012
だから、あの蛇が縄張りを変える数日だけは、どのルートも危険なんだ。蛇の移動に巻き込まれたら、竜車もバラバラになるし、砂と蛇の体に飲み込まれて沈むんだよ。数年して、やっと砂丘が動いて、骨が表に出てくる。砂の少ない場所で潰されると、辺り一面血の海さ。赤いペンキを塗りたくったみたいになって、虫が沢山涌わく。
コリトさんの言葉を思い出す。
「あ、ああ、ああああああああああああああああああああああ!」
シアラが叫ぶ。悲痛に。悲鳴のように。
悪夢でも思い出すかのような、トラウマでも引き出されたかのような声。
「いやだいやだいやだいやだッ! またみんな死んじゃう!」
「シ、シアラ!?」
焦って彼女を振り返ると、その瞬間、シアラが消えた。いや、駆け出した。
考えられないような速度で飛び出し、砂が舞い上がり、あっという間に見えなくなる。俺も、ドロシーにも、止める間は無かった。
オアシスに向かってバランスを崩しながら、けれど人間には出せないであろう速度で走るシアラの後ろ姿を、俺たちはただ見送るしか無かった。
なんだ、何が起こってる?
そして次に行動したのはドロシーだった。甲殻竜の背から飛び降り、荷物を地面に降ろす。その中から小さな革製のケースのようなものを取り出して、それを開いた。筒状のそれの中には、ビー玉くらいの大きさの、無骨な宝石の原石のようなものが並んでいた。
「コースケ、直視しないで!」
「え? あ、わかったっ!」
焦りながらも俺はきつく目をつむる。まぶたの向こう側が一瞬明るくなった。
スタングレネードみたいな種類の道具。閃光弾ってところだろうか。おそらくはオアシスへのサインだ。
「もう良いわよ。目開けて」
言われて目を開くと、ドロシーは苦々しい表情でオアシスの方を見ていた。
沈黙が流れる。
どうしたらいいんだ、これ……。背筋が寒くなる。コリトさんが言っていた、病目の大蛇が通った後の惨状を思い出す。
「……それじゃあ、行きましょうか」
「行くって、オアシスは放っとくのかよ! コリトさんとか、糞だったけどあの商隊のやつらとか、おっさん連中とか、いるだろ! 助けないのかよ!」
「助けられる命と助けられない命があるわ。さっきも言ったけど、私にあの蛇を止める手段はない」
「だからって、シアラを一人で行かせるのかよ……ッ! ついさっきまで仲良さそうに話してたじゃんか!」
「だったらあの子を止めろって言うの? あの子の足に私たちが追いつけるとでも思ってる?」
それは、無理だ。シアラは、甲殻竜で一時間の距離を、数十分で走破すると言っていた。それにさっきの速度だ。追いつけないのは、明白だった。
「だ、だけどーー」
言葉を続けようとして、ドロシーの表情が見えた。はっと息を飲む。
歯を食いしばって、目を見開いて、オアシスの方を見ている、ドロシーの表情を。
あの大蛇がオアシスを横切ったらどうなる?
いや、横切るだけならまだ良いだろう。いくらでも対処のしようがある。だが、あの蛇が進路上の生物を殺す習性を持っていたりしたらどうなる?
あるいはオアシスに居座ったら?
「な、なんとか追いつく手段はないのかよ? せめてシアラだけでも止めないと」
「《雷の加護》でも使えれば、多分追いつけるんでしょうけどね。そういった魔法が使えないわけじゃないけど、いくつか問題があるのよね」
「問題ってなんだよ」
「長時間持続できないのよ。もって数秒。それから、私自身にしか使えない」
持続時間か……。確かにそればっかりはどうしようもない。ドロシーがそうだと思っている以上、いま急にその認識を覆すことは難しいだろう。現実的じゃない。
なにか、例えばテレポートみたいな手段でオアシスに行くことができれば……。
そう思って、第二の視力を開き、呪文の知識を漁る。頭の中に大量の情報が流れ込んでくる。さまざまな法則、理論、実例、類似性、相対性、呪文式のパターン、言葉、概念。それらを無理矢理頭に突っ込みながら、少しずつ知識を手繰っていく。
そして見つけた。
ーー《転移呪文》。あるいは《転送呪文》。
自分だろうが物体だろうが任意のものを任意の場所に転送する呪文。
繋がっている空間同士の距離を飛び越えて、目的の場所に呪文の対象が存在するという魔法を体現するための、補助のための呪文。
いわば魔法的呪文。
空間の接続や断絶を取り扱う名前のない精霊についての理論。それらを示す言葉。あるいは嘆願のための言葉。そして、トティペティカ・グランツェルという人物が執筆し、世界の知識の一つとして召し抱えられた理論。
これを使うには、魔法にも似た手順が加えられる。
つまりこの理論は、俺があのオアシスに居るという実感を伴った、世界を変えうるような想像を、あくまでも実現させる補助でしかない。
マイナー呪文。高等呪文。これは、そう分類される系統の理論を使った、呪文だった。
それはつまり、どんなに知識があろうとも……魔法の素養に伴って発動するということは、魔法を満足に使えない俺の手に余る呪文だということに他ならない。
「コースケ、もうあきらめましょう。信号は出したわ。オアシスの人たちが災いに気づいてくれるのを願うしかないのよ」
ドロシーが言う。
悔しそうな声音で。宥めるような口調で。まるで聞き分けのない子供を諭すように。
「運命を受け入れるしかないのよ」
その言葉に心臓が跳ねる。
運命を、受け入れるだって?
ただ災害で人が死ぬかもしれないことを止めようともせず、旅立ちにもろくな見送りさえない女の子を放っておいて、自分達はのうのうと旅を続けることが、運命を受け入れるってことなのか?
それは違う。
それはおかしいんだ。
だって、それなら俺は、この場所に立ってないじゃないか。
特殊警棒を取り出して、甲殻竜から降りる。
砂の上に呪文式を描く。巨大な式だ。特殊警棒のサイズでしか線を引けないのが、式を巨大にしている理由だった。端から順に、数メートルに及ぶ複数行の式。圧縮も何もしていない粗雑な式だけど、事は足りる。
手を動かしながらドロシーに尋ねる。
「ドロシー、オアシスのあの酒場に居る自分を、想像できるか。魔法が発動するくらい強く」
「……できるけど、それで、どうするの?」
「手がある。一つだけ、オアシスにたどり着く手が。でも、これを書く時間を考えると、それでもギリギリだ。ーー君が《転移呪文》を使って、二人でオアシスまで戻るんだ」
「……今書いているこれが、《転移呪文》の呪文式ってこと? そんな高度なもの、なんで空で書けるのよ」
「そんなことは今はいいんだよ」
数分で書き上げた砂の上の呪文式。特殊警棒を放り出して、ドロシーを振り返る。
「これを使えば間に合うし、数人でも助けられるかもしれない」
ドロシーは、見たくないものを見たような、傷ついたような、そんな表情だった。裏切られたような。
「な、なんでよ! どうして、どうして出会ってたった一日の女の子に、そこまでするの!?」
泣きそうなその声に、思わずうろたえる。
「ド、ドロシー? 急にどうしたんだよ。だって、シアラは旅の仲間だろ? まだ半日とはいえ、一緒に準備もしたじゃないか」
「だからって命までかけるの!?」
切実な声だった。
懇願するような声だった。
まるで普段の様子のない、泣きそうになって目を潤ませているドロシー。
なんだ? 何がドロシーをこんなに動揺させてるんだ?
「かけなくて良い命をかけるのは、どうしてよ!」
「ドロシーが助けてくれたからだろうが!」
混乱する頭で、必死になって言い返す。
「ドロシーが俺を助けてくれたから、俺だってシアラを助ける。それだけのことだろ、なんでわかんねーんだよ!」
言葉が口をついて出る。
そう、ドロシーが居なかったら、俺は、トカゲ男に喧嘩を売ったりしなかった。
「俺を助けてくれたドロシーの仲間でいたいんだよ、俺は!」
ドロシーの肩をつかんで、まっすぐに目を見る。充血していて、目の端には涙がにじんでいる。ぼうっとしたドロシーの目が、俺を見返す。
そのまま見つめ合う。程なくして、ドロシーの目に、活力が戻ってきた。
「……わかった。それなら、頑張れると思う」
パシ、と手を払いのけられた。ドロシーは憮然とした表情で、けれどハッキリと言う。
「早く来なさい。病目の大蛇でもなんでも、私が焼き殺してあげるわ。ついでにシアラでも誰でも、好きに助けると良いのよ」




