004
恐怖と美しさの混在は、俺たちが生き物である以上、たぶん最も本能に訴える種類の価値だ。
「やべえ、かっけえ」
俺は思わずそう呟く。
細身の竜だった。
灰色の体は太陽の光をぬらぬらと反射する鱗で覆われていて、薄く巨大な翼膜は見とれるようなバランスでその体躯を支えている。地面に降り立つためでなく獲物を捕らえるために発達したような足とそのかぎ爪は、本能的な恐怖を呼び起こすには十分凶悪だ。
玖翼竜。そう呼ばれるワイバーンは、生々しく美しかった。ゲームや漫画でみたのとは全く違う、現実にここに存在する生き物だけが持つ存在感をまとっている。
(ああ、この世界は現実だ!)
俺はワイバーンを見て理解した。理解させられた。だって、俺の夢なんかがこんな生々しいリアルさを持っているなんて、そんなことはあり得ない! ここは異世界で、確かに存在する現実だ。
開かれた場所。周囲を岩に囲まれ、身を隠す場所は多くあるが、けれど空から隠れられる場所は少ないように思える。それが、ワイバーンがこの場所を縄張りに選んだ理由なのかもしれない。
番の二匹だという事前情報に反して、そいつは一匹で俺たちを出迎えた。
「ちょ、ちょっと! なにニヤニヤしてんの!? 隠れときなさいよ!」
「え、やだよもったいない。近くで見とくから、早く倒していいぜ!」
「はあ? 私でもワイバーンは苦戦するっての! っと!」
ワイバーンはぐるりと旋回しながら俺とドロシーに向かって体当たりしてきた。空中から巨大な体が襲いかかってくる。ドロシーは悠々と、俺は必死で、ワイバーンの体当たりをかわす。迫力やばい。ごわってきた。
「やばいやばい! 死ぬって! ドロシーはよ! ハリアーップ!」
「うっさい! ちょっと黙ってろ!」
ドロシーは叫ぶや否や、腰から短剣を抜く。それを額に当てたかと思うと、空中で旋回するワイバーン目がけて投げた。
「《操命の刃》!」
なんか魔法の名前っぽいものを叫ぶ。かっこいいかもしれない。ドロシーの投げた短剣は、けれどあっさりとワイバーンにかわされる。
「——え?」
かわされたはずの短剣が、ぐにゃりと軌道を変えてワイバーンの下顎に突き刺さる。
「よし、これでオッケー」
ドロシーが小さくガッツポーズする。こっちにもガッツポーズあるんだな。
けど、そんなに有効なのか? この攻撃。確かに命中はしたし、短剣も突き刺さってるけど……ワイバーンにとってあれくらいの小さな刃で刺されたところで、たいしたダメージにならないんじゃないのか?
「コースケ、あとはがんばって死なないように! 時間切れまで粘るのよ!」
「時間切れって……」
ワイバーンは空中でぐるりぐるりと——のたうち回っていた。器用に空中で。なんか苦しそうに。いや、苦しいんだったら落ちてくればいいのにと思うんだけど……。なんだ、毒?
ドロシーが何をしたのかよく見ようと目を凝らすと、下あごに突き刺さったナイフから一本の筋がのびて見えた。流行りのVRMMO物でよく見るようなホログラムの画面のような四角が広がって、その中に文字が現れる。日本語ではない、けれど読める文字。
「え、お? 何、これ?」
理解させられる。あの短剣、放たれたナイフに施されたそれが、俺には理解できる。何故理解できるのかは理解できないが、けれどナイフのことは、その知らないはずの言葉によって解説されていた。
つまり、あれは抜けないナイフだ。刃を突き刺したものと、柄のある空間のちょうど間に固定される。突き刺したものが崩れない限り、決して抜けないナイフ。
魔法の道具、ってところだろうか。
ナイフが顎に突き刺さっているにも関わらず、相変わらずワイバーンは空中をぐるぐるとのたうち回っていて、落ちてくる様子もない。そう思っていると、再び光の筋が伸びた。今度はワイバーンの翼から。
そして再び、そこに示されたホログラムは、俺にあの翼について教えてくれる。
あの翼があるから、ワイバーンは空気に支えられてる……そういう、特別な翼だった。なんというか、空気が地面みたいなものなんだろうか。ワイバーンがぐるぐるとのたうち回っている様子を見るに、そんな解釈であってるっぽいか……?
この白いウィンドウ、なんなんだ。なんで俺にはこんなものが見える?
「コースケ、どうしたの? なんかすごい挙動不審だけど」
いつの間にかドロシーが隣に立っていた。灰色の髪に青い瞳の割とかわいい女の子が首を傾げて俺の顔を覗き込んでいる。目の保養だ。
「いや、ああ、まあ。気にしないで。それより、あいつなんで苦しそうなの?」
「ああ、あれは魔法の毒を使ってるのよ。あの短剣は一度刺さると周りを崩さない限り抜けないから、あいつは死ぬまで毒で苦しむってわけ」
「なにそれエグい……」
団長の挑戦状よりずっとエグい……。あれ、結局良太に返すまでにクリアできなかったやつだ。思い出すとちょっと悔しい。
「で、もう一頭の心配はしないでいいわけ?」
俺はいろいろと混乱することばっかり起こってるのをとりあえず全部おいといて、当面の命に関わりそうな質問をドロシーに投げかける。
「そのうち帰ってくるでしょ? あの短剣がうまくいったから、もう一匹は奥の手を使えるわ。これでも魔法使いの血筋なのよ」
「血筋で魔法が使えたり使えなかったりするの?」
「そういう場合もあるし、そういう要素もある、といった感じ?」
「なにそれ、よくわかんねー……」
なんかこう、血筋と魔法ってなると、魔法の才能は遺伝するとか、ある血筋でなければ使えない魔法があるとか、そういうのが多いよね。ファンタジーのお約束としては。あ、お約束で思い出した。
俺は疑問に思ったことを聞いてみる。
「あのさ、毒で殺したら困ったりしないの?」
「ん? どうして?」
ドロシーが首を傾げる。この子、首かしげてばっかだな。不思議なことがあると首を傾げて斜め下から相手の顔を伺う癖でもあるのか。かわいい。ああ、違う違う!
「いや、毒だからさ。体に残るじゃん? ってことは、食べられないし、たとえば鱗とか、体の一部を持って帰るのも危ないんじゃないかと思って」
「ふうん? そういう知識はあるんだ。ま、そうね。《屍族の心臓毒》は本当に危険だから、持って帰れないわ」
何それもったいない。
「でも、そもそも体全部を持って帰るなんて無理だしね。依頼されたのは討伐だから、首だけ持って帰ればいいのよ」
「首って……」
俺は空中でのたうちまわるワイバーンを見る。心なしか動きが鈍くなっていて、弱っているのがわかった。ワイバーンの首は、遠目で大雑把にはかっても俺が両手で持ち上げたら二つ目はまず持てない、というくらいのサイズだ。肉と骨と脳だし、重いだろう。二個も持って帰るのか……?
「何心配してるか何となくわかるけど……大丈夫よ。そもそも、あなただって砂漠から街まで運んだんだからね」
「あ、そういえばそうか……」
なるほど、それならば特に心配するようなことはないのかもしれない。納得だ。