陰謀と結末A
長い。3つぐらいに分断したほうがよかったかもしれないと反省。
以上を持って、この物語における主要人物の紹介と各人にまつわるエピソードを終了したいと思う。
ドクロ、ハチ、会長、リオ、その四人に出会い、前述したエピソードをこなさなければ、この後に続く物語は発生しなかったと思う。
俺にとって辛い物語だ。
出来る事なら語りたくはない。
けれど、俺以外に結末を知るものはおらず、誰かが伝えなければならない事だ。
そうしなければ世界は間違った歴史を後世に伝えてしまうだろう。それは俺にとってどうしても避けたい、許しがたいことだ。
過去の歴史の偉人たちも似たようなことを思っただろう。この地獄のような世界を後世に残さなければならない。でなければ、たった数十年だけ自分より早く死んでしまった友は一体なんのために死んだのだろうか、勝利者に改竄された歴史を彩るために死んだわけではないのだ、と。
俺の物語に死者はいても勝者はいない。
全員が敗者である。
■■
姉がいなくなった。
だが、俺の心情になんら影響は無かった。
むしろ、スッキリしていた。長年悩ませていた肩のコリが、ある朝すっかり消えていたような気分だった。虫歯を治療した後にもよく似ている。髪を切った直後もこんな感じだ。
また引き篭もったのならともかく、立ち直った姉がどこに行こうと姉の勝手だ。母は心配そうにしていたが、父は「まぁ、あいつもそういう年頃なんだろう」と放任。俺も父も女心はわからないが、男も女も生物学上は同じ仕組みで動いている生物だ。男にも女心に似たなにかがあるように、女にも男心に似た何かがあるはずだ。父はそうした姉の機微を敏感に感じ取ったのだろう。
女々しく弱々しい母と違い、父は男らしく頼もしく、そして聡い。
女は男親に似て、男は女親に似るというが、ウチの場合は特にその典型だ。
俺はどちらかというと女々しい。必至に隠してはいるものの、割と細かいことをぐぢぐぢと根に持ったりする。俺は父を憧れているため、格好だけは男らしくあろうと思っているが、中々そうはいかない。物事を合理的に考えられても、心の奥底では自分の感情や利益を優先したがっている。俺はそんな自分が嫌いだ。
対して、姉は竹を割ったような性格で裏表が無い。
男にも女にも人気があるとは姉のような人物を指すのだから。
ま、とにかく俺は姉が消えても普段どおりだった。日本はおしなべて事もなし。俺は会社に入社し、社会人となった。新卒の新入社員として精力的に仕事を覚え、あっという間に三年が経過。同じ部署に後輩が出来る頃。
亀が、すぐそこに迫っていた。
今世界は、第三次世界大戦の真っ只中だ。とはいえ、アメリカやロシア、ヨーロッパ諸国が本気を出して陣地取り合戦をしているわけではない。
敵は宇宙生物だ。
その宇宙生物について少し説明しておこう。
まず、宇宙亀は生物である。
生物の体内や皮膚では、目に見えない小さな菌が大量に繁殖している。
宇宙亀は巨大な生物だ。太陽よりも巨大な生物だ。
それは地球の大きさに対して、蟻ぐらいのサイズしかない菌だったのだと思う。
太陽の直径は地球の約一○九倍で、亀はさらにそれよりでかい。
菌もまた、でかかった。
菌の平均サイズは約二メートル。最小で五十センチ程度、最大で五メートル前後。
緊急発足された世界政府は、それを『ウイルス』と名づけた。
種類は多彩で、人間を襲ってくるヤツもいれば、植物を食い尽くすやつもいた。別の菌を共食いする奴もいる。単細胞生物のような外見をしてる奴もいれば、虫みたいなヤツ、イノシシのようなやつ、外見だけは人間そっくりな奴もいる。
ただ、総じて言えるのは、そいつらに知性というものは皆無で、全てウイルスが本能で動いているという所だろうか。
人間同士が争いをしていた当初、それらウイルスの中でも、特に理知的な顔をした生物に会話による歩み寄りが試みられたが、無駄だった。会話しようと近づいた者はあっという間に捕食された。
ウイルスたちはえさの豊富な地球であっという間に繁殖し、種族毎にコロニーを作り、爆発的にその数を増やしていった。
人間が、人間同士で戦っている場合ではないと気付いたのは、密林に巣くったウイルスのせいで、地球の全体的な酸素濃度が減少しはじめた辺りだ。
増えるウイルス、食い止める人間。
壮絶ないたちごっこが始まっていた。
日本は無事だった。
なぜか。ウイルスが落ちてこなかった。
なぜ落ちてこなかったか、その理由は研究によって明らかになった。
ウイルスの落下している分布を見ると、どうにも大きな大陸の、それも内陸部に多く、反面、海に面した部分には落下していない所から、ある科学者が仮説を立てた。
曰く、ウイルスは海水が苦手である。
仮説は実証により真実へ。
どの個体も塩を振り掛けるだけでもだえ苦しみ、溶けて消えた。
塩ストレス耐性が低いらしい。
他にも研究の結果、色々とわかったようだが、研究員ではない俺には理解の難しい話だ。
ともあれ弱点を発見したものの、密林に海水を撒き散らすのは本末転倒。現在は水鉄砲を持った兵士とウイルスの、言葉面だけ見ると遊びのような戦いが続けられている。
世界がそんな状況でも、日本は比較的平和であった。
国連から各国に対し出兵を義務付けられたのに対し、日本だけは特別処置としてその義務が免除されていた。
その理由は、襟長財閥にあった。
財閥は二つの交渉材料をもって、出兵義務をつっぱねた。
一つは、人間クローン技術の独占。
短時間で人間を作る技術を、襟長財閥はずっと昔から研究し続けてきていた。倫理や道徳の上に野糞をするような感覚で、襟長『皇帝』は自らのクローンを作り、訓練し、世界各国へ傭兵として送り出した。本人曰く、「オナニーで出した精子をどう使おうが俺の勝手だろ?」だそうだが、当然ながらマスコミ各種にむちゃくちゃ叩かれていた。
もう一つは、戦闘用パワードスーツの開発。
身体能力を劇的に上昇させ、ウイルスとの戦いを容易にした近代の個人戦車。
こちらは技術を独占しているわけではないが、権利はあくまでも襟長財閥にあり、核となるブラックボックスの生産も日本の小さな工場でのみ行われている。
とりあえず、俺が知っている理由というのはこの程度のものだ。裏ではもっと政治的な取引がされているのだろうが、一社員である俺にはさして興味もないことだ。
世界と日本では明らかに温度差があった。
日本人には必至さがなかった。ウイルスを見た事の無い者も多い。
戦争は遠い世界のファンタジーだ。
日本に住んでいる限り、襟長財閥がある限り、もしくは地球が滅ぶその日まで、日本人は平和ボケし続けているのかもしれない。
頭では理解していても、体が理解していない。
危機感を感じていない。
戦わなければならない時に、体勢が整っていない。日本人は現在、外国人に一歩も二歩も劣っている、などといわれている。思わず反論したくなるような意見だ。
さて。それに対し、襟長一族は外国人より三歩も四歩も先に進んでいる。
亀を退治する方法を研究している部門がいくつもあった。
襟長財閥の某支部(ヨーロッパの方にあるらしい)では、核ロケットの打ち上げも慣行されたらしい。着弾予想日は二年後だ。
日本人の半数はそんな計画が進められている事など知らない。
偽りの平和。
世界がもうすぐ終わるかもしれないというのに、それに目を向けようとしない者も、多かった。もちろん、目を向けたところでどうにかなるものでもなかったが。
俺の会社も、やはり宇宙生物とは無関係な所だった。
俺もまた、いわゆる平和ボケした日本人として、日々の生活を追われる立場なのだが、ある日誘拐された。
■■
そこは暗い場所だった。
使われていない倉庫だろうか。俺の位置からはその全貌を知ることは出来ない。ただ分かるのは、この建物が恐ろしく広く、しかも周囲には二メートル四方のコンテナが並んでいて見通しが悪いという事で、ゆえに出口がどこにあるのかわからない、という事だ。
だが、真っ暗闇というわけではない。近くにある机の上に置かれた裸電球とノートパソコンの生み出す明かりのお陰で、なんとか周囲に人間がいる事がわかった。
五人の人間がいた。
全員が銀行強盗のような黒い覆面をつけている上、暗がりのため判別も付かないが、声を聞くに中には女も混じっているらしい。倉庫内にはほかにも仲間がいるらしく、時折遠くから話し声が反響してきたり、足音が聞こえたり、無線で連絡を取り合ったりしていた。
背の高さはどれも似たようなものだが、一人だけ覆面の上から分厚いメガネを掛けていて、どうやらそいつがこの集団のリーダーらしかった。パソコンに向かいながら、時折周囲に向かって指示を出している。
暗がりで目を凝らすと、シルエットでどいつが女かわかった。小柄で、スレンダー。ハチのような体だなと思ったら、声もハチそっくりに聞こえてきた。女をハチと思えば、その近くにいるガタイの大きな男はドクロに見えてくるから不思議だ。俺の中であの二人はワンセットらしい。
駆け落ちして、その後どうなったのか、まるで知らないが、元気にやっているだろうか。
「お?」
と、俺が考えているとガタイの大きな男と目が合った。
暗がりの中でも目が合えばわかるものらしい。
「お目覚めですか」
聞いて見ると、こちらも中々ドクロによく似た声だった。
声に反応し、残り四人もこちらを見た。
たった一人の女が、軽い足取りで俺の所までやってくる。
「やっほー、キムラ先輩! 久しぶりです」
そう言いながら覆面をはずすと、ああ、なんと懐かしいことだろう。そこには数年も前に別れたハチの顔があった。あんまり変わってない。
メガネのリーダーが怒鳴った。
「こらハチ、いきなり覆面を取るんじゃない!」
「はいはい、ちゃんと後で被りますよ。今は感動の再開の場面なんで、ちょっとぐらい大目に見てくださいよ」
「遊びじゃないんだぞ! ……だがそうだな、この段階までこぎつけられたのはお前のお陰だからな。感動の再開だってんなら、十分だけ時間をやる」
リーダーは鼻息荒くそう言って、パソコンの画面へと視線を戻した。どうやら、怒鳴ってはみたものの、自分の作業は終わっていないらしい。
それを聞いて、胸を撫で下ろしながら大男もやってきた。
「久しぶりっす、キムラ先輩」
声を聞くと、やはりこちらの男はドクロだった。
ドクロは覆面をはずす。
覆面の下には見慣れた顔は無かった。
片目は潰れ、頬には傷が付き、長年殴り合いをしてきたようなゴツゴツの輪郭。各パーツは以前のままだが、高校生の時の甘っちょろい男の顔ではなく、場末の酒場で年中無休で喧嘩を販売していそうな、立派なアウトローの顔だった。
「ドクロ、お前なんか、逞しくなったな」
「そっすかね。水泳は、もう続けてないんすけど」
「ああ、俺もやめちゃったよ、水泳」
「そ、すか」
そこで二人の会話が途切れた。
俺にはこの二人に言いたいことがあった。
『何故こんな所につれてこられたのか、なぜ縛られているのか、俺をどうするつもりだ』といった事は、正直なところ、どうでもいい。
それよりもっと、とてもじゃないが言えない事だ。
「はいはい、辛気臭いのはおしまい!」
ハチが手をパンパンと叩いて空気を一新させた。ドクロは気まずそうに俺から目線をはずすと、覆面を被りなおしてそっぽを向いた。
「じゃあリーダー。キムラ先輩に説明してあげて」
リーダーはメガネを直す仕種をしつつ、首をかしげた。
「先ほどからキムラ、キムラと言っているが、彼の名前は……」
「あだ名ですから気にしないでください」
ハチは冷徹な声でピシャリとリーダーを黙らせた。
リーダーは底冷えするようなハチの声に、ただ肩をすくめただけで、パソコンをちょいちょいと操作して画面をこちらに向けた。
「さて、わかるかな?」
「ええ、わかります」
俺はその画面に大きく書かれた文字を見て、全てを理解した。
『超能力者における、亀への精神攻撃』
そう書かれた画面を見て、全てを理解した。
俺だって、少しは考えた事がある。
もし、俺の能力を使えば、肉食を菜食に変える能力を使えば、あるいは亀に太陽を食べさせずに済むのではないか、と。
会長(今は社長だが)にそう聞いたら、一笑に付されたものだ。
会長にしては珍しく理由も言わずに「ははは、それは夢物語だよキムラ君」と。
どんな馬鹿げた話でも相手が真面目に話している以上、絶対に笑ったりせず、一から理由を説明してムリだと説得する会長が、人の話を一笑に付すことなど滅多にしない会長が、鼻で笑い飛ばしたので、何かがおかしいなと思っていたのだ。
もしかして、可能なのではないだろうか、と。
やはり、可能だったのだ。
俺の目線は大きな文字のさらに下、計画内容についての記述に走る。
会長が一笑に付した訳はその計画に全て書かれていた。
『問題点・効果時間』
『Kの超能力は本人が念じている期間に加え、最長で一年程度しか持たない。念じた力が強ければ強いほど、その効果は長持ちする。しかし、仮に亀の頭に密着するように宇宙ステーションを製作した所で、その効果時間、即ちKの寿命は八十年程度であるため、亀が戻ってくる可能性がある。宇宙亀は、そのサイズからも分かるように、視野も広く、百年程度の断食では堪えることなく太陽へと戻ってくるであろうことが予想される。
その他、二度と故郷の土を踏めぬであろう本人の意思、亀の表面上に生息するウイルスの排除、運搬方法などあるが、些細な問題である』
『解決策・クローン技術及びクローン教育技術。並びに冷凍保存技術』
『細胞学部の研究により、短期間におけるクローン製作と、クローン製作時における自動インプリンティングをオートフォーマットとしてクローンに記憶させることに成功した。
これにより、K本体は冷凍スリープを行い、十年に一度、解凍して精液を採取し、装置へと摂取する事で、宇宙亀に超能力を仕掛けることをインプリンティングによって命題として刷り込まれた『Kクローン』が生まれ、半永久的に宇宙亀を止めておくことが可能である』
読み終わる。
「つまり、俺が拉致されたのは、俺の超能力を利用するため、か」
「すまないが、君には人類のために犠牲になってもらう」
さして悪びれた様子もなく、リーダーは淡々とそう言った。
「………」
俺は目を閉じた。
会長が考えそうな計画だった。
会長なら、考えても実行はしないだろう計画だった。
それがこうしてプロジェクトとして動いていると言う事はつまり、会長は選んだのだろう。俺を切り捨てるという選択を。
仕方が無いかな、と思う。
会長だし。
日本にいるんじゃわからないけど、俺みたいなよくわからない超能力者に頼らなければいけないほど、切羽詰っているんなら。仕方がないかな。
俺一人が頑張って、ヒーローになって、それで済むのなら、それでいいと思う。
「さて、君にはこれから、宇宙行きのロケットに乗ってもらう。時間が無くてね。すぐに乗ってもらう。発射は明日だ。安心してくれ、なにしろ……」
と、その時だ。
「リーダー、危ない!」
ドクロがリーダーを引き倒した。
リーダーの頭のあったあたりを、黒塗りのクナイが凄まじい速度で通りすぎ、パソコンのディスプレイに突き刺さった。なぜそれがクナイだと分かったのか、それは多分、ここ一年以内に、どこかでそれと同じものを見た事があったからだろう。どこで見たか、思い出せない。
そいつは天井付近にいた。
正確に言うと、天井付近から落ちてきた。
倉庫の天井はかなり高いというのに、物音一つ立たなかった。
姿は、ゴキブリかカミキリムシに近いだろうか。
頭はスズメバチに近い。側面まで広がっている大きな二つの赤い複眼と、額付近についている三つの単眼。その下にあるのはなんでも噛み千切れそうなギザギザの顎。
全身はキチン質にも似た黒い甲皮で覆われている。右胸は左胸に比べて盛り上がり、まるでそこに弱点があるかのようにほのかに光っていた。背中にはセラミックブレードのような輝きを持つ二枚の羽があった。
それが、人の形をしている。
禍々しい。
見る者の背筋を凍りつかせ、ぞっとさせるようなシルエットだった。
身の毛もよだつ不気味な生き物だ。
写真で見れば、あるいはカッコイイと思ったかもしれないが、今、俺の心に生まれた感情は『恐怖』の二文字だった。
「……はぁ……はぁ……」
いつのまにか、息も荒くなっていた。心臓がバクバクと鳴り響いている。全身は冷や汗でびっしょりだ。
何十分もそうしていたような気がするが、実際には五秒間だ。
時が止まったような五秒間。
そう、五秒間もだ。
五秒間も、この不気味な闖入者に対し、誰も動けなかった。
状況を把握していたのは、恐らくドクロだけだ。彼はリーダーを引き倒し、背中に庇った姿勢のまま、中腰で唐突に現れた虫人間を見ていた。彼の動けなかった、は俺たちとは意味合いが違う。リーダーを守るため、動かなかった、のだ。
最初に動いたのはリーダーだった。
否、動けず、ただ悪夢にうなされるように呟くのが精一杯だった、というのが正しいか。
「まさか、なぜ……」
リーダーの口が動いた瞬間、コンテナの上から二つの影がソイツに襲い掛かった。
ディスプレイから漏れる光以外に照明のないこの空間で、二つの影がソイツによく似ていたことが分かったのがなぜかはというと、先ほどの禍々しさを二つの影にも感じたからだ。
シルエットで言えば、その二匹(あえて二匹と呼ぶのは、人間とは思えなかったから)には、ブレードのような羽が付いていなかったことぐらいか。
二匹は手に持った青白く光るサーベルで前後からソイツに斬りかかった。
斬りかかろうとしたが、適わなかった。
鼓膜が破れんばかりの轟音と、二つの光。マズルフラッシュによって阻まれた。
暗がりで分からなかったが、ソイツは銃を持っていた。
見た事の無い銃だ、西部劇なんかで時折見かける銃で、ライフルによく似ているが、肩につけるストック部分は無く、先端も短い。
音から察するに、かなりの反動があったはずだ。何しろ二匹の上半身が内側から破裂するように消失したからだ。黒いガラスのようなものと、生々しい肉片を飛び散らせ、虫をつぶした時のような匂いを撒き散らす、まるで現実味を帯びない光景。
ソイツは巨大な口径を持つ短銃を二丁、それぞれ片手だけで操って見せていた。
一瞬で散った二つの命。
リーダーは震える声を喉から絞り出す。
「馬鹿な……何故だ……」
それが聞こえたのだろうか、ソイツは口元をガチガチと気味悪く震わせながら言葉を発した。ギィギィと、黒板を爪で引っかくような深いな声だ。
「ワスプナイトの装甲を貫通できたことがそんなに不思議か?」
「な、何故、何故だ……」
「ワスプナイトは所詮、人間と戦うために作られた兵器だ。確かに、戦場で使われる可能性のある歩兵用の兵器は軒並みはじくことが出来る。特に衝撃を受けた際、装甲を瞬時に傾斜させるシステムは秀逸だ。三十口径のライフル用マグナム弾も弾ける」
ソイツは短銃を持ち上げてみせた。
「けれど、ワスプナイトの防御力は初活力にして約五〇〇〇までだ。アンチマテリアルライフルや象やトドといった巨獣撃ち用の狩猟ライフルを至近距離で撃たれる事は想定していない。だから、例えばこのカスタムしたマークⅤを密着させて……」
「何故だ! 何故貴様がここにいる! バイオゼロ!」
バイオゼロ。
そう呼ばれて、ソイツの言葉が止まった。
キチリと、嫌な音がソイツの口から聞こえた。牙を打ち鳴らす音だ。
「何故? 貴様が、そんな事を聞くのか?」
「そうだバイオゼロ! なぜ貴様が我々の計画を邪魔するのだ! 貴様とはもう何年も前に決着がついたと聞いている! 何故いまさら……」
ソイツは鼻で笑った。
「人から聞きかじったことを鵜呑みして、一番大事な部分を知らないんじゃないのか?」
俺の目からも、リーダーの動揺が見て取れた。
なるほど、どうやらリーダーは、この怪物の正体を知っているらしい。動揺しているのは唐突に怪物が現れたからではなく、この恐ろしい相手がなぜ敵対しているのかわからないからなのだろう。
「だが、どうであれ、不可侵条約を結んだはずだ……貴様の行為は条約違反だぞ……」
「愚かな。先に違反したのはそっちだ」
ソイツ。あえてリーダーの言葉を借りてバイオゼロと呼ぶことにしようか。
バイオゼロは俺の方を指差した。複眼に俺のほうけた顔が移る。
ああ、でも何故だろう。
この設定を、俺はどこかで聞いた事がある。
「何にせよ、貴様らは約束を破った。…………皆殺しだ、バイオブースト!」
「……っ!」
バイオゼロの羽が震えた。
羽の先から根元まで、段々と赤く染まっていく。
それを見て、ドクロが叫んだ。
「やらせん! メタモルフォーズ! ベスパジェネラル!」
叫んだ瞬間、ドクロが黄色い光に包まれた。目視に耐えられる光だ。光の中で、ドクロが頭の先から黄と黒の物体に変わっていく。最近の特撮ドラマのような、CGを駆使したような綺麗な変身じゃない。肉がそのまま変色して変容する、見るもおぞましい変化。早送りをしているように、あっという間に変わっていく。時間にして数秒も経っていない。ものの二秒程度で変身が完了した。
巨大なスズメバチ。人型のスズメバチにドクロは変身していた。
周囲を取り囲んでいた二人も、何事かと叫ぶと一気に変身する。それぞれカラーが全然違う。ドクロが黄、他の二人が赤と緑。先ほどの明らかに量産型っぽいワスプナイトとやらよりもずっと強そうなカラーとシルエット。
いつのまにかハチまで変身していた。紫。
正直、この時点で俺は夢を見ているのだと思っていた。
「まー君。君の言う通りだったね。ラストバトルが、まだ残っていた」
おぞましい声が、懐かしい口調で発せられるまでは。
四対一という状況をバイオゼロはものともしなかった。
囲まれた状況から、コンテナや敵の影を使い、三次元的に、否、相手の動きを予測して四次元的に動いていく。
戦いなれた動き、とでもいうのだろうか。自分がこう動けばこの相手はこう動く、自分がさらにこう動けばあの相手はこう動き、この相手の進路の邪魔になる。そうしたことが全て分かっているかのような動きだった。
さらに言うなら、速い。
フットワークの違いだろうか。まるで高速で変形を繰り返す、戦乙女の名を冠する戦闘メカのように、体を限界まで折り曲げての表面積を変化させ、敵と敵の間をスルスルと抜けていく。時折、バイオゼロはフラッシュパンチのような軽いジャブを相手の目の前へと繰り出しているが、四人にダメージはないようだった。
あしらう、という言葉をそのまま体現しているかのような戦いが続く。
バイオゼロは複数対一で戦うための思考ルーチンが、非常に高度なレベルで完璧に組まれているのだ。対するドクロたちはそれぞれの動きはそれなりによいものの、さしたる連携が取れておらず、バラバラ。
なのにバイオゼロが攻撃に移らないのは、一見すると完全にバイオゼロが上にみえるが、実際のところそれほど戦力差は無いからだろう。四対一なのだ。
それに加え、おそらくバイオゼロはあの蜂人間のことをよく知っているのだろう。軽い攻撃はどれほど与えても無意味。一撃で表面を砕き、内部にダメージを与えなければ倒す事ができないのだ、と。
ほんの数秒。
もし、ドクロたちがその数秒の間にバイオゼロの思惑に気付いたら、勝負はまだ拮抗していただろう。
だが、ドクロたちは気付けなかった。
強力な力を手に入れた彼らは恐らく、それまで正面からのガチンコのぶつかり合いしかしてこなかった。だから、気付けなかった。
バイオゼロが全員の死角に入った瞬間に行っていた動作に気付けなかった。
後ろ手で腰の後ろにつけたあるものを素早く操作していることに気付かなかった。
もしくは、バイオゼロがその操作にもっと時間が掛けていれば、彼らも高速で動くバイオゼロが何かをしている事に気づいたであろう。
魔法のように、バイオゼロの両手に短銃が出現した。
俺はその銃の名前を知っていた。名前だけを知っていた。二年ほど前に俺の彼女がモデルガンのカタログを見ながら「これすごいのよ」と語ってくれたライフル。
ストックも銃身も切り詰められているが、俺にはわかった。
ウェザビー・マークⅤライフル。
本来なら片手どころか、両手で使っても反動で吹っ飛ばされてしまうような銃だが、バイオアーマーは増幅された膂力と装甲システムによっていとも簡単に扱う。
俺は知っている。
バイオゼロはノーコンだ。キャッチボールをしても玉を明後日の方向に飛ばしてしまうし、輪投げなんかでも成功した所は一度も見た事がない。
だから、拳銃のように切り詰めて、至近距離で使うのだ。
いくらバイオアーマーの膂力が凄くても、最大級の狩猟用の大口径マグナム弾を片手でまっすぐ飛ばせはしない。たった二、三メートルでも狙った場所には当てられまい。
だから、一メートル以内で使う。
正しい使い方はそう、装甲を傾斜させて逃げないよう、相手の胸に垂直に押し付けて、引き金を引く。
耳障りな雷音が響き渡った。
鼓膜に優しくない。リーダーも耳を押さえている。
この場には、俺を含めて七人いたはずだが、その轟音で五人に減った。
下から突き上げるように放たれた弾丸の衝撃に、二人のアーマー装着者は装甲と一緒に意識と命を貫かれ、絶命しながらコンテナの向こう側に落ちていった。
戦慄が走るとは、このことを言うのだろう。
生き残った二人も顔を見合わせて呆然としていた。
「……」
俺は生き残った二人が、黄と紫、ドクロとハチであることを認め、安堵していた。
しかし、俺の安堵したのとは逆に、リーダーは激しい焦りを覚えていたようだ。
何しろ、量産型ではない、ジェネラルなどという名前が付いているバイオアーマーが一瞬で二体もやられたのだから。それも四対一という有利な状況下で。
「くそ! なぜ試作型が最新型のジェネラルを……」
キチン質のこすれあうような不快な音を軋ませて、バイオゼロがその疑問に答える。
「型は関係ない。どれだけ性能に違いがあろうと、バイオアーマーを倒す方法に大差は無いのだから。あとはその方法を実行するために何が必要かを考える頭と、実行しうるための肉体を作る鍛錬だ」
こともなげにそう言って、腰の後ろにあるホルスターに短銃を仕舞う。どうやらあれは特殊なホルスターで、あれに銃をセットすると、片手で弾薬の排出と装填を行うことが出来るようになっているらしい。
その銃でドクロとハチも殺すつもりなのか。
ああ、そうかもしれない。バイオゼロはそういうタイプだ。まず目の前の虫を殺して、それから博愛精神について考えるタイプだ。
俺は反射的にやめろ、と叫ぼうとした。
が、叫ぶ前にハチが目の前にきていた。瞬間移動してきたのような速度だ。俺はそれこそあっというまに、否、あっという間もなく、ハチに小脇に抱えられ、次の瞬間には後方に引っ張られるような凄まじいGを感じていた。
「ドクロ…………」
ハチの祈るような声が一瞬、聞こえたような気がした。
血が体の隅へと寄っていくようなGの中、俺は考える。
あれは顔を見合わせて、呆然としていたわけではなかったのだろう。バイオアーマー装着者にだけ聞こえるような内部的な通信装置によって、どうするかを相談していたのだ。
そして、出た答えがこれ。
ドクロが足止めし、ハチが俺を抱えて逃げる。
彼らにとって、俺という存在は逃がしてはならないものなのだ。
そうしなければ、世界が滅ぶのだから。
いや、俺もさすがに俺の超能力で亀を止められるなんて夢にも思っちゃいないが、何も持たない人間からすれば、天国から垂れ下がる蜘蛛の糸のように見えるのだろう。
急加速のGは俺からあっという間に血の気を抜き去り、急速に意識を奪っていった。
目覚めた時、ハチは変身を解き、泣いていた。
顔を歪める事なく、ただまっすぐ前を見ながら、無表情に涙を流していた。
圧倒的な感情があふれ出た時に流す涙だ。
それだけで、俺は何が起こったのかを察することができた。
ドクロが死んだのだ。
バイオアーマー装着者にとって、成人男性一人分の重さなどタバコの箱ぐらいにしか感じられないのだろう。
どれだけ力量差があっても、新型と試作型の違いは明白に出ていた。
ただまっすぐ逃げるだけなら、バイオゼロはどうあがいてもハチに追いつけない。サーキットで乗用車がレーシングマシンに追いつけないように。
だが、残念なことに地球は丸く、大地には限りがある。
泥沼や荒地を走らせればジープの右に出る車両はほとんど無いし、田舎の山中を走らせれば実家のばーちゃんの右に出る者はいない。
つまり逃走というものは、単純に足が速いものが勝つわけではない。
が、そこは追われる立場ばかりで、追う立場になったことのないバイオゼロだ。追跡という慣れない作業で二の足を踏むのは仕方のない事かもしれない。
対するハチはというと、これまた駆け落ち中にいくつも修羅場を潜ってきたのだろう、慣れた手つきで痕跡を消し、最初から目的地を決めているかのごとく、着々と歩を進めていった。
現在位置は、某県某市の住宅地にあるマンションの一室。
部屋の中にあったのは固定電話、テレビ、ラジオ、パソコン、冷蔵庫、布団二組。それだけだった。テレビは電波ジャックをしているのか画質が悪く、情報は主にラジオとパソコンから得ていた。ハチ曰く、ラジオは定められた操作をすると時限爆弾となり、パソコンは一日毎にディスクがフォーマットされるらしく、証拠は一切残らないらしい。それ以外の家具は食器からカーテンに至るまで一切無く、まさに『逃亡者の拠点』という単語が似合う一室だった。
俺は、そんな部屋の中で、特に逃げるでもなしに、ハチに頼んで買ってきてもらった百円均一の座布団に座り、のんびりとニュースを見ていた。
逃げても無駄というか、バイオアーマー装着者であるハチが俺を見張っている上、周囲には彼女の仲間が張っていた。逃げ切れはしないだろう。逃げようとして二十四時間ずっと縄やら手錠やらで拘束されるより、こうして自由に動き回れる方が俺としては得だ。
さて、そのニュースだが、ある事件についての速報をやっていた。
『本日午後、唐突に崩壊したライジングビルには多数の人々が残されており、現在も生き埋めとなった人々の救助が急がれております……』
ライジングビル。
襟長財閥の本社ビルで、俺の勤め先だ。
本日は晴天で、まごう事なき平日。足を引っ張られてきた同僚が全てあのガレキの下にいると思うと小気味よく思うし、同時に残してきた仕事の書類の事を考えると少々鬱にもなるが、まぁその程度の感慨しか浮かばないところを見ると、どうやら俺はまだ、現状というものを真摯に受け入れていないようだ。
ま、実際にあの場に行き、自分の居場所の一つが消滅したことを目の当たりにすれば別だろうが、テレビの中の出来事は、どれだけ身近であっても、テレビの中の出来事だ。
「どうやら本気で襟長財閥を潰すつもりみたいですね……」
ハチは都市迷彩のアーミーパンツに黒のタンクトップという、中東の兵士を彷彿とさせるような格好で、テレビを見ていた。
「バイオゼロが、か?」
俺は振り返りもせずに聞き返す。
「ええ、他に誰がいるんです?」
いつしか、部屋の隅で筋トレをしていたハチが俺の後ろに立ってニュースを見ていた。
「……なんでバイオゼロがうちの会社を潰そうとしているんだ?」
「なんでって、バイオアーマーを作ったのも、それでバイオゼロと確執を作ったのも、ついでに先輩を攫ったのもみんな襟長財閥がやった事だからですよ」
ああ、つまりあれか。
あの話。
悪の秘密結社の表向きの名前は、襟長財閥だったと。そういうわけか。
「ちょっと待ってくれよ、俺だって一応襟長財閥の傘下の会社の社員だぜ? なのになんでこんな風に拉致する必要があるんだ?」
「そんな事知りませんよ、あたし傭兵みたいなものですもん」
俺は口をつぐんだ。
傭兵。中学生の好きそうな単語が出てきて、戸惑ってしまった。
「なんですキムラ先輩、その顔は。まぁ傭兵って言っても警備員みたいなものですよ。バイオアーマーって着る人を選ぶけど、でも着れれば誰だって強くなれるから、あたしみたいなのでも務まるんです」
「お前O型だろ? AB型の女性しか着られないって聞いたけどな」
「それは一番最初の頃のですね」
そう言いながら、ハチは説明を始めた。もう主語が抜けるようなことはない。彼女もまた、ちょっと見ないうちに世間の荒波にもまれて成長したのか、それとも単純にドクロが矯正させたのか。
ドクロ……。
いやな事を思い出しそうになった。
「今は量産型のナイトタイプがベースで、それは兵隊であるアブソリュートクローン専用なんですけど、それを指揮するためのジェネラルタイプというのがあるんですよ。あたしもそうですね。これは脳波を使ってナイトタイプを操ったり、他のジェネラルタイプと通信したりできるんですけど、えっと、ジェネラルタイプの上位にさらにキングタイプっていうのがあって、あ、キングタイプはアブソリュートクローンのオリジナルの人なんですけど、今の仕様だと、その人と脳波の波長が合わないと、ジェネラルタイプを装着することは出来ないんですよ」
「ふぅん……」
あのハチが真面目な顔をして長ったらしい説明をするのを聞くのは新鮮だった。
彼女は余り説明が得意なタイプじゃなかったし、説明をしあうような間柄でもなかった。
むしろ、俺が説明をする立場だったか、先輩だったし。
「……」
会話が途切れる。
ハチは携帯電話でしきりに時間を気にしている。何か用事でもあるのだろうか。俺を警護する以外の用事。俺の意思とは関係なく、警護は警護。俺は物だから。
思い浮かばない。傭兵だということは、つまり次の指示がそろそろ来るのだろうか。
と、ふとハチは思いついたかのように口を開いた。
「まだ時間があるから、あたしとドクロが駆け落ちしたあと何があったのか、とか話しておきます? 先輩も知りたいでしょ?」
聞きたくなかった。
ドクロが死んだ今、そんな話を聞いても胸が痛くなるだけだ。
胸が痛くなるのだ。こうしているだけでも。
何故なら。
何故なら、彼らの親にドクロとハチを別れさせるように言ったのは、俺なのだから。
「………ああ、教えてくれ」
だからこそ、聞く義務がある。
耳を塞ぐ権利など無い。
「じゃあそうね、どこから話しましょうか……駆け落ちしてすぐかな?」
「ああ、もう五年も前になるんだな」
「ええ……駆け落ちしてすぐ、ドクロの両親があたしに懸賞金を掛けたんです」
それは初耳だった。
ドクロの親は一般的な中流家庭だったが、祖父は東北一帯を治める地主で、襟長財閥のライバル会社の一つの会長でもあった。ドクロの祖父は、以前にも息子をどこの馬の骨とも分からないような女狐に盗まれ、放っておいたら、二人の仲を認めざるを得ないような状況を作られ、仕方なく結婚を認めたという苦い経験があった。
祖父は苦い思いを息子にさせたくないと思い、ドクロの彼女、つまりハチに懸賞金を掛けた。懸賞金一億円。生死問わず。出来れば殺す前に男の前で尊厳を踏みにじるように犯す事。ただし男の方に傷一つつけた場合、己が命は無いものと思うこと。
やりすぎだとは思わなかった。それぐらい、祖父は過去のことを後悔していたのだ。
裏の世界の賞金稼ぎたちは狂喜した。簡単でおいしい仕事。日本に在住していたバウンティハンターたちの八割がハチに殺すために活動を始めたという。
三日で居場所を割られた。
四日目、ハチとドクロは初めて人殺しを体験した。
「そいつはバウンティハンターというより、ただの情報屋だったんです。あたしたちがただの大学生だと知って、自分ひとりでやれると思って、一人で乗り込んできた」
大降りのサバイバルナイフ一本だけを所持していたという。だが、情報屋の本当の武器は情報だ。彼はドクロが隣町の銀行まで金を下ろしにいくタイミングを見計らってハチを狙った。
情報は完璧だった。ドクロは隣町へ行くために電車に乗ろうと駅へと歩き出し、ハチは留守番していた。情報屋は新聞の勧誘を装って部屋に押し入り、ハチを殺そうとした。
ドクロが財布を忘れていなければ、ハチはその時点で無残な死体に代わり、今頃は生きていなかっただろう。情報屋は玄関で挟み撃ちになった。
情報屋は激昂して襲い掛かってくるドクロに、ナイフを突き入れた。牽制のつもりだったが、ドクロの方に勢いがあった。ナイフは肩に深く刺さり、情報屋は恐怖した。男の方に傷を付けた場合はどうなるのだったか。
その瞬間、ハチに背後から包丁で刺された。
それはすぐに血止めをすれば致命傷にはならない傷であったが、その直後、ドクロに、玄関においてあったガラスの花瓶で殴られ、意識を失い倒れ付し、失血死した。
「初めての共同作業ってやつですね」
「……」
「冗談ですよ」
人を殺すのが簡単だった、なんて嘘でした、と彼女は小さく言った。
それから少しだけ運が良かった。情報屋が持っていたUSBメモリに、今回の依頼に参加している全バウンティハンターの情報や、運び屋の情報が載っていたのだ。
二人はその中から情報屋が最も懇意にしていたと思われる運び屋と連絡を取り、自分たちの身柄をロシアへと輸送させた。中国ではなくロシアへと渡ったのは、ハチが第二外国語でロシア語を習っていたからだ。
丁度戦争が始まり、ユーラシア大陸が混乱の最中にあったこともあり、偽造パスポートだけでロシアへ簡単に入国できた。
単純でうまくいくはずの計画だったが、ハンターたちはすぐに追ってきた。運び屋が密告したのだ。
二人はロシア中を逃げ回った。春から秋に掛けての数ヶ月逃げ続けたのは奇跡といえるかもしれないが、奇跡だろうとナンだろうと、逃げ続けられたのは事実だ。
数ヶ月の逃亡生活、元々大学生とは思えないぐらい体力のある彼らは、次第に狡猾さと残忍さを身につけていった。
「ドクロは、最初、すごい荒んでたんだけど、次第に付き合い始めた当初の優しいドクロに戻っていきました。……責任感ですかね、自分の親が懸賞金をかけたっていう」
「お前に対する愛じゃないのか?」
「いやだなキムラ先輩ったら、いくら本当のことでもそんなセリフ恥ずかしくていえませんよー」
ハチは十代の少女のように両手を頬にあて、体をくねらせた。
「でも、やがて冬がきた」
ロシアの冬は過酷だった。
雪は逃亡生活を送る彼らの足に容赦なく絡みつき、寒さは思考を鈍らせ、肉体的に追い詰めていった。
肉体だけではない。
ハチはドクロの実家の金目当てでドクロに近づいた売女で、ドクロはその淫売に連れ去られた無垢な少年。追手にそうなじられ続けられ、もしかして自分はこいつらの言う通りの女なんじゃないかと思い始めて、鬱になり、精神的にも追い詰められた。
限界。
十二月のクリスマス。二人は逃げ切れない事を悟った。
そして、心中しようとした。
「そんな私たちに手を差し伸べたのが、今の組織のエージェントでした」
そいつは、「クリスマスだからな、チャンスをプレゼントしてやろう」と言ってドクロにジェネラルタイプの試作型バイオアーマー装着用の腕輪を渡したらしい。
「赤いコートだったんでサンタさんかと思いましたね」
かくして、ドクロはチャンスを物にした。
一言で書くと、まるでジャンケンに勝ったかのような気軽な印象を受けるが、バイオアーマーは相性が悪ければ死を意味する。ドクロは相性的にギリギリだったらしく、一晩中苦しみもだえたのだそうだ。
「変身に成功して、追手を倒して、あたしたちは組織に迎え入れられたんです」
そこはバイオアーマー・ジェネラルタイプの実験組織だったのだそうだ。
見事に適合したドクロは第三世代バイオアーマー・ジェネラルホーネットの装着者となった。主な仕事はクローン兵士を指揮して紛争地帯へ傭兵として出かけたり、世界各国のマフィアの相手をしたり、荒事専門。
暴力に満ちた生活だったが、暖かい住居と、安定した収入、安全な場所を手にいれた。逃亡生活が嘘だったかのような順調な生活だ。
元々体を鍛えていた若いドクロはそこでメキメキと頭角を現していった。これは開発陣の仮説だが、ジェネラルタイプはキングと脳波の波長がずれていればずれているほど、その性能を高めるらしい。もちろん、ずれていればというのは適応範囲内での事だ。
ドクロは針の穴を通すような最適合者だった。
その後、次々と適合者が生まれ、ジェネラルタイプのバイオアーマーが増えていったが、ドクロ以上の性能を発揮する者はいなかった。
やがて功績を認められ、ドクロは戦闘部隊長のような立場に収まった。大出世である。
仕事も見つかり、生活も安定してきた。二人にとって、これ以上ない所に落ち着いた。
幸せは長くは続かない。
ウイルスが降って来たのだ。
その頃、組織は大きくなり、バイオアーマー部隊は全世界へと散らばっていた。
まるでこの事態を予測していたように、バイオアーマー部隊はウイルスと戦い、即座に人の住む主要な土地から、完全に排除してみせた。
「ウイルスとバイオアーマー……か」
「え? 何か言いました、先輩?」
「いや」
抗体。予防接種。そんな単語が俺の頭に浮かんだ。
ピーコックが消えたのは何年前だったか、いつぐらいからバイオアーマーの開発が始まったのか、時期について俺にはわからないことだが、バイオアーマー計画を発案していた人物は、全てを予見していたのではないのだろうか?
「先輩? どうしました? 面白くないですか? この展開、あたし的には心に傷のある変身ヒーロー系で結構気に入ってるんですけど」
「なんだ、作り話なのか?」
「まさか、ハチさんの経験を元にしたノンフィクションですよ」
ハチは自分の腕につけられた細いリングのような腕輪をくるくると回してみせた。バイオアーマー装着用の腕輪。
かつては体に埋め込まなければならなかった装着用品が、今ではあんなに汎用的なものになっている。
「で、まぁ後は各地でウイルスと戦いながら、あたしとドクロのラブロマンスが延々と続くわけですよ。ま、そのドクロももう死んじゃいましたけどね」
カラカラと笑いながらそういうハチだが、俺は笑えない。
「ドクロが死んだのに、よく笑ってられるな」
それを言った瞬間、ハチの顔が一瞬にして無表情になった。
次の瞬間、俺の頬に衝撃が走った。
「何も知らないくせに『よく笑っていられるな』なんていわないでください」
ヒリヒリと痛む頬をさすって、俺は自分の失言に気付いた。
ドクロとハチの間には、俺の知る常識では測りきれない、他人に口出しされたくないような何かがあったのだろう。
「すまん」
俺が素直に謝ると、ハチは毒気の抜かれた顔で自分の手を見ていた。
「いえ、いいです。……叩いてすいませんでした。そろそろ時間も押してきたんで、何か質問あったらどうぞ」
ハチは背筋が凍りそうなほど冷たい声でそう言った。俺はドクロの話題から離れることにした。
「……話の中に無かったが、お前は、いつバイオアーマー装着者になったんだ?」
「最近ですよ。半年ぐらい前に血液から適合不適合を見分ける方法が見つかって、それで適合者になれたんです。ジェネラルタイプとしてはヒヨっこですね。この間バイオゼロと戦った時も足なんかガクガク震えてましたし。あ、それで見逃してもらえたのかな?」
あっけらかんと言うハチが、俺にはなんだか遠い世界の住人に思えた。
実際、もう俺とハチでは住む世界が違うのだろう。俺の知っているハチは、さらう側ではなく、さらわれる側の人間だった。
それが今では、オレがさらわれる側の人間だ。
「じゃあもう一つ。この間、お前らのリーダーが俺を指差して『うちの社員』だって叫んだけど、ありゃ一体どういう意味だ?」
「それはもちろん……」
ピンポーン。
ハチが言いかけた時、ドアホンが鳴った。
「開いてますよー」
玄関を開けて、のっそりと入ってきたのは、恰幅のいい男だった。デブと言い換えてもいい。年齢は恐らく俺と同じぐらいで、だらしなく肩まで伸びた髪に似合わない高級スーツを着ている。太い首の上には度が低い眼鏡と、デブには似合わない日本刀のようなギラついた瞳があった。まるでその顔は俺の高校時代の一個上の先輩の……。
「あ、もしかして、相対先輩ですか?」
俺がそう言うと、そのデブは何を言っているんだとばかりに口をゆがめ、懐からハンカチを出して汗を拭き始めた。
「見れば分かるだろうキムラ君。久しぶりだね。口を閉じたまえ」
俺はだらしなく開いていた口を閉めた。奥歯が鳴ってカチリと音がする。なぜかその音はハッカガムのように頭の中をスッキリとさせた。
襟長相対。
久しぶりに見た先輩は、俺の中にあるイメージからかけ離れていた。
俺の中にある彼のイメージを漢字二文字で表すなら、『模範』だ。
髪はプラスチックで作ってあるかのごとくカッチリした七三分け。制服はもちろん第一ボタンまできっちりと留め、Yシャツやスラックスに折り目の付いてない日は無い。模擬試験では当然のようにトップ付近に滞在し、もちろん一年の時から生徒会所属、三年の時には生徒会長。運動音痴かというとそういうわけでもなく、休日は実家にある道場で古武道を習っており、カリスマ的不良である弟に、喧嘩で一度もまけたことがないという武人でもある。文句のつけようのない文武両道。
なんというか「ああ、こんなの漫画で見た事あるな」と思ってしまうぐらい、まさに絵に描いたような優等生だったのだ。
惜しむらくは、兄や弟と比べ、圧倒的にそのカリスマ性が低いということだろう。なんというか重いのだ。この人に付いていこう、この人を助けよう、という感情より、あいつなら放っておいても一人でやるだろうという思いが先に出る。
真面目人間。俺の貧困なボキャブラリーで表すならそんな感じだろうか。
それに比べ今は、なんだか人生を舐めきった売れないミュージシャン志望の若者が、ようやく音楽の世界に見切りをつけて就職活動をしはじめたような、そんな軽い感覚を受ける。俺がマジメになれば就職とかヨユーだし、みたいな。
「先輩、随分変わられましたね」
「そういう君は何も変わっていないね。いかんよ、男子たるもの、そんなことでは」
そういいつつ、相対先輩は懐から扇子を取り出して仰ぎ始める。扇子にはヘタクソな字で『自由奔放』と書いてあった。以前に相対先輩には似合わないの一言で斬って捨てる所だが、なぜだか今の姿からは奇妙な貫禄を感じられ、俺は口をつぐんだ。
「まぁ座りたまえよ」
相対先輩に促され、俺は自分がいつのまにか立ち上がっていたことに気付いた。先日、ハチに頼んで買ってきてもらった百均の座布団は、俺の足元でぺしゃんこになっていた。数日でこれだ、安物はいかんな。
相対先輩は「どっこらしょ」なんて言いつつ、ささくれた畳に直に腰を下ろした。
俺にすれば少し肌寒いぐらいだが、厚手のスーツを着込んだ相対先輩は汗を掻いていた。
「ふー、もう秋だってのに昼間はまだまだ熱いね。ふー、それにしても、やれやれ、君の恋人は凄いね。名前なんて言ったっけ?」
その言葉にハチが反応した。
「え! キムラ先輩ってばカノジョいるんですか!?」
ハチが女子高生のような黄色い声を上げる。
それを、相対先輩はうっとおしそうな顔で見る。
「佐藤クン、少し黙っていたまえ。君の声は耳障りだ」
「はーい、ボス」
ハチはにこやかにそう言って、部屋の入り口の方へと引っ込み、カコカコと携帯電話をいじり始めた。ゴテゴテにデコレーションされた携帯電話はまるで女子高生のようだが、彼女の年齢はたしか二十……そんな事はいいか。
「さてと、もう薄々気付いていると思うが、君を攫ったのは襟長財閥のバイオアーマー開発実験部だ」
バイオアーマー開発部。その名前には聞き覚えがある。
「開発部はバイオゼロに潰されたはずでは?」
「ああ、パソコンは全部物理的に破壊されて、資料は全て焼き払われた。でも彼女はあまりパソコンには詳しくないようだね。研究資料のバックアップは本社サーバーのネットワークフォルダの片隅にしっかり残っていたよ。いや、世の中便利になったもんだね。それでボクは、その資料をモトに一から構想を練り直したってわけさ。こそこそと、水面下でね。大学二年の頃かな?」
俺はかつて、会長に受けた相談を思い出す、大学二年というと……。
「引き篭もっていたんじゃ、なかったんですか?」
「兄貴から聞いたのかい?」
「はい」
「そうかそうか、ちゃんと騙せていたか。兄貴を騙すのが一番大変だったよ」
相対先輩は安堵のため息をついた。
そしてニヤリと笑った。
「どうして、そんな嘘を、って顔をしてるな、キムラ君。君もしってるだろう。兄貴は超人なんだよ。最も親父に近い男だからね。小説や漫画の名探偵のように、わずかな手がかりでボクが何をやっているのかを察してしまう。現在何をやっていて、それが何を最終目的としているのかまで。一を聞いて百を知るというのは人の出来る諸行じゃない。それができるのは人というのもおこがましい、化物の類だよ」
「会長が化物かどうかは置いておいて、相対先輩にはそれほどまで知られたくない目的というのがあったんですね?」
「そ。そのために研究資料をサルベージして新型バイオアーマーを開発した。ボクには兄貴たちみたいなリーダーとしての才能はないけど、研究者としての才能はあったみたいでね。ま、ボクは親父の息子じゃないから仕方がないけどね」
「まだそんなこと言ってるんですか?」
「まだ、そんなこと?」
相対先輩は首をかしげた。
高校時代、相対先輩はそんなことを言っていたのだ。もしかすると、ボクは親父の息子じゃないかもしれない、とかなんとか。
「ああ、キムラ君は一つ勘違いをしているよ」
相対先輩はぽんと手を打った。
「キムラ君。実はボクはバイオアーマーを開発する中、暇を見つけてこっそり親父とボクのDNA鑑定をしてみたんだけどね。やっぱりボクと親父の血は繋がっていなかったよ」
「え……?」
「いや、血は繋がっているかな? ボクの父親は親父……襟長肯定の弟、襟長否定だったんだ。母さんは二股を掛けていたんだね。親父は、まあ、知ってただろうけど」
「そ、それでその、本当の父親の否定さんは?」
「死んだよ」
相対先輩は何事もなく答えた。
この時勢、家族を失う者は少なくない。戦争に、ウイルスに、テロリストに。
「勘違いしないでくれ、死んだのは結構昔なんだ」
相対先輩はパチンと扇を閉じた。
「襟長否定。エリナガイナサダ。バイオアーマー開発の第一人者。試作型バイオアーマーであるバイオゼロ、バイオレイを作り出した。両機の搬送中、事故に合い、瀕死の重傷を負う。苦肉の策としてバイオレイを装着するも、不適合による拒否反応で死亡。死に様に関しては、君の恋人が一番よく知っているかな」
その話は知っている。
知っているが。
まるで二つのジグソーパズルを混ぜ合わせたのに、余るピース無く一つの絵が完成してしまったような奇妙な感覚だ。
「ま、本当の親父……ややこしいな、戸籍的には叔父さんか。叔父さんの作ったバイオアーマー理論がどんなものだったのか、今では知ることもできないが、いやはや、ボクのベスパジェネラルでは、ポテンシャルを含めた戦闘性能では、未だにバイオゼロに勝てないようだね。十年以上も研究していて情けないことだよ」
「新型というのは普通、従来品を越えるように作るものではないんですか?」
相対先輩はおどけた様子で肩をすくめた。
「スペックでは勝っているよ。計算上は一対一でもバイオゼロを圧倒できるはずだったんだけど、どうやらバイオブーストシステムを侮っていたようだね」
「なんですか、そのバイオブーストシステムって」
「バイオゼロの背中に羽みたいなのがあったろう?」
「ええ、ありましたね」
「あれが赤く光るんだ」
思い出す。そう、確かに赤く光っていた。それを見た瞬間にドクロが変身したのだ。
あれはそれほど恐ろしいシステムなのか。
「光るとどうなるんですか?」
「知らん」
「……はい?」
「あれはバイオゼロが現在の雛形となった試作型バイオアーマー『フラットロック』との対戦時に始めて発現したものでね。それ以後、彼女を研究していないから、その効果は推測でしか語られていない。ボクは推測で物事を語るのは嫌いでね、確証のないことは全部知らないということにしてるんだ。っと、失礼。タバコ吸うよ」
相対先輩は懐から比較的よく見かける銘柄のタバコと、それに似合わない高級そうなジッポライターを取り出し、点火する。
一息で五分の一ほどの吸い、灰皿を捜すも、この閑散とした部屋の中には灰皿がない。
相対先輩は「チッ」と舌打ちすると、ハチが台所に移動し、ゴミ箱から缶を取り出して相対先輩の傍に置いた。
「どうぞ、ボス」
「おっと、気が効くねハチ君」
相対先輩は片手を上げてお礼を言う。タバコを吸うことから、灰皿の有無を確認しないところから、礼の言い方まで。俺の知る相対先輩とは何もかもが違う。
数分後、最後に煙で輪を作って、相対先輩がぐしぐしとタバコの火をもみ消した。
「さて、と。ボクがここに来た理由だが、知りたいか?」
「知りたくないって言ったらどうするんですか?」
「そのまま箱詰めしてロケットで宇宙亀まで送ってやるよ」
「じゃあ、知りたいです」
「特に理由は無い」
ハチが視界の端でずっこけた。
俺もずっこけた方がよかっただろうか。
「冗談だよ。そんな怖い顔するなよ。つかの間のユーモアさ」
「……何なんですか?」
「君に一つ、選択肢を与えようかと思ってね」
相対先輩はもみ消したタバコを咥えなおした。
「ボクの目的は襟長財閥を、引いては襟長家をつぶすことなんだ」
なるほど、知られたくない目的だ。
「そのために必要なものとしてバイオアーマー部隊を作り、キムラ君の特殊能力を利用してプロジェクトをでっち上げ、財閥の一部を動かし、キムラ君を拉致してバイオゼロをおびき寄せ、バイオゼロに『プロジェクトを発案したのは襟長肯定と襟長絶対で、彼らは今もなおキムラ君を隠匿して宇宙亀行きのロケットに乗せようとしている』という偽情報を流し、バイオゼロはソレを鵜呑みにして厳重な警備が為された本社ビルに乗り込み、倒壊させた。計画通りさ」
「ふむ」
「親父は丁度カナダの支社に出向いていて難を逃れたようだし、兄貴は生死不明、まだ死体が見つかってない所を見ると、生き延びたんだろうね。まったくしぶといよ。さすが、世界に二人しかいないキングタイプのバイオアーマー装着者、と言いたい所だけど、しぶといのは単に血筋だね。兄貴も親父も、崖から真っ逆さまに落ちたり、爆発する工場に取り残されても生き残っているタイプだよ。まぁ、時間の問題だろうけどね」
世界に二人のキングタイプ。
ハチの説明ではキングタイプと脳波の相性が悪ければジェネラルタイプにはなれないという話だが、どちらかと合えばいいのだろうか、それとも一人は予備なのだろうか。ていうか会長がそうだったなんてまったく知らなかった。
「さて、前置きはこのくらいにして、本題に入ろうか。ようするにボクの目的はほぼ完遂したというわけで、キムラ君を拘束しておく必要は無いんだ。そこで選択肢だ」
相対先輩は指を二本立てた。
「一つは、兄貴と親父とバイオゼロの決着が付いたのを確認した後、君を解放する」
「一つは、このままロケットに乗って宇宙に行き、超能力で亀を止めること」
………。
俺は自分の眉がこれ以上ないぐらい寄せられたことが感じられる。嫌な感覚だ。姉が引き篭もって部屋から出て来ないと聞いた時にもこんな顔をしていただろう。
相対先輩は指を一本折った。
「前者は、全てが終わる頃には襟長財閥はなくなっているだろうし、キムラ君の職場はもちろん、日本は金融恐慌に陥っているだろう。仮に亀がどうにかなったとしても、生きていくのは大変かもしれない」
相対先輩は指をさらに一本折った。
「後者は、コールドスリープによって半永久的に生かされながら、数ヶ月に一度、部分解凍されて細胞を摂取され、亀に超能力をかけ続けるためだけのクローンが作り出される。君自身はまさしく死んだも同然になるわけだが、それで宇宙亀を止められれば、君はヒーローだね。ボクが責任を持って後世に伝えるよ」
「……俺の能力で止まるかどうかなんて、わからないじゃないですか」
相対先輩はグーになった手をパッと広げて、にこりと笑った。
「その通りさ。だからこの選択においてキムラ君は、何の責任も取らなくてもいい。キムラ君の能力で亀を止められるかもわからないわけだし、これから数年で亀をどうにかする方法が見つかるかもしれないわけだし?」
相対先輩は咥えていたタバコのフィルターを、灰皿代わりの空き缶の中に突っ込んだ。
「力及ばずも、何かをするか、それとも他人任せにするか」
「その言い草だと、相対先輩は俺を宇宙に送りたいみたいですね」
「そりゃ解放したキムラ君の口からバイオゼロに、『真の黒幕は襟長相対だった』なんて言われたら、次に殺されるのはボクだからね。これから先の世界になんて興味はないけど、バイオゼロに無残に引き裂かれるのは怖くてしょうがない。バイオゼロは人を食いそうな顔してるからね」
「先輩だって、人をくったような顔してますよ」
「ははん。口がうまくなったねキムラ君。あまり小賢しいと上司にもてないよ」
相対先輩はそういうと立ち上がり、尻についた埃をパパッと払って出口に向かいだした。
玄関のドアノブに手を掛け、どっかの俳優のように顔を半分だけ振り返らせ、ニヒルな笑みでニヤリと笑った。
「まだ猶予はある。タイムリミットは唐突かもしれないが、それまでに考えておくよう」
そういって先輩は出て行った。
ハチはその後、特にそのことについて言及はしなかった。相対先輩の話が本当なら、ドクロはバイオゼロの当て馬に使われたことになる。
いつもどおりに見えるが、彼女は彼女で、俺には到底及ばぬ思いがあるのだろう。
ドクロの死。
俺は実感できない。
ハチは確信しているようだ。バイオアーマー装着者には、そうした能力が備わるのかもしれない。
ドクロとハチはワンセットだ。
ハチが生きているのに、ドクロがいないなんて、俺には考えられない。
「なぁ、ハチ」
「なんですか、キムラ先輩」
「おまえは、これからどうするんだ?」
今日、ここで決断すれば、どちらにしろ、もうハチと会うことはなくなるだろうと思い、俺はそう尋ねた。
「次の作戦の指揮を執るんじゃないですかね。この間バイオゼロにやられて、ジェネラルも少なくなりましたし」
当然のようにそう答えた。
「ドクロがいないのに、か」
「ん? それは、関係ないでしょう?」
「さっきの話だと、ドクロはお前の身の安全を守るために装着者になったんだろう? そのお前が、戦い続けて、どうするんだよ」
ハチの瞳孔がキュッとすぼまったような気がした。
彼女はツカツカと俺の前まで歩いてくると、右手を振り上げた。
パンと乾いた音が鳴る。
あんまりポンポン叩くなよな。本気じゃないんだろうけどさ。
「だから、先輩に、何がわかるっていうんですか」
「わからないから、聞いてるんだろ、ドクロが死んで、どうするんだ、って」
ハチは鼻白んで、口先を尖らせた。
「どうもしませんよ。どうせ世界は滅ぶでしょうし……」
「そんなんでいいのか?」
「やる気出しても、そんなに変わりませんよ」
現場指揮官のやる気がなくても、全体の戦意は落ちないというわけか。
「まあ、お前がそう言うなら、口出しはしないよ。負い目もあるしな」
「負い目?」
しまった、と思った時にはもう遅い。
ハチは眉をひそめ、訝しげな目つきでこちらを見ていた。
「学生の時の話ですか? キムラ先輩、なにかしましたっけ? あ、もしかして、合宿の時にお風呂除いたとか、そういうのですか?」
「いや……」
言うべきか、言わざるべきか、迷った。
それは、俺がまだ大学生の時の話だ。
就職活動中で、毎日ヘトヘトになりながら街中を這いずり回っていた。今でこそ、襟長財閥がクローン技術を独占したため景気がよくなったが、日本はいまだ不況の波に揉まれたままだった。
とはいえ、俺も一応、そこそこの大学に在籍している新卒の身。既に二社ほど内定を取り付け、今は経験を積むつもりで大企業にチャレンジしていた。
これは俺の考えじゃない。
早々と内定をもらったことで安心しきった俺は、休みの日に家でゴロゴロとしていたわけだが、そんな俺に、姉が言ったのだ。
「暇なら大企業でも受ければいいのに」
普段なら、「いいんだよ別に、そんなことしなくても、この炎天下の中で、何が楽しくて外を歩き回らなきゃいけないんだよ。大企業? 関係ないよ、いい所に就職して幸せな生活ができるって確証があるなら頑張るけどさ、俺がいけるような場所だったらどんぐりの背比べだよ。いやだいやだ、姉さんは引きこもってる間に世の中の歩き方ってやつを忘れちゃったんじゃないの?」なんて、ぐだぐだと文句を吐いたかもしれないが。
さて、当時の俺はなにやらやる気に満ち溢れていた。
人生で一度ぐらい、そんな時期があってもいいだろう。
俺は姉の言葉を素直に受け止め、炎天下の中、二度目の就職活動に乗り出した。大企業の二次募集、三次募集に応募するためだ。
結果は、散々だったと言っておこう。
大した志望動機も、そもそもやる気すらほとんどない。筆記をクリアすることも稀。
面接での肩の力の抜けた態度に好意を示す面接官も多かったようだが、二次面接、三次面接と進むことはほとんど無かった。他の応募者と比べ地力が違いすぎると考えれば、さして悔しくもなかった。
だが、そんな中でも、二社ほど最終面接まで進んだ会社があった。
一つは、襟長商事。商事と名はついているものの、現在は襟長グループの総合管理を行う会社だ。本社とはまた別であるが最大手だ。そこの最終面接の相手は会長であった。それを考えると、最終面接まで進んだのも、会長が裏で手を回したのだろう。とんだ職権乱用だが、会長はあれでいて身内には甘くない。評価されていると考えれば、嬉しいものだ。
さて、俺は後にこの襟長商事に入社するわけだが、それは置いておこう。
最終面接まで進んだ会社のもう一つ。
それは宍戸不動産。
何を隠そう、これこそが、宍戸グループの親会社。
そして、ドクロの親の会社である。
俺はどうしてこの会社に最終面接まで進めたのか、最後までわからなかった。
筆記試験の問題も散々だったし、面接でも面接官に鋭い質問をされてしどろもどろ、これでどうすれば次の段階に進めるのか、不思議に思ったものだ。
最終面接は社長と副社長の二人。
同時にこの二人は、ドクロの父と、ドクロの母、という肩書きも持っている。
俺はその時、既に襟長商事との面接を終えていて、今回もまた、どこからか俺が宍戸不動産をうけると聞きつけたドクロが、なにかと手を回したものだと思っていた。
が、事実は少々違った。
面接はまるで、息子の友人と偶然喫茶店で同席になってしまったかのような、軽い雰囲気ではじめられた。主にしゃべるのは副社長、ドクロの母の方で、社長のほうは時折相槌をうったり、説明を求めたりする程度。
学校の話や、最近の若者の流行。
息子の友人から息子の情報を聞き出すような、巧妙な会話術だった。
俺はそれに、最後まで気づかない。
「それで、ウチの子の事なんだけど、どうなのかしら?」
気づかない。
そこにどんな意味がこめられていたのか。
息子が、あのドクロがキムラ先輩をどんな目で見ていて、どんな風に家族に説明して、どんな話をしていたのか、奥が覗けない。
俺にはわからない。
「受験にも失敗しちゃったし、最近、ノイローゼ気味みたいなんだけど、何か知らないかしら?」
尊敬する先輩。
審美眼のある、冷静で、物事の判断を間違わない先輩。
ドクロはそんな風に俺のことを言っていたのだ。嬉しい話だ。普段からそういう態度を見せてくれていれば、俺ももう少しマシな解答をしただろう。頼れる先輩として、見守ってきた先輩として、ドクロを励ますような言葉を言っただろう。
「ご両親の前で言うのはまずいかもしれませんが、やはり今のような状況になって女性とお付き合いをしているのはまずいんじゃないでしょうか。勉強にも身が入りませんし、受験で手一杯な所、人間関係が一つ増えれば、その分精神的な疲れも溜まります」
嫉妬していたのだろう。
俺だって健全な男だ。ハチのことを狙っていなかったと言えば嘘になる。もちろん今でもリオのことは好きだが、いつまでも終わった女のことをグヂグヂと引きずっているのは男らしくない、なんて思ったこともあるのだ。
結局迷っているうちに二人はくっつき、今までトリオだったのが、ペアとソロに分けられた。結果として、この後、俺はリオと再度付き合うことになるので、この嫉妬心はさして大きくなることもなく、そのまま消滅したのだが。
「やっぱり別れさせたほうがいいのかしらねぇ……」
当時はわからなかった。
今ならわかる。
この面接は、ドクロの信頼する先輩から、最も近くにいる第三者から、現状の真実を聞きだすためのものだったのだ。
だから俺は、そんな受け答えかたをしてはいけなかったのだ。
『ドクロもハチも、努力家です。一度石に毛躓いたところで、たいしたことはありません、私が保証します!』
とでも、言っておけばよかったのだ。
そういっておけば、実際、その通りになったのだ。俺が手伝ってやってもいい。会長も言いだしっぺだし、協力してくれたはずだ。
俺の責任だ。
俺がああ言わなければ、この、やや過保護ともいえるドクロの両親が交際に反対し、またドクロがそれに猛反発することもなかったのだ。
そう思う。
俺の一言が原因なのだ。
「そうですね、無理やりにでも別れさせれば、ちょっとは頭が冷えるかもしれませんね」
この一言が無ければ……。
俺はずっと後悔していた。
あの一言がなければ、ドクロとハチは駆け落ちすることもなかったんじゃないだろうか。ドクロがどうなった、ハチがどうなった、と誰かから聞く度、そんな考えがついて回っていた。
俺が何も言わなくても、いずれそうなった、などというのは言い訳に過ぎない。
俺の知る限り、俺の原因でそうなったのだ。
責任転嫁をするつもりはない。当時の俺は、間違いなく本心から、ドクロたちは一度別れたほうがいいと思っていたのだ。
それを後悔しているのなら。
言うべきだろう。
どのみち、ハチとはおそらく、これで最後だろうし。
「あのさ」
俺は、壁際に座り込んで携帯電話をカコカコやっているハチに呼びかける。
「はい」
ハチは顔を上げ、こちらを見た。
「言いにくいんだけどさ……」
ハチは首をかしげた。
「ドクロの親に、お前らを別れさせるように言ったの、俺なんだよ」
ハチの動きがぴたりと止まった。
真顔のまま、目が合ったまま、数秒。
『あははー、なんだ、そんなことを負い目に感じてたんですかー? キムラ先輩ったらヤダなー。不可抗力ですよ、不可抗力』
なんて、ハチが笑って許してくれることを期待してしまっていた。
甘かった。
「つまり、キムラ先輩のせいで、ドクロが死んだんですね」
ぼそりと呟いて、ハチは立ち上がった。
その態度に危機感を覚えた俺は、即座に立ち上がろうとしたが、素早く近寄ってきたハチに蹴り倒され、蹴り転がされ、うつ伏せにさせられ、後ろ手を極められ、背中を踏みつけられ、後頭部にゴツリと重くて冷たい何かを押し当てられた。
「詳しく聞かせてください」
「おい、手を離せ、こんなことしなくギっ!」
後頭部をゴツンと、軽く殴られた。
軽くだが、固い銃底で不意に殴られたのだ、ジンジンとした痛みは、俺に精神的な強い衝撃を与えた。
殺される。
そんな可能性が浮かんできたものの、俺はまだ、甘い気持ちでいた。
「ドクロの好きだった漫画のセリフにこんなものがあります。『答えろよ、質問はすでに、拷問に変わっているんだぜ?』と」
「ああ、それ、俺が貸してやった漫画だよ。ハチも読んだのか、面白かったか?」
俺は内心の恐怖を隠しつつ、俺は軽い口調で答えた。
「まぁまぁでしたね」
「世間の評価は高いんだけどな」
「ええ、内容は確かに面白かったですよ。最初はそんなにでしたけど、後半になるにつれて、セリフの一つ一つが重くなっていって、シーンの緊迫感が増えましたよね。読んでて引き込まれる感じがしました」
「でも、まぁまぁなんだ」
「世間の評価が高すぎるんですよ。絵を受け入れたって、ダメなものはダメなんです。ていうか、漫画の話はもういいです」
背筋にぞっと何かが這い上がってくる。
「さあ」
冷たい声音でささやき、銃杷を握る手にそっと力がこもる。
「………」
「早く言ってくださいよ。最近の銃の引き金って軽いんですよ? 負い目があって、それがなんですって?」
「落ち着けよ。まずは手を離せって」
まだまだ甘かった。
まさか、ハチが本当に撃つはずがない。それどころか、この後頭部に押し付けられているのだって、実はただのサインペンとか、そんな感じに決まっている。第一、スライドを動かす音もしなかった。確か、最初の一発を装填するために、自分の手で引かなきゃいけなかったはずだ。なんて考えていた。
この期に及んで、まだ俺は、そんな甘い認識をしていたのだ。
まるで理解していなかったのだ。
ドクロとハチが、どれだけ過酷な状況に陥り、野垂れ死にしそうになっていたのかを。
また、それによって結ばれた二人の絆を。
再開して、ドクロはあっさり死んだ。ハチのように言葉を交わすこともなかった。
だからだろうか、今までと変わらないな、なんて思ってしまったのは。
違う、違うのだ。
俺たちはもう、プールで同じ時間を共有していた仲良し三人組ではないのだ。
後頭部の感触が消えた。
「え?」
次の瞬間、ボスン、というくぐもった音と同時に、ふとももに激痛が走った。
「あがっぅでぇぇぇぇああぁぁぁ」
声にならない声を上げて、俺は暴れた。撃たれた箇所を両手で押さえようとした。
しかし、それは適わなかった。
片手はがっちり極められており、身動きが取れなかった。ただ耐え難い痛みだけが全身を駆け巡っていた。
「先輩は軽ぅ――い、気持ちで口に出したんでしょうけど、ね。キムラ先輩。あたしはね、ここ数日、ずぅ―――っと、考えていたんですよ」
「あああああああ……! いてぇ、いてぇぇえええ!」
俺は痛みで、それどころじゃない。
「先輩、みっともないですよ。ドクロは銃で体に五つぐらい穴を開けても、泣き言ひとつ言わなかったんですから、しっかりしてくれなきゃ」
ハチはそう言って、俺の後頭部をまたゴツンと殴った。
俺はその痛みで、少しだけ、冷静になった。太ももからは相変わらず激痛が走っていたが、頭を殴られたおかげでショックが薄れたのだ。
「フゥー……ハァー……フゥー……ハァー……」
「落ち着きましたか? 落ち着きましたね。じゃあ話を続けますけど、あたしはね、先輩に言われるまでもなく、自分でも考えていたんですよ」
「ハァ、なにを……?」
「これからどうするか、って話ですよ」
俺は首をめぐらせてハチを見ようとする。次の瞬間、耳元でまた、ボスンという音が聞こえる、何かが耳をかすめて通り抜け、その空気の振動に、俺の股間が縮み上がる。
撃ちやがったのだ、何もしてないのに、耳元で。
俺の全身が、俺の意思を無視して震え始める。
「な、な、な、あ、あ」
「正直、ドクロもいないし、滅びるなら滅びるで、いいんですけど。もし、何の因果か生き残るようなことになったら、ドクロの敵討ちに行こうと思ってたんですよ。だって、生き残るってことは、地球が助かるってことでしょう? 地球が助かるってことは、あたしたちを追っかけまわして、あんな目に合わせた奴らも、のうのうと生き延びるってわけでしょ? のうのうと、ドクロは死んだのに!」
ガン、ガンと俺の頭を叩きながら、ハチは続ける。
「もちろん先輩のことだから、そういえば、止めるように言うもんだと思いましてね。だって先輩、アウトローを気取ってる時あるけど、常識人じゃないですか。復讐より復習が大事だ、とか真顔で言っちゃうタイプじゃないですか。だからあたしも言わないことにしたんですよ。どうせ、世界は滅びますから。滅びない、なんて確率の低い話で、わずらわしい話をするのは嫌だったんです」
でもですね、とハチは呟く。
「先輩が、あたしたちをあんな目に合わせた奴なら、話は別ですよ」
俺はもう何も言えない。
この時点で、ようやく俺も、甘い考えが抜けた。
ハチは本気だ。
狂っているわけじゃない。怒って、恨んで、悩んで、後先を考えて、考えた結果、俺を、そしてドクロの両親を、追ってきたバウンティハンターを、皆殺しにするつもりだ。
できる、できないじゃない。するつもりなのだ。
怖い。
あの小さくて、浮き輪にはまって、仰向けになって漂ってる、ラッコのようなハチが。いまや豹変して俺の背中を押さえつけて、後頭部に拳銃を押し付けてる。
しかも、かなり感情的になって。
俺にはわかる、彼女は、今にも引き金を引きそうなぐらい、憤っている。
俺は後悔した。
言わなければよかった。
これが償い?
馬鹿なことを言うなよ。
ドクロが生きてるならまだしも、俺を殺してドクロの両親が諦めるならまだしも。
こんな、こんなのは。こんな死に方は、犬死じゃないか。
「や、やめ、やめろよ、ハチ。お、俺たち、俺たちさ、プールで、一緒に、ずっと、一緒にいた友達、し、親友だろ?」
「だから、許せないんですよ」
親友、だから。
裏切った、だから。
なるほどね、わかる、わかるさ。
俺を信じてくれたんだろ。
実は、お前らが失踪したあと、俺がドクロの両親に掛け合って、二人を別れさせるのをやめてくれるように陳情してたって、本当はそう言って欲しかったんだろ?
そうだよ、裏切りだよ。
そんな俺が、「別れさせるように言ったのは、実は俺なんだ」なんて。
裏切り以外のなんでもない。
でも、でも……
「う、嘘だろ?」
「うそじゃありません。殺します。絶対に許せません」
ハチの銃を握る手に力が篭る、ゴリゴリと、俺の後頭部に銃口を埋め込まんばかりに。
俺はその感触に漏らしそうになりながらも、必死に頭を働かせる。
「だって、お前さ、ほら、俺は……あ、あ! ほら、相対先輩! 相対先輩が、考えておくようにって! 言ったじゃん、ころしちゃだめだろ!」
「さっきも言ったでしょう? あたしは、別に世界が滅びるなら、それでいいんです」
「だからって……ギゥッ」
俺は情けない声を上げつつ、抗議しようとすると、またもハチは俺の後頭部を拳銃で殴った。太ももと頭が、刺すような痛みを訴えてくる。
「今はこんな状況ですけど、あたしたちは、これでも結構、キムラ先輩を尊敬してたんですよ。先輩は、あたしたちの中で、一番先輩らしかったですからね。プールの使い方も教えてくれたし、色々めんどうみてもらいましたし」
言いながら、ハチがガンガンと頭を殴ってくる。
ガツン、ガツンと。
それから先はしばらく無言だった。
銃の固い部分が俺の後頭部に打ち付けられる、不快な音と衝撃だけが俺の脳内を支配する。次第に、殴る力が増していく。ゴッ、という鈍い音に、グチュッと、ぬめった水音のようなものが混じり始める。
俺の視界の端に、赤い水滴がポツポツと飛び始める。
意識が朦朧としてきた。
ああ、ハチは俺を殺す気なのだ。
今この瞬間、確信した。
俺が何を言おうと、生かすつもりはないのだ。
よく考えたとか、色々言ってたけど、最初からハチは、ドクロが死ぬ原因になった人々を許すつもりなど無かったのだ。世界が破滅して、そいつらが死ぬなら、まぁいいかな、ぐらいには思っていたかもしれないが。
「そろそろ最後です、憐れみを誘う声で自分の行いを謝りつつ命乞いをするか、悟った風な口調で家族への遺言をしゃべるか……」
ぐちゃぐちゃになった俺の後頭部に、銃口が押し付けられる。
そして引き金にかかった指に力が入る――。
いやだ!
いやだ、死にたくない!
こんな、こんな死に方をするぐらいなら――。
さっきの、相対先輩の話!
宇宙に行ったほうがマシだった!
■■
その時、ザッ、とノイズのような音が走った。
窓の外から、なにやら騒がしい音が聞こえていた。
「なに?」
ハチが眉をひそめ、引き金から指を離し、耳裏につけられたトランシーバーに手を伸ばしかけた時――。
窓ガラスが音を立てて割れた。
飛び込んでくるのは黒い昆虫。巨大な人型の虫。
記憶に新しい。その名はバイオゼロ。
「……なっ!」
バイオゼロはハチに身動き一つ許さなかった。
窓ガラスから中へと飛び込む動作のまま、ハチの手に握られた拳銃を蹴り飛ばす。拳銃は一発、パンッと音を立てて暴発し、部屋の隅へと転がる。
流れるような動作で、ハチの腹部にバイオゼロの拳がめり込む。
俺の背中から重さが消える。
ハチは拳銃とは逆方向へ吹っ飛び、壁に叩きつけられる。
「ぐぅっ……!」
ハチの苦悶の声が聞こえる。
俺は朦朧とした頭を持ち上げ、バイオゼロを見る。
目が合った。
血のように赤かった瞳が、一瞬にして優しげな緑色に変化した。その複眼には、頭から血を流し、弱々しい姿となった俺が移っている。
再度、瞳が次第に赤く染まっていく。
怒りに我を忘れた、某国民的アニメの巨大蟲のように。
「バ、バイオゼロ……!? どうしてここに!」
ハチが腹部を押さえて立ち上がる。
バイオゼロは比較的ゆったりとした動きでハチを見た。その全身からほとばしる殺気、本来なら恐怖を感じるところだろうが、俺が感じたのは安心感だった。
「カナダの襟長財閥の支社を襲っているのではなかったのですか!?」
「どうして? 無論、貴様を殺すためだ」
バイオゼロの右手が赤く変色していく、バイオゼロの発する熱が俺にまで感じられる。
ハチの顔から、見る間に血の気が失せていく。
「貴様らは逆鱗に触れた。死ね」
死神は、本当にいるのだ。
「待ちたまえ!」
怒り狂うバイオゼロを静止したのは、俺にとって日常的に聞いている声だった。
しかしながら、この数日、拉致監禁され、また日現実的な光景を目の当たりにし、冗談とも思えるような二択を迫られ、さらに後輩に殺されかけていた俺にとって、日常で聞くその声は、ずいぶん懐かしいものに思えた。
「会長……!」
ハチの目が見開かれた。
玄関の鍵を開けて、普通に部屋に入ってきたのは、誰であろう、オートクチュールの白いスーツを砂埃で斑模様にし、オールバックの髪にはほつれが見えたが、間違いない。元兎泳会の会長にして、襟長商事の社長。
襟長絶対であった。
「彼女は僕やキムラ君の後輩でね、知らない仲じゃないんだ。殺さないでくれないかな」
バイオゼロは俺のほうをちらりと見て、その表情の変わらない顔の一部、目をより赤く光らせた。どうやら、あの瞳は、彼女の怒りに反応するらしい。
「ただの後輩が、こんな酷い怪我を負わせ……うごくなあぁ!」
バイオゼロの恫喝に、そろそろと腕を背後に回し、何かを取り出そうとしていたハチは、ぴたりと動きを止めた。
「いいだろう。雇用主の依頼だ。何もしないなら、殺さないでいてやろう。ただし、だ。ジェネラルに変身しようとしたら殺す、仲間に連絡しようとしたら殺す、マ……この男にこれ以上手を出そうとしたら殺す。問答無用で、一撃で、その命の灯を吹き消してやる」
赤い目を爛々と輝かせて、バイオゼロはギィギィと、恐ろしい声でハチを脅した。
対するハチの目も、すごいものだった。
まさに、仇を見る目。
バイオゼロはドクロの仇だ。俺みたいに間接的なものじゃなく、正真正銘、ドクロを手に掛けた、まごうことなき、仇敵だ。
「さて、ハチ君。相対はどこへ行ったのかな?」
「……」
会長が聞き、ハチは答えない。
「ちなみに僕は、本社を攻撃された際にバイオゼロと話し合いをしてね。誠心誠意の話し合いはいいものだね、こうして命ばかりは助けてもらったよ」
嘘だ、と俺は本能的に思った。
会長(最近は社長と呼んでいるが)は、命ばかりを助けてもらう、ような人間じゃない。
こうしてこの場にいる以上、何か取引があったのだろう。
バイオゼロは愚かではないが、会長はそうした駆け引きに関する天才だ。偶然や必然を積み重ね、口先八丁で凌ぎ切ったのだろう。また、あらかじめ何者かに狙われることを想定し、さまざまな布石を置いていたのかもしれない。
こうなることも、視野に置いていた。
俺にはまるで理解できないことだ。先ほど、殺されかけても、まだ実感できない。なんである日突然、分かれた後輩が自分を拉致監禁して殺そうとするなんて考えることができるのだろう。
でも、会長にはできるのだ。
考え、それを抑えるための、最小限の一手を置いておく。最小限だが、効果的な一手。その布石のおかげで、何十という不慮の事態に対応できるような、便利な一手。
それは例えば、俺だ。
社員として下においておくことで、こうしてバイオゼロを護衛につけることが出来る。
今回はそうだった。別の事態なら、また別の役割があるのだろう。
常に一挙両得。布石だけであらゆる危機を危機でなくし、布石だけで解決する。
まるで未来予知でもしているかのような手管。会長が襟長商事の社長に納まってからというもの、株は右肩上がりだ。そんな敏腕社長の鶴の一声だからこそ、俺の入社が認められた、ということもあるのだろう。
「相対は僕が命からがら本社ビルから逃げ出し、いまもまだバイオゼロから逃走していると思っている。まさかバイオゼロの正体に気づいていないってことはないだろうけど、でも、もっと根本的なことには気づいていないようだね」
「根本的なこと?」
「話せばわかるってことさ。相対は、襟長財閥に敵対してるうちに、すっかり人間不信になってしまったみたいだね。人として成長したかもしれないが、僕を倒すには、遠く及ばない」
ハチはギリッと歯ぎしりをした。
おそらく、このマンションを見張っていた者たちは全滅したのだろう、救援が来るような気配はない。
相対先輩も追い詰められ、つかまるのも時間の問題だろう。
「さて、しかし、こうなった以上、例の計画は頓挫だね」
例の計画。
俺を宇宙に打ち上げて、超能力を使って亀を止めるとかいうあれか。
「まさか、未練があるのか?」
バイオゼロが瞳を赤く光らせると、会長はいやいやと首を振った。
「社長室で言ったろう、僕は最初から反対だったんだよ。ただ、父は無理にでもキムラ君を探し出して計画を実行しようとするだろうし、君はそれを阻止する、僕が裏切って君の側についたこともすぐ知れるだろう。襟長財閥との全面戦争。忙しくなるよ」
会長は腰に手を当ててぐっと伸びをし、ハチを見た。
「ハチ君はどうするのかな?」
「………」
「ふむ、まあ、好きにするといい」
ハチはらんらんとした目を光らせながら、ただ、俺とバイオゼロを見ていた。
それから一年。
俺はバイオゼロと一緒に追っ手と戦いつつも各地を回った。会長は裏から色々と手配をしてくれて、かつてのハチとドクロのように行き倒れることもなかった。
やがて、俺たちは一児を設けた。女の子だった。
そんな頃、政府から公式発表があった。
地球が滅ぶのは、もってあと三年。
じゃあ、あと三年、精一杯生きよう、と俺たちは家族で誓いを立てた。
翌日、俺たち一家は殺された。
犯人は、ずっと潜伏し機会をうかがっていたハチだった。