024
微グロ注意?
《呪文の王》を起動して、組み立てる。頭の中に残っているこれまで観察した無数の呪文たちを結びつけ、言い訳を探す。これは儀式だ。俺がフィーナさんを殺さずに赦すための。
フィーナさんとは、離れたくない。だって、まだ好きだ。一緒に食事をして、旅をして、話をした。親父や母さんより、ずっとずっと近しい人だ。
「ドロシー、フィーナさんの背中に呪文を描く」
「ん、わかった」
短い言葉だけで意図を理解してくれたドロシーが、即座に動いた。
片方のナイフを放り、一瞬でフィーナさんを地面にうつぶせに押し倒す。フィーナさんがくぐもった悲鳴を上げるが、首と腰を抑えたドロシーは無視してもう一方ナイフを振るった。ローブの背中を切り裂き、肩と背中が露出させる。
「悪いわね、フィーナ」
「な、何をされるのかしら、ねッ!」
部屋中に広がっていた植物の蔦が、蠢いてドロシーに襲いかかる。手も足も出ない状況にあっても、フィーナさんには植物を操ることができる。この空間は今はまだ、彼女に支配されている。
「無駄。《千の火剣》」
ばらまかれたガラス片が、無数の炎の剣に変化する。
植物の触手に対抗する炎の手足のように、周囲から迫る蔦を丁寧に焼却した。地下室が煌々と燃える炎に照らされる。周囲に存在する植物達を全て焼き付くし、フィーナさんのローブも半分くらい、狙ったかのように数カ所が焼かれていた。
「あなたの植物の結界は、ローブに仕込んだ種を媒体にしているのよね。だから、いつもローブの裾から出てくる」
「……見破られていたのね」
「目は良いから。……コースケ、これでいい?」
ドロシーがいつものように首を傾げた。やることは決まっている。要するに、意趣返し。嘘つきには嘘を、だ。
「ありがとう。……権能で組み上げた呪文を、フィーナさんに施す」
呪文の剣を、ほとんど動かない左腕に向ける。一瞬だけためらい、そのまま突き刺す。自分で意識して突き刺すと、痛い。ぼたぼたと血液が流れる。
「《術式解放・血文字》」
剣をドロシーに押さえつけられたフィーナさんの背中に向ける。ドロシーは抑え込む位置と体重だけでフィーナさんを完全に制していた。体を鍛えていないフィーナさんでは、身動きが取れないらしく、抵抗らしい抵抗を見せない。
血を細長く変形させ、白い背中に式を描く。緻密で複雑な式。俺とシアラに施したように、呪文の効果そのものを魂に焼き付ける手法。生きる限り消えない呪いだ。
「一体、何の呪文なのかしら?」
「……どこにもいけないようにしてあげます。自殺も、自分の寿命を縮めるようなこともできない体にして、寿命が来るまで健康で退屈な余生を送ってもらいます。本も無く人も尋ねないこの空間に、死ぬまで幽閉するんですよ」
フィーナさんが息を飲んだ。感情が出たように思えるが、これが本音か演技か、俺には確証が持てない。
「そ、そんなの嫌よ! ふざけないで! そんなことするなら、ここで殺しなさい!」
「嫌です。俺はあなたを殺したくないし、殺せない。後悔するし、戻れなくなりそうですから。だったら、殺さずに遠ざければ良いんですよ」
「嫌! それだけは! お、お願い! お願いだからやめて! 何でもするから! 私が考え無しだった、ごめんなさい、赦して、お願い——」
ざわざわと、周囲に何かが蠢く気配がする。この建物を覆っていた植物の結界は、ドロシーの言葉が本当なら既に封じた筈だ。だとしたら、別の魔法だろうか。植物の結界でなくとも、抵抗の手段はあるということだろう。
ドロシーが、フィーナさんの腕にナイフを突き刺した。
「あぐぅッ——、ドロシー、アンタ……ッ!」
「コースケの邪魔はダメ。こうすれば、碌に集中できないよね」
ぐっちゅぐっちゅぐっちゅと音を立てながら、ドロシーがナイフを掻き混ぜる。音を聞いているだけで、胸の辺りがむずむずして気色悪い。
強すぎる痛みの中で、魔法を発動できるほどに意識を集中させるのは難しい。ナイフが動く度にフィーナさんの体が跳ねて鬱陶しいので、首の辺りを膝で押さえつけた。
「アッいああ、ぐ…ぅ……! はあ、ぁ、あガアァ!」
フィーナさんの流した血と、俺の左腕から滴り落ちた血で、白いローブが赤黒く染まる。フィーナさんの背中に描いている呪文は、もう少しで完成する。この呪文を施す際に指定する感情と、印が必要だ。
「フィーナさん、俺、フィーナさんのこと好きですよ。なんだかんだで面倒見が良いですし、訓練の傷も治してくれたし……。だけど、何もせずに水に流すことはできない」
「だ、だからって! こんな場所に閉じ込めないでよぉ……。わ、私が、やりすぎだったから! なんでもするから! ね? お願い、ゆるしてっ——ゆるしてください。痛いのも辛いのも苦しいのもなんでもしていいから! でも、退屈は! 退屈だけはダメ! それだけは耐えられない!」
三百年の退屈の反動。それがフィーナさんの根本なら、そここそが最も感情を揺さぶる脅しだ。
丸め込めると思っていたんだろう。あるいは、捨てられる程ではないと考えていたんだろう。それは当たっている。もしこの呪文を組み立てられなければ、俺はフィーナさんをただ赦すしか手がなかった。俺だってフィーナさんと離れたくない。その弱みは、正確に理解されていた。
《隷属呪文》を見ていなければ。
歯が震えそうになる。フィーナさんの悲痛な声を聞いていると、やめたくなる。でもだめだ。俺はこの人が好きだけど、この人がとても怖い人だと知ってしまった。
「苗の民の寿命がどれくらいかは知りませんが、それまでここで暮らしてもらいます。暗闇の中で、反抗心も身動きも封じて、昼も夜もわからないまま。どれくらい生きられるんですか? 俺よりは長生きですよね。つまり、俺の最後にも立ち会えないわけだ」
「何でもする! 何でもします! 奴隷に、なってもいい! コースケがしてほしいこと全部するから! アガッ……」
「フィーナ、うるさい。黙って」
ドロシーが片方の手で腕に刺したナイフをいじくりながら、もう一方の手で新たなナイフを取り出し、フィーナさんの口に突っ込んだ。舌が切れたのか、口から血が流れ出る。
血液を操って、背中に描いた呪文に三本角の印を組み込む。それから、俺自身の右手の甲にも同じ印を施した。全てを描き終えると、剣を捨てて、フィーナさんの背中に右手の平を乗せる。血で描いた式を崩さないように、慎重に。
始動のための鍵言葉を唱える。
「《傅き、敬い、曳かれ、畏れよ、迷子の牢獄》!」
フィーナさんがくぐもった悲鳴を上げる。そして、背中に描いた魔法陣から気持ちの悪い気配が発せられる。俺の血で描かれた印と魔法式が真っ黒に煌めき、フィーナさんの背中を這い回っているように見えた。
しばらくそのままの状態が続き、やがて落ち着く。砂漠でシアラと兄妹になった時を思い出して、すこし気分が悪くなる。あれは酷い感覚だった。
「はぁ——はぁ——はぁ——」
全身汗で濡れたフィーナさんが、肩で息をする。
「ドロシー、もう良いよ。ていうか、その腕、グロいよ」
「あ、ごめん。やりすぎたかな」
ドロシーがフィーナさんの口と腕からナイフを抜いた。ナイフを差し込まれていた側は何の反応も返さない。フィーナさんの体に腕を回して、慎重に抱き起こす。力はほとんど入っていなかったので、少し大変だった。
「フィーナさん、大丈夫ですか?」
「……どう、なったの?」
舌を切ったからか、すこし奇妙なイントネーションだった。
「えっと、さっき言ったこと、全部嘘です。フィーナさんにそんな酷いことしません」
「……意味が分からない」
「施したのは、《隷属呪文》の亜種です」
本来ならば魔法具にした時点で、どのような種類の感情を抑制するのかが決められている《隷属呪文》。その難しさは、呪文の対象になる感情をどうやって魔法具に記録するかという点に由来する。この部分が最も魔法的で、同時に難易度の高い箇所でもある。
感情を品物に記録して、記録された感情を呪文式に組み込む。
だから、今フィーナさんが感じているものをそのまま呪文式に組み込めば、魔法的要素は俺の代わりにフィーナさんが請け負うことになり、呪文の難易度は著しく下がる。俺がやったのは、そういう裏技だ。
「もしフィーナさんが、俺に——正確には、特定の印を持つ人物の不利益になるようなことをしようとしたら、あなたは今感じていた恐怖をそのまま感じます。思い出すなんて生易しいものじゃなく、体も心も全部支配される」
「…………」
「だから、もう今回みたいなことはできません。魂に焼き込んだ呪文だから、打ち消すことは多分無理です。俺でもなければ」
「……そう、嘘だったのね」
「はい。嘘でした」
「屈辱だわ」
フィーナさんは、疲れたように呟いた。
「相手の一番芯のところにある感情を揺さぶる。そして、事態が想定外であるほど、きっと狼狽してくれる。私がついさっきやったことを、そのまま返されたのね」
「……まあ、そうなりますか」
「あなた、やっぱり面白い。……ねえ、不利益になるようなことしなければ、これからも、一緒にいても良いの? それだけを守れば、平気?」
思わずため息をついた。
「むしろ、これだけされて、よくまだ諦めませんね……。良いですよ、別に。俺を見てるのが楽しいなら、好きなだけそうしてください」




