第4話 窮地
月灯りの下でひとり立ち尽くす皓月は、細く息を切らしている。
周囲を兵士に囲われ、自らの窮地を自覚しているはずだが、その表情は感情を一切読ませない。
凛華は長刀を地面に突き立てて言った。
「今夜の敵襲は不自然な点が多かった 。あらかじめ警備を厳重にしたはずの東側が容易に突破され、通達すらなかった。なぜだかわかるか?」
皓月は無表情で静かに答える。
「敵兵の数が我々の予想をはるかに超え、通達を妨害した……」
「違う。敵は東側ではなく、警備が手薄なこの南側から侵入したからだ」
凛華は手にした長刀で、ぬかるんだ地面を小突いた。その音は、静まり返った夜の砦に鈍く響く。
「南側から入った敵軍は、わざわざ東を通ってから軍内部へ侵入したのだ。 我々をかく乱させ、さらに東側へと向かわせるために」
凛華は一歩、また一歩と踏み出し、皓月との距離を詰めた。
「全てお前の計画だったのだろう。我々に東側を警戒させ、南側を手薄にさせた。お前はこの作戦を囮だと言ったが、敵ではなく我々を騙すための囮だったのだ」
「……」
皓月は微動だにしなかった。
その涼やかな瞳は、凛華の怒りを受け止めながらも、どこか達観している 。
「そして今夜、私がまんまと騙されたのを確認したお前は、この南の監査塔へやって来た。真の味方と合流するために」
皓月は深く息を吐くと、ようやく重い口を開いた。
「確かに、東に兵を集中させる作戦は私が提案したものです。しかし、だからと言って私を裏切り者だと決めつけるのはいかがなものかと。南側が手薄になったことは、軍の全員が知っていた。他に内通者がいたのでは?」
凛華を守るように立ちふさがっていた副将が叫んだ。
「嘘をつくな!裏切り者でないと言うなら、貴様は一体なぜこの南側にやって来たのだ!?」
「私も敵が南から侵入した可能性に気付き、確認しに参ったのです。半信半疑でしたから、先ほどの将軍どのの質問には、正直に答えることができませんでした」
「見苦しいぞ!」と叫びながら剣をふり上げる副将を制した凛華は、冷静に続けた。
「お前を疑う理由はもうひとつある」
そして背後に積み重なる捕虜たちをふり返り、彼らの足元を指し示す。
「やつらは皆、軍靴ではなく農業用の靴を履いていた。なぜだと思う?この靴は泥をよく掴み、この土地では雨上がりの際の移動に適している。兵法書などには載っていない、辺境でのみ有効な情報だ」
凛華はもはや皓月の顔色をうかがうことはしなくなった。
「お前が作った薬草畑。あれは軍営周辺の土壌の性質を調査するためだったのだろう?この辺境の土は、乾燥しているときは固いが、雨に濡れると粘土質になり、驚くほど滑りやすくなる。ここらはめったに雨が降らないから、気づく者は少ないがな」
凛華の口調は冷静でありながら、瞳の奥にはどうしようもない悲しみを宿している。
「私は初めからお前を『ただの監察官ではない』と疑っていた。私を都へ連れ戻すために、不正をでっち上げるつもりだと。しかし、この行為はその範ちゅうを越えている。敵と内通して我が軍を襲撃させるなど────」
長刀の刃先が皓月の顔へ突きつけられる。
濁った泥水が刃を伝い、地面へと落ちた。
「答えろ、皓月。お前は一体何者だ 」
しだいに周囲に土の匂いが漂い、再び雨が降りはじめた。
凛華と皓月は向かい合ったまま、ともに髪と服を濡らす。
───その時だった。
地面に捕らえられていた敵兵の男が、喉の布を噛み切り立ち上がった。
視界の悪さに加え、皆の視線は凛華と皓月に注がれていたため、気づくのが遅れた。
敵兵は走りながら隠し持った短刀を抜き、凛華の首元めがけて振りかざす。
「将軍!」
副将が慌てて叫び、敵兵へ剣を向ける。が、男はすでに女将軍の体を斬るのに十分な距離にいた。
凛華は咄嗟に長刀を地面に落とし、ふり返ろうとするが────
────ガキン!
金属と肉が鈍くぶつかり合う音とともに、凛華の身体は強い力で前方に引き寄せられる。
「っ……!」
凛華の肩を抱いた皓月が、短い呻きと共にずるずると膝を折り、そのまま雨でぬかるむ地面に倒れ伏した。
彼の左肩からは、官服を一瞬で染める大量の血が噴き出す。
「皓月っ!」
降りしきる雨の中、凛華は目の前で起こった出来事が信じられず、ただ憎い男の名を叫んだ。




