちた表情に、シャルルは行き当たった答えを、信じられない気持ちで口にした。
「……まさか……それは、ランバルト王が王家の血を引いていなかった……という事なのですか」
ヴィランドから、否定の言葉はなかった。
――父が罪を犯した理由。それを、ようやくシャルルは理解した。
王家の血を引いていないのに、王位に付いたランバルトを、ヴィランドは罪人だと考えたのだ。
「……あれは、存在そのものが、罪だったのだ……」
レスター・ド・ヴィランドがその事実を知ったのは、彼が枢機卿の位を受けるべく、神殿に籠り女神に祈りを捧げていた時のことだった。
その時、彼はその声を……女神の神託を聞いたのだ。
――ランバルト王には、メルブランカ王家の血が流れていない。
イリーシャは捕らえられた時、すでに愛する人の子を身籠っていた。そして、その子供を守るために、ライディアス4世の妃となった。その時生まれた子が、カイン・フォン・エスティラート、後のランバルト王その人だった。
ランバルトは、ライディアス4世の子ではない。その事実が、ヴィランドの心に暗雲を呼び起こした。そして、この国を守るためには、正しき血筋の王を玉座に座らせなければならないのだという思いに憑りつかれた。
それから数年の後、ランバルト王の婚儀が決まった。花嫁は、南のアランシアの王女カザリンだった。その出迎え役として、ヴィランドはアランシアへ赴いた。
アランシア王家は、ランドメイアの太陽の神殿に祀られる、太陽神ラーラを信仰している。婚儀に際しては、その神殿に詣でなければならないというので、ヴィランドもこれに同行し、ランドメイアへ渡った。
そして、ヴィランドは、このランドメイアのカーシアという街で、一人の少女と運命的に出会い、その少女……ジュリアをメルブランカへ連れ帰り、妻とした。
一年後、このジュリアが、双子の男の子を生んだ。その子供の産声を聞いた時、ヴィランドの中に、遠大な計画が閃いた。
間もなくランバルトの子供も生まれてくる。それは、王家の血を引かない子供だ。王位を王家の血を引く者の手に取り戻すのだ。その考えが、正義という鎧を纏って、みるみるうちに彼の心を支配した。
その数日後、王宮で、カザリンが王子を生んだ。そして、ヴィランドの命を受けたファラシアによって、子供のすり代えが行なわれた――
実は、カザリンの不義以上に、母であるイリーシャの裏切りが、ランバルトの絶望をより大きなものとした。ヴィランドに告げられた真実を、ランバルトは勿論、否定してくれるものとして、イリーシャに確かめたのだ。だが、そこで彼の母が口にしたのは、否定の言葉ではなく、謝罪の言葉だった。
そうして、絶望の淵に立たされたランバルトは、仮面の王として、無為の日々に身を沈めていった。メルブランカの時は止まり、国は滅びへと傾き始めた。
父親の長い告白を聞き終えて、ライディアスは深い溜め息を吐き出した。
「……お話下さり、ありがとうございました、父上」
このような重い秘密を、彼の父親はもう長いこと、たった一人で抱えて来たのだと思うと、その重圧はいかばかりであったのかと思わざるを得ない。
この国の王として、そして、この国を傾けてしまった罪人として、ライディアスは、これから自分がどうすべきなのかということを、改めて考え始めた。
二十年前に、ファラシアがリシスを王宮から連れ出した所を、衛兵に見付からなければ、リシスは、あの時、殺されていたのだろう。ファラシアが、衛兵に見とがめられ、王妃の部屋に連れ戻されたせいで、父上は、生まれたのは双子だったと、そう言わなければならなかった。ただ、子供をすり変えるだけだった筈が、双子だから、一人は殺さなければならないのだと、そう辻褄を合わせなければならなかった。そのせいで、カザリン様は、リシスの存在を知って、助命を懇願なされた――
そうして、リシスは生き延びたのだ。リシスを殺してしまっていたら、父上の罪は、取り返しの付かないものになっていただろう。そこに、ライディアスは運命を感じた。確かにリシスは、始祖メルブリア王の血を引かぬ者なのかも知れない。だが、彼は逆境の中から、この場所に戻ってきたのだ。それこそが、彼が王としての資質を持つということなのではないだろうか。その強さこそが、傾きかけたこの国を立て直す力になるのではないだろうか。
ならば、この国の王として、自分に出来ることは……




