第3話
「結ばれる……結ばれない……結ばれる……結ばれ、ない……はぁ。」
内裏に咲いていた花を1枚ずつ剥がしながら行く末を託してみた。上手くいかぬな。もう一度やってみよう。
だらだらと続く議論の中、ふと思った。私はこの場に必要なのだろうか。阿呆共がくどくどとまとまりの無い事を言い合い、話がようやく整ったところで頷くだけ。これなら鹿威しでも勤まるではないか。
考え出すと心のしこりが大きくなってくる。
もしかしたら私が寝ている間、つまらぬ議論にいそしむ間、今日こそはと期待に胸を膨らませ姫の家に向かっている間、翁の気まぐれで姫を男に会わせているかもしれない。
冬になり、人だかりが減ってきたから、それなら家にとあげているかもしれない。
姫の心変わりで先着で部屋に通しているかもしれない。
いや、きっと家の周りにいた時間を計っていて、決まった時間を経ると会わせてもらえるかもしれない。
まずい、まずいぞ。政務に休みなど存在しない。確かにあの4人なら祝ってやりたいと思ってはいたが、あの呆け、石持。あの男にもしも縁談が行ってしまえば翁の財力だ。いくらでも出世できるだろう。
国を知らぬ、生きているか死んでいるか分からぬ男が世に出てしまえば国も半死半生の府抜けたものになってしまう。
いかん。都が滅びる。
私は財などいらない。娘さえいればいいのだが、他のものにとっては翁の金も目的になっているのであろう。このままでは帝の御威光が衰え、世に混沌が蔓延ってしまう。
大宝の律令を発布し、日の本をより統べられた帝の力が無くなってしまえばこの泰平の世が消えてしまう。唐や高麗に今度こそ取り込まれてしまうかもしれない。
これは問題だ。私こそ姫の元へ行かねばならない。この国の、帝のためなのだ。私が行かねば国が滅んでしまう。
帝のためならば恥など無い。いくらでも木に登ろう。池に潜ってもいい。
いや待てよ。川下りを楽しんでいたら間違って池に流れ着いたというのはどうだろう。
――雷に撃たれたように光が弾ける。
そうだ。これはいい。たまたま歌を詠んでいました。お聞き願えますか?
ふむ。いいぞ。自然だ。自然であるのにこの上なく素晴らしい。私が女であったらその様な男が突然現れたら一生を添い遂げたい。むしろ都合のいい女に成り下がってもいい。
うん。これだ。その後は家などに上がらずとも庭に犬の入るような小屋を建てて貰えばそこに住んでもいい。いや、住まわせて欲しい。あの女中に――
いや、あの女中、翁が怪しむから家には入るなと言っていた。落ち着け。
池に流れて庭に入るというのは白か?黒か?
黒では無いかもしれない。偶々だ。事故なのだ。
しかし白でもない。熟考すべきだ。もし誤って翁に愛想を尽かされてしまえばいのいちに私が脱落してしまう。
いかん。国の命運がかかっているのだぞ。安易な考えではいかん。
そう、一つずつ考えるべきだ。まずは家に行ける日を増やすべきではないか?まずそこからだ。
病を……いや、大納言に言った手前詐病は駄目だ。友を裏切れば裏切られる。いや、私も恋の病を……ああ、いかんいかん。それを咎め、斬りつけようとしたではないか。何かないか。何か……
辺りを見回したとき、ふと暦が目に入る。
――これだ!
「右大臣殿、その書はなんですか?」
隣にいた中納言に問われる。大納言はいつものように木の上にいる。
「ああ、諸葛亮という呉の将が暦を使い吉兆を決めていたらしくてな。調べているのだが詳しく書かれているものが無いのだ。何か上手く繋げれないか探っているんだよ。これを政に生かせないかと思ってな」
「どんな時でも仕事を考えてるんですね。やっぱり阿倍様は素晴らしい」
人格者だ!と庫持が褒め称える。そう、これは帝のためなのだ。大納言、中納言。申し訳ない。今度こそお前らから頭一つ抜かしてもらう。
頭が冴えているお陰で書物がすんなり理解できる。木に腰掛け、読み進めていく度に纏まっていった。
――よし。
「……ものいみ?」
顔をこれでもかと歪ませながら誰かが問いかける。もはや誰なのか判断もつかない。
「はい。物忌です。亀卜により厄日というものを調べ、その日は凶事を避けるため外出を控え、謹慎をするというものです」
「ふむ、その厄日というものに当たるものには休みを与えるということなのだな」
「はい。昔百済から逃れてきた者に会う機会があり、その様な話を聞きました。祭事も縁起を重んずればこそ。暦を整え、職務にも取り入れるべきかと」
はったりを加える。こいつら保守は簡単には内政を変えようとしないが、こと海外の話を出せばすぐ取り入れようとする。
「右大臣もよく調べてくれたのだろう。きっと正しい。しかし暦を作るとなると……」
納得しろよ。理解できないのかも知れないが私の為なのだ。国の存亡をかけた重要な案件だ。いつものどうでもいい事とは違う。何としても通してもらわねば。
だらだらと話し合いが続く。煮え切らないやり取りに睨んでいると別の呆けが答えてきた。
「私の父が新しい物好きでその様な教えを伺ったことがあります。仏道にも障りの無いものと思いますので取り入れても宜しいのでは無いでしょうか?」
その一言で賛成派が増える。よし。よく言ってくれた。誰か分からぬが助かった。
「それでは他に異論は?……無いようですね。それでは右大臣、その様に暦をまとめていただけますか」
――は?いやいや、待て。私にやらせるつもりか?それは困る。そうなると内裏にこもりっきりだ。墓穴を掘ってしまったか……
「いえ、私が易者を集めましょう。一朝一夕ではできぬものであろうし、右大臣に長期間抜けられると問題でしょう」
助かった。誰か分からぬが感謝してもしきれない。それでも謝意を伝えようと思って振り返ると中納言だった。小声で囁かれる。
「私も休みが増えるとうれしいですからね」
胸が痛む。中納言達を出し抜こうとした策を中納言に助けてもらい通してしまった。
――はあ……
決まってしまえば早かった。中納言はてきぱきと人を集め、6日と経たず暦を整えた。公然と休めるようになり、他の者も心なしか喜んでいるようだった。
姫を貰えたら中納言には尽くそう。およそ私は太政大臣になれるであろうから彼は左大臣に任命しよう。労に報いねば。
物忌は自宅謹慎にした。大納言も中納言も外出できなくなる。胸は痛むが一人抜けだ。
その日は来客も拒む。居ようが居まいが分からないのだ。翌日が厄日なら夜通し家を眺めることができる。
気を戻し、いつものように家に集まったが、夜になっても大納言も中納言も自宅に戻ろうとしない。
「おい、帰らないのか?明日も早いぞ」
「いや、大丈夫。私は明日厄日なのでな」
「私も」
2人が満面の笑みで答える。どうやら無駄に終わったようである。観念した私は変わらぬ日々を重ねていった。