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ベジタリアンテレパシスト  作者: キムラ
3/8

会長

 俺はキムラと呼ばれている。

 あだ名だ。

 ちなみに、俺の本名のどこにもキムラという単語はない。

 ゆえに初対面の人物には「木村さん、下の名前はなんと言うのですか?」と聞かれたり、よくよく親しくない人物にはレストランで予約を取るときに「木村さん、偽名っすか?」なんて聞かれたりする。

 あだ名がついたのは小学生の時で、理由は俺がある漫画に出てきたキムラというキャラによく似ていたから。くだらない理由だが、あだ名なんてそんなものだろう。

 俺の広くも狭くもない大学の交友関係で、俺の本名がキムラでないと知っている人物はごく僅か、両手で数えられる程度しかいない。

 某大学水泳サークル兎泳会の会長は、その両手で数えられるうちの一人だ。


「僕は今、三人の女性に迫られている」

 会長は唐突に俺にそう切り出した。

 場所は俺の自室、どこにでもありそうな一軒家、3LDK。

 俺の部屋。六畳間。パソコンやゲーム機、漫画、勉強机などのせいでそれほど広くは感じられない部屋。

 俺と会長は並んでゲームをしている。最近出た格闘ゲームだ。最近出たといってもアーケードで稼動して約半年の期間を置いている。格闘ゲームというのはまずゲームセンターで稼動し、ある程度人気が出たら新キャラなどを携えて家庭用コンシューマで出るのだ。

 今やっているのはマイナーチェンジを繰り返しているシリーズ物の最新作だ。

 俺も会長も最初のバージョンからやりこんでいるため、高いレベルで対等に対戦できる。あまりに差があるとつまらないのだ、格ゲーは。

「エロゲーの話ですか?」

「確かに僕はそういうゲームもやるけどね、現実の話だよ」

 会長は、本名を襟長絶対という。

 襟長財閥の御曹司で、顔がよく金もあり、勉強が出来るとはまた違った意味で頭もいい。ゲームもうまく、話も楽しく、気も利く。一見すると長身痩躯でメガネを掛けた秀才タイプの優男だが、一皮剥けば、というかメガネを取ってパンツ一丁になれば、筋骨隆々のスポーツマンに大変身する。

 嫌いな言葉は『半端』で、好きな言葉は『極端』。

 趣味は十八禁PCゲームをやることと、水泳と、女遊び。

 神に望まれて生まれてきたような男だが、彼のプログラムには致命的なバグがあった。

「三人とも幸福か、三人とも不幸になるにはどうすればいい?」

「はぁ……」

 会長には友達がいない。

 その理由は会長の性格にあった。

 『極端』という言葉が好きな会長の性格は極端で、友達という名の関係を激しく嫌う。

 会長は初対面の相手に対して、まるで生来の親友のように話しかけ、あっという間に仲良くなるが、相手がそれに呼応して『友達』のように振舞うと、会長はソイツを口汚く罵り、絶縁する。

 観念が固定的なのだ。

 結局、その『友達』候補だった人々の大半は距離感をなんとか測り『知り合い』に落ち着くのだが、何人かの例外がいた。

 それは『友達』以外の関係を持った人間。

 例えば俺。

 俺は会長の『弟子』である。弟子と師匠という関係は友達ではない、先輩は俺に対し傲岸不遜に振舞うし、俺はそれを嫌な顔一つせずに受け入れる。

 俺が会長の弟子になったのは高校時代。

 当時の会長は凄まじかった。

 その凄まじさを説明するためには、当時の俺のことも少し話しておこう。

 高校一年の時の話だ。俺は高校生活に対し計画的だった。後々の内申を上げるため、一年の春、最初の選挙で生徒会副会長へと立候補し、見事に当選した。これは俺が中学時代から名の知れた立派な人間だから、というわけではなく、他に立候補者がいなかったからそうなっただけだ。高校の選挙なんてそんなもんである。

 で、その時の生徒会長が、襟長絶対。会長である。

 会長は三年連続で生徒会長に当選し、当時から全校生徒のみならず先生、近隣の住民にまで『会長』と呼ばれるに至っていた。水泳部の部長でもあったが、水泳部においても、呼ばれ方は会長だった。中学時代もそうだったというのだから、会長の『極端』は病的ですらある。

 そんな会長と二年違いの俺は、当時酷い中二病で、その凄まじいスペックを持つ会長に尊敬の眼差しを向けていた。

 だが、そんな俺にはいくつか会長が中途半端に見えることがあった。

 例えば、全国模試の結果。

 会長は校内で一位だったが、全国では精々五位から十位といったレベル。十分すぎるといえば十分すぎるが、極端に生きるならやはり全国でも一位を取る必要があるのでは? と指摘した事がある。

 それに対し会長はいきなりキレた。

「愚か者め! 誰が人の目を気にした生き方をしているというのだ!」と怒られた。

 会長曰く、結果はどうでもいいのだそうだ。

 会長にとって生きるという事は、自分の限界ギリギリまでを行使するか、もしくは何もしないかの二種類しかない。

 一かゼロか。否。九千九百九十九無料大数かゼロか、といった所か。

 大切なのは『自分の限界を出し切ること』であって、一位を取ることではない。限られた時間を過密にスケジューリングして、全てを完璧にこなした結果、全国模試で全国一位を取れなくても、それは仕方がない事だ。後悔をするような無駄な時間は作っていないし、後悔するほど勉学というものに打ち込んでもいない。

 目の前に何かあれば、それに対する自分の限界に挑む。

 そうした生き方に憧れ、俺は会長に弟子入りした。

 しかし、会長は夏の終わりごろに、なにやら超常的な事件に巻き込まれたそうで、そうした生き方をやめた。

 俺もまた、年を取る中二病が治り、会長の生き様はカッコイイというより、むしろおかしいと気づいたのだが、弟子と師匠という関係は変わらなかった。俺が会長の生き方に触発され、いい方向に進んだのは確かだ。

 結果、俺と会長はこうして気軽にゲームをする仲になった。

 友達を抜いて一足飛びで『親友』になれた、といった感じかもしれない。

 今ではその生き様に若干の緩和が見られる会長だが、『極端』が好きという根本的な性格に変化は無く、やはり友達はいない。

「おいおい、永パはやめてくれよ」

「あ、すいません」

 と、過去のことを思い出していた俺は、トレーニングモードですっかり手馴れてしまった無限コンボを会長のキャラに叩き込んでいた。仕様変更のお陰で生まれた、アーケード版ではできない、家庭用限定のコンボだ。

 俺はそれを途中で中断し、足払いで締めて起き攻めに行くが、会長のガードを仕込んだ無敵技で連携を割られ、猶予フレームがたった二しかない超ムズかしいコンボを決められ、七割の体力を失って敗北した。

YOUWINの文字と共に会長のキャラがポーズを取る。基本的にどっちが勝ってもLOSEの文字は浮かび上がらない仕様だ。

「でな、とりあえず全員が幸福になるにはハーレムルートに突入するべきだと思うんだけど、あいつらは僕に『選ばせる』つもりなんだよね。君が選んだ人なら皆納得って」

「はぁ」

 俺が気の抜けた返事をすると、会長は不機嫌そうな顔になる。

「馬鹿じゃねーのかって思うね」

 会長が何を思っているのかわからないが、俺だったらそんな状況はもろ手を挙げてバンバンザイだ。選ぶよ。一番いい子を。それが誠実さってもんだろ。

「選べばいいじゃないですか。何ハーレムとか言ってるんですか」

「まったく、キムラ君はわかっていないな。彼女らは言外に『君が選んだ人(私)なら皆(他の二人が)納得する(から私を選びなさい)よ』って言ってるのだよ」

 ひねくれてるな、と思いつつ、俺はキャラクターを選んでカラーを選択。

 会長はそれを見てから、露骨に俺の選んだキャラに対し有利なキャラを選んだ。

 勝ったくせに後出しとは、卑怯な。

「気にせず一人選べば解決するじゃないですか」

「そんな半端はできない。僕が取る選択は全員を受け入れるか、全員を拒絶するかのどちらかさ。どちらかしか選べない。そういう病気なんだよ、僕は」

 開幕から当たりの強い技を出しながら強気に距離を詰めて来る会長に対し、俺は隙を見てダッシュし、差し込みを狙う。確立の低い賭けは当然のように負け、カウンターヒットから痛すぎるコンボを貰う。起き攻めで中段、見えない。

 あえなく俺のキャラの体力ゲージはゼロになった。二コンボで死んだ。酷いゲームだ。

 俺は特に文句も言わず、次のキャラを選んだ。このゲーム性は昔からだ。今更そこに文句を言うのは初心者だけ。俺は初心者ではない。

「でも実際問題、ハーレムなんて無理でしょう?」

「僕は院を卒業したら襟長財閥の幹部コースに入る男だ。行く末は財閥の幹部だよ。その僕を捕まえてハーレムが無理とは、なかなか言ってくれるじゃないか、キムラ君」

 会長は大学院に通いながら、インターンという形で父親の会社に顔を出している。バイト扱いだが、その実は英才教育だ。

 会長のことだから、卒業して早々に一つの会社を任されるという可能性も有りうる。

 なにしろ世界の襟長だ。

 後進を育てるために会社一つ捨て駒にするぐらいは、やってのけるだろう。

「お金じゃなくて、体が持たないでしょう?」

 三人も相手にしたら、という意味で俺が言うと、会長は薄く笑った。

「三人とも金目当てだよ。ハーレムといっても、彼女らから迫ってくることは無いんじゃないかな。対する僕は体目当て。でも金で体を手に入れるのなら、この先まだまだいい物件があるだろうし、別に彼女らに固執する気はないね。超絶技巧の処女というわけでもないし、ヤリ捨てで十分だよ」

 最低だな。

 だがその極端さには憧れる。曖昧な人間よりよほど理解しやすく、かつ真似できない。

 金目当てだから、一人に絞らない。体目当てだから、全員が欲しい。

 どちらもムリなら、誰もいらない、ということだろう。

 恋人や愛人といった、言葉で説明しにくい曖昧な関係を嫌う会長らしい。

「会長、恋とかしたことありますか?」

「あるとも、高校三年の夏の終わり、相手はスープレックスの神様だった。カール・ゴ○チじゃないよ」

 また始まった。

 会長はこうした話をするとすぐにこの話に逃げる。

 前述した、夏の終わりに起きた超常現象の話だ。

 なんでもある日、会長の前に神様が光臨したらしい。指圧の神様と名乗るそいつはガリガリに痩せた盲目の男神で、この周辺一帯を治めるために神様同士でゲームをする、お前はその駒の一つに選ばれた、と居丈高に言い放ったらしい。

 会長は会長でノリ良くそれを快諾したそうだ。

 結果から言うと、会長は完璧な策をもって対戦相手を翻弄し、数人のライバルを屠ったが、最終的には不登校で引き篭もりの後輩に敗北したそうだ。

 その後輩はゲームの最終的な勝利者となったが、なんでも、自分の神様を裏切ったらしい。詳しいことは分からないが、なんでもゲームの最中に幼馴染がやられてしまい、それを助けるには裏切る必要があったのだとか。

 会長は指圧の神と手を切って、後輩に裏切られたスープレックスの神(ふんわりとした金髪の美少女神)に付き、戦いの中で恋が芽生えたり、裏切り者の引き篭もり高校生を倒したりとかして、スープレックスの神様と涙で別れ。めでたしめでたし。

 というお話。

 はなっから俺は信じてないし、会長も信じるとは思っていないのだろう。

 だが、その頃を境に会長の性格が少し変わったのも事実で、何かがあったのだろうという事は俺も察している。

 女がらみの何かだ。

 人に言いたくないような失恋話。

 会長を振るなんて剛毅な女だと思う。

「ま、何はともあれ、僕はあの三人に恋なんかしてないよ。でもそうだね。三人とも相手にするというのなら僕のクローンが欲しい所だね」

「クローンって……」

「キムラ君は知らないかもしれないが、僕の父の会社では、既にクローンヒューマンが作り始められているんだ。将来的には、百人単位で作って中東あたりに派遣するつもりなんじゃないかな? 死人に口無し。生きて帰ってきたら君に戸籍と家族を与えようってね。まったく、父は道を外れて駆け回るのが好きな人だよ」

 さらりと怖いことを言う。

 冗談だと思いたい。

 これ以上、襟長財閥の企業秘密を知りたくないな。消されるかもしれないし。

 えーと、クローンといえば――。

「そういえば、二十歳の男性のクローンを作ろうと思ったら、二十年かかるって聞いた事がありますよ」

「それは少し違うよ。クローンが培養槽から出るのに約一年半。そこから二十歳に育つには二十年かかるんだ。そして二十年の時を経たクローンは、元となった人間と同じになるとは限らない。だからクローンというより、片親の遺伝子のみを受け継いだ子供に近い。顔はそっくりだけどね」

 会長は言いながら、止めていたゲームを再開した。

 俺もコントローラーを握りなおす。会長に勧められて始めたゲームだが、最近は日課のようにプレイしている。毎日やらないと鈍るし、鈍ると勝てないし、勝てないとストレスが溜まるのだ。

「どのみち、クローンといいつつも別人なわけじゃないですか。それなのに女の子の相手をさせてどうするんですか?」

「逆だよ。仕事をクローンに任せて僕が女の子の相手をするんだ」

「ああ、なる……」

 考えてみれば当然の事だった。

 試合が始まる。

 時間ぎりぎりまで使った余裕のあるプレイをした俺だったが、残り十秒で体力をリードされて逃げ回られ、捕まえられずに終了。また負けた。

「詰めが甘いね、キムラ君は」

「よく言われます」

「君と対戦して、互いにギリギリの状態になった時、咄嗟の判断で負ける気がしないよ」

 ギリギリの状況になった人間の思考は読みやすい。

 生き残るために保身的な動きをするか、一発逆転を掛けてギャンブルをするか。もしくは諦めて適当な行動を取るか。

 性格によってまちまちだが、会長の持論では大体この三つに集約されるらしい。

 俺は保身タイプ。性格が出るなぁ。

「キムラ君にはそういう話は無いのかい?」

「そういうって?」

「好きっとか♪ 嫌いっとか♪」

「歌わなくていいですから」

 また古いゲームの主題歌を歌いだした。会長の趣味はエロゲーだが、ギャルゲーもやるのだ。これでゆとり世代と馬鹿にはできまい、なんて言ってたが、そもそも俺たちは脱ゆとり教育世代だ。

「そういえば、幼馴染とかいなかったかい? 可愛い……いや、凛々しい女の子だったよね。彼女とは?」

「今でもそれなりに仲良くやっていますけど?」

「いかんね。もっとラブリィな関係になるんだ。男は愛に生きろ」

 また心にも無いことを。

 おっと。補足しておこう。

 俺には幼馴染の女性がいる。小学校、中学校、高校、大学と一緒だが、不思議なことに接点はそれほど多くない。気が向けば一緒に飯を食う程度。男と女である以上、中学時代にいわゆるお付き合いをしたこともあるが、彼女はどちらかというと孤独が好きなタイプだったようで、すぐに別れた。

 それ以来、俺はカノジョを作ったことがない。

「会長のソレには愛なんて無いじゃないですか」

「ごもっとも」

 なんて会話をしていると、廊下からどたどたと騒がしい音が聞こえてきた。壁が薄いわけではないが、一軒家の廊下というものは歩けば音がするものだ。

 がちゃりと、俺の部屋の戸が開けられる。

「兄さん、今から母さんと買い物に行くけど何か欲しいものある?」

 先輩がいきなり起立した。

「あなたが欲しいです! 結婚してください!」

「……失せろ、クソ野郎」

 姉は俺が見たことのないぐらい険悪な顔で、そう呟いた。

 初対面であるはずだが、はて、姉が初めての相手に、こんなひねりもない辛らつな言葉を掛けるのは、初めて見る。街中のナンパですら、もっと言葉を選ぶというのに。

 会長の絶句した表情も、初めて見る。

「じゃ、じゃあ、ポテト系のお菓子」

 フォローを入れるつもりで俺がそう言うと。姉は険悪な表情を柔らかい笑顔に戻し「おっけー」と頷いて、部屋から出て行った。

 会長は何事もなかったかのように、すとんと腰を下ろした。

「会長、あんまり家族の前で突拍子もない事言わないで下さいよ。恥ずかしいじゃないですか」

 俺がそう言うと、会長はそんな事はどうでもいいとばかりに、俺の机の上のボードに貼り付けてある写真を見上げていた。幼い頃の俺と姉の写真。

「ふむ、初見だが、キムラ君のお姉さんは麗しいな」

「俺と同じ顔じゃないですか」

「なるほど、キムラ君とだけは随分と長い間、交友関係が続くと思っていたが、なるほど、僕は君の顔が好きだったようだ」

 最低だ、この男。

 だが、最低は決して悪い事ではない。最悪とは字も違うしね。

「本気で言ってるんですか?」

「何をだい? 君の顔のことかい?」

「姉さんのことですよ」

「ふむ。まぁ君の顔のことはさておき。冗談抜きで君の姉上は綺麗だよ。五年も引き篭もっていたとは思えないほど健康的になったね。うむ。健康美というやつだ」

 美しき事はよきかな、と頷く会長。

 そろそろ、先ほどから尊敬する会長の相談に対して乗り気ではない俺の態度にも納得がいってもらえただろう。会長は三人の女性に迫られて迷惑しているような口ぶりだが、全てはこうした会長の態度からくる自業自得である。

 本能に忠実。

 会長に『ちょっと気になるアノ子』程度の感情は無いのだ。

 無関心か求愛か。二種類しかない。

 その中間の感情を理解していながら、その二種類以外を認めていない。

 壊れているのか?

 否。

 二種類しか認めていないからこそ、会長は高スペックで、皆が皆憧れるカリスマ性を持っていて、そして何をやっても許されるのだ。会長ならやりかねないが、会長だから悪い事にはならないだろう、半端な終わり方はしないだろう、と。

 孤高の存在。

 周囲に人はたくさんいるけど、立っている位置が一人だけ高いのだ。

「キムラ君の姉さんが水泳を始めてどれぐらいになったかね?」

「もう一年ですね。もう一キロぐらいは泳げるようになったんじゃないですかね」

「キムラ君のコーチはスパルタだからね。出来るまでやらせる。それでも出来なければ疲れ果てるまでやらせる。高校時代に君の率いる水泳部がインターハイで好成績を残せたのも、君のお陰じゃないか」

「俺自身はうだつの上がらない結果に終わりましたけどね」

 高校三年。

 インターハイ地区予選。俺は努力の甲斐なく敗退した。特に敗退の理由はない。しいて言うなら、努力は全員に等しく現れるものではなく、俺の度合いを考えればもっと努力すべきだった、といった所か。

 そう、単に努力不足だったのだ。

 これだけやれば大丈夫、というのは他人には適用できない。

 俺がこれだけやっているんだからお前らも出来るだろう、なんて軽い気持ちで後輩たちをコーチングしたが、俺自身にはもっと努力できる余地があったのだ。

 そして、時間に対して、体に対して、限界ギリギリまで努力した奴に、負けた。

 後輩たちがいい結果を残してくれたのが不幸中の幸いといった所だが、厳しい練習を課した上、結果を残せなかった俺に対する風当たりは強く、次の世代の部長は「前部長のように口だけにならないように」なんて言って馬鹿にしていたらしい。笑えないな。

 結果を出せなかった以上、反論できないのが悔しいが、それでも全員が全員そうだったわけでもないらしく、ドクロ以下、何人かは新部長の選手任せのゆるい方針に従わず、自主練を積み重ね、何人かは春の大会でも割といい結果を残したとか。

 それからさらに年月が経過し、今では、俺という部長がいて、スパルタな訓練を課していたなど誰も知らない。

「会長は凄いですよ。生徒会と部活を両立して、どっちでも結果を残すんですから」

「水泳はともかく、生徒会で結果なんか残したかい?」

「ほら、女子生徒に薬とか配ってたじゃないですか」

「ああ、プリベンか……あれは結局、意味が無かったしな」

 生徒会長・襟長絶対の偉業、その一。

 当時は、いや今もだが、進学校である我が母校の女子生徒は、同じ市内にある悪の吹き溜まりの学校の不良学生にレイプされる事件が多かった。事件は明るみに出ないことも多かったが、レイプされた女子生徒の内、何人かは心に大きな傷を負うと同時に望まぬ妊娠を強いられ、自殺する者もいた。

 会長はそれを問題視し、一計を案じた。

 女子生徒全員に事後避妊薬と、検査薬、盗聴器、緊急用アラーム、それら全てのマニュアル、襲われた時の対処法・襲われない為の対処法・襲われた後の対処法を書いた冊子、心療内科&産婦人科への住所と電話番号、等を配布したのだ。

 防災訓練からヒントを得た方策で、事が起こった後より、むしろ事が起こる前から女子生徒全員に危機感を持たせることが目的であった。

 攻撃的な護身用具が入っていないのは、相手は常に複数であるため、無駄な抵抗をして必要以上に傷つけられる危険性があったからだ。

 会長は自分の父親の会社の系列にある警備会社に協力を依頼して、登下校の警備をしてもらう、といった手段をとることもできたが、やらなかった。あくまでも、生徒自身に危機感を持ってもらわなければ意味がないと判断したのだ。

 その方策のお陰で、事件の数が目に見えて減少した――ということは無かった。そもそも目に見えないものだったし、もしかすると何の意味もなくまだ水面下で事が続いている、なんて可能性もあった。

 ただ、手は打った。

 それらのグッズを配布して二ヶ月後、不良高校の番長(笑)が変わって、我が母校へのちょっかいは無くなった。同時にレイプ事件も無くなり、生徒会長があのグッズを配布したことなど、すぐに忘れ去られた。

 一見すると、会長の独り相撲だが……。

「あれって、会長が新ヘッドに直談判したんだって聞きましたけど?」

「してないと言えば嘘になる」

「さすが会長」

「そいつ、僕の下の弟なんだ」

 俺は目を丸くした。

 卒業してから知る新事実。

 新ヘッドは先輩が送り込んだ刺客で、わざわざ『下の』とつけるということは、先輩に弟は二人いるのだ。

「弟さん、ですか?」

「面白い顔してるね。そうか、君は上の弟のことしか知らなかったね。二人兄弟じゃないんだよ」

 違う。

 そうじゃない。兄弟がまだいたのに驚いているわけじゃない。あの襟長財閥総帥の息子、優秀な遺伝子の塊のような生物の一人が、あんな高校に通っている事が――。

「漫画みたいな家族ですね。長男と次男が優秀で、三男は落ちこぼれで、でも反骨精神たくましく不良道を歩くというのは」

 会長は苦笑しながら首を振った。

「おいおい、人の弟を勝手に落ちこぼれ扱いしないでくれよ。ここらへん一帯では知らぬ者のいない不良のカリスマなんだぞ」

「はぁ……」

「確かに勉強は出来ないが、彼にはもう部下が二千人もいる。二千人もいるんだよ? 絶対服従の、という条件を当てはめると二百人ぐらいまで減るだろうけど、それでも二百人だよ? 想像できるかい? 多分その二百人は、十年後、二十年後、どれだけ経っても、対峙の配下であり続けるのさ」

「………、あ。対峙さんって言うんですね、名前」

 才能は違う方向に開いた、というわけか。やはり襟長の一族の落ちこぼれはいない。

 一癖も二癖もある三兄弟だ、なんて俺が思っていると。

「ああ、ちなみにさらに下の弟の名前は対等。小学生の時に戦闘機に興味を持ってね。中学卒業と同時にアメリカに渡ったよ。その後の便りはないけど、元気な奴だから、まあ、今頃は空軍か海軍にでも入ってるだろ」

 長男・襟長絶対。

 次男・襟長相対。

 三男・襟長対峙。

 四男・襟長対等。

 無敵の襟長四兄弟。

「さらに妹が四人もいる。親父は本能に忠実な男でね。大体一人の女に三年ぐらいで、すぐ飽きて次の女に乗り換えるんだけど、相手の女の年齢にも節操が無くてね。一番下の妹の母さんは僕より年下だよ。笑えないね。最低の人間だよ」

 一家の大黒柱・襟長肯定。

 通称、襟長『皇帝』。

 英雄、色を好む。五十歳を越え、未だなお衰えず。

 完璧な人間である。

「凄い人ですね」

「もちろん、親父が優秀なのは僕も認めざるを得ない。人として最低でありながら、皆から尊敬されているんだから。認めざるを得ないよ。あんなのでも親父だし、親父は親父なりに僕らを愛してくれているからね、反発する理由もない」

 肩をすくめる会長。

 それは、他人からは愛には見えないような歪なものだろう。けれども、会長はそれを愛と理解している。ならば、それは愛なのだろう。

 完璧な人間などいない、という言葉がある。

 だが、仮に完璧な人間がいたとして、どんな人間だろうか。

 完璧だからこそ、常識的に見て、歪んで見えるのではないだろうか。

 半径×半径×三を完璧な円とする世界があったとすると、その世界では半径×半径×πで導き出されるものは楕円の表面積だ。歪んだ円なのだ。

 完璧な人間から注がれる愛とは、歪んだ愛なのだ。

 そして、その歪んだ愛で生まれた子供は、ゆがんだ愛を注ぐための器があり……そんな子供たちが将来どうなってしまうのか。

 今の俺には知るよしもない。


「さて、脱線してしまったね。話を戻そう。君の姉さんの話だ」

 会長はそう言いながら、キャラセレクト画面で止まっていた格闘ゲームの電源を消した。

 ふと、俺は会長がこの家、つまり俺の所に来た理由を疑問に思った。

 ゲームをしにきた、と会長は言った。

 あらゆる場面で努力して結果を出す先輩は、普段ならゲームをやるときに俺の家に着たりなどしない。駅二つ向こうにある市の、対戦格闘ゲームの盛んなゲームセンターに行くだろう。

 俺の家でやる必要は無い。

 しかし、会長はことある毎に俺の家へと遊びにやってくる。

 俺は理由の一つに思い当たり、おちょくるように質問した。

「会長、もしかして姉さんが目当てで俺んちに来てるんですか?」

「そうだとも」

「え?」

 冗談で言ったつもりだったのに、会長は大真面目な顔で頷いた。

 俺はいったいどんな顔をしていたのだろうか。

 会長は数秒間、俺と見つめあった後、フッと笑った。

「キムラ君。何か勘違いしているようだけど、別に僕は君の姉さんと性的な関わりを持ちたいわけじゃない。ただ五年間も引き篭もりだった人間が復帰して、そこからどう変わっていくのか、興味があるだけだよ」

「あ、そ、そうですよね」

「大体、君の姉さんと付き合いたいのに、どうして三人の女に迫られる話をしなければいけないんだい?」

「……まぁ、確かに」

 俺は少しばかりショックを受けていた。

 会長が姉さん目当てだと知ってショックを受けたことに、ショックを受けていた。

 よくよく考えてみれば、会長が姉さんに性的な興味を持つはずがない。

 そもそも俺と似たような顔なわけだし、三人の美女(多分)に言い寄られて、断る方法が見つからなくて困っているのではなく、ハーレムにする方法を思いつかなくて困っているような男なのだ。

 何もしなくても女が寄ってくる男なのだ。

 自分で女を追い掛け回す必要はない。

「引き篭もりの生態なんて見て、どうするんですか?」

「いや、実は最近、相対――一番上の弟が引き篭もってしまってね。君の姉さんから何か、立ち直るヒントを得られれば、なんて考えているのさ」

「はぁ、相対さんが……え? ちょっとまってください、あの相対先輩が引き篭もってるんですか?」

 俺は驚きの声を上げた。

 襟長相対は知り合いだ。

 彼は二年時に生徒会会計、そして三年時に生徒会会長を務めた、兄に劣らぬ優秀な人物だ。兄である会長に比べてカリスマ性が低く、保守的な所が強かったため、一部の生徒からは会長の劣化版、などと呼ばれていた。

 だが、成績優秀、品行方正、文武両道。

 破天荒であった会長に比べ、その弟である相対はあくまでも模範的な学生であり、優等生の鑑のような人物であった。

 よく言えば危なげが無く、悪く言えば面白みに欠ける。

 何をやらせても無難にこなす上、失敗もしない。

 基本に忠実で、応用にも強い。

 マルチタスクに強く、物事を効率よく消化していく能力も持っている。

 これをやらせば右に出るものはいない、といったものは持ち合わせていないが、何をやらせても期待値通りの成功を収めるため、安心して仕事を任せられる。

 優秀で有能で有用な人物。

 それが襟長相対という人物である。

 俺も高校時代に何度もお世話になったが、噂ほど気難しいわけでもなく、快活で明朗な人だ。自室に篭ってしまうような人物ではないように思えた。

「何か、あったんですか?」

 世話になった先輩がそんな事になっていると知り、俺も心配になった。

 会長はただ肩をすくめただけだ。

「何かあったのかもしれない、何もなかったのかもしれない」

「はぐらかさないで下さいよ」

「はぐらかしているわけじゃないさ。僕は相対じゃない。何が致命的で、何が致命傷だったかなんて、わからない」

 そんなはずはない。と俺の心のどこかで何かが叫んだ。

 その叫びは二種類の意味を持っていた。

 何もなかったはずがない、それを会長が知らないはずがない。

「あんな責任感の強い人が、何の理由もなく引き篭もるわけないじゃないですか」

「何を興奮しているんだね? 離したまえ、キムラ君」

 会長にそういわれて、俺はいつしかつかんでいた会長の胸倉から手を離した。

「すいません……」

 なぜそんな攻撃的ともいえる行動をしたのか、俺には心当たりがあった。

 高校二年。会長が卒業し、俺は相対先輩と何度か会話する機会があった。

 相対先輩は少し堅物である所に目を瞑れば、親切で優しく、朗らかな人だ。会長から灰汁を抜いて、ついでにうまみ成分もすこし抜けてしまったような人物だが、人付き合いをする上ではそれぐらいの方が気楽だ。会長と付き合うのは疲れる。

 さて、そんな相対先輩は、ある日俺にこう打ち明けた。

『ボクは、自分の兄弟に対してコンプレックスを抱いている』

 あんな兄と比べてはいけない、とか、無責任なことを言ったような気がする。

 すると相対先輩は、

『いや、案外ボクは、親父の本当の子供じゃないかもしれないしね』

 などと言っていたが……。

 今考えれば、なるほど、コンプレックスの一つも抱いてしまうだろう。

 兄は形容しがたい凄い人物。すぐの弟はたくさんの人間に慕われている。下の弟は自分より三つも年下だというのに、既に進路をこれと決め、遠い異国の地で、全力でその路を歩くための努力をしている。

 彼らと比べて、自分は誇れるべきものが何も無い。

 それが相対先輩のコンプレックスだ。

 相対先輩だって十分すぎるぐらい優秀な人物だが、襟長という一族において、『優秀』ではいけないのだろう。

 『唯一』でなければいけない。

 会長は、『唯一』だ。

 誰も真似しないし、真似できない。

 俺が会長と呼ぶのは人生でたった一人だろうし、今後誰を見ても「あ、この人会長に似ているな」なんて思わないだろう。

 不良のカリスマである三男の対峙君とやらとは見たことも会ったことは無いが、会長の不良バージョンだと考えれば、彼もまた『唯一』なのかもしれない。

 四男は言わずもがなだ。

 相対先輩は『優秀』だ。

 有象無象の上の方。

 有象無象の中にくくられている限り、『優秀』は『最優秀』になることはあっても、『唯一』にはなりえない。

 普通すぎるのだ。そこらにいる人間に毛が生えた程度なのだ。

 兄弟の中で自分だけ父親が違う可能性を本気で模索して、それで本当に違えば諦めも付くだろうが、面と向かって確かめさせてくれと父親に言うのも難しい。

 考えに考え抜いた末、相対先輩は行動をやめたのだろう。

 頑張っても意味が無い、と。

 少なくとも、家族の誰にも、彼に気持ちはわかるまい。

 わかってたまるか。

 わかる、わからないどころか、兄弟の一人が引きこもったところで、気にも留めなくても、興味すら持たなくても、おかしくはない。

 会長に、そんな人間らしい感情は似合わない。

「会長は、そういう事を心配するタイプじゃないと思っていましたよ」

 俺がそういうと、会長は首を振った。

「心配はしていないさ。放っておいても相対は立ち直るし、立ち直った相対は僕や他の弟たちが束になっても適わないぐらい強力な人物になっていると思う。引き篭もるっていうのは、つまり心の修行をしているんだと僕は思っている」

「はん、心の修行、ですか?」

 俺は鼻で笑った。

 笑える話だ。

 その修行の結果、亀をどうにかして地球を救うなんて突飛な考えが浮かんでしまうような女性もいる。滑稽で突飛もない話だ。俺には引きこもり生活が、姉にとってプラスになったとは思えない。

「そう、修行。漫画なんかだと、それを終えた者は必ず一回りも、二回りも大きくなって帰ってくる。戦闘力が上がり、必殺技も覚えてくる」

 だが、どうやら会長の考えは、違うらしい。

「知り合い、友達、家族に囲まれていては考えないようなことを、静かな部屋に一人きりで、何ヶ月も過ごすことで繰り返し考え、一人興奮し、落ち着き、落ち込み、寝てすっきりして、また何か思い出しては身悶えて……そんな事をしているうちに、自分の中に鉄壁が出来る。心の防御力が上がるんだ。鉄壁の中には心を安定させるための様々な施設や、思考を生産するための様々な工場が建てられ、独自のヘリクツで身を守れるようになる。キムラ君、これは修行だよ」

「はぁ」

 会長の例え話は、よく、わからない。

「だが、修行には失敗がある。誰も彼もが強くなれるわけではない。思考の迷路に出口は無く、迷ったまま出られない者も多い」

 いつしか、日が落ちてきていた。

 窓から差し込む夕日が、先輩をオレンジ色に照らす。

「僕はね、心配なんだよ。相対ならなんとかして立ち直ってくれるだろうけど、もしかしたら、という可能性がある以上、僕も心配なんだよ。相対が迷った時、道しるべをやれる兄貴は僕一人しかいない。後悔先に立たず。後の祭り。いざという時のため、今の内に迷路を俯瞰しておく必要があるのさ。分岐とゴールの位置を見つけておかないと、アドバイスできないだろう?」

 俺はそんな会長を見て、一つ、わかった。

 会長は、完璧な人間である。

 完璧な人間は、そうでない人間と同じものを見ているが、完璧だから見え方が違う。

 歪んで見えるのだ。

 

 

 夜になった。

 この界隈は家が立ち並んでいるが、高級住宅地というわけではない。時折、大通りからクラクションを鳴らす音が聞こえてくるし、暴走族気取りのバイク乗りがはた迷惑にも騒音を撒き散らす日もある。最近近所に越してきた新婚夫婦は、深夜になると家から出てきて、子供の教育に決してよろしくないプレイをしたりすることもある。夜中でもそれなりに音があるのだ。

 俺はテレビをつけた。

 ニュースの時間だ。

 画面内ではレポーターと、日本のどこかで起きたテロの現場を移している。十三歳の少年がネットで得た知識を元に爆弾を作り、それを体に巻きつけ、踏み切りから電車に向かって飛び込んだのだそうだ。幸いにして爆弾の威力が小さかったため列車の乗客は無事だったが、心に残る嫌な事件となった。

 宇宙亀の出現と、宇宙亀の目的地の予想(太陽)と、それに伴うであろう結果(人類は滅びる)によって、こうしたテロは実に多くなった。

 特に、色んなことに感化されやすい中学生あたりが、世の中にあっさりと絶望し、こうした予測も付かないような行動を起こす。

 姉はこうした事件を見て「死ぬなら一人で死ねばいい」なんて冷たい言葉を吐いたが、俺はそんな彼らの気持ちがわからないでもなかった。生まれた以上、歴史に残りたい、悪名でもいいから名前を、生きた証を残したい。しかしもう十年も生きられないとなると、今から確実に達成できる『偉業』は大量殺人ぐらいなものだ、と考えてしまうのだ。

 人々の心に暗い影を落とすような事件が、最近は多くなっている。

 会長はニュースを見ながら、ふと思いついたように口を開いた。

「そういえばキムラ君。君のくっつけた二人だが、どうにも親同士が彼らの交際を気に入ってないようだよ」

「そうみたいですね」

 ドクロとハチの話だ。

 プールでのレース。あれから一年が経過していた。

 傍目には、何もかもが成功しているカップルに見えた。お互いがお互いに適度に依存し、助け合い、前向きに寄りかかって生きる。

 カップルとしては成功だろう。

 最初の頃こそ、少し行き過ぎる面もあったが、そこは会長の教育的指導によって矯正され、内面的にも健全な恋人同士になっていった。

 だが、世の中はそれだけじゃ収まらない。

 時間は有限。

 何かに時間を取られれば、何かができなくなる。

 天秤のようなものだ。

 恋人といちゃいちゃしすぎたドクロは、付属から大学へ行くための推薦に落ち、そしてその後の通常試験にも落ちた。

 ハチは学歴を気にする女ではないが、彼女の親はそうではなかった。

 付き合い始めた当初、彼女の親、とくに母親は、ドクロを将来有望な水泳選手として見ていた。作りこまれた体、無尽蔵の体力、努力家で勤勉な態度。娘の連れてきた彼氏にメロメロで、「うちも、本当は男の子が欲しかったのよね」なんて言っていたらしい。ハチがむくれていた。とはいえ、ドクロもハチも満更ではなかった。

 そして秋がきて冬がきて春がきた。

 ドクロは受験に失敗した。

 それだけならまだしも、その辺りで、最初の小さなすれ違いが大きくのしかかってきた。

 ハチと、そして彼女の両親はドクロを、娘と同学年の大学生だと思っていた。

 嘘を付くつもりはなかった。本当に大学生になった時に、実はあの時高校生だったんですよ、なんて笑い話にするつもりだった。

 受験の失敗により、身分の偽りは笑い話では済まさなくなった。

 さらに、浪人となったドクロは少しだけ、荒れた。受験によるノイローゼと、心ない周囲の声が、彼を乱暴にさせた。

 ちょっとした喧嘩。犬も食わないような、くだらない喧嘩だった。

 それで、ハチは怪我をした。

 運が悪かった、と言えばそれまでかもしれない。

 けれども、この時点で身分の偽りと受験失敗、二つのミスを犯していたのだ。

 仏の顔も三度まで。

 ハチはまだよかった。恋は盲目。相手が年下だったのは、むしろ彼女にとってそれまでの事象を納得する材料にしかならなかった。

 しかし、彼の両親と、彼女の両親、四人は許さなかった。

 自分の息子が堕落したのはあの娘のせいだ。

 自分の娘が怪我をしたのはあの男のせいだ。

 両親たちは揃って交際に反対し始めた。

 二人の恋は前途多難だった。

「さて、キムラ君、あれは誰が悪いと思う?」

「ドクロの自業自得」

 俺は即答した。

 会長は肩をすくめた。

 余談だが、会長のこの仕種は実に様になっている。本場アメリカで修業でもしてきたのかと思うほど、相手をいらつかせる事ができる。

 とにかくその仕種から、俺の言動を馬鹿にする意図が感じ取れた。

「なんですか?」

「いやいや。例えば、君があの二人をくっつけなかったら、こんな事にはならなかったんじゃないかな? あと半年も待てばドクロも無事に卒業できて、大学生同士のお付き合い。ハッピーエンド。そうは思わないかい?」

 そういわれて、俺は一瞬納得しそうになった。

 会長の言葉には無条件で納得してしまいそうな何かがあった。

 が、俺は首を振る。

「仮に俺が何もしなくても、ドクロとハチはなんらかの理由を見つけて、くっついたと思いますよ」

 少なくとも、俺のせいじゃない。

 あの時点でこうなることは予測できないし、そもそも、俺は二人をくっつけようと思っていたわけじゃない。結果的にそうなったし、俺の行動がまるで関与していないとは言わないが、少なくとも、俺の意図はそれほど強いものではなかった。

 会長はそんな俺の態度を見てどう思ったのか。

「では、例えばハチがもう少し自制していたらどうかな。大学生に貞淑な貞操観念を持たせるつもりなんて無いけれど、彼女がもう少し抑えていたら、ドクロが自堕落になることもなかったんじゃないかな?」

「ハチはドクロが同級生だと思ってたんですから、仕方ないですよ」

「では、僕か君がハチに早い段階でドクロが受験生だと教えていたら、どうだい?」

「俺らは、ハチがもう知ってるって、そう思ってたじゃないですか」

「ふむ。そうだな」

 会長は口をつぐんだ。

 会長らしくもない問答だ。

 俺は会長の目を見る。会長は時折、何がいいたいのかわからない。自分の考えをまとめるために他人に常識的な意見を言わせているようなフシもある。

「君の言う通り、ドクロがもう少しだけ根回しをして、自己管理をうまくできていれば、今回のことは避けられた。だが、だからといって彼を責めていいものかね?」

「と、いいますと?」

「今回の件に関わった全ての人物が、それぞれもう少しずつ、ドクロとハチの事を考えていれば、悪い方向には進まなかったんじゃないかね?」

 詭弁だ、と俺は思った。

 済んでしまったことを、そうすればよかった、などと蒸し返すのは……。

「全ての国が平和を願っていても、戦争が起きるときは起きるのと同じですよ、会長」

「というと?」

「過去、どう動いたかより、現在、ドクロが受験に失敗して、色々とまずい立場に立たされていることの方が重要でしょう」

「その通りだ。キムラ君」

 会長は満足げにうなづき、

「それでモノは相談だが、どうだい、二人で彼を助けるために動いてやるというのは」

 と、言った。

 俺は首を振った。

「お断りします」

「それは、どうして?」

「最近のドクロ、彼女が出来たからってデカイ顔してて気に食わないんで」

 一目をはばからずバカップルをして、調子にのって、口を開けば惚けが飛び出してきた。挙句、キムラ先輩も彼女作らないんですか、ときたものだ。報いを受けるべきだ。

 俺のそんな嫉妬を知ってか知らずか、会長のことだから知ってるのだろうが、

「そうか。それなら仕方が無いな。僕一人でなんとかするとしよう」

 と、会長は肩をすくめ、あっさりと諦めた。

 俺はその仕種で、「キムラ君はまだまだ子供だな」と言われたような気分になったが、ドクロを助ける気にはなれなかった。

 男なら、自分のしでかした不始末ぐらい、自分で片付けてほしい。

「頼られれば助けもします。人脈を利用するのは自分の力ですから。けれど、彼が助けを求めないうちから手を差し伸べるのは、甘やかしでしょう?」

「君も結構ガンコだね。いかんよ。人の世は助け合いが一番だ。他人の足を引っ張って上に上がるより、他人を上に押し上げた上で、さらに自分がその上に立つ。それが理想だ」

 そんな事ができるのはあんただけだ、と思いつつ、俺はテレビに目をやった。

 ヨーロッパのとある小国の軍隊が国境を越えたらしい。

 どんな理由があったのか、ニュースの映像から伺い知る事はできない。

「戦争、始まるんですかね」

 会長はテレビに目をやって、眉をひそめた。

「各先進国が裏で色々と手を回しているようだけど、頭上のでかい亀が消えない限り、人間が戦争をするよ。理由は宗教的なものが大きいかな」

「宗教、ですか?」と、俺は首をかしげた。

「亀神を崇める宗教は数多く存在する。そして頭上に亀が現れた。あとは、その啓示をどう受け取るかだね。神が破滅を選ぶならそれに恭順するなんて教祖もいるかもしれない。宗教は怖いよ。物事の善悪を他人任せに出来るからね」

 かつて、この日本にも巨大なカルト集団があった。宗教というのとはまた少し違うものだが、盲目的といった点ではさしたる違いは無く、何かを信じる心というのは時として危険なものに変わるという事実を日本人に刻み付けるには十分だった。

「僕の父親は、君も知っての通り傑物、いや怪物といった方が正しいかな。まぁとにかく逸脱した人物であるわけだが、どうにも、この辺りの戦争に参加するつもりらしくてね」

「……はぁ?」

「腑抜けた声を上げるんじゃない。君にも関係のある話だ」

 参加、という単語にどうにもピンとこなかった俺はそんな生返事をして、怒られた。

 見れば、ニュースを見る会長の表情は厳しく、目は真剣みを帯びていた。

 俺は背筋を伸ばし、会長の話を聞く姿勢になった。

「はい」

「といっても、どうなるかは僕にもわからない。何をするのか知らないからね。ただ、万が一、この日本という国が戦争に巻き込まれるようなことになったら、それはきっと僕の父のせいだろう。そうなれば、あるいは一族郎党、日本を追われ、他国に亡命するような立場になるかもしれないから先に一つだけ言っておく」

 会長は、まるでそうなる事が確定事項であるかのように語った。


「僕らを助ける必要はない。父は止めても無駄だった。すまなかった」


 あるいは、父親以上に歪みきった完璧人間である会長は、自分の身に降りかかる結末というものを予測していたのだろう。

 数ある分岐の中から、最も可能性の高いものを辿り、自分がどう動けば最悪の結果を回避できるかを模索し、それを考慮したうえで可能性を検討し、そしてまた分岐を辿り。会長は行き着いてしまったのだろう。

 後の俺は、この日の事を思い出しては後悔する。

 もし、先輩の誘いを受け、一緒にドクロを助けに行っていてば、あんなことにはならなかったのではないか。

 先輩は全てを予測した上で、俺に助けを求めていたのではないか。

 全ては闇の中。

 翌年には会長は卒業し、襟長財閥の一社を与えられ、めきめきと頭角を現していく。

 怪物の息子として。


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