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ベジタリアンテレパシスト  作者: キムラ
4/8

リオ

 俺はキムラと呼ばれている。

 あだ名だ。

 ちなみに、俺の本名のどこにもキムラという単語はない。

 ゆえに初対面の人物には「木村さん、下の名前はなんと言うのですか?」と聞かれたり、よくよく親しくない人物には「木村さんのハンドルネームって何のゲームのキャラなんですか?」なんて聞かれたりする。

 あだ名がついたのは小学生の時で、理由は俺がある漫画に出てきたキムラというキャラによく似ていたから。くだらない理由だが、あだ名なんてそんなものだろう。

 俺の広くも狭くもない大学の交友関係で、俺の本名がキムラでないと知っている人物はごく僅か、両手で数えられる程度しかいない。

 そんな両手で数えられるうち、俺をキムラと呼ばない人物がたった一人だけ、存在する。もちろん家族を除いての、たった一人だ。

 それは保育園に入る前、それどころか同じ日、同じ病院、同じ病棟で生まれた幼馴染。

 名前は永久莉緒。ながひさ りお。

 あだ名はリオ。

 俺の周囲にいる人物の中では、比較的まともなあだ名というか、名前から連想しやすいというか、名前そのままである。

 小学校、中学校は同じで、高校で別になり、大学は意図的に同じ所にした。本当は高校も同じところにしたかったのだが、残念ながら彼女の志望校に俺の学力が追いつかなかった。とはいえ、別々だった高校時代にも交流はあった。極めて短い期間、いわゆる恋人同士として付き合っていたこともある。

 結局振られ、別れてしまったものの、付き合っていた時も、別れた後も、付き合う前までとさしたる違いは無く、今もなお、変わらない付き合いをしている。

 よく漫画なんかで、「幼馴染という関係は近すぎる」という表現をされることがあるが、まったくその通り。要するに新鮮味も緊張感も無いのだ。どこかに出かけるにしろ、家で遊ぶにしろ、普段からやっている事なのだから。

 何をしても、家族と一緒に行くような気分になってしまうのだ。

 大学の卒業旅行と称して温泉めぐりをしている現在も、それは変わらない。

 彼女にとっては、おそらくそうだろう。

「……こうして一緒にお風呂に入るなんて久しぶりね」

「そうだな」

 俺たちは、旅先の一つである温泉旅館、そこの混浴露天風呂に一緒に入っている。

 時刻は深夜。

 一緒に入っているからといって、そこにおピンク色の展開があったりするわけではない。

 リオは他人に肌を見せるのを極端に嫌がる。これは彼女と中学、高校で同級生だったことのある者なら誰しも知っている事だ。

 理由の方は隠しているわけでもない。

 彼女は小さな頃に怪我をした。

 工事現場の付近で、落ちてきた鉄骨の下敷きになるという、生きている方が不思議な事故だ。彼女はその事故で重症を負い、一生消えない傷を体に負った。

 体の形が崩れるほどの傷だ。

 歪で、凸凹で、女性どころか、人としてすら致命的な印象を与える傷だ。

 体の線が浮き出るような服装なら、誰もが彼女を見て気味悪く思ってしまうだろう。

 小、中学生の頃は目に見えたイジメもあり、結果として心にも消えない傷が残った。そんな彼女の体を見て、気味悪いなどと思わず接することのできる人間は、俺の知り限り片手で数えられるほどしかいない。

 彼女の両親と、幼い頃から一緒に遊んでいる俺たち兄姉。四人。

 と、思われているが、俺は彼女の裸を見て何とも思わないわけではない。

「……どうしたのマー君、空ばっかり見て」

「いや、流石に山奥の宿だと星が綺麗だと思ってさ」

「あ……ホントだ、町中じゃ明るい星しか見れないもんね」

 パチャ、と水がはねる音がした。

 おそらく、リオが空を見上げたのだろう。俺はそちらを見ない。

 空には満点の星空が広がっている。喧騒も無い。吸い込まれるような真っ黒の雪山の中からな何の物音もしない。動いているモノがなにもない。静寂の世界。この世でたった二人になったかのような錯覚。

 星空は綺麗だ。荒涼たる山々も、凪ぐ大海も、地球にただ存在するだけのものは、ただ存在するだけなのに芸術的な価値がある。過去の偉人がその風景を紙に写し、それが今の世で数千万と値がついているのも頷ける話だ。

 リオが空を見上げながら、一言「残念ね」と呟いた。

「天体に詳しかったら、もっと感動できたかもしれないのに。今の私の心には、わぁ凄い綺麗、という、お粗末でありふれた感情しかないのよ」

「俺もそうだけど、それでもいいじゃんか」

「……どうして? もし、あれらがどんな星かちゃんと理解してたら、それを見られることの凄さをちゃんと理解していたら、もっと深い意味で感動していたかもしれないのよ?」

「にわか知識で、あれがミラ、あれがアルゴル、あれがミザールなんてわかっても、得られるのは普段見られない星を見られた、という小さな感動だけだよ。知らないほうが、全体を見て、ただただ凄いって思える」

 俺は知っている限りのマイナーそうな星の名を挙げながら、そう言った。今挙げた星が今この夜空に見えているのか、怪しいものだ。

 リオは「そうね」なんていいながら、パチャパチャと露天の岩風呂の中を中腰で移動しはじめた。

 のぼせたから涼むのだろうか、なんて思った次の瞬間には、彼女は俺の隣にいた。

 肩と肩が触れ合うような距離だ。

「……見える星って、全部恒星なんでしょう? 太陽だって意味がわからないぐらい大きいのに、それと同じぐらいの星があれだけ散らばっているなんて、人間というのは本当にちっぽけね、そう思わない?」

「そ、そうだな」

 俺は軽い同様を押し隠しながら同意した。

 ちらりと横目で見ると、桜色の唇が見えた。

「……宇宙亀、見えないけど、そこにいるのよね?」

「いる、だろうね、わかんないけど。本当に太陽を食べにきたのなら、そのうち昼間でも夜でも関係なく、ハッキリ見えるようになるんじゃないかな」

 夏は昼間に、冬は夜に見える。

 あまりにも巨大すぎて、意味がわからない生物。

「太陽を食べる亀、ね。今まで消えた星の近くに、人間みたいな生き物はいたのかしら」

 俺たちみたいに、恒星を消されて滅ばざるを得なかった生き物がいたのだろうか。

 いただろうな。

「人間みたいな、かどうかは分からないけど、俺らが理解できない高度な文明を持つ宇宙人はいたかもしれないね」

「マー君は宇宙人、いると思うんだ」

「いるさ」

 宇宙人はいる。

 が、地球人とは理解し合えないだろう。

 それどころか、知覚すらできない可能性すらある。人間が生物と認めないような生物が、この広い宇宙のどこかにはいるだろう。

「……どうして、亀なのかしらね。私たちはその大きさも、星を食べる理由もわからないけど、あれが亀によく似ているという事だけはわかる」

 海亀の形をした影が空に浮かんでいる。

 俺たちは、それしかわからない。

「シルエットはね。近くで見ると似ても似つかないかもしれないよ?」

 あくまでも上を向きながら、少し熱くなってきた頭で適当に言葉を作り出す。

 とにかく口を動かした。

「例えばほら、ヤモリとイモリって名前も姿もよく似てるけど、生物学上ヤモリは両生類だし、イモリは爬虫類だ、あ、逆だったかな。まあ、どっちでもいいや。あの見えてるカメだって、実際には尻尾に見えるほうが頭で、頭に見えるほうが尻尾かもしれない。すると亀には全然似てないってことになるよね。シルエットが似てるだけでさ。そういえば、親父が録画してた大昔のアニメのビデオがあってさ、そのアニメのCMでさ、カップラーメンのCMだったんだけど、シルエットクイズってのがあったんだ。おばあさんが回答者でね、二秒ぐらいで穴に落ちるんだけど――」


「ねえ、なんでこっち見ないの?」


「………」

 俺は口をつぐんだ。

 視線を上空から下げ、そろそろと、リオを見た。

 下ろせば腰まではあるはずの団子髪、その下に白い肩とうなじが見えた。

 彼女の肌は白い。どこまでも白い。

 夏でも真冬のロシア人のような服装をしている彼女の肌はまるで吸血鬼のように白い。

 それが温泉の熱でほのかに上気し、薄い桃色になっている。普段は絶対に見ることが出来ない肩には、意外と筋肉がついている。

 ああ、意外ではないのだ。俺は彼女が家でトレーニングを欠かしていない事を知っている。小学生の時、危うく同学年の男子生徒に『解剖』されそうになってから、彼女は身を守る術として通信空手を始めた。

 通信空手。笑っちゃうよな。普通の空手にすりゃあいいのに、体の線を見られるのが嫌で、つまり胴着姿になるのが嫌だったから、そんな選択をしたわけだ。

 それが、今では、笑えない。

 通信空手を侮るなかれ。

 継続は力なり。という言葉がある。

 リオは続けたのだ。通信格闘技を。

 小学生の頃に通信空手、通信柔道、通信合気道、通信骨法と立て続けに習い、中学の終わり頃から独学で勉強しだして、入念なトレーニングを毎日欠かさず行い、高校の時にコマンドサンボやテコンドーまで身に着けた彼女は、一般的な女性より遥かに強い。

 さて。

 夜の湯船は暗いというよりも黒い。

 そんな黒の泉に白く、適度に筋肉のついた肉体は映える。

 湯船に沈む胸元から肩にかけて、無残な傷跡がついているが、見慣れたものだ。

 傷跡、そんなものは、どうでもいい。

 俺が彼女を直視できない理由は他にあるのだから。

「マー君も、やっぱり気持ち悪いって思う?」

「いや……そうじゃないんだ」

 俺は露骨な視線を、どうにかして湯船の方へと戻した。

 確かに、一般的な男性はリオの体を見て(男性のみならず女性もだが)嫌悪感を示すだろう。嫌悪感を示さない人物というのは、特殊な思考を持つ変人か狂人だ。

 彼女は幼い頃、無遠慮で悪意に満ちた目線を何度も受けたことがある。そのたびに傷つき、涙を流した。

 自分の体は醜いというのは、そうした経験則による常識だ。

 他人との違いについて不安になったことは一切ない。不安よりも失望の方が先にくる。

 リオにとって、自分の体を見て性的興奮を覚えられる事など無い、というのは事実であり、ゆるがせない真実なのだ。

 だが。

 真実には大抵、裏がある。

 例外というやつだ。

 リオの体を見たいと思う人物はいないが、例外がある。

 リオの体を見て性的興奮を覚えない人物はいないが、例外がある。

「俺より、リオは、見られるのいやだろ?」

「マー君としーちゃんなら、あからさまに嫌な顔とかしないなら、別に嫌じゃないよ」

 リオは自分の体には何の性的価値もないと思っているため、少々羞恥心に欠けている部分があるが、価値というものは見る者によって変わるものだ。

 彼女の裸は、俺にとって極めて価値の高いものだ。

 性的な意味で。


 高校時代、リオと俺が付き合っていた時の話をしよう。

 当時の彼女はこの近辺で最も有名な進学校に進学し、俺はそれから見ればワンランク下の高校の、男子しかいないクラスへと進学した。共学だが、科によってはそういったクラスもあるのだ。

 学校で一緒にいる事が出来なくなり、もしかするとこのまま疎遠になってしまうのではないか、と俺は焦った。

 焦った挙句、不恰好にも告白を慣行した。

 一つの繋がりが断たれても、別の繋がりを強めれば大丈夫だと思ったのだ。

 当時、それぐらい好きだったのだ。

 なんだか気恥ずかしくて今までそっけない態度を取っていたりもしたけれど、リオと一緒にいると俺の心臓はいつもバクバクと破裂しそうになり、いても経ってもいられなくなる。ただリオに嫌われないように、いつもどおり振舞おうとするのが精一杯だった。

 告白は賭けだ。

 振られれば、今までどおりどころか、今まで以上に疎遠になってしまうだろう。次に出会う時は、俺のことなんて忘れているかもしれない。

 そんなのは嫌だ。

 だから告白した。高校生活が始まって一ヶ月経った土曜日、一緒に遊びに行って、映画を見て、眺めのいい海沿いの公園で、夕焼けを眺めながら、告白した。

 どうすればうまく告白できるか、なんてわからなかった。なんて言葉で告白したのかもよく覚えていない。だって、今までずっと一緒に育ってきたのだ。とにかくモノの本を見て、シチュエーションとムード作りだけはしたつもりだったけれど、だからこそ陳腐に、わざとらしくなってしまった。

 案の定、リオは俺の告白を受けても、本気にはしなかった。

 どうせ学校で出来た友人に彼女がいると見栄を張って嘘をついてしまったのだろうと、勝手に解釈し、なら手伝ってあげるのもやぶさかではない、と付き合うことを承諾した。

 俺の思いが伝わらなかったのは残念だが、都合のいい展開だった。

 断られるよりは何百倍もマシだ。

 そのまま半年ほど、いわゆる恋人として付き合ったが、特別なことはなかった。

 デートと称して遊園地などへも行ったが、それまで姉が一緒だったのが、二人になっただけの話だったし、告白の時は別として、二人とも恋人同士の甘い会話というものにも無縁な性格だった。というより、何歳までおねしょをしていたかを知っている相手に歯の浮くようなセリフを吐くのは、とてつもなく恥ずかしかった。

 しばらくして、リオから別れ話を繰り出され、俺もそれに承諾した。

 泣いた。


 俺はリオが好きだ。

 高校の時よりも、好きの度合いが増している気もする。

 そんな相手と肩がくっつくぐらい隣り合わせで、お互い裸で、同じ湯船に漬かっているのだと考えると、平静を保つのは難しかった。

「……私、マー君に嘘をついてるのよ」

 俺の心を知ってかしらずか、リオは唐突にそう切り出した。

 表面上だけでも平静に聞こえるよう、俺は声を調整する。

「誰だって、ごほん、嘘ぐらいつくだろ。それが?」

「ちょっと世界の情勢が危ないから、嘘のこと、今のうちに、言っておこうと思って」

 世界情勢。

 世界は戦争を始めていた。

 俺と会長が話をしていた時のニュース、あれが発端だ。

 あれから一年半、世界は大きくその形を変えていた。

 ヨーロッパの小国から始まった戦争は現在、ロシア西部から中東、南アフリカに及ぶ大戦争へと拡大している。イギリスは核によって二つの島に分断され、ドイツには巨大な湖が誕生していた。

 誰が、何のために戦っているのか。おそらくソレすらもよくわかっていない。ある芸能人は、追い詰められた人の闘争本能が爆発したんだ、なんて言っていた。俺もあながち間違っていないと思う。ネズミだって追い詰められれば猫を噛むのだ。同じ生き物で争うことの大好きな人間は、人間を噛むだろう。

 世界情勢の話を続けよう。

 先日、アメリカがそのヨーロッパ戦争への介入を決定した。

 これにより、アメリカの前線基地のある日本は、戦闘に巻き込まれる確立が極めて高くなった。日本という国は位置的な価値以外はそれほど高くない、と俺は思っているが、いざ本格的に宣戦布告されるとなれば、自衛隊や米軍にまかせきり、というわけにはいかなくなるだろう。

 日本人がどれだけ専守防衛を気取った所で、守るために攻撃をしなければいけない事態はくる。必ず来る。

 戦争は国を変える。まさかまたWW2の悲劇を繰り返したりはしないだろうという意識はあるものの、既にWW2を生き抜いた人物はこの地球上には存在していない。土煙と硝煙と血煙の区別もつかないような地獄を理解できるものが、誰一人としていない。

 語る者は既に無く、知識でしか知らぬ者が生まれてくる。

 戦争は一部美化されたり、誇張表現されていると考える者が増えている。本当はこんなにひどく無かったんだろう、なんて言ってしまう奴もいる。

 もちろん、大半の戦争は悪い事、いけない事、絶対にしてはいけない事、そう教えられている。骨の髄までそうした考えに染まっている。確かにその通りだ。

 だが、殴られて、助けてくれる人物がいなければ、戦わなければならない。

 殺されたくなければ、抵抗しなければいけない。

 世論がそう傾けば、いつか、俺だって戦争に駆り出されるかもしれないのだ。

 だからこそ、リオは今のタイミングで打ち明けたのかもしれない。

 こうして、のんきに旅行になんてこれるのは、これが最後かもしれないから。

「この傷が出来たのって、工事現場の事故って言ったけど、実は悪の秘密結社の破壊工作に巻き込まれたからなのよ」

 まじめな話だと待ち受けていた俺は、その顔のまま、

「……はい?」

 と、首をかしげた。

「その時、その悪の秘密結社が開発した試作型バイオアーマーを偶然身に着けることができて、そのお陰で命が助かったのよ」

「あ、え?」

 理解が追いつかない。

 バイオ、なんだって?

「体組織と一体化するバイオアーマーは装着者を殺すことでしかはずせない。だからそれから十年間、私はバイオアーマーを手に入れようとする悪の秘密結社と戦い続けた」

 肩の力が抜けた。

「……そりゃ、かっこいいな」

 ああ、これは冗談なんだ、と俺の脳が理解して、ようやく俺は話に乗ることができた。

 世界情勢だのうそだの、難しく考えすぎていた。

 冗談、冗談だ。リオは普段滅多に笑わないが彼女が、滅多に言わない冗談を口にしただけの話だ。前置きはちょっと重々しかったし、自虐ネタは関心しないが、俺だから安心してそうしたネタも振れるのかもしれないと考えると、ここは余裕を持って笑ってやるのが得策だろう。

「そう? かっこいい?」

「変身ヒーローなんて、男の子の憧れだ」

「私は変身ヒロインの方がよかったんだけど。魔法少女みたいな可愛いやつ」

「はは、そりゃそうか。女の子だもんな」

 うわべだけの返事をしながら、俺は彼女がそんなことを切り出した理由について考えていた。生まれてこの方、二十数年間、彼女と幼馴染として付き合いをしてきたが、こうした類の冗談を言われたことはない。

 あるいは友達同士や、姉と話している時は言っていたのかもしれない。冗談を言いにくいタイプの人間はいるわけで、リオにとっては俺がそれに当たるのかもしれない。

「それで、どうなったんだ?」

「最初に戦ったのは、同じタイプのバイオアーマー装着者だったわ。事故を起こした張本人で、凄まじく強かったんだけど、試作型のアーマーは装着者と相性が悪いと装着者を巻き込んで自壊してしまうの。その人も、すぐに……」

「でも、リオは大丈夫だったと」

「ええ、そう、運が良かったわ。もっとずっと後でわかることなんだけど、実は血液型がAB型の女性しか装着者になれないのよ」

 ということは、B型男の俺には使えないというわけだ。

「しばらく、何事もない日々が続いたわ。一ヶ月くらいね。私も、悪の秘密結社も、一体なにが起こったのか把握できていなかったから」

 まさか、事故現場に重症で倒れていた小学校低学年の少女がバイオアーマーを手に入れていたとは、夢にも思うまい。

「私が先に自体を把握できたのは、そういう番組やアニメをマー君たちと一緒に見ていたから。非現実的なこともすぐに受け入れられる年齢だったしね。病院から退院した頃にはバイオアーマーのお陰で体に醜い傷が出来ただけ、後遺症もなく、元気に走り回れるぐらい回復していたわ」

「そういえば、当時は気にもしなかったけど、リハビリも必要なくて全快だもんな」

 今思えば、不思議だ。

 あのぐらいの傷を負えば、普通は一年は立ち上がれないように思えるが。

 ふーむ…………まぁいいか。話の続きを聞こう。

「それから何度か戦闘員と戦ったわ。あ、戦闘員って言っても、黒い全身タイツとか身に着けてなくて、黒服とサングラスを付けた一般人なのよ、ちょっと格闘技とかやってて喧嘩が強いぐらいの」

 普通、それを一般人とは言わないが、変身ヒーローの闊歩する世界なら、格闘技が出来る程度の大男なんて、雑魚の中の雑魚だ。少年隊のリーダーよりも弱い。

「そのとき、怪人とかは出てこなかったのか?」

「戦闘員だけよ。だって、バイオアーマーは試作型なのよ? 怪人なんて出来上がってるわけないじゃない」

「なるほど」

 どちらかというと、ヒーロー物というより、SFちっくな話なのか。

「ある日、その悪の秘密結社と戦っている、という組織が接触してきたのよ」

「なるほど、仲間が出来たってわけか」

「ええ、そう、仲間。仲間だったわね」

 リオは顔を曇らせた。

 過去形にされたということは、つまり現在はその仲間はいないということか。

「バイオアーマーを研究して、なんとか私からはずそうとしてくれた組織で、四、五年ぐらいかな、通信空手とかを習った、って言ったけど、実はそれも嘘で、そこの組織の人に教えてもらったのよ」

 確かに、彼女の格闘術は通信空手を元にした自己流だが、型や流れは理に適ったものだ。

 誰かに教えてもらった、というのは信憑性のある話だろう。通信空手よりは。

「でも、実はその組織も悪の秘密結社の一部所だったの」

 リオは当時のことを思い出すかのように額を押さえた。

「悪の秘密結社の内では、バイオアーマーを開発していた部署は三つぐらいあって、味方組織は私がつけてたバイオアーマーを開発した部署のライバル部署だったの。私を研究して、自分たちのが完成させるのが目的だったのね。完成したら、手のひらを返すみたいにあっさりと裏切られたわ。なんとか逃げたけど、その時ことは思い出したくないわね」

「それはキツイな」

 味方だと思っていた組織が、実は敵の一部で、用済みとなったらすぐポイ。

 中々、重い展開だ。

「一年ぐらいしたぐらいかな。いつのまにか、私は悪の秘密結社に仇なす者として、指名手配されていたの。何人も殺し屋がきた。私の戦闘データを参考にして作った、より高性能な量産型のバイオアーマー装着者が何人も何人も」

 同タイプの敵の出現、よくあるパターンだ。

 量産型というと弱そうなイメージもあるが、もともとコストパフォーマンスと性能が両立した傑作が量産されるものだ、弱いわけがない。

「一度に四人を相手にしたこともある、けど負けなかった。どうも私の試作型バイオアーマーは、今はもう結社にいない天才が作ったもので、根本的に出来が違ったみたいね」

 そして、量産型は束になってもオリジナルに勝てない。

 なぜならオリジナルの試作機は、コストを度外視して作られたものだから。量産型というのは、いかにオリジナルの性能を低下させることなく、コストを安くさせるかを念頭に置いて作られたから。

 よくあるパターンだ。

「その頃には私の体も成長してきたし、慣れもあったわね。バイオアーマーに備えられた全ての機能を、そつなく使えるようになっていたわ」

 アニメで言うなら、2クール目といった所だろうか。

 未熟な少女は少しばかり成長し、ベテラン戦士へと昇華していく。

 先の展開が少し読めた。

 次に現れる者といえば……。

「そんな時に、悪の秘密結社の開発部、さっき三つあるって言ったよね。その最後の一つがようやくバイオアーマーを完成させたの。天才が考える一を零で割り切るような突飛な理論じゃなくて、一に一を加えれば二になるような正確かつ、わかりやすい理論で作られた、悪の秘密結社が本当に作ろうしていたバイオアーマーが現れたの」

 ライバルの出現。

 わかりやすいストーリーだ。もう少しひねったほうがいいかもしれない。

「強かったわ。高次元でバランスが取れていて、足りない部分を知恵と豊富なアタッチメントで補う、隙も弱点もない、汎用型のバイオアーマー。こちらの弱点を的確に突いて、詰め将棋みたいに逃げ道をふさいでくる、ベテランの戦い方」

「負けたのか?」

「いいえ、なんとか勝てた。運がよかったのね」

 しかしながら、変身ヒーローモノにおいて、ライバルというのはライバルであってライバルではない。特に、最初の一戦で勝利してしまえば、後は川の流れのように緩やかにかませ犬に変化していくだけだ。

「そいつとは、何度も戦ったのか?」

「いいえ。結局、足の引っ張り合い、っていうのかしらね。他の二つの開発部が全力で妨害して、その汎用バイオアーマーが完全な状態で戦えない状況を作り出してくれたお陰で、私は次の戦闘で、そのバイオアーマーにとどめを刺すことが出来たの」

 優秀な者は無能な者に足を引っ張られる。

 どこの世界でも一緒だ、それは。

 で、次はこうだろう。その汎用バイオアーマーの残骸から部署の場所を特定して襲撃。破壊。でも、他の二つの部署が、その研究場跡から見つけ出された新技術を使って、最初の二つの部署が巨大な新型のバイオアーマーを開発する。

「そして、その勢いで開発部を襲って、三つともを全て壊滅させることが出来たのよ」

「あ、三つとも一気にいっちゃったんだ」

「え? だって、どれも敵なのよ?」

 俺は肩すかしを食らった。

 三つ目の部署 拍子抜けというほどではないが、展開が速い。

「ライバルとか、ボスとかいなかったのか?」

「ライバルはいなかったわね……。大体、最初の三年ぐらいで学んだのよ。最初に手ごわかった相手は、生かしておくと必ずさらに手ごわくなるから、一回で息の根を止めようって。ダメだった?」

「いいや、素晴らしい学習能力だよ」

 ともあれ、ボス戦なしで組織は壊滅してしまった。

「開発部は壊滅、研究資料は全てを焼き払って、研究員も皆殺し、ああ、そういえば私に空手を教えてくれた人もいたわね。ともあれ、バイオアーマーの計画は頓挫、ようやく私に平和な暮らしが訪れたわ」

「まてまて、ボスを倒してないってことは、悪の秘密結社は滅んでないんだろ?」

「そうね。でも、私も別に世界平和のために戦っていたわけじゃないから……」

「そらそうか」

 彼女が巻き込まれていたのは、あくまでも悪の秘密結社内のごく一部での、内輪もめ。

 結局、悪の秘密結社は不安定なバイオアーマーの開発を断念し、彼女の戦いは終わった、というわけか。

 クライマックスが無かったな。

「平和な暮らし、こんな体の私でも普通の生活に戻れるかもしれない、そう思ってマー君の告白にもOKしたわ」

「……あはは。そこに繋がるのか」

 そうだ、思い返せば、俺は振られたのだ。

 はっきりと、間違うことなく。こういわれたのだ。

 別れましょう。マー君とはもう付き合えない。別れましょう。

 二回も別れましょうと言われたのだ。

「で、なんで俺は振られたんだっけ? やっぱ、付き合っててつまらなかったとか?」

「違うわ。一緒にいる間はすごく嬉しかったし、楽しかったもの。でも、悪の秘密結社がマー君を狙ったの。私の近しい人間を拉致すれば、私が言う事を聞くものだと思ったみたいね」

 その言葉に、俺は少しだけカチンときた。

 男女差別をするつもりは無いが、女の言い訳というのは大抵感情に訴えたもので、その感情も自分本位なものが多い。自分の感情をコントロールしきれなかったのを、まるで自分とは関係ない事のように言う。

 理由と、言い訳は、違う。

 けど。なあ。おい。

 振られた理由は悪の秘密結社に狙われたから。

 なんだよ、そりゃ。

 思わぬ変化球で、俺の頭は少々混乱していた。これは激昂すべきか、それとも冷静に『お話』として受け止め、振られた理由は別にあると考えるか。

 俺は即座に後者を選択した。

 振られたその時に言われたならまだしも、五年以上も前のことだし、俺はその事を引きずってはいないつもりだ。

 だから、これはつまり『変身ヒーローの彼氏が振られた理由』だ。

「また戦わなければいけない、そう思って、まず私は周囲の人間関係のすべてを、一度リセットしたの。おかげで高校に友達はいないし、親戚とも、家族とも疎遠になったわ」

 彼女が親戚と疎遠なのは前からだが、親と仲がいいのは知っている。

 だが、よく思い出してみれば、彼女が親と仲がよくなりはじめたのは、丁度俺が振られた後じゃなかっただろうか。おいおい、矛盾してるぞ。

「そう、マー君も知っての通り。その緊張状態は長く続かなかった」

 知っての通り、というほど知ってはいないが。

「悪の秘密結社も一枚岩ではなかったみたいなの。秘密の部署があって、秘密ではない表向きに活動している部署があって、さらにそれぞれが細分化していて、それぞれをまとめる者が違う。頭は一つだけど、頭が全てを把握し、制御しているわけではない。わかる?」

「ああ、なんとか」

 コンツェルンとか、総合商社みたいなのが、そんな感じだろう。

「バイオアーマー開発部のイレギュラーである少女のことをボスは知らず、関与もしなかった。些事なのよ。その判断は、三つの研究部署の、すぐ上の部署に委ねられた」

「孫会社の失敗を、子会社がケツもちするようなものか」

 で、親会社には被害は出ない、と。

「そ。それで、とりあえず脅迫してみたけど、その先はあまり考えてなかったみたい。色々もめていたみたいなのよ。私をどうするかについて」

 どうするかというと、つまり、三つの開発部を壊滅させたバイオアーマー装着者を倒すか、捕獲するか、説得するか、それとも放っておくか、といった辺りだろう。

 虎穴に入らずんば虎子を得ずといった言葉もあるが、君子危うきに近寄らず、虎穴に入らなければ怒れる親虎と鉢合わせることもない。悪の秘密結社とやらは、虎子を得なければ立ち行かないほどに切迫してはいなかったのだろう。

「そもそも、その悪の秘密結社はなんでバイオアーマーを作ったりしたんだ?」

 リオは首をかしげた。

「それはもちろん、『悪』の秘密結社だからでしょ?」

「ああ、うん、まぁ、『悪』の秘密結社は理由もなく色々やるけどさ……」

 物語なら理由も必要だろう。

 俺が微妙な顔をしたからか、リオは額に手を当てて少し考えた。

「いやまって、そういえばちょっと聞いたような……ええと、確か、バイオアーマーは装着することで身体の不自由な部分を自動的にサポートしてくれるから、それを利用して身体障害者を助けたりとか、するとか、なんとか」

「それのどこが悪なんだよ」

「えっと、身体障害者を戦わせるあたり、かな?」

 確かに、致命傷ともいえる傷がバイオアーマーのお陰でリハビリも無く完治したことを考えれば、その目的は多岐に渡る。

「それで話を戻すけど、私の処断を考えていた部署の長が挿げ変わったの。あとから聞いた話だけど、なんか後釜は組織のボスの息子だったらしいわね」

 俺はどこかの財閥の御曹司を思い出していた。

 どこの世界でもコネ入社、コネ出世というものはあるものだ。

 どんな偉大な会社の社長でも自分の息子は可愛い。

 太古の昔から続いてきた伝統だ。

 どんな偉大な男の息子でも、甘やかされてボンクラに育てば巨大な組織を潰す。

 これもまた太古の昔から続いてきた伝統だ。

 ボンクラでなくとも、巨大な組織を作り上げるのと、作り上げて肥大化した組織を運営していくのでは必要とされる才能が違ってくる、と会長は言っていたが。

「で、秘密結社の新部長はどういう方針を打ち立てたんだ? やっぱり徹底抗戦か?」

「謝罪の言葉と一緒に、今後はお互いに不干渉でいよう、という提案だったわ。腰がすごく低くて拍子抜けしちゃった」

 俺も拍子抜けだよ。

「驚いたことに、それを言いに、本人が来たのよ」

「へえ、どんなやつだったんだ?」

「凄まじく切れる印象を持った、二十歳前後の若い男だったわね」

 若いとはいってもオールバックにサングラス、白いスーツという、どこかの下着メーカーに勤めるヤクザのオヤブンのような格好をしていたため、印象でしかないらしい。

 大体、二十歳前後というのは中々難しい年齢だ。二十歳中盤でも、ヒゲをしっかり剃って目許を隠せば、あるいは十七、八歳ぐらいに見える者もいるだろう。

「……なるほど、第三クール終了ってところか」

「クール? ええ、確かにクールな感じの男だったわね」

 言いながら、リオは湯船から腰を上げた。酷い傷跡の残った肢体をタオルで隠し、露天風呂の縁に腰掛けた。のぼせそうになったから、少し冷ますのだろう。

 俺は慌てて目をそらした。

 天然の温泉の水温は高いが、気温はマイナスだ。肌の表面が冷えたら、またすぐにリオは湯船に浸かるだろう。

「それで……それが高校時代の話ってことは、大学時代にはその悪の秘密結社との最終決戦があったわけだな?」

「え? ないわよ。だって、不可侵条約を結んだんだもの」

 俺は額を押さえた。

 熱い。

 幼馴染が語ったヒーロー戦記の結末が微妙なように感じられるのは、きっとこの熱のせいだろう。そういうことにしておこう。

 それにしても、上せそうなぐらい熱い。

 だが、今上がるわけにはいかない。

 タオルの隙間から覗くリオの肌のせいで、下半身の諸事情が色々。

「悪の秘密結社もバイオアーマーの研究をまた別個で始めたみたいだし、大学を卒業するまで何もなかったから、もう安心なのよ」

「それは、いいことだ」

 俺は大仰にうなづいておいた。熱い。

「それが、私の嘘」

「大層な嘘だ。よく隠し通せたもんだよ」

 めまいがしてきた。

「何か質問はある?」

「今日のパンツの色は?」

「白よ、いや、そういうことじゃなくて」

 そうか、白なのか!

 いやいや。早く下半身を鎮めて立ち上がらないとのぼせてしまう。

「それで、なんで俺にその話を?」

「だから、えっと、安全だから、その、また付き合わない?」

「いいとも」

 ぼんやりした頭でそう答えた。

 その後、リオは嬉しそうな顔で二言、三言、言葉を交わして、顔を赤く染めたまま風呂から上がっていった。

 ま、別にぼんやりしてなくても返事は同じだけどね。


 リオがいなくなり、俺は立ち上がった。

 体から湯気が立つ。立ちくらみがしてすぐ脇の岩に腰を下ろす。

 寒すぎる空気が心地よい。

「まだ好きなんだよなぁ」

 昂ぶった下半身を見る。

 一般的な男性はリオを見て性的興奮を覚えることはない。

 俺は一般的ではないのだろう。

 幼い頃からずっと一緒にいた幼馴染だ。

 その体にどれだけ深い傷がついているのかはよく知っているが、一番身近な異性の裸を見たいと思う事がそれほどおかしな事だろうか。

 傷だらけの体に興奮するわけではない。

 好きな幼馴染だから興奮するのだ。

「願ったり、適ったり、か」

 心が躍っている感覚。

 この感覚は随分と久しぶりだ。

 姉が引き篭もってからは、単純な事で感動することは少なくなっていた。

 中二病の後遺症とも言える感覚だ。何事も客観視してしまう。

 こうして心の底から嬉しい気分になるのは会長に出会った時以来。

 とはいえ、それとはまた違う種類の感動だ。

 会長に出会った時は、これから先の人生が面白いものに思えてしょうがなかったが、今は何か少し違う。本能的とでも言うのだろうか、拳を握り締めて振り上げてしまいたいような衝動にかられる。

 以前、彼女と付き合った時は感じなかったものだ。

 何故だろうか。自問自答。

 あの時は、そう、焦りがあった。離れていってしまう愛しい人、なんとか繋ぎとめなければいけないという焦り。居て当然だと思っていた異性が短期間で二人ともいなくなってしまい、心に不安が生まれていたのもある。

 心が不安定だったのだ。

 しかし、今はどうだろうか。何が違うだろうか。

 まず、今の俺は安定している。姉もなんだかんだ言って精力的に動いているし、リオと大学も同じになった。コネで内定を操作できるような先輩はいるし、同じ領域を共にした、心の根で繋がっているような後輩もいる。

 今の所、人間関係で俺を悩ませている事は何も無い。

 俺は土台作りに成功した。その上にさらに家が建ったら、それは嬉しいだろう。

 それから、そう、俺は告白されたのだ。

 これは安心感がある。自分から告白した時はいつまで経っても彼女が俺のことが好きかどうかわからなかった。そわそわと彼女の気を引くようなことを繰り返した挙句、振られた。理由はなんだったか、今日までわからなかった。悪の秘密結社が全部悪い。

 二度目のチャンス。次は失敗しない自信もある。

 もちろん不安もある。

 何故彼女は今のタイミングでそんな事を言ってきたのだろうか。なんらかの理由があって、イヤイヤ俺と付き合うことにしたとか。

 大学の卒業旅行、見上げれば満天の星空、森閑とした山々、風情のある天然の露天風呂、お互い裸で二人きり。一度は自分に告白した相手。相思相愛。

 完璧なタイミングだ。然るべき時というやつだ。これで告白が成功しないなら、悪の秘密結社との決戦前夜に、全てを打ち明けて告白して、帰ったら結婚しようと言うぐらいのことをしなければダメだろう。


「なにニヤけてるの?」

 俺が浮かれていると、いつのまにか姉がいた。

 バスタオル一枚を身に包んだその体は、リオとは似ても似つかないほど健康的で、数年前まで引き篭もりだったとは思えないほど肉付きがよくなっていた。

 俺は無言でバスタオルを剥ぎ取った。

「ちょ……やめてよ兄さん! 返してよ!」

「風呂にバスタオルをいれるんじゃない! マナー違反だ」

「これはそれ用のだからいいの!」

 姉は喚きながら俺からバスタオルを取り戻し、体に巻きつけた。こんな時間じゃ誰も入ってこないだろうに、何を隠してるんだ? いや、よくよく考えればこの時間帯なのに三人も入っているのか。隠しておいたほうがいいか。俺も。

 そう思い、俺は手に持ったタオルを股間に被せた。

「いまさら隠しちゃって、恥ずかしくなったの?」

「姉さん相手に恥ずかしがったりしないよ」

「マナー違反じゃないの?」

「マナー違反でも、ちゃんとした理由があればみんなわかってくれるものさ。というより、姉さんを見ておっ勃ててた、なんて他人に思われたくないし」

 直接的な言葉を使ってそう言うと、姉はちらりと俺の股間に目をやって頬を染め、すぐにそれを隠すように頬を膨らませ、両手でぱふんと叩いて空気を抜いた。

 我が姉とはいえ、ウブなことだ。

 引き篭もっている間、ずっとパソコンをいじっていたようだし、ネットをやるなら当然のようにエロいサイトを見る事もあるだろうが、本物を見たのは初めてなのだろう。

「し、失礼な兄さんね。私の、ど、どこが悪いっていうのよ!」

「顔」

「………」

 姉は俺にくっついて大学の講義にこそこそと参加していたりもしたし、俺の友人との交友関係もできたようだが、男と付き合っているようには見えなかった。

 それにしても、当然の顔をして卒業旅行に紛れ込んできたのには参った。この卒業旅行に参加している十人のメンバーの中で、姉が大学生でないことを知っているのはわずかに二人だけだ。俺とリオだけ。

 ちなみに、俺のあだ名がキムラで、キムラが本名でないと知っているのはリオと姉だけ。

 大学の友人関係なんてそんなもんだ。

 浅い付き合いなのだ。

「もう大学卒業なんて、兄さんも大きくなったものね」

「姉さんと同い年だよ。それで、姉さんはいつ大きくなるのかな?」

「もちろん大きくなってるわ。でも、兄さんは私が大きくなったのはわからないわね」

 比較的大きな胸をタオルで隠すこともせず、姉は湯船に身を沈めた。

「なんで?」

「兄さんが大きくなれば私も大きくなるけど、相対的に見て同じ大きさだから、兄さんは私が大きくなったのがわからないの」

「その理論なら姉さんも俺が大きくなったのかわからないはずじゃないか。いくら相対的だって、見ればわかるだろ」

「見てないじゃない。兄さんは、私のことなんて、これっぽっちも」

「………」

 俺は二の句を継げなかった。

 姉は絶句した俺をちらりと一瞥すると、頭の上に乗せたタオルを湯船に入れて、風船を作り始めた。

「そういえばね、聞いた?」

「何を? 主語を話せよ。ハチじゃあるまいし」

「そのハチちゃんと、ドクロ君。駆け落ちしたんだって」

「……ああ、その話か。一応ね、聞いてはいるよ」

 二ヶ月ほど前の話だ。

 ハチとドクロが駆け落ちした。別々に失踪したのかもしれないが、まぁ二人一緒にいなくなったのだから、間違いなく駆け落ちだろう。

 理由はわからない。

 正直、この一年は就職活動で忙しくてサークルにほとんど顔を出さなくなったし、そうなれば家族の次ぐらいに顔を合わせていたあの二人にも、バッタリと会わなくなった。

 彼らが悪い悪い状況に陥っていくのは、なんとなく聞いてはいたが、自分のことで忙しかったとはいえ、相談ぐらいは乗ってやるべきだった、今はそう後悔している。

「ねえ、兄さん。後悔してる? 相談ぐらいは乗ってやればよかった、って」

「まったく、一言一句そのとおりだよ。姉さん。後悔してる」

「そう、でもね――」


「次は、あなたの責任じゃないから後悔しなくていいわ」


 次ってなんだ。

 という言葉は飲み込まれた。

 姉は、俺という視点を持ってしても、振るいつきたくなるような体を立ち上がらせ、天に向かって手を伸ばしていた。

 その行為は、神秘的ですらあった。

 俺は、言葉を失ったまま、ずっと姉を見ていた。

 姉はしばらくそうしていると、突然、ぶるりと身を震わせて、無言で浴場から去っていった。


 だから、それが、俺の聞いた、姉さんの、最後の声だった。


 翌日、姉は姿を消した。


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