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第1話 窓の中の姫君

 修道院の朝は早い。ルイーシャはまだ眠い目をしばたたかせながら、大きめの水差しを抱えて回廊を歩いていた。絶え間なく出るあくびは、彼女の菫色の瞳にアメジストのようなきらめきを与えている。

 今朝は当番だから、皆が起きた時に顔を洗うための水を井戸へ汲みに行かなくてはならない。仕事はそう辛くはなかったが、朝が弱い彼女にとって、この当番は少し億劫だった。

「ふわぁぁぁっ……」

 回廊をそれて中庭に足を踏み入れた所で、本能のままにとびきり大きなあくびが出た。水差しを両手で抱え込んでいたから、手で口を覆うこともせず、あんぐりと大きな口を開けた盛大なあくびを遠慮なく披露する。こんな朝早く、どうせ見ている人などいないのだから、と。完全に油断していた。がっ、

「おはよう」

 少し笑いのまとった声が上から聞こえた。

「……リっ、リシアーナっ……様っ」

 別棟の二階の窓が開け放たれていて、そこから絵に描いた様なお姫様がこちらを見下ろして微笑している。


……み、見られた……わよね……


 穴があったら入りたい、というのはこういう時の為の言葉だろうか。ああ、顔が熱い。自分の顔は今、きっとみっともなく真っ赤になっていることだろう。


 リシアーナ様の肩に流れ落ちるプラチナブロンドは、起きたばかりだからか、いつものように結い上げられてはいなくて、それがかえって美しさを倍増させている。何度見ても綺麗だなぁと思ってしまう、宝石のような濃い蒼の瞳に自分の姿が捉えられているのだと思うと、いたたまれない。


……寝癖もろくに直していないのに、この仕打ち。神様あんまりです……


 ルイーシャの黒髪は、太くて腰が強いせいで、一度寝癖がつくと、容易には治らない。今朝も、絶望的な気分になりながら、直しきれなかった寝癖と共に朝のお勤めをしていた訳である。因みに、寝坊して慌てていたから、これも又、どうせ誰も見ていないという理屈で、被り物をして来なかったのを、今、とっても後悔している。


……天罰ですよね。神様、ごめんなさい……


「朝早くから、ご苦労様」

「はい、えぇと、そのっ……」

 その綺麗な瞳と目を合わせ続けるのが辛くて、ルイーシャは視線を逸らす。あの目をまともに見てしまうと、半端なく心拍数が上がるのだ。


……ええええと、な、何か言わないと……き、気まず……そ、そうだ……


「リシアーナ様、そんなに窓から身をのりだして、誰かに見られたらどうなさるんですか」

「こんな朝早くに、誰も見ていやしないよ」

「その油断が、思わぬ事態を招くってことも、ありますからっ」

「そうだね、ルイーシャが言うと、説得力があるね」

 そう言って優雅な笑みを向けられる。


……ええ、ええ、そうでしょうとも。憧れの人に、寝癖頭の大あくびを見られた人間の言葉の重みを、どうぞかみしめて下さいませ……


「それに、その、男言葉も、誰かに聞かれたら……」

「今日は、君が水くみ当番だって聞いたから、顔が見られるかなと思って、待っていたんだよ」

「……リシアーナ様」


……どうして、そういうコトいうんですかぁ……


 からかわれているのだとは思う。

 でも、そんなこと言われたら、嬉しいに決まっている。

 嬉しいけど……だけど……だから、つらい。


「ふふ。ルイーシャは心配性ね。大丈夫。このわたくしに、抜かりはなくてよ」

「……後生ですから、早く部屋にお戻り下さい」

「つれないわねぇ……ルイーシャは私と会えて嬉しくないの?」


……そんなの……嬉しいに決まってます……でも……


 そのお姫様の名前は、リシアーナ・リンドバルトと言った。

 ルイーシャより二歳年上で、ルイーシャより十倍以上美しい。

 それなのに、その完璧なお姫様は、あろうことか、男、なのだ。


 年が近くて、意気投合して、秘密を共有して、心を許した、こんな生活では得難い女友達。……だと思ったのに。


……男って……


 神様、何の冗談なんでしょうか、と思った。見ればこちらがコンプレックスを抱くほどの美貌のお姫様の性別を、どうして男なんかにしたんですか。と、一度神様にお伺いしてみたいところだ。オマケに、以来その顔を見るたびに、高まる心拍数って。こんな彼のことを好きなのだと、絶望的な気分の中、自覚した。好きになったって、その気持ちの先に、未来なんか見えやしない。


 訳ありなのだ、ということは、世間知らずな自分にも分かる。

 一介の修道女見習いなどが、関わることが許されるような、簡単な理由ではないのだということも。


……だって、幽閉されてるわけよね?しかも、性別を偽って、お姫様として、よ?……男なのに……


 あなたは多分、これ以上、近づいてはいけない人だから。

 ここにはいない筈の幻のお姫様で、見てはならない禁忌の存在。


……ああもう。わたし、何で、そんな面倒くさい人を、好きになってしまったのかしら……

 

 彼のことを好きなのだ、と思うたびに、もれなく漏れ落ちる溜息をついて、ルイーシャは肩を落とした。

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