【SF】無線接続のレミングス【読切】
宴もたけなわだった。
地方の進学校だった俺たちの代も、今年で三十五になる。五年ごとに開催される同窓会は、回を追うごとに、それぞれの人生の「格差」をこれでもかと見せつけてくる場に変貌していた。
東京のIT企業でうだつの上がらないまま、今も独身でいる俺にとって、周囲の「家を建てた」「子供が私立に」という会話の応酬は、正月の冷気よりも少しだけ堪えた。
いたたまれなくなって、俺はグラスを置いた。まだ盛んに笑い声が弾ける宴会場の重い扉をそっと押し開け、ホテルのロビーへと抜け出した。
「ホテル・グランピア藤枝」のロビーは、驚くほど静かだった。
駅から少し離れているせいもあるが、正月休みの中日ということもあってか、人の気配がほとんどない。薄暗い照明の下、並んだ革製のソファだけが無機質に並んでいる。
俺は深く腰掛け、大きく息を吐き出した。ポケットからスマートフォンを取り出し、特に用もないのに画面をスクロールする。目の奥がじんわりと熱かった。
「――久しぶり。昇太くん」
上から降ってきた声に、心臓が跳ねた。
顔を上げると、そこに着飾った美しい女性が立っていた。仕立てのいい紺色のドレスが、引き締まった細い身体のラインを際立たせている。今ここで俺の名前を呼ぶということは、間違いなく同級生だ。
けれど、その整った顔立ちの記憶を脳内で検索するより先に、かすかな香水の匂いが、記憶の底の引き出しを乱暴に引っ張り出した。
「……千尋、」
言いかけて、俺は慌てて口を噤んだ。
「あ、いや……望月、さん。久しぶり」
彼女はくすっと笑い、俺の向かいのソファに滑り込むように座った。
望月千尋。高校生のとき、二年間付き合っていた彼女だった。大学進学を機に、互いに日々の忙しさに追われ、別れ話もしないまま自然消滅した。その後、俺も何人かと付き合っては別れたが、どこかでずっと、彼女のあどけない笑顔の影を追いかけていたような気がする。
だが、目の前にいる千尋には、もうあの頃の幼さは微塵もなかった。
まわりの男が放っておくわけがない。とっくに誰かの妻になり、自分の人生を立派に歩んでいるのだろう。高校時代の感傷をいまだに引きずっている自分が、急にひどく惨めに思えてきた。
「昇太くんは、いま東京だっけ?」
千尋がまっすぐに俺の顔を見て聞いてくる。その視線の強さに、胸がどきりと高鳴った。
「ああ。一応、あっちで会社員やってるよ。……望月さんは? 今はどこにいるの?」
「私は大学を出て、すぐにこっちに戻ってきたよ。今はね、高校の教師をしてる」
「へえ、千尋が教師か。俺も習いたいくらいだな」
気恥ずかしさを隠すために、少し冗談めかして返した。昔の呼び方が、つい口から滑り落ちる。
千尋は「もう、昇太くんは変わらないね」と微笑んだが、すぐにその口元から笑みが消えた。
「大変だよ、今の高校生は」
ぽつりと言った彼女は、どこか元気がなかった。綺麗に切り揃えられた爪を見つめる横顔に、深い疲弊のような陰りが差している。東京の会社員である俺には、地元の教育現場の苦労など、何ひとつ想像がつかなかった。
「何が大変なんだ?」
俺が率直に尋ねると、千尋は顔を上げ、静かに俺を見つめた。
「今の若い子たちって、ちょっと……個性がないの」
「個性がない?」
「私たちの頃は、まだ個性を伸ばす教育だったはずでしょ。だけど、今の子は違う。自分から進んで、用意されたルールの中にはまり込んでいく子ばかり。一昔前の、ディストピア小説の住人みたいにね」
千尋の語り口は淡々としていたが、だからこそ妙な生々しさがあった。
真面目な生徒が増えた、というレベルの話ではない。彼女の目は、もっと根深い、不気味な何かを捉えているようだった。
「真面目なのはいいことじゃないの?」
「真面目、とは少し違うのよ」
千尋はソファの背もたれに体を預け、誰もいないロビーの天井を見上げた。
「昇太くん、レミングスって知ってる?」
「旅ネズミだろ。集団自殺するっていう」
「そう。そういう習性があることはみんな知ってる。でもね、一個体としてのネズミの心理は、誰もわからない。崖に向かって突き進む群れの中で、一匹一匹のネズミは、本当は何を考えていると思う?」
唐突な問いに、言葉が詰まる。千尋の声は、ひどく冷え切っていた。
「一個体のネズミは……もしかしたら『死にたくない』って思っているのかもしれない。でも、なぜか群れに紛れて、そのまま突き進んじゃうとか?」
「集団心理、って言葉があるよね」
千尋は視線を天井から俺へと戻した。その瞳には、私の言葉を聴け、と迫るような奇妙な熱が宿っていた。
「個性っていうのはね、いうなれば、みんながそれぞれ独立したローカルパソコンみたいなものだったの。でも今は違う。急激に、ネットや環境を通じて、他人の感情がダイレクトに伝わるようになった。表層の言葉じゃなくて、もっと深い、本能のレベルで繋がりやすくなっているの。誰もが無線で結ばれたみたいに」
彼女の言っていることは、現代のSNS社会への批評のようでもあり、あるいは、もっと別の現象を指しているようでもあった。ロビーの空気はいつの間にか、宴会場の喧騒が嘘のように静まり返っている。受付のスタッフの姿すら、どこにも見当たらなかった。
「このまま個性が消えていけば、みんな自分で考えるのをやめる。そして、ある一つの極論に対して、集団で同じ行動を始めるようになる。そうなったら、もう――」
千尋が言葉を区切った、その瞬間だった。 誰もいないロビーの隅に設置された大型テレビの画面が、突如として激しい赤い帯に切り替わった。
不穏な電子音が数回鳴り響き、ニュースキャスターの無機質な声が、静まり返った空間に滑り込んでくる。
『――臨時ニュースをお伝えします。政府は先ほど、第三国に対し、一方的に宣戦を布告したと発表しました。繰り返します。我が国は本日、宣戦を布告――』
冷たい血が、一気に足元へ流れ落ちるような感覚がした。
嘘だろ。宣戦布告?この現代に?現実感が全く湧かないまま、俺は引き攣った声を絞り出した。
「おい、千尋……これ、何かの間違いだよな。嘘だろ?」
慌てて向かいのソファを見る。
だが、千尋は動じていなかった。
驚く風でもなく、怯える風でもなく、ただ静かにそこに座っていた。彼女の顔には、恐怖も悲壮感もなかった。それどころか、ずっと求めていた答えをようやく手に入れたかのような、ひどく穏やかで、深い得心のいった笑みを浮かべていた。
遠く、廊下の奥の宴会場から、微かな音が漏れ聞こえてきた。
それは、悲鳴ではなかった。
地鳴りのような、低い、無数の人間の歓声だった。大勢の人間に一斉に血が巡り、一つの巨大な生き物へと変貌していくような、おぞましい一体感を持った音が、じわじわとこのロビーに向かって近づいてくる。
俺は震える手でスマートフォンを握りしめた。だが、画面を見るのが、妙に恐ろしかった。そこに何が映っているのか、本能が察知していた。
向かいのソファから、美しい千尋がゆっくりと立ち上がる。
その視線は、もう「昇太」という一個の人間を、全く捉えていなかった。「ほらね、昇太くん」 千尋は静かにそう呟くと、背を向けた。
そして、あの異様な歓声が響く宴会場の方へと、何の躊躇もなく、滑るように歩き出した。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
ディストピアを舞台にした短いお話でしたが、楽しんでいただけたでしょうか?
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