001 砂漠を泳ぐ蛇
家出したら異世界だった俺は、ドロシーという女の子と旅をしていた。砂漠に放り出されていた俺を助け出したあげく、生活する手段の無い俺を養ってくれている女の子だ。
灰色の髪に柔らかい顔立ち。美人というよりかわいい。けど言動は強かな女の子。旅装束の上から薄い生地の大きなローブを着ていて、首に黒くて長い布を巻いていた。俺は長めの外套を羽織って、服もこの世界のものを手に入れて、やっぱり長い布を首に巻いている。
この長い布は夜は防寒具として使うし、日差しが強い間は頭を覆って熱射病を防ぐ。で、砂埃が激しいときは口や鼻を守るために使う。
「しっかし、明け方と夕方しか進まないってのは、けっこう退屈なもんだな」
進んでいる間も手綱を握っているくらいしかやることが無い。最初の頃は初めて見る広大な砂漠に感動もしたのだけれど、さすがに三日もすれば飽きてしまう。
エル知ってるか。砂漠って砂場より岩場の方が多いんだぜ。
「なーに言ってんのよ。旅ってそんなもんよ」
旅慣れているらしいドロシーは特に退屈そうでもなく、かといって楽しそうでもなく、俺の背後から声をかけてきた。
甲殻竜と呼ばれる竜種のうち、この砂漠のあるサーギア地方に生息するカンデラ甲殻竜という種類がいる。暗褐色の鱗と同種の中でも比較的横幅の広いらしいカンデラ甲殻竜は、熱や乾燥に強い特性を持っているため砂漠の横断によく使われる。
俺とドロシーが今乗っているのもその甲殻竜だ。甲殻の上に二人乗り用の鞍をつけて、俺が手綱を握っていい感じに操りつつ、ドロシーは俺の背中にくっついている。そしてたまに寝てる。
お気楽なヤツだと思うけど、そもそも今のところドロシーの稼ぎで生活している俺としては文句が言えないのだった。
「しかし、コースケの世界って本当にすごいわね。馬にも甲殻竜にも乗ったことないなんて、不思議」
「俺からすれば、甲殻竜が普通に歩いてるこっちの世界の方がすごいよ……」
話題を振ってきたドロシーに、今度は俺が応じる。
出会ってすぐに自分は異世界人だと告白した俺を、特に不審がらずに接してくれたドロシー。若干警戒心が薄いというか普通に迂闊だと思うけど、おかげさまでこうして助かってるわけだし、そこについても何も言えない俺だった。
とはいえ、俺が聞かせたこの世界とは違う世界の話を、ある程度の信憑性を持って聞いてくれたのは助かった。もちろん嘘をいっていないわけだし、だからこそ作り話っぽさもなかったんだろうけれど。
「二十歳くらいまで働かなくても良いっていうの、すごい仕組みだと思う。国民の全員に教育が義務づけられてるっていうのもすごいわよね。それでみんな働けるなら餓死する人も減るし、いろんな技術が広まるわけだから街も豊かになる」
ドロシーは細かいことを気にしない性格で、たとえば呪文と魔法の違いについて聞いても「よく知らない」の一言で切って捨てるようなタイプだ。けど、かといって頭が悪いわけではなく、日本の話をしても普通に理解してくれる。
よくよく考えれば、人間なんて簡単に食われて死ぬような世界で、巨大な生き物を殺してその恩恵で生活している人物なわけだし、頭が悪い奴には勤まらないのだろう。
「理想はそうだけどさ、やっぱうまくいかない部分もあるわけ」
「そうなんだ?」
「まあね。どういう場所にも、多分、社会問題ってのはあるんじゃないの」
「まるで体験してきたような言い方ね」
ドロシーの指摘に俺はギクリとする。体験してきたような言い方なのはその通りで、多分俺の家庭はそういう社会問題の典型的なパターンに該当していただろうと思う。どういう問題があったのかっていわれると言葉がうまく見つからないけど。
虐待……? いや、うーん。ちょっと違うのか……? 育児放棄? でも育児を放棄されたわけではないよな……。飯は出てたし。
ウーム。
なんだかんだ俺には友達もいたし、こうやって普通に人と会話もできるわけだし、特に性格がねじ曲がっているとも思えない。確かにいろいろ問題のある家だったけど、問題がすべからく悲劇を生むとも限らないしな。
そういう意味で俺は自分の家庭のこと、あるいは家族のことをなんと言っていいのかよくわかっていなかった。
「多少はね」
そういって言葉を濁すと、ドロシーはそれ以上追求してこなかった。
「……もうすぐ日が完全に暮れるから、野宿の準備をしましょう」
「了解。じゃあ、あの辺にするか」
適当に大きめの岩にあたりをつけて、俺は甲殻竜をそちらに誘導した。
◇ ◆ ◇
この世界に順応まではしてないにせよ、それでもわずか三日のうちにずいぶんいろいろなことに慣れた。
たき火のしかたとか、甲殻竜の餌やりとか、水分補給のタイミングとか。
岩を背にして、地面を掘ったたき火を作る。砂漠の夜は極端に寒い。テントのようなものもあるらしいが、それを持ち歩くと危険な生き物に出会ったときに対処できないことも多い、というドロシーの言葉に従って、砂漠では毛布で眠っている。
使うのはいろいろと魔法式の施された毛布で、被ると中の温度をある程度均質に、しかも死なない程度に保ってくれる優れものだ。《呪文の王》の権能で調べてみたけど、かなり複雑ですぐには理解できそうもなかった。
「はい、今日のご飯」
ドロシーに渡されたのは乾燥したパンと、トマトのような実を煮詰めて缶詰にしたものだ。仕組みは少し違うみたいだけど、こちらの世界にも保存食料としての缶詰はあった。フォークと缶切りも受け取って、缶詰を開いてパンを頬張る。固い。
「しっかし、本当に栄養補給だけって感じのメニューだよな」
トマトみたいな赤い実もちゃんと調理すればおいしいらしい。ただ缶詰を空けて食べるだけのこれは生暖かいし、パンは固くてパサパサだ。それでも栄養は十分で、あと四日ほどの道のりでは体調を崩すようなことも滅多にないらしい。
パサパサのパンを、煮込んだ赤い実の汁でふやかしながら食べる。
「文句言わないの。コースケの分も荷物持ってあげてるんだから、感謝しなさいよ。あなたの分、買わないでもよかったんだけど?」
俺が荷物を背負っていると甲殻竜に乗っている間とても邪魔だと言って取り上げたのは、他ならぬドロシーなのだけれど。そこには触れない。指摘したところでまた別の理由で言い返されるだけだ。
「まあおいしくはないけど、空腹よりはいいしな」
まともに飢えた経験のない身の上としては、あまりにも栄養補給だけを意識したこの食事は精神的にダメージがあるが。けれど、こちらの世界で、しかも旅の合間に豪勢な食事なんて望めないだろう。それくらいは俺にもわかる。
一通り食事を終えて缶詰を片付け、水分補給をして一段落する。
「じゃあ、いつも通り練習しましょうか」
「ああ、了解」
練習。これは少なくとも砂漠を横断する一週間の間は続けると決めた、俺とドロシーの課題だった。
要するに、俺も魔法を使えるようになろうってことだ。
「じゃあ、いつも通り目を瞑って、心を落ち着けて」
街で魔法に詳しい人に聞いてみたところ、それは要するに『空想を具現化すること』らしいとわかった。原理もなにもわからないが、この世界では強いイメージの力さえあれば、そこにないものを具現化できるらしい。そういった空想具現化のことを魔法と言って、魔法を使える種族を人と呼んでいるんだとか。
だから魔法を使うのに才能は必要でも、なんちゃらゲートみたいな特別な器官はいらないし、MPも使わない。空想したものが確かにそこにあると確信できれば、魔法になる。
なんともロマンチックな力だ。下手すれば人さえ生み出せるんじゃないかと思う。
もちろん制約もある。というか、当たり前のことなんだけど。
例えば俺がどんなに「俺の手のひらには炎がある!」と思ったところで、炎は生まれない。いや、理屈としては生まれるのだけど、ただ思うだけで炎が生まれるなんてそんなことがあり得ないと思っている以上、うまく発動しない。要するに、妄想に取り付かれてるんじゃないかってくらい強い空想だけが、魔法として発現するわけだ。
そこで、たとえばマッチくらいの火種を使って、それが燃え上がる大きな炎になるのを想像したりする。そっちの方が実現しやすいからだ。ゼロをイチにするより、イチをニにするほうが想像しやすい。それなりに納得できる理屈だった。
そういった魔法のイメージを補助するようなものはいろいろあって、具体的な道具を使うこともあれば、どこかの伝説を利用したりもするらしい。
そういった講釈を踏まえて、俺はドロシーの《岩の槍》を練習しているところだった。