006
「やるじゃない」
ドロシーが薄く笑う。俺を詰問したときのような表情だ。
「で、もう一匹はどうすんの?」
「奥の手を使うわ」
俺が尋ねるとドロシーは腰に下げていた袋を取り出し、それを空中に放り投げて短剣で切り裂いた。曲芸師かよ。中に入っていた白い粉が周囲にバラまかれる。
何の粉だ……?
そう思ったのもつかの間で、バラまかれた粉末が、一つ一つ燃え上がって剣の形になった。多分、いわゆるロングソードとか、そういった部類の剣と同じくらいのサイズだと思う。それが、数えきれないくらい、宙に浮いていた。
「え、何? なんなの? 何が起こるの!?」
ビビってる俺をよそに、ドロシーは涼しげな顔だ。むしろ楽しげだ。
「さあ、死になさいワイバーン。《千の火剣》!」
ドロシーが宣言すると同時。真っ赤に燃える剣が、マシンガンのように大量に射出される。連続した打撃音と風切り音のせいで他には何も聞こえない。剣はまだ距離のあるワイバーン目がけて飛んでいき、翼膜を、胸を、尻尾を、頭部を、貫いた。煙が上がる。炎の剣はワイバーンを貫くと掻き消えるみたいだが、すぐに次の剣がワイバーンを貫く。断末魔の悲鳴さえ上げる間もなく、ワイバーンは煙を上げながら谷底に落下していった。
「あ、回収できない……まずったなぁ」
「いや、そういう問題……? なに今の、強すぎじゃん。ドロシーってすごい魔法使いなの?」
「まあすごくないとは言えない。こういうことを月に一回くらいやれば生活はできるから、まあ月に二回程度に増やせば、あなたも養えるかもね?」
「養ってくれんの!?」
「あなた次第よ」
ニヤリと笑ってそう言われた。なんとなく、大人な対応だと思った。
◇ ◆ ◇
そういうわけで、とりあえずのところは毒で死んだ一頭目のワイバーンの首を刈ることになる。首切りそのものはドロシーが簡単にやってしまった。短剣から白い刃が飛び出して、それでスッパリと切ってしまった。竜の首がバターみたいだ。
「そんなに簡単に切れるなら、最初からそれで戦えば良いんじゃないの?」
「これはそういうんじゃないのよ」
じゃあどういうんだよ。
俺の疑問を余所に、ドロシーはテキパキと作業を進める。円盤の四方に針が飛びでたみたいな、小さな金属片を取り出して、その上にワイバーンの首を置く。
「《檻よ》」
その一言で、円盤から白い筋が飛び出して、ワイバーンの首を収めた。まるで、白い円形の鳥かごみたいな形だ。ワイバーンの首を収めた鳥かごは、そのままふわりと浮かび上がる。
「おー、すごい。これ、めっちゃ高度な呪文だな」
「へえ、わかるんだ? 本当に呪文を使ったことなかったの?」
首を傾げるドロシー。この呪文はかなり高度だということが、俺の目には見えていた。どの程度の広さの檻を作るかを計測し、そして実際に檻を作るための複雑に編み上げられた呪文言語、それに加えて、浮遊させるための呪文も組み合わせてある。ワイバーンの「空を飛ぶための翼」とは比較にならない複雑さだ。
これ、やっぱ人が作ってるんだよな。すごいなぁ……。
「まあね。その辺りの話はさ、後でしようよ。これ、浮かぶだけでしょ? どうやって動かすの」
「それはまた別の呪文ね。《我が占める空、心意する檻、引き歩く距離、微風の乙女による計らいにて、維持せよ》……多分、これでよし」
ドロシーが一歩檻から距離を取ると、ふわふわと浮かんだまま同じ間隔だけ檻も動いた。檻が動くと少しだけ風がそよぐ。ドロシーが使ったのは、自分がいる場所と意識したものとの距離をなるべく同じにする呪文だ。そのときに風の力を使う。風の力で檻を動かすだけなので、多分ある程度の速度しか出ないし、誰かが押さえつけたりすると動かなくなる。こちらはとても簡単な呪文だった。
「それじゃあ、もう一頭のも回収しにいきましょ」
「おう」
俺とドロシーはワイバーンと遭遇した岩場を離れ、谷底へ降りるルートを探す。ちょうど近くに比較的なだらかな場所があったので、ひとまずそこから下に降りてみることになった。
「なあ、今度は首切るの、俺にもやらせてよ。やってみたい」
「えー? 獲物の処理を他の人に頼むのって、討伐者の名折れよ? あんまり気が進まないんだけど」
「へえ、職業倫理みたいなもんか。でもさ、俺も早くこの世界に慣れたいし。多分だけど、この世界って普通に人が死ぬ世界でしょ?」
「……コースケのいた世界は人が死なないの?」
「死なない。いや、俺のいた世界というか、俺のいた国だな」
「ふうん。どんな国だったのよ」
歩きながら首を傾げて俺の顔を覗き込むドロシー。お得意の上目遣いだったが、さすがに耐性ができてきた気もする。かわいいけど絶世の美少女ってわけでもないし。クラスで三番目くらいにかわいい女の子くらいのかわいさだった。
「どんな国って言われてもなあ。なんか、こことは全然違うよ。魔法も呪文もないし、剣も槍もない。ワイバーンもいないし、あんな大きなトカゲもいない」
「じゃあ何があるの?」
「自動車とか、ビルとか、たくさんあったよ」
「その言葉、わかんないんだけど」
「言葉、言葉か。んー、じゃあ、ゲームとか、携帯電話とかは?」
「ゲームはわかる。××××はわからない」
俺は思わずぎょっとして振り返った。××××なんて、全く言葉に聞こえない音が突然ドロシーの口から飛び出したからだ。何だ今の。聞いたことない変な言葉だった。
「え、ドロシー今なんて言った?」
「だから、××××、でしょ? コースケが言ったんじゃない」
「俺は携帯電話って言ったよ?」
「……××××にしか、やっぱり聞こえないけど」
なんだこれ、どういうことだ? ドロシーは不審に眉根を寄せる。意味が分からない。いや、逆だ。むしろこれが普通なんだ。さすがに携帯電話と似ても似つかない音に聞こえるのはよくわからないけれど、異世界で日本語が通じることの方がおかしいんだ。
「なあ、ドロシー。そうだな、んー、世界で一番あなたが好きって、ゆっくり言ってみてよ」
「なっ……そんなの言えるわけないでしょ! 馬鹿なの死ぬの!?」
顔が真っ赤だった。かわいい。ていうか初心過ぎだろ。何歳だこの子。
「じゃあ何でも良いから、ゆっくり発音してみてよ」
「うー、なんでそんなこと……。そうね、じゃあ、ば・か・な・の、し・ぬ・の?」
ちゃんと聞こえた。確かに聞こえたけど、口の動きは全く違った。音の数さえ違う勢いで違った。
なんだこれ。
……これがあれか、召還補正みたいなもんか。確かに、生活費を稼げとかいって《呪文の王》のチート能力をくれたあの子供が、翻訳チートを付けてないはずもなかった。
多分、携帯電話って言葉に対応する言葉が、こちらの世界にはないんだろう。それで、翻訳機能が奇妙に作用して、ドロシーには意味不明な文字の羅列に聞こえた。逆に、その意味不明な文字の羅列に対応した日本語がないから、ドロシーが聞いたものを俺がもう一度聞くと、また変な風に翻訳されたんだろう。機械翻訳を二度かけたみたいな感じだった。
ううむ、だとしたらこの世界に新しい言葉を持ち込むことはできないのか。
そんなことを考えながら、ドロシーと共に岩場を降りていく。