第2話
明滅する意識の中、翁に怪しまれぬように適当な話をし、今回はしょうがないと嘯き家を後にする。翁は幾分ほっとした表情で、それでも申し訳無いと何度も頭を下げてきた。
門を出ると大納言と中納言が嬉々として寄ってきた。
「どうだ、素晴らしかっただろう」
「あぁ、今生にこれほどの……あ、大納言!」
大納言の大判御行が石上と共にいた。
こいつ、この頃政務には三日に一度来ればいい方で、来たとて顔は呆けうわ言を繰り返していた。
今こいつを見ると頬はこけてはいるが眼光は鋭く光っていた。
しかしどうでもいい。酒を呑み、床に就く時のような宙を浮く心地が全身を覆っている。
それにしても不思議な力を持った娘だ。これまで溜まっていた疲れや緊張がほぐされてしまっている。
次の日、大納言は仕事に来た。うわ言は変わらぬようだが目はしっかりとしている。
それよりも他の者がだらしない。なんだ呆けた顔をして。
およそ夜を通して酒でも飲んでいたのだろう。
この都だけでは無く、今や国政を任されているのだぞ。情けない顔をして。
このような調子で国を動かされてしまっては帝が――
議会に憂いていると中納言に声をかけられた。
「右大臣殿、どうされた?呆けた顔をしてぶつぶつと。体調でも悪いのか?」
周りから焦点の合わないたるんだ目を向けられる。何を馬鹿な。それは貴様らの方だろう。
だいたい午前中には仕事は終わる。これくらい真面目に当たってはどうだ。
頭の中で毒づいたが、こいつらの顔を見ると何を言っても伝わらないと思い直し、適当にはあ、とため息混じりに頷いてやった。
数ヶ月の間、似たような日が続いた。だらだらと続く議論を終わらせ、大納言、中納言を連れあの家へ向かう。あの日から中納言はまるで生きる気力を失ったかのようだ。顔の筋肉の全てから力を抜いたような顔をしている。今にも崩れて溶けてしまいそうだ。
大納言は着くやいなや木に飛び乗り、猿のように器用に枝を渡っていく。いつもの席に収まると早速家を眺めている。風に揺らめく衣と物憂げな横顔がさながら絵のようだ。
女中には、翁に怪しまれぬようにと再訪は断られている。 私はと言うと、そこまではしたない姿は見せれないので竹の垣を分け中を覗く。
しかし、そこまでをしても一目みたいと主張する方がいいのではないか?なぜ木登りがはしたないと思うのだろう。
と、頭の中で巡っているとふと違和感に気付いた。
――待て、何かおかしい。なぜこのような場所から覗こうというのか。端から眺める必要は無いはず。近くに行けば娘を見れずとも声が聞けるやもしれん。香りを嗅げるやもしれん。ここらの男に合わせていた。何をしているというのか。もっと近くに行こう。
常識というのは曖昧なものだ。皆がやっているから当たり前、正しい事などとなぜ言えよう。もっと物事は俯瞰で見るべきなのだ。
竹垣から離れ、木登り大納言を置いて塀伝いに歩く。正面だけでなく、こちらにも人は溢れていた。
と、そこに目を輝かせた青年が呆けた男を連れやって来るのが目に入る。
「こっから見ようぜ!ってかお前連れないな。お前も一緒に見せて貰っただろう?なぜそんな情けない顔をするんだ」
「おい!分かったから強く引くな!ったく、あの女の人は一回だけと言ってたではないか。あれから一度も見れてないんだぞ。毎日連れてこられる身にもなってみろよ」
呆けた方の青年が弱音を吐いている。……ん?聞き捨てならない言葉に気付き、身体が止まった。
「おい、お前達。お前達も姫に会わせて貰ったのか?」
私の問いに2人が目を向ける。凛々しい顔をした、いかにも金持ちななりをした方がにこりと笑み、答える。
「はい!以前2人で屋敷に行ったところ、上げていただき姫に会わせて貰いました。もしかしてあなたも?」
「ああ。私も同じ様なものだ。おっと名乗っていなかったな。私は右大臣の阿倍御主人という」
「ああそうなんですね。よろしくお願いします阿倍様。私は庫持、こちらは友人である石持といいます」
石持と紹介された男がほへあと空気を漏らしながら会釈をする。
「あの、私から言うのは失礼にあたるかもしれませんが、右大臣様であっても私達は同じ志を持つもの。何故かかつてからの友人のような心持ちが致します」
庫持にきらきらした目で言われる。なるほど言われた通り見えない結束のようなものを感じる。今会ったばかりだというのにかけがえのない友のような心持ちがした。
「お前のいう通りだな。私も何故か親友に会ったかのようだ。お、門の方に私の友がいる。きっと仲良くなれるはずだ。会ってみないか?」
「是非!」
庫持と石持を連れ、木登りと呆けに会わせた。思った通りすぐに打ち解けたようである。
それからというもの、私達は毎日家の前で会った。
日が経つにつれて5人の仲はさらに良くなっていった。私を含め、皆が姫を嫁に貰いたいはず。言わば恋敵だ。なのに強い絆で結ばれている。
この4人であれば誰の元へ姫が行こうとしょうがない。むしろ盛大に祝ってやりたいとさえ思える。
そうして日々が過ぎていった。