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ベジタリアンテレパシスト  作者: キムラ
7/8

結末Xと結末Ω

 話を戻そう。

 どこまで話したか。面倒なので、そう、俺は自分の能力に『ベジタリアン』という名前を付けたというあたりまで戻ろう。つまり、一番最初だ。

 『ベジタリアン』は肉食獣を絶滅させることはもちろん、宇宙亀を滅ぼす力を持った極めて強大な力を持っている。

 この能力は、俺が二歳の時に発現したものだ。

 理由は単純明快。幼い頃、俺は肉が食べられなかったからだ。

 体質的に受け入れられなかったわけではなく、単に嫌いだったのだ。しかしながら、親はそんな俺を無理矢理矯正しようとした。そんな中、俺の脳の裏側の三センチぐらいに位置する部分が疼いた。その瞬間に親も肉を食べられなくなった。

 つまり、肉を食わずに済ませたいという欲求が、他人に影響したというわけだ。

 さて、この能力の制限は一体どこまであるのか。姉に言われるまで気付かなかったなんて嘘だ。俺はこの能力が、これだけで終わらない事ぐらい薄々感づいていた。

 中学に入るぐらい、俺は確かめた事があった。

 恥ずかしい話だが、中二病を患ったのもそれが原因だ。万能の力を持つ存在として、他人と自分は違うのだと思っていた。

 俺はおおよそ、なんでもできた。

 そう、例えば。

 非の打ち所の無い完璧な超人を誕生させる、とか。

 事故に遭い、死に掛けていた幼馴染を変身ヒーローにする、とか。

 宇宙のどこかに、恒星を食べる亀を出現させる、とか。

 

 この物語は、どこまでが俺の夢で、どこまでが現実か、判別しがたい部分がある。

 もしかすると、俺はまだ母の胎内にいて、ただひたすらに夢を見続けているのかもしれない。もしかすると、俺はすでに死んでいて、今までのことは全て現実だったのかもしれない。

 判断する方法は無い。

 生の証明とは、そう簡単には出来ないものなのだ。

 

 まあ、夢でも構わない。

 能力というものは発想次第でどこまでも伸びていくもので、そのやり方さえわかってしまえば、いくらでも応用が利く。

 例えば、姉の行った全時間と全知識の共有。

 それによる過去の改善と未来の予測。

 姉は主観時間においてパターンを統合させていたが、それはあくまでも、姉がそれ以前を変化させることを出来なくしてしまった、だけの話だ。


 つまり、俺が過去に戻れば全てが解決する。



 さて、『話を戻そう』。

 俺が二十歳の夏、大学の夏休みのある日の午前中、大学構内にある温水プールで適当に十キロほど泳ぎ、高校時代からの友人と昼飯を食って消費したカロリーを補充し、ゲーセンで適当に遊び、気になる漫画の新刊を入手して家に帰ってくる頃には日が沈んでいて、家に帰ってきた時まで、話を巻き戻そう。

 引き篭もりの姉がいるという事実は、普段は気にも留めていないことだが、それをその日に限って実感し、まざまざと思い出した。

 実に明確な理由だ。

 家に帰ると、万年カーテンが引かれている姉の部屋の中が覗けた。

 それどころか窓が開いていた。

 いやなんというか、それどころかベランダに女がいた。

 上はTシャツだけ、下はパンツだけというあられもない格好の女がいた。

 姉だった。

 ぼっさぼさの髪で、顔が隠れてしまっていたり、五年ぶりに見たその姿は記憶と大きく違っていたが、それは間違いなく俺の姉だった。

 俺は混乱したり取り乱したりするよりまず、その姿を見て綺麗だなと思った。

 部屋の中でさしたる運動もせず、しかし飯もしっかり食っていたわけではないので、ガリガリに痩せ、崩れた体。珍しいと思うことはあっても、綺麗だと思うのはおかしいと思ったが、ただパジャマ姿でベランダに出て空を見上げる姉は綺麗だと思った。

「どう?」

 姉を見るのは別段久しぶりではない。

 体感時間にして数分前に見ていた。

 それも今の姉よりもっともっと若々しい、高校時代の姉をだ。

 姉は俺が声を掛けると、不思議そうな顔で俺を見下ろして、某呪いのビデオに出てくる女のような前髪を掻き分けると、空を指差した。

「ねえ、どういう事?」

「何が?」

「亀が、いない……」

 俺も空を見上げる。

 そこには煌々と明るく輝く満月が見えた。遮る影はどこにもない。

 遮る影は、どこにもない。

「姉さん、久しぶりに現れてなんだい? 空に、亀? 亀は空を飛ばないよ?」

「そうじゃなくて!」

「ネットの情報に踊らされたのかい? 姉さん、いい加減、引き篭もってないで出てきなよ。んで、飯ぐらい一緒に食おう。兄姉なんだから」

「あ……うん」

 俺はそういいつつ、家の中に入った。

 家の中には、もうすぐ夏だというのに、タートルネックのセーターを着た暑苦しい姿の女がいた。彼女は台所に立っていた。

 長い黒髪をポニーテールにしており、鼻歌を歌いながらニンジンを切っていた。

 長袖のセーターは、しかし腕まくりがされており、綺麗な白い腕が覗いている。

 綺麗な白い腕。

 傷などまったく無い。白い綺麗な腕。

「ただいま」

「お帰りまーくん、台所借りてるよ」

 永久莉緒が料理していた。

 夏でも暑苦しい格好をしているのは、彼女の趣味だ。

 リオは小さい頃からの幼馴染で、小さい頃に工事現場で鉄骨の下敷きになるという大事故にあったが、傷は残らなかった。クローン技術の進歩のお陰だ。

 それから小、中と一緒の学校に進み、高校は別だったが、その頃に付き合い始めて、今に至る。ちょっと人見知りが激しくて根暗なところもあるけど、可愛い彼女。

 リオと俺の関係は家族公認で、リオは我が家への出入りの自由を許されている。

 こうして両親のいない日に晩飯を作りにきてくれる事もしょっちゅうだ。

 ドタドタと階段を下りる音が聞こえる。

 姉が自室から、長い長い引き篭もりを終えて出てきたのだ。

「志津さん……?」

 リオが驚いた顔で振り返り、姉の名前を呼んだ。

 姉はそれを無視して、俺に詰め寄ってきた。

「どういうこと! なんなのよこれは! この世界は!」

 胸倉を掴んで喚く姉。リオは疑問符を浮かべた顔で俺を見ている。

 俺はやんわりと姉の手をどけた。

「姉さん、引き篭もることに関して俺は何も言わないけど、さすがに出てきていきなり変なこと言い出すとなると、病院に連れて行きたくなるよ?」

「そん……な……事を……」

 言葉が見つからなくて、おろおろと目線を彷徨わせる姉。

 見かねたリオは優しく声をかける。

「志津さん、もうすぐ晩御飯が出来ますから、よろしければ一緒に食べませんか?」

 今のリオに、あのライオンも退けるような猛々しさは無い。

 裏で特別なことをしているわけではない、ただの根暗で孤独を好む女だ。

 そんな彼女も、家族同然に育った姉の豹変については心を痛めていた。あるいは自分のせいでは無いかとすら思っていた。なぜなら、リオと俺が付き合い始めた頃と、姉が引き篭もりを始めた時期は、被っているからだ。

 そして、リオは姉が、誰が好きかを、知っている。

「ありがとうリオ、食べるわ、けどその前に、ちょっと兄さん借りるわね」

「あ、うん」

 リオは頷き、俺は了承などしないまま、姉は俺を引っ張って自室へと戻った。

 ガリガリに痩せた手は、しかし思った以上に力強く、俺はもちろん抵抗などしなかったが、無理矢理という言葉が似合いそうなぐらい強引に部屋まで引っ張られた。

 姉は今一度俺の胸倉を掴むと、唾を飛ばしながら激昂した。

「亀がいない! リオは怪我してない! それにあたしが『やりなおしている』! こんなの知らない! こんなの出来ない! こんなの、こんなのあり得ない!」

「姉さん」

 わめく姉をなだめるように俺が呼ぶと、姉ははたと言葉を止めた。

 そして、ピンときた、という表情でこちらを見た。

「もしかして、兄さんがやったの?」

 俺は一瞬口をつぐみ、

「そうだ」

 と、悪びれもせずに答えた。

 すると、姉は、信じられない、という顔で、まじまじと俺の顔を見る。

「じゃあ、もう、大丈夫なの?」

「ああ」

「地球は滅亡しないの?」

「ああ」

 宇宙亀なんかいないし、リオは怪我をしていない。

 襟長絶対は完璧ではない。天才とはいえ、異常なまでの才能を発揮することはなく、一人の成功者として歴史に名を残す程度だろう。

 彼らの家族もまたそうだ。

 襟長相対は、兄に対し特に劣等感を感じず、ゆえに家族を殺そうなんて思わず、ゆえに、バイオアーマー計画にも関与しない。

 ドクロとハチは万事うまくいく。バイオアーマー装着者にはならない。

 そもそも、リオがバイオアーマーを装着せず、試作型のバイオアーマーはそのまま事故現場で灰燼と帰すため、バイオアーマー自体が完成しない。そもそも、宇宙亀がいないため、バイオアーマー計画は途中で頓挫する。人間同士の小競り合いなら、優秀な種を使ったクローンだけで十分なのだ。クローンは、おそらく秘密裏に勧められているだろう。

 平和な世界だ。

「なんの心配もない世界」

「じゃあ、私はもう、あの苦しみから逃れられたのね」

「………そうだよ、姉さん」

 俺がそう言うと、姉は顔を、くしゃっとゆがめた。

 見る間に、目の端に涙が浮かんでくる。

「やった……」

 平和な世界。

「やった、やった、やった……!」

 俺は姉の因果律を逆行し、亀によって死ぬ運命の全てを断ち切った。姉が苦労してパターンを見つけ出す世界を、根元からバッサリ切り落とし、上書きするように新しい一本の枝を作り出した。

 その結果、宇宙亀という存在は消えた。

「けど、ゴメン、失敗したんだ」

 俺がそう言うと、姉は何を言っているのとばかりに両手を広げてみせた。

「失敗? 何を? 素晴らしい世界じゃない」

 姉は、そう言って窓の外を見たが、窓に反射して映る曇った俺の顔を見て、訝しげな表情になった。

「なにか、重大な失敗をしたの?」

 俺は、喉を振るわせた。

「頭の後ろ、四センチと二ミリの所に力を入れてみて……」


 姉は最後まで聞く事なく、ほぼ無意識中に、指差された場所を見るぐらいの自然さでその動作を実行した。



 世界が戻った。

 姉と俺は、あの時間の止まった宇宙亀の頭蓋骨に埋め込まれた施設の中で覚醒した。

 一抹の夢。

 現実はここにもあった。

「え……?」

 姉は呆けていた。

 目の前のケーキが蜃気楼だったかのように、呆けていた。

 俺は説明する。

「俺は、亀が出現しないような運命の枝を一本生やした」

「つまりそれは、亀によって……」

「そう、死ぬ運命だけを除外した」

「でも、この世界は、姉さんの手によってまとめられたこの世界は、無かったことにはならない。切り落としても、枯れることなくこうして存在する」

 姉は、彼女の人生の中で最も美しいであろう瞬間の姿をした姉は、ぺたんとその場に座り込んだ。

 彼女は全知能力者だ。

 たった一つのパターンが生きているだけで、絶望は伝染する。

 たった一人、姉がこうしている世界があるだけで、他の姉はどうあがいても幸せになれない。並行的に存在する記憶が姉に幸福感を与えない。

 俺の作った世界では、姉は三十二歳の時点で言いえぬ絶望感を感じ、自殺する。

 結局。そうなのだ。

 姉が全知能者である限り、この枝が存在する限り、姉は生きることができない。

「それじゃあ、私は、どうあっても……」

「うん。ごめん姉さん。俺の力が及ばなくて」

 俺が謝ったとき、姉は顔を両手で覆って泣き始めていた。

 さめざめと。

 静かな空間に悲痛な泣き声が響く。

 俺は自分の積み上げた山から箱を引っ張りだし、座った。

 姉は頑張った。

 俺はそれを手伝うには手伝った。

 けれども結果はこの様だ。

 陳腐な表現だが、運命というのは中々捻じ曲げられないのだろう。

 姉は最後まで、幸福になれない。

 そしてそれは俺も同じ事だ。

 この世界は、俺が生物を超越するこの世界は、たった一つしかない。

 実を言うと、俺にこの世界を変える力は無い。

 他の世界に俺とおなじような超越者がいれば別だったが、残念ながら俺は姉と違い、全知能力者ではない。一方通行だ。過去を変えることは出来ても、それは一方通行。過去の俺は未来を知ることなどできやしない。過去は変えられても未来は変えられない。いやはやなんとも、不器用なことだ。

 まぁ、それはいい。

 俺は別にいいのだ。

 この世界の俺は、狂って壊れてしまった。抜け殻と残りかすのようなものだ。

 俺はもう俺じゃない。

 ならこんな世界でも別にいいのだが。

「俺にも、過去から未来が変えられればよかったのにね」

 姉は負けたのだ。運命に。宇宙亀を起点とした滅びの運命に。

 不憫でならない。

「姉さん?」

 ふと姉を見ると、泣き止んでいた。

 自分の両掌を見ていた。そこには涙は付いていない。

 長い、長い時間をかけてきたものが、とうとう失敗だとわかった絶望は計り知れないものだろう。涙すら出ないほどに。

「兄さん、私、どうすればいいの?」

「………」

「兄さん、私、頑張ったよ? でもダメなの? 私は長生きしちゃいけないの?」

 世の中には、病気や事故で若くして命を散らす者も多い。必死の治療の甲斐なく、二十台で命を落とすなど、珍しいことではない。

 それに比べ、姉は恵まれていた。何しろ、事故や病気の原因を避けることが出来たのだから。

 それでも、それでも、勝てなかった。

 たった一つの目的を達成することが出来なかった。

 努力は成果なくして努力と認められず。

 だが、俺は身内の目で見て、あまりにも無残だと思う。

「ただ、一つだけ方法はある」

「え?」

 だから、一つの可能性を提示することにした。

「これから幸せになればいい」

「………!」

 この世界の絶望が、他の世界の姉を死に至らしめるというのなら、そう、話は簡単だ。

 幸せになってしまえばいい。

「姉さんが、まだ俺を愛してくれているというのなら、姉さんを幸せにするよ」

「いいの? だって、私はもう……」

「いいよ、俺だって、これから変わるんだから」

 俺はそう言うと、宇宙空間へと繋がる扉へとよじ登り、その扉を、扉を、開けた。


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