005
「私たち砂漠に住む人間はね、病目の大蛇を信仰してるんだよ。正確には砂漠の原住民の血を引く者達だけどね。もう厳密な区別がつかないくらい血が混ざっちゃったけど」
「原住民、ですか?」
血が混ざったというのは、原住民と旅人が共同生活でも送るようになったんだろうか。
それとも、前の世界でいう日本の文明開化みたいなことが起こって、人の出入りが激しくなったのかもしれない。技術が進歩すれば人の出入りは盛んになるのがセオリーみたいだし。あんまり社会科は得意じゃないから、確かなことはわからないけど。
「そ。まあ、もともと砂漠に古くから住んでたってだけで、アテアグニとか、ウアルズとかみたいに、普通の人と特に変わった体をしてるわけじゃないんだけどね」
「でも、コリトさんは獣人ですよね?」
「ああ、私は混血なんだよ。ログラディ族の母親が旅人で、この砂漠の民族と結婚して、そのまま定住したんだ。で、私たちはカンデラの魔法を使うんだよ」
「カンデラの魔法?」
なんだそれ。《岩の槍》とか、そういうのと違うんだろうか。砂漠の民族に特有の魔法ってことか?
でも、魔法って想像力の産物なんだよな。想像したことがそのまま具現化する、空想具現化現象だと思ってたけど。それなら誰かに特有の魔法っていうのはナインじゃないのか?
「ああ、そうそう。カンデラの魔法ってのは、この砂漠の信仰に根ざしてるんだ。大蛇様の力を借りて使う魔法だな。まあ詳しい原理は私も知らねーけどさ」
あ、そうなのか。
ドロシーにどうせわかんないって言われるだろうし、とりあえず覚えておいて、あとで大きな街についたら調べてみるか……。
「シアラも使えるよ。少しだけどね。で、私たち砂漠の民族は大蛇様を信仰しててね。大蛇様ってのはさっきも言ったけど、病目の大蛇のことね」
「空飛ぶ蛇ですよね」
「そうそう。オニーサン、もう見たのかい。あの蛇はね、数年に一度縄張りを変えるんだよ。三匹くらいでまとまって生活してるんだけどね。砂漠を渡るルートってのは、地形と、それからあの蛇の縄張りに入らないようにって決められてるんだ」
なるほど。
言われてみれば確かに、道のりが少し遠回りだと思っていたんだ。まっすぐに進まなかったから。何か理由があるんだろうと思ってわざわざ聞かなかったけど、そういうことだったのか。単にオアシスに立ち寄るために遠回りしてるのか、なんて考えてた。
「だから、あの蛇が縄張りを変える数日だけは、どのルートも危険なんだ。蛇の移動に巻き込まれたら、竜車もバラバラになるし、砂と蛇の体に飲み込まれて沈むんだよ。数年して、やっと砂丘が動いて、骨が表に出てくる。砂の少ない場所で潰されると、辺り一面血の海さ。赤いペンキを塗りたくったみたいになって、虫が沢山涌く」
……それは、あんまり見たくないな。
語るコリトさんの顔はなんでもなさそうだ。でも、まるで見てきたように語るな、と思う。見てきた人が語ったのを、またそのまま語ってるのかもしれない。
「……平気そうな顔して聞くんだな」
「それを言うならコリトさんでしょ。なんでもなさそうに話してますよ」
「ありゃ、バレちった?」
さわやかに笑われてしまった。なんというか、食えない人だ。僕はパンを咀嚼しつつ、目で続きを促す。
コリトさんは店の外、窓の外側を、遠くを見るような目になった。
「まあ、そんなわけで、私たちは大蛇様をむやみに殺したりしないのよ。神様だからね」
「運が悪いと殺されるのに?」
「そう。運が悪いと殺されるとしても、殺さないの。でも大蛇様の死体が出れば、それは砂漠の恵みになるわ。みんなで食べて、祭りをするの」
「神様を食べるんだ。なんというか、よくわかんないね、その宗教」
「厳密な教義があるわけじゃないんだけどさ。ただ、討伐者の中にはお金を稼ぐために生き物を殺したり、名声のためにモンスターに挑んだりする人がいるけど、私たち砂漠の民は絶対にそんなことはしないんだよ」
ああ、それ知ってる。ドロシーのことだ。間接的に俺のことだ。
確かにお金を稼ぐために生き物を殺す僕たちは、あくまで食べるために生き物を殺す人にとっては、不道徳に見えるかもしれない。
そうは言っても、ただ食べるために生き物を殺す方法を、俺は知らない。たとえば鳥を殺しても捌く方法なんてわかんないし。
「生きるためには殺すし、生きるためなら殺されても文句は言わない。でも生きるためでなければ殺さないし、生きるためでなければ殺されない。時に助け合いさえする。けれど助け合った者同士が生きるために殺し合うこともある。この砂漠はね、そういう生態系でできているんだよ」
穏やかに殺し合う生態系。あるいは、強かに生き合う生態系。なるほど、これは至極平等で、自然な構造だ。
俺の家とは全然違うな。あの家で本当に強かったのは、俺か姉か両親か。
誰が強かったかなんて問いに意味は無いんだけどさ。
「あの子はね」
コリトさんが言葉を続ける。俺は相変わらずパンを咀嚼している。
「シアラはね、砂漠に住んでいたわけじゃないんだよ」
なんとなく話し振りからそんな気はしてた。
少しならこの土地の魔法を使えるとか、働いてるわけじゃないとか。
病目の大蛇を見る目とか。
「ま、これ以上は直接あの子から聞ける話だと思うし、私が話すことでもないけど。でもま、オニーサンは今までの奴らと違って情に厚そうだし、少し気にかけてやってよ」
「それは、別に良いんですけど」
コリトさんが楽しそうにウインクする。三十路のウインクだ。
「私がオニーサンにパンをプレゼントしたみたいにね」
……なるほど。
なんかすげーしてやられた気分になった。
「食べきれない分は残しといて良いよ。片付けとくから。じゃあねー」
それだけ言って席を立つと、コリトさんはカウンターに戻っていった。
◇ ◆ ◇
「私さあ、あんたのことすごいと思ってるわけよ」
暑そうに胸元をぱたぱたとさせている姉が、アイスをくわえたまま言った。
「よくあの男の暴力に耐えれるなって思うし、よくあの女の暴言に耐えれるなって思うのよね」
「別にまあ、慣れればアレも楽しいよ。いかに体力を消耗しないかっていうゲーム」
「いや、それはタフすぎるって……」
姉はげんなりした表情で食べ終わったアイスの棒をゴミ箱に投げ捨てる。
「そもそもさあ、アンタって私を恨んだりしてないわけ?」
「ん、恨むって?」
姉の部屋は扇風機一台だけが動いていて、だらんとソファに寝そべっている姉と、冷たいアイス。
夏だ。暑い。
「だからさ、家のことを全部放置して、アンタに押し付けるみたいにして一人暮らししてるわけじゃない? まあさすがに実の父親に襲われかけたら私としては逃げるしか無いんだけどさ。アンタ、そういうこともしないじゃない」
そういうわけじゃない。逃げる手は最近結構まじめに考えてる。具体的に言えば、自活しようと思ってる。人間気合い入れてがんばれば、一人で生活するくらいわけないはずだ。
それに、俺だって平気なわけでもない。あんな家はすぐ出たい。順応してしまったからイマイチきっかけが掴めないだけだ。
「それ言ったら、姉ちゃんだってすごいじゃん。危ないって思った瞬間家でたもんな。部屋契約するまでどうしてたのさ」
「友達んちハシゴしてた」
「ああ、姉ちゃん友達多いからな」
「私の話はどうでも良いのよ。アンタの話よ。こんな風にいろいろ押し付けて逃げた私を恨んだりしないで普通に話せてるのって、すごいなって思うけどねって話」
「姉ちゃんが悪いわけじゃないし、恨むってのも筋違いだと思うけど」
誰が悪いわけでもない。ただあの父親と母親がひどいだけだ。もっと言えば、一般的ではないだけだ。俺だって耐えられない程度に。
順応するにも限度がある。
「筋違いでも、恨みたいときに恨みたいものを、人は恨むものでしょ」
「んー? ちょっとよく意味がわかんないんだけど」
「いやいや、分かんないことはないでしょ。あんたなら。都合良く恨まれるのが特技でしょ」
「その特技はかなり嫌なんだけど。ていうかそんな特技ねえから」
「……あんた、自分をもう少し客観視した方が良いわよ」
姉がため息をつく。
「ほら、アンタってあれよね。クラスで何か物がなくなったり壊れたりして、それがなんとなくその場の流れで自分のせいにされたとき、それが冤罪でも、そのことを言わないで悪者になるタイプじゃん」
「あー、まあそれは。ていうか嫌に具体的な例えだね」
「あとほら、たとえば綾乃ちゃんが編んでくれたマフラーを、目の前で寒くて震えてる女の子がいたら渡しちゃってそのままあげちゃったりするタイプじゃん?」
「……なんで姉ちゃんがそのこと知ってんの?」
「綾乃ちゃんも知ってたよ。浩輔は本当に優しいんだからって笑ってたけど、私としてはわりかし気持ち悪かったよ」
姉が再びため息をつく。
「あのさ、本当に自分で引き受けられなくなったときは、私を頼りなさいよ」
何でもない様子でソファから立ち上がって、冷蔵庫まで歩いていく姉。またアイス食べるのか。お腹壊しても知らんぞ。
「頼られなかったらアンタが一人で自滅しても私の知ったこっちゃないけど、ちゃんと頼るんだったらなんでも力になってやるからさ。ほれ、アンタの分」
そう言って一本三十円くらいの量産型アイスを差し出してくる。俺はそれを受け取った。
「自分大事な姉ちゃんがそんな風に言うのって、めっちゃ違和感あるな」
「いや、そりゃあ自分が一番大事よ。アンタと違ってね。でもま、弟に頼られた時くらいは多少頑張らないでもないわよ」
再びソファに寝転がって、アイスを口にくわえる。
「なんつっても、世界で二人だけの姉弟だからねえ」




