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【SF】無線接続のレミングス【読切】

作者: 頁裏
掲載日:2026/09/14

宴もたけなわだった。

地方の進学校だった俺たちの代も、今年で三十五になる。五年ごとに開催される同窓会は、回を追うごとに、それぞれの人生の「格差」をこれでもかと見せつけてくる場に変貌していた。


東京のIT企業でうだつの上がらないまま、今も独身でいる俺にとって、周囲の「家を建てた」「子供が私立に」という会話の応酬は、正月の冷気よりも少しだけ堪えた。


いたたまれなくなって、俺はグラスを置いた。まだ盛んに笑い声が弾ける宴会場の重い扉をそっと押し開け、ホテルのロビーへと抜け出した。


「ホテル・グランピア藤枝」のロビーは、驚くほど静かだった。

駅から少し離れているせいもあるが、正月休みの中日ということもあってか、人の気配がほとんどない。薄暗い照明の下、並んだ革製のソファだけが無機質に並んでいる。


俺は深く腰掛け、大きく息を吐き出した。ポケットからスマートフォンを取り出し、特に用もないのに画面をスクロールする。目の奥がじんわりと熱かった。


「――久しぶり。昇太くん」


上から降ってきた声に、心臓が跳ねた。

顔を上げると、そこに着飾った美しい女性が立っていた。仕立てのいい紺色のドレスが、引き締まった細い身体のラインを際立たせている。今ここで俺の名前を呼ぶということは、間違いなく同級生だ。


けれど、その整った顔立ちの記憶を脳内で検索するより先に、かすかな香水の匂いが、記憶の底の引き出しを乱暴に引っ張り出した。


「……千尋、」

言いかけて、俺は慌てて口を噤んだ。


「あ、いや……望月、さん。久しぶり」


彼女はくすっと笑い、俺の向かいのソファに滑り込むように座った。

望月千尋。高校生のとき、二年間付き合っていた彼女だった。大学進学を機に、互いに日々の忙しさに追われ、別れ話もしないまま自然消滅した。その後、俺も何人かと付き合っては別れたが、どこかでずっと、彼女のあどけない笑顔の影を追いかけていたような気がする。


だが、目の前にいる千尋には、もうあの頃の幼さは微塵もなかった。

まわりの男が放っておくわけがない。とっくに誰かの妻になり、自分の人生を立派に歩んでいるのだろう。高校時代の感傷をいまだに引きずっている自分が、急にひどく惨めに思えてきた。


「昇太くんは、いま東京だっけ?」


千尋がまっすぐに俺の顔を見て聞いてくる。その視線の強さに、胸がどきりと高鳴った。


「ああ。一応、あっちで会社員やってるよ。……望月さんは? 今はどこにいるの?」


「私は大学を出て、すぐにこっちに戻ってきたよ。今はね、高校の教師をしてる」


「へえ、千尋が教師か。俺も習いたいくらいだな」


気恥ずかしさを隠すために、少し冗談めかして返した。昔の呼び方が、つい口から滑り落ちる。

千尋は「もう、昇太くんは変わらないね」と微笑んだが、すぐにその口元から笑みが消えた。


「大変だよ、今の高校生は」


ぽつりと言った彼女は、どこか元気がなかった。綺麗に切り揃えられた爪を見つめる横顔に、深い疲弊のような陰りが差している。東京の会社員である俺には、地元の教育現場の苦労など、何ひとつ想像がつかなかった。


「何が大変なんだ?」


俺が率直に尋ねると、千尋は顔を上げ、静かに俺を見つめた。


「今の若い子たちって、ちょっと……個性がないの」


「個性がない?」


「私たちの頃は、まだ個性を伸ばす教育だったはずでしょ。だけど、今の子は違う。自分から進んで、用意されたルールの中にはまり込んでいく子ばかり。一昔前の、ディストピア小説の住人みたいにね」


千尋の語り口は淡々としていたが、だからこそ妙な生々しさがあった。

真面目な生徒が増えた、というレベルの話ではない。彼女の目は、もっと根深い、不気味な何かを捉えているようだった。


「真面目なのはいいことじゃないの?」


「真面目、とは少し違うのよ」


千尋はソファの背もたれに体を預け、誰もいないロビーの天井を見上げた。


「昇太くん、レミングスって知ってる?」


「旅ネズミだろ。集団自殺するっていう」


「そう。そういう習性があることはみんな知ってる。でもね、一個体としてのネズミの心理は、誰もわからない。崖に向かって突き進む群れの中で、一匹一匹のネズミは、本当は何を考えていると思う?」


唐突な問いに、言葉が詰まる。千尋の声は、ひどく冷え切っていた。


「一個体のネズミは……もしかしたら『死にたくない』って思っているのかもしれない。でも、なぜか群れに紛れて、そのまま突き進んじゃうとか?」


「集団心理、って言葉があるよね」


千尋は視線を天井から俺へと戻した。その瞳には、私の言葉を聴け、と迫るような奇妙な熱が宿っていた。


「個性っていうのはね、いうなれば、みんながそれぞれ独立したローカルパソコンみたいなものだったの。でも今は違う。急激に、ネットや環境を通じて、他人の感情がダイレクトに伝わるようになった。表層の言葉じゃなくて、もっと深い、本能のレベルで繋がりやすくなっているの。誰もが無線で結ばれたみたいに」


彼女の言っていることは、現代のSNS社会への批評のようでもあり、あるいは、もっと別の現象を指しているようでもあった。ロビーの空気はいつの間にか、宴会場の喧騒が嘘のように静まり返っている。受付のスタッフの姿すら、どこにも見当たらなかった。


「このまま個性が消えていけば、みんな自分で考えるのをやめる。そして、ある一つの極論に対して、集団で同じ行動を始めるようになる。そうなったら、もう――」


千尋が言葉を区切った、その瞬間だった。 誰もいないロビーの隅に設置された大型テレビの画面が、突如として激しい赤い帯に切り替わった。

不穏な電子音が数回鳴り響き、ニュースキャスターの無機質な声が、静まり返った空間に滑り込んでくる。


『――臨時ニュースをお伝えします。政府は先ほど、第三国に対し、一方的に宣戦を布告したと発表しました。繰り返します。我が国は本日、宣戦を布告――』


冷たい血が、一気に足元へ流れ落ちるような感覚がした。

嘘だろ。宣戦布告?この現代に?現実感が全く湧かないまま、俺は引き攣った声を絞り出した。


「おい、千尋……これ、何かの間違いだよな。嘘だろ?」


慌てて向かいのソファを見る。

だが、千尋は動じていなかった。

驚く風でもなく、怯える風でもなく、ただ静かにそこに座っていた。彼女の顔には、恐怖も悲壮感もなかった。それどころか、ずっと求めていた答えをようやく手に入れたかのような、ひどく穏やかで、深い得心のいった笑みを浮かべていた。


遠く、廊下の奥の宴会場から、微かな音が漏れ聞こえてきた。


それは、悲鳴ではなかった。


地鳴りのような、低い、無数の人間の歓声だった。大勢の人間に一斉に血が巡り、一つの巨大な生き物へと変貌していくような、おぞましい一体感を持った音が、じわじわとこのロビーに向かって近づいてくる。


俺は震える手でスマートフォンを握りしめた。だが、画面を見るのが、妙に恐ろしかった。そこに何が映っているのか、本能が察知していた。


向かいのソファから、美しい千尋がゆっくりと立ち上がる。


その視線は、もう「昇太」という一個の人間を、全く捉えていなかった。「ほらね、昇太くん」 千尋は静かにそう呟くと、背を向けた。


そして、あの異様な歓声が響く宴会場の方へと、何の躊躇もなく、滑るように歩き出した。




最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。

ディストピアを舞台にした短いお話でしたが、楽しんでいただけたでしょうか?


面白いと思っていただけましたら、ぜひ下部の【⭐︎評価】や【ブックマーク】で応援をよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
千尋がレミングスの話をしてる時点ではまだ何のことかと思ってたけど、最後の展開でゾッとしました(;゜Д゜) 昇太だけ置いていかれる感じも怖かったです。
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