第2話 土の下の共同戦線
翌日から皓月による厳しい監査が本格的に始まったが、当然ながら、軍営から不正の証拠は一切出てこなかった。
しかし、代わりに提出された中間報告に凛華は目を丸くする。
「……薬草畑?」
「はい。この辺境地特有の『傷寒』(流行り病)による兵士の士気低下を防ぐため、薬草を栽培することを提案します」
その費用対効果を即座に説明した皓月だったが、凛華は眉間に深い皺を寄せる。
「国境を守るのが我らの本分だ。そのような畑仕事に割く労力はない」
「ですが、長期的に見れば……」
「────長期的な話は都でやってくれ!」
激しく机を打つ音が、執務室の空気をびりびりと震わせた。
「畑がどうしても必要だというなら、そなたら文官が勝手に作ればいい。私は訓練を優先する」
凛華は内心、皓月の提案も一理あるとは思ったが、深い疑心から受け入れることができなかった。
自分の失脚を狙う皓月が、無駄な出費や労力を払わせ、軍の規律を乱そうとしている可能性もある。
「承知いたしました」
しかし意外にもあっさりと引き下がった皓月。
その涼やかな美貌には、不満の影すら見えない。
*
翌朝、凛華が鍛錬を監督していると、数名の兵士が物陰でひそひそと話す声が耳に入った。
「おい、見たかよ。都から来たあのヒョロっこいやつ」
「ああ、鍬を握ってたな」
「どうせすぐ根を上げるさ。辺境の土は鉄のように固いんだから」
優雅な美貌を持つ皓月は、兵士たちの嘲笑の的であった。
凛華は静かに東端へと視線を向ける。
そこには皓月が、部下を数人を引き連れて歩いていた。
みな質素な作業着をまとい、手には重い鍬が握られていた。
(────あいつも耕すのか?)
涼しい顔をして、てっきり肉体労働は他人任せかと思っていたのに。
空き地に到着した皓月は、むしろ率先して薬草畑の開墾を始めていた。
彼の動きは、優雅な容貌からは想像もつかないほど力強く正確だ。
鍬をふり上げるたびに、衣の下に隠されていた彼の体幹と背筋が浮き出る。
袖をまくった両腕は、戦場で鍛えられた兵士と大差ないほど筋肉質であるのを見て、凛華は驚きを隠せなかった。
日が高くなった頃、部下が木陰で休んでいるなか、ひとり黙々と作業を続ける皓月のもとへ凛華は駆け寄る。
「……何かご用でしょうか。将軍どの」
皓月は汗を拭い、息切れ一つせずに凛華にたずねる。
「慣れないことをするな。体を壊すぞ」
「もうすぐ冬がやってきます。病が蔓延する前に薬草を植えねば意味がありません」
そう答えながら、男はなおも鍬を振り下ろす。
「なんて強情な男だ……」
その孤高な姿勢に苛立ちを覚える凛華。
しかしそれ以上に、いつもの冷然とした態度とは正反対の熱い使命感に心を動かされた。
*
数日後、薬草畑はにわかに賑わった。
十人の屈強な兵士たちに囲まれ、皓月は畑仕事の指揮をとる。
彼は作業の割り振りだけでなく、土の質や水はけの改善方法まで、理路整然と指示を出した。
その深い知識と自ら進んで動く姿勢を見て、彼を馬鹿にしていた兵士たちも徐々に従いはじめる。
「この薬草は、我々の新たな資源となる。土を耕すこの労力は、疫病という最も非効率な損耗を削減させます」
兵士たちの作業は迅速で、わずか一日で畑は完成に近づいた。
凛華も時折、彼らの作業を覗き見た。
兵士たちが心から笑っている姿を、久しぶりに見たことに気づく。
これがただの「畑仕事」ではなく、彼らの健康を守るための「実益のある作業」であったと理解した。
「感謝申し上げます、将軍殿」
夕暮れ、畑が完成に近づいた頃、皓月が凛華に頭を下げた。
陶器のように滑らかな頬は砂塵にまみれ、日焼けで赤くなっていたが、不思議と美貌は損なわれない。
「礼などいらん。ただ、お前たちの作業効率が悪すぎるゆえだ」
凛華はそっけなく答えたあと小声で「……こちらこそ、礼を言う」とつぶやいた。
皓月はそれを聞き逃さず、わずかに口角を上げる。
その微笑みは、彼が初めて見せる人間らしい表情だった。
「これで傷寒による軍力の低下は防げるでしょう。私もまた、辺境の土の硬さを学びました」
「そうか……」
凛華は無意識に手を伸ばし、彼の頬に触れた。
「せっかくの美貌が台無しだ」
凛華は軍服の袖口で、彼の顔に付いた泥と砂を優しく拭ってやる。
「将軍どの……」
皓月は驚きで目を見開く。
感情を宿さない涼やかな瞳が、この時だけはわずかに熱を帯びていた。
そして凛華の手をとって、自分の焼けた頬にそっと押し当てる。
「ん……何だ?」
「すみません。冷たくて心地良かったもので」
傷と豆だらけな女将軍の手に、皓月は心地よさそうに目を閉じる。
気まぐれな猫が、ふと警戒を解いて喉を鳴らしてきたかのような光景に、凛華は目を奪われた。
それどころか、じわじわと熱くなる手のひらに身動きすらできなくなっていた。




