スフェーン色の倖せ
ベアトリスの朝は早い。
夜明けと共に起床し、首筋の包帯が緩んでいないか確認する。身支度を済ませると最後にシルクのスカーフで隠す。
そして次に台所へ向かい、パンケーキとベーコンを家族分用意する。子ども達には甘いクリームを泡立て、紅茶に乗せる決まりだ。
井戸水で冷やしながら泡立て器を回す。かしゃかしゃとリズミカルな響きが、肉の焼ける香ばしい匂いと共に流れていく。
その横で彼女の夫がティーポットに茶葉を入れた。
日中は眼帯で隠している彼の爛れた右目をベアトリスは覗き込んで笑顔になる。
「あら、珍しく早いわね」
「目が冴えているのだと思います」
「むしろ眠そうだったけれども」
ベアトリスが目覚めた時は隣で寝込んでいたはずだ。
軍と裏稼業の任務で家を空けることの多い彼は、普段ならば疲労困憊で昼頃まで起きない。
夫の休日の予定を彼女は知らないが、簡素な服装から家で寛ぐ日なのだろうと察しベーコンを追加する。焦げた分は自分の皿に取り分けた。
茶葉のジャンピングを黄緑色の隻眼で眺める夫は言葉を探す。
「久しぶりの血でしたので……」
かすかに恥じらい言いにくそうにする夫。ベアトリスにはいじらしく映る。
魔族の彼にとって吸血とは後ろ暗いことに分類されるらしい。人間の己は気にしていないのに、と彼女は思っている。
「毎回でもいいのよ?」
「いえ、それは駄目です」
固辞する夫に残念な気持ちが湧き上がるベアトリスは、カリカリに焼き上がった残りのベーコンをパンケーキの皿に移して拗ねた声を出した。
「私って魅力的じゃなくなったかしら」
「そういう問題ではなく」
「あらそう、私はこんなにも愛しているのに」
遺された左目の困惑する美しい煌めきに、彼女は笑顔になった。
「ふふっ、可愛いわね」
「……あの、いつも思うのですが。私のどこにそう思う要素が」
「可愛いわ、とても」
その一つ目が。
口から出かかった言葉をベアトリスは飲み込んだ。
嗜好が異常だという自覚はある。違和感や罪悪感は全くない。ただ、周囲から恐怖された軍属時代を思い返すに夫を怖がらせる気がしただけ。
それに、勘違いされたくはないのだ。過去の所業に絡めてその瞳だけに価値があると思われたら……それはベアトリスの本意ではない。
茶葉が全てティーポットの中で沈む。
夫は深いため息をつき彼女の肩に触れる。とても繊細な加減で、彼の本来の気質を思わせる。
「貴方が不安に思う必要はありませんよ」
「不安?どういうこと?」
「分かった上で伴侶となったのは私の方ですから」
理解できない夫の言葉。自分の感性ではすり合わせは不可能と彼女は割り切り、そのまま額面通り受け取る。
分かりあえずとも共に在ることができれば彼女は十分だ。
これをきっと幸せと呼ぶのだろうとベアトリスが結論づけたところで、上階から足音が降ってくる。
子ども達が起き出した。夫婦の時間は終わり、家族の時間へと移り変わる。
二人は親の表情になり出来上がった朝食を並べる。穏やかな一日が始まろうとしていた。




