002
ファンタジー世界が必ずしも前の世界の中世ヨーロッパと似ているとは限らない。その筆頭がこれだ。シャワー。
さすがに普及率には地域差があるし、砂漠を旅している間はお目にかかれない代物だ。けれど、この世界の水道設備は中世ヨーロッパと比べて整っている。
そもそも水は魔法で生み出せるのだ。
日本ほどではなくとも、安全な水は比較的安価だし、水不足で人が死ぬということも滅多になさそうだと思う。
ならばなぜ砂漠でオアシス周辺にだけ街があったのかというと、そこまでは知らない。
何か理由があるんだろうけど。なんでだろうな。
水が生み出せるといっても、コスト的には割に合わないとか? 魔法だから使える人も限られてるだろうし。現にドロシーは水を生み出せないらしい。
まあ、そういった社会科的考察はともかく。
シャワーだ。
お湯とは言えないが、寒くない程度の温度の水が出る。蛇口は濁った金色の金属が使われていて、配管もむき出しでレトロだ。床には足の裏を傷つけないためなのか、角を削られた石がタイルみたいに並んでいる。石の間に隙間があって、そのまま下水に続いているみたいだ。
この世界にシャワーがあって良かった……。頭から温い水を浴びつつ思う。もし無かったら女の子と致す時にいろいろ辛い思いをする所だった。シャンプーみたいなものはないけど、石けんだったらあるしな。慣れればこれでもちゃんと綺麗にできるっていうし。泡沢山立てて洗えば良いんだっけ?
そんなことを考えながらシャワーを済ませて、下着だけ取り替えた旅装束を着て、共同のシャワールームを出る。もちろん男女別だ。
俺の使っている旅装束は厚手のなんか丈夫そうなボトムスに、なんて言ったらいいんだろうな? 一応、ジャケット、になるのか? ちょっと俺のファッション知識じゃ形容しがたい種類の、たぶんジャケットという分類になるであろう、羽織るタイプの上着を合わせている。
上着の下には体にフィットするような、これもやっぱり丈夫で伸縮する布でできたTシャツを分厚くした感じのやつを着ている。
なんかファンタジーな服装って表現難しいな。
砂漠を歩いていた時はさらにこの上に長めの外套を羽織っていたわけだ。
シャワールームを出て部屋に戻る。時間はもう夜だ。部屋に戻ると先にシャワーを済ませたドロシーとシアラがいた。
「あ、コースケおかえり。どうだった、シャワー」
「ああ、悪くなかったよ。前の街には無かったけど、ここにはあるって聞いた時はかなり安心したよ」
「そうでしょうね。まあ、コースケの世界ほどじゃないけど、こっちもこっちで便利なものはあるのよ」
ドロシーのその言葉を聞いていたシアラが不思議そうな顔で俺を見る。
「兄さんの世界って、どういうことですか?」
ああ、そうか。シアラにはまだ、俺が異世界人だって話してないんだった。
ドロシーがちょっと気まずそうに、どうする? と目線で問いかけてくる。
「ま、いろいろあるんだよ。せっかくゆっくりできるんだし、改めてお互いの話をしよう。俺だけじゃなくてさ」
「それはいいアイディアね。私はコースケがなんで呪文に詳しい……というか、あそこまでたくさんの呪文を知ってるのかが気になるわ」
「兄さんは呪文師か彫式師だって思ってたんですが、違うんですか? 命を共有する呪文なんてものを使えるのは、専門家くらいだと思ってましたけど」
呪文師。彫式師。前者はともかく、後者は聞き慣れない言葉だ。
まあ字面からして、道具に呪文式を書き込む人のことを言うんだろう。
そういう職業があるなら、それで生計を立てるのもいいかもな。やり過ぎには注意しないと、目を付けられそうだけど。
「どこから話したもんかなぁ……」
そう言いつつ、ベッドに座る。ドロシーとシアラはもう一方のベッドにならんで寝そべっていた。髪が微かに濡れているけれど、完全に芯まで乾かすのは難しいしな。
「そうだシアラ、こっちに来てくれ。髪を乾かしてやるよ」
「そっちのベッドにですか? わかりました」
不思議そうにシアラがこちらに歩いてくる。俺はシアラを足の間に座らせて、呪文を唱える。
「《我が腕、繰る五指、空と炎の王の掌、纏い近したらせよ》」
指先が熱くなる。ドライヤーってなると詠唱だけじゃ難しいから、指で髪を撫でて乾かしてやる。これでもやらないよりはずっとマシなはずだ。
「くすぐったいです。それに、髪が温かいです。ちょっと熱いくらい。これ、呪文だけなんですか?」
「そうだよ。魔法はまだ使えないけど、呪文だったら俺は何でも使えるし、何でも理解できる。それに、どうやればそれが呪文でできるのかも分かるし、呪文式だって見ただけで仕組みがわかる」
「……なにそれ、どういうこと?」
ドロシーが怪訝な顔をする。シアラは表情までは見えないけど、体を寄せてきた。猫みたいだ。竜だけど。
「まあ、分かるものは分かるとしか言いようがないよ。《呪文の王》っていう権能だって説明された」
「権能……。聞いたこともないわね。それって普通、権力とか権利とか、そういう意味で使う言葉でしょ?」
おっと、権力と権利と権能と、それぞれに対応する別の単語がちゃんとあるのか。ふむ。なかなか面白いな。
「まあ、そうだね。能力とかそういう言葉をつかわなかったから、ちゃんと意味があるんだろうけど」
「ふうん。その説明したっていう人は、誰なの?」
「さあ?」
「さあって……」
「いや、誰か分かんないんだよ。あー、えっと、シアラ?」
ドロシーと会話しつつ、シアラの髪を撫でていた。髪も多少はマシになった気がする。
「なんですか、兄さん?」
「俺の姉のこと、あのとき少しだけ話したけど、覚えてる?」
「覚えています。もう会えないんですよね? えっと、その……亡くなった、んですか?」
「いや、違うんだ」
ドロシーの時も思ったけど、これ説明がすごく難しいよなぁ。
ちらりと向かいのベッドで寝そべってるドロシーを見る。重力で服がいい具合に太ももに張り付いていてエロい。触りたい。いや、違う。そこじゃないって。がんばってドロシーの表情を見ると、「さっさと言いなさいよ」って感じの顔だった。
まあ、普通に言うしかないか。
「俺、こことは違う世界から来たんだよ。異世界人なんだ」
「異世界、ですか? えっと……ドロシーさんは知ってたんですね」
「まあね。もちろん完全に信じてるわけじゃないけど、コースケの話す『異世界』は、確かに異世界なんだと思うわよ。確信を持つほどの根拠なんてないけど、でもだからって疑う理由もないしね。コースケが常識知らずなのは事実だし、いろいろとつじつまも合うし」
「じゃあ、お姉さんに会えないっていうのも?」
「ああ、そうだ。姉さんは前の……俺の故郷の世界にいる。だからもう会えないってこと」
「そう、なんですか」
腕の中のシアラが少し肩を落とす。そして、微かに振り返って俺と目を合わせた。
「でも、もう兄さんは私の兄さんですから、一人じゃないですよ」
「そうだな。多分俺も、やっぱ血のつながった家族が欲しかったんだと思うよ」
心のどこかで姉さんが居ないことを、怖いと思ってたんだろうな。二人だけの家族だし。
姉さんのことを頼らずに自分の手だけで家出したのも、姉さんのことが好きだったからだ。
たった二人の姉弟。今も、たった二人の兄妹。
「あー、なんかいい雰囲気の所ごめんね。それで、話の続きなんだけど」
シアラと見つめ合っていると、ドロシーが割り込んできた。
「結局のところコースケに権能を与えたのは誰なのよ」
そういえばその話だった。その話をするために、さきに俺が異世界人だっていうことを話しておかないといけなかったんだ。
「んー、なんていうか、子供だったな。俺が世界を渡るときに見た、なんて言ったらいいかな、銀河の川みたいな所を落ちてこの世界に来たんだけどさ」
「××の川? なにそれ、どういう意味?」
「ああ、えっとな。夜空の星、あるだろ。アレが沢山集まったのがあって、それをさらに沢山集めた感じだ。それで、そこで会った子供が、『君の魂には《呪文の王》の権能を持たせてある』だったかな。そういうことを言ってたんだよ」
「君の魂には、《呪文の王》の権能を、持たせてある、ねえ」
ドロシーが寝そべったまま不思議そうに首を傾げる。かわいい。ていうか寝そべってるのエロいと思うんだよね、俺。
「なんだか持って回ったみたいな表現ね。単に『君には《呪文の王》の力を与えた』でも意味は通じそうなのに」
……確かに。その発想はなかった。このまどろっこしい表現にも、何か意味があるんだろうか。
「まー話は分かったわよ。とりあえずコースケは、呪文のエキスパートなのね。何の努力もなしに」
「うっ……そう言われると、自分がすごいズルをしているように感じる」
「まあそうね。でも、それを手に入れたのはコースケの運でしょ? だったら良いじゃない。言わなきゃ分からないんだし、堂々としてれば良いのよ」
「んー、そういうもんかね」
「そういうものですよ、兄さん」
ドロシーではなく、シアラが俺の言葉に応じる。
「私だって、生まれつきこういう手足ですから、細かい作業は向きません。でも、これは魔法をつかってとても強力な攻撃を生み出すことができる手足です。そういう、生まれ持ったものの差や特性というのは、よくあるものですよ」
「そりゃあそうだけどさ」
うーん、なんか違う気もするんだよなぁ。
まあでも、いいか。それで納得しておこう。納得しなかったら《呪文の王》が消えるわけでもない。
「ああ、そういえば俺も、二人に聞きたいことがあったんだけどさ」
そんな会話をしながら、ハインアークでの最初の夜は過ぎていく。




