003
「……異世界人」
「え?」
「異世界人だ。俺は異世界から来た。だから金も人脈も知識も常識もない!」
正直に暴露した。
もしこの世界で異世界人がありふれた存在なら、それなりの保護や便宜を期待できる可能性がある。そうでないなら、ただの変な人で終わりだ。あるいは、何らかの事情を隠していると思われる可能性もあるが、それを疑われているとして、俺に弁解の方法はない。下手な嘘はかえって自爆の元だしな。
「だから頼むドロシー、俺を養ってくれ!」
ついでにヒモ志願した。テーブルに頭をこすりつける。そういえば水差しを持ってきてもらったけど水は出されてないなとか思う。看病するために持ってきてくれたのだとしたらなんていい子なんだ! 惚れた! 結婚してくれ!
「いや、初対面の男を養うほどバカじゃないわよ」
口が悪くなった。好感度ダウンしたらしい。
「それに、異世界って何よ? こことは違う世界ってこと? 世界は普通、一つでしょ」
信じてもらえなかった! そしてやっぱり、異世界人はありふれた存在じゃなかった!
「いや、そうだけどさ」
顔を上げる。ドロシーの瞳が胡散臭い人を見る目だ。間違ってない。胡散臭いのは俺だ。
「でも、本当なんだよ。信じてくれ」
俺は努めて真顔でまっすぐにドロシーの目を見る。ドロシーは一瞬目をしかめると、けれど俺の目を見返してくれた。
見つめ合ったまま、沈黙の時間が流れる。
不意に、ドロシーの目が納得の色になった。
「わかったわよ。別に、嘘は言ってないみたいだし。あなたが勘違いしてるか、現実と妄想の区別がつかないくらい重篤な精神魔法に汚染されてるか、判断はできないけど」
「信じてくれるの!?」
「信じてほしいっていったのはコースケじゃない……。まあ、他にもいろいろ根拠はあるけどね。とりあえず、その物騒なものをしまってくれると嬉しいかな?」
言われてドロシーの視線を追うと、右手に握りしめた特殊警棒がそのままだった。俺はあわててそれを縮めて、ジーパンのポケットにしまう。
「ま、異世界云々はともかく、金も知識もないってのは本当みたいだしね。ついでに宿も無いのかしら?」
「行き倒れてたんだから、当然だな」
「そりゃあそうだろうけど、偉そうね。命の恩人に対する感謝が足りてないわよ」
「すみません、調子に乗ってました」
よろしい、と鷹揚に頷くドロシー。彼女はしばらく考え込むと、おもむろに立ち上がった。
「ひとまず必要なのはお金でしょ? じゃあ、私の仕事に付いてきなさいよ」
◇ ◆ ◇
「なあドロシー、まだかよ?」
「文句言わないの。ちゃんと丈夫なブーツまで買ってあげたじゃない」
「確かに足は大丈夫だけどさー」
ごつごつとした岩肌に覆われた世界。今俺たちが歩いているのは、キャレベー渓谷群と呼ばれる地域だった。俺が寝てた、もといドロシーに運び込まれた街はミンフテリアという名前で、そこから砂漠とは反対側に半日くらい歩くとこの場所に到着する。時間は昼前。ドロシーが俺を拾ったのは夜で、俺が起きたのは朝の活気の時間だったらしい。
渓谷群と呼ばれているだけあって、俺たちが歩いている道は、右は谷底、左は絶壁、といったある意味で王道な道だった。谷底を覗き込むと、下は曇ってて見えなかった。落ちたら確実に死ぬやつだ。
「私は今日、キャレベー渓谷群にいるワイバーンを二頭、討伐するっていう仕事があるの。街の近くに縄張りを作ろうとしてる個体がいて、商隊の往来に差し障るから、というのが理由ね」
「へえ、なるほど?」
「で、あなたを養うほどの稼ぎは私にはないけど、あなたが私の仕事を手伝えるようなら、一緒に討伐者になってもらうわ。そういうのはどう?」
「悪くないような気がするけど、ワイバーンの討伐みたいなことは俺にはできないぜ。自慢じゃないが、剣なんて握ったことない」
「魔法も使ったことないんだっけ? うーん、まあ、ついてくるだけついてきなさいよ。最悪、あんたを餌にしてワイバーンをおびき寄せたりはできると思うし」
「それ俺の命の保証は!? ブラック企業反対! 不法労働を許すな!」
などという会話を経て、俺たちは代わり映えのない岩の世界をえっちらおっちらと歩いているわけだ。
「いやさあ、代わり映えのないこの岩肌ばっか眺めてると、気が滅入るんだよね」
「どれだけ軟弱なのよ……」
蔑むような冷たい目で俺を見るドロシー。青い目がダメージをさらに倍増させているような気がする。ジト目ってやつだ。目元が柔らかい雰囲気のドロシーがそれをすると、なんかこう、クルものがある。
「じゃあ、何か話でもする? この世界の常識についてとか?」
あ、なんか気を使われた。とはいえ、一応俺の「異世界出身である」という言葉は信じることにしてくれたらしい。
「それいいね、その話しようよ。えっと、じゃあまず魔法と呪文の違いって何よ?」
「さあ?」
「え、知らないの!? それって常識的な知識じゃないの!?」
「知ってる人は知ってるだろうけど、私は詳しくない。呪文は覚えれば使えるようなものしか知らないし、魔法も何度も練習して使えるようになったやつだけで、別に研究者でもないから。ルディアの学生とか、そういうちゃんと学問をおさめてる人たちなら知ってそうだけど」
「なるほど……? じゃあま、常識的な部分だけでいいよ。とりあえずさ、今までの感じだと、呪文と魔法ってのは別のものなの?」
「そうねえ。ああ、ちょうどいい」
歩いていた道の前方に、肌が土色の割と巨大な……なんだ、トカゲ? がいる。三匹くらい。日向ぼっこでもしていたのか三匹とも気持ち良さそうに目をつむっていたが、こちらの気配を察したのか、構えて威嚇してるっぽい。なんか、こう、唸りながら今にも飛びかかろうとする感じに構えてる。強そう。
「悪食蜥蜴ね。じゃあ、魔法ってものを見せてあげる」
ドロシーは、杖を構えるでもなく、何かを詠唱するでもなく、本を開くでもなく、ただ手のひらをトカゲに向けた。
鈍い音。
鈍い音とともに、地面から岩の槍が生えて、トカゲうち一匹を貫いた。貫かれたトカゲは一瞬だけばたばたと暴れて、すぐに力を失う。残りの二匹はあわてて逃げ出すが、ドロシーがそちらに手のひらを向けると、同じように高速で石の槍が生えて、トカゲを貫いて殺した。
あっという間だった。
「今のが魔法《岩の槍》よ。どう?」
「……いや、びっくりした。心臓に悪い」
「多分コースケも使えるようになるわよ?」
「まじかよ。いや、でも、しばらくはいいや」
「そう? 無理強いはしないけど、私についてくるなら魔法は必須よ」
ドロシーはそう言って《岩の槍》に触れると、槍はぼろぼろと崩れ落ちて、あとには大穴の空いたトカゲの死骸だけが残った。ドロシーは三匹の死体をあっさりと谷底に落とす。
「おい、せっかく倒したのに捨てるのかよ」
「捨てるわよ。目的はワイバーンだし。何のために匂いが付着しない方法で殺したと思ってるのよ」
「……あー、なるほど。そういうことか……いや、悪い。素人が口を出すことじゃないよな」
「別に、それはいいけど……」
確かに、今のドロシー(および俺)の目的はワイバーン二頭だ。それ以外のものを欲張って手に入れて、それで本命を倒すことを疎かにしたらダメだ。意味ない。そういうのはゲームでもありふれた話だった。
良太の家でやったゲームを思い出しながら、そう考える。
「いくわよ」
「あ、おお。待てよ」
俺は先を歩き出したドロシーを追いかける。
生き物が一瞬で死ぬ。そのことに対する本能的な恐怖を、意識しないようにしながら。