第11話 湖畔の女主人
嵐の街道に、風のうなり声に交じって、後方から幾つもの蹄の音が追いすがって来る。馬上のアステリオンは後方を振り返り、軽く舌打ちをした。
「アステリオンっ」
リシスの声に、アステリオンが馬を止めた。リシスもまた手綱を引く。
「追手だ。案外早く見付かってしまったな」
「恐らく、この街道に、待ち伏せしていたのでしょう」
「月隠れの夜だってのに、ご苦労なことだな」
「どうするんです?」
「どうもこうも、追い付かれたら、片付けるしかないだろう」
アステリオンが、カラを馬から下ろした。カラは、そのまま草むらに身を隠す。アステリオンは、腰の剣を抜き放った。リシスも諦めた風に剣を抜く。
稲妻が光り、その青白い光が、街道の上に、数人の仮面の男達を浮かび上がらせた。
「貴族か……致命傷は避けないとまずい、か……」
言いしな、アステリオンは一瞬のうちに相手の位置を確かめると、天を裂く様な雷の音を合図に、鐙を蹴った。次の稲妻が光ったとき、すでに男の一人が、地面に身を横たえていた。そして、アステリオンは、もう別の男と剣を交えている。人数の差など問題にならないと悟った男達は、とにかく最初の目的だけを達成する事にした。
二人の男が、両脇からリシスに剣を浴びせかける。リシスは、危ういところで避けはしたものの、馬上でバランスを崩してよろめいた。剣の稽古はキャルに相手をしてもらっていたから、剣の扱いは満更でもないと自分でも思う。だが、馬上で片手で手綱を操りながら、というシチュエーションはこれが初めてだった。バランスが思うように取れず、剣先もぶれがちになる。
そんなリシスの隙を付いて、幾つもの剣先が迫る。それを反射的に受けたものの、何度目かに力負けした。相手の剣に弾かれて、手の剣を取り落とす。
「く……そっ……」
丸腰になったリシスに、男達は、間合いを詰める。稲光に、剣が無気味な輝きを帯びて翻った。風を切るような音がして、リシスの仮面が割れた。そして、今一つの剣先が、リシスの身に迫る。それを見ていたカラが叫び声を上げた。
「アスティっ!」
アステリオンがそちらを見ると、リシスの左腕を剣が貫くのが見えた。突然襲った激痛に、リシスは馬上に身を伏せたまま動けないでいる。
「リシス!」
アステリオンがたちまちリシスに駆け寄って、その場に居た男を切り伏せる。気付けば、男たちは皆、地に伏して雨に打たれていた。
「大丈夫かっ?」
「……へい……き……です」
辛うじてそう返事をした所で、リシスは馬にもたれ掛かったまま気を失った。
男たちが片付いたのを確認して、走り寄ってきたカラは、リシスの腕から、止め処なく血が滴り落ちているのに気付いて息を飲んだ。
「出血が多いわ。……どこかで手当てをしなくては」
「ああ」
アステリオンは、自分のマントを裂いてリシスの腕をきつく縛って止血をした。
「ねぇ、アスティ……あれ見て」
カラが指した方角に、雨に霞む闇の彼方に、微かな明かりが見える。
「少し遠いな……湖の反対側か」
アステリオンはカラを自分の馬に乗せ、自分はリシスに同乗する。そして、街道から外れて、遠くに光る明かりを頼りに、湖畔のぬかるんだ細い道へ馬を進めた。
屋敷を訪れた旅人を見て、ドア口に出てきた執事は、驚くよりも不思議そうな顔をした。こんな夜更けに訪れるにしては、奇妙な取り合わせだった。少年と女とそして、少年は怪我をしているらしい若者を背負っている。執事が戸惑っていると、中で、女の声がした。
「あの子が帰ったの?バトラー」
「……ジュリア様。まだ、お休みでございませんでしたか」
「あの子が、もうすぐ来る頃ですもの。嬉しくて、眠れないのよ」
「若様は、朝にならなくては、いらっしゃいませんよ」
「そう……ね。……あら、お客様?」
「はい。旅のお方かと……この嵐で、道に迷われたようです」
「まあ……それは大変……中へお通しして差し上げて」
「よろしいのですか?」
「構わないわ……こんな嵐の晩に外にいたら……風邪を……ひいてしまうもの……」
女の声が消え入る様に途切れた。執事が軽く肩をすくめて、扉を大きく開く。
屋敷の中に目をやったアステリオンは、階段を上っていく女の後ろ姿を見つけた。燃えるような炎の色、鮮やかなファイアレッドの髪が、彼の瞳を支配する。メルブランカではめずらしい髪色である。もっと南の、海洋民族に多い色だ。
「こちらへ……」
執事が無表情なまま、アステリオン達を屋敷の中へ案内する。廊下を歩きながら、その室内装飾に目をやって、アステリオンは、ここは、かなりの身分の貴族の屋敷であると思った。
「こちらのお部屋をお使い下さい。お着替えは、そちらのクローゼットにございますので、お好きなものを……」
「ありがとうございます。助かりますわ」
愛想のないアステリオンに代わって、カラが愛想よく、執事に応対する。
「連れが怪我をしておりますの。お薬を頂けます?」
「承知いたしました。すぐにお持ちいたしましょう……ところで、お客様。一つだけ、お願いしておきたいことがあるのですが」
「何でしょう?」
「その……奥様の事なのですが」
「奥様?」
「明日、奥様にお会いになられて、もし、お話をなさることがございましても、奥様のおっしゃることには、適当に相槌をお打ち下さるだけで、あまり、深くお話になりませぬように」
「あの……それは、一体どういう……」
「奥様は、時折、正気を無くされますので……」
そう言いおくと、執事は、頭を下げ、そのまま立ち去った。
「おい、カラ、灯りに火を入れてくれ。リシスの服、替えてやらなきゃ」
「ねぇ、アスティ。今の話、聞いてた?」
「ああ……いくら豪勢な暮らしをしてたって、こんな人里離れた、もの寂しい所に独り住いじゃ、気も塞ぐだろうからなぁ」
「あんなにお綺麗な方なのに、お気の毒ねぇ……」
カラが、執事から渡されていた蝋燭の火を壁のランプに移して、蝋燭を吹き消した。部屋が明るいオレンジ色に染まる。アステリオンはベッドにリシスを下して、ふとその顔に目をやって、服を脱がせようとしていた手を止めた。
「こいつ……まさか、女か?」
カラが、リシスの額に掛かっていた髪をそっとよけた。そこに現われたのは、美しい少女の顔である。
「あらまぁ……きれいな娘ね。着替えは、あたしがやるから。アスティ、外に出てて」
カラが、アステリオンの肩を叩いて、退室を促した。
「……マジかぁ。女とか……マジかよ……」
軽く衝撃を受けている感じのアステリオンが、ぶつぶつ言いながら部屋を出て行ったのを確認して、カラはリシスの顔を濡れた布で拭った。
「……うぅん……」
「気が付いた?」
カラが声を掛けると、リシスが目を開けた。
「ここは……」
「大丈夫。ここは安全だから。傷の手当てをしてあげるわ。起きられる?」
リシスは頷いて、上半身を起こした。傷が痛むらしく、少し顔を歪める。
「ねぇ、リシス。あなた、きれいな顔してるけど、男の子よね?」
「え?」
カラに言われて、リシスは慌てて顔に手をやった。
「仮面が……」
「ああ、さっきの斬り合いの時に落ちたのね。そんなにいい顔してるのに、仮面で隠すなんて、もったいないこと。貴族の習慣って、分からないわ。アスティったら、あなたがあんまり美人なんで、完璧に勘違いしてたわよ」
「私は、この顔、ずっと好きじゃなかった」
気が抜けたように、リシスが言う。
「……私は、事情があって……女として育てられたんです。でも、もっとちゃんと男らしい顔立ちだったら、違う人生になったんじゃないかって……」
「……と思ってたけど、最近、そう悪くもなかったかなと、そう思い始めている、かしら?そういう顔ね」
カラが、リシスの表情を伺うように言う。
「こんな私でも、好きだと言ってくれる人がいるから……ルイーシャは、私の事情を承知の上で、私がいいと言ってくれた。だから、私は、ルイーシャを必ず幸せにすると決めたんです」
「リブランテへは、その為に?」
「母上に会って、あのムーンローズの剣を返さなくてはならないから……」
リシスは、壁に立て掛けられている剣に視線を落として、言葉を切った。カラもつられて、剣を眺める。
ムーンローズが王家の紋章だということは、カラでも知っている。リシスが何故、この剣を所有しているのかは分からないが、多分、リシスは、王家に所縁の者なのだろうと思っていた。それが、剣を返すというのは、どういうことなのだろう……
「ねえ、前に言ってた、連れって、そのルイーシャって娘の事?」
「ええ。この先の、エルシアの村で待っているんです」
「……幸せに……ならなくてはだめよ」
不意に、カラが真面目な声で呟くように言った。
「カラ?」
「色々と、大変だろうけどさ。頑張りなさい。あたしたち、絶対応援するから。アスティのことですもの、きっと……ああ、そうだわ。あなた、このまま、女でいなさいな。アスティってフェミニストだから、その方がきっちり守ってくれるわよ」
「私に、女装しろと?」
「初めてじゃないんですもの。きっと似合うわ。それに、追手を巻くにも、その方が都合が良くはなくて?」
「それは……」
「決まりね?リシス。そうね、名前も変えたほうがいいかも……」
「名なら、リシアーナ」
リシスが、半ばやけっぱちな口調で言った。
「リシアーナ・リンドバルト。それが、私の本当の名だ」
「リシアーナ、素敵な名ね」
にっこり笑ってそう言ったカラに、リシスは、少し複雑な顔をした。