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#041 こじ開けられた扉

 その島には、名前すらなかった。

 太平洋プレートの歪みが生み出した、地図にも記されない、ただの岩と火山灰でできた絶海の孤島。そこに、人類の叡智と、存亡の全てが、集結していた。

 始まりの『アンファング』。

 それに続く『シークェル』。

 そして、二機の巨人を護衛するように、周囲に展開する、数十機の量産機『金剛・改』。

 パイロットたちは、それぞれのコックピットで、あるいは、島に設置された野戦指揮所で、これから始まるであろう、人類史上、誰も経験したことのない「儀式」を、固唾を飲んで見守っていた。

 その、全軍の視線が注がれる先。島の中心、最も高い火山の頂に、その最後の巨人は、静かに佇んでいた。

 始まりの『アンファング』でもなく、続きの『シークェル』でもない。

 その二つを喰らい、三種の敵性存在の死骸すらもその身に取り込み、終焉を告げるために生まれた、神殺しの魔王。

 ―――『エンデ』。


 エンデが最初に僕たちの目の前に現れてから数週間。遂に万全の体制を整えた僕たちは、全てを終わらせる最終作戦を、この島で始めることとなった。

 アンファングのコックピットで僕は、モニターに映し出される、その左右非対称の禍々しいシルエットから、目を離せずにいた。美生奈さんも、息をすることを忘れたかのように、その光景に見入っている。

「……あれが、本当に、僕たちと同じ、人間が作り出したもの、なのでしょうか……」

 美生奈さんのか細い声が、静かなコックピットに響く。無理もなかった。エンデから発せられるエネルギーの波動は、これまでのどんな敵性存在よりも、濃密で、そして、異質だった。それは、もはや機械というより、一つの独立した、高次元の生命体のようでもあった。

『……聞こえているかね、若人たちよ』

 その時、全軍の通信回線に、エンデのコックピットから、余裕に満ちた、楽しげな声が響き渡った。全てを終わらせるその機体に乗った張本人。それは、かの蟹江翔太、そして……

『人類の叡智が生み出した美しき終着点、エンデ。その姿、とくと目に焼き付けなさい』

 紫京院玲。僕たちをここまで導き育て上げた、その2人に他ならなかった。

『これより、諸君らには、我々人類が辿り着いた、新たな進化の形を、その目に焼き付けてもらう。瞬きすら、許さんぞ』

 その言葉と同時に、エンデが、動いた。それは、機動と呼ぶには、あまりに滑らかで、静かだった。巨体がまるで風に舞う木の葉のように、音もなく数メートル横に滑る。

 結局エンデについては、『最終作戦の要』であるということ、そしてこれまで戦ってきたロスト・エヴォルヴ、クリスタル・レプリカント、そしてフェーズ・シフターの能力を取り入れているということ以外僕たちには何も知らされていなかった。その全貌が、今僕たちの前で明らかになるのだ。

『まず、その肉体。アンファングから受け継ぎ、ロスト・エヴォルヴの細胞で強化された、第二世代人工筋肉、ヒュドラ・セル・アクチュエーター。これにより、エンデは、思考と完全にシンクロした、生物的な挙動を可能とする』

 蟹江教授の解説と共に、エンデの右腕が、おぞましい速度で、変形を始めた。硬質な装甲が、まるで粘土のように、蠢き、伸び、巨大な、鋭利な爪を持つ、獣の腕へと姿を変える。

『そして、Type-B統合システム、キメラ・システムΩ。戦況に応じて、機体の一部を、このように、生物的に進化させる。もはや、決まった武装などという、旧時代の概念は、この機体には存在しない』

 その光景に、シークェルのコックピットで、篝伊佐那が戦慄の声を上げた。

『……あれは、もはや、兵器ではない……!』

 隣で、軍場宗十郎もまた、その驚愕を、隠せずにいた。データと、論理の信奉者である彼にとって、エンデの存在は、理解の範疇を、完全に超えていた。

『次に、その皮膚』

 蟹江教授の声が続く。エンデは、変形させた右腕を、天に突き上げた。すると、その表面の装甲が、まるでダイヤモンドダストのように、キラキラと輝き始める。

『Type-A統合システム、ギガス・ラティス装甲。クリスタル・レプリカントの能力を応用し、敵の攻撃を感知した瞬間、その特性に合わせ、装甲の結晶構造そのものを、ナノ秒単位で最適化する。理論上、この機体を破壊できる物理攻撃は、この宇宙には存在しない』

 その言葉を証明するかのように、エンデは、自らの左腕に搭載された小型のレーザー砲を、結晶化した右腕へと、ゼロ距離で照射した。凄まじい閃光。だが、右腕の装甲は、その表面を鏡のように変質させ、レーザーの光を、完全に、そして完璧に、反射させていた。傷一つ、ついていない。

『そして、最後に』

 蟹江教授の声のトーンが、一段、低くなった。それは、神の領域に触れる者の、畏怖と、歓喜が入り混じった、震える声だった。

『この機体の心臓。Type-C統合システム、シンギュラリティ・コア、ラプラス。そして、私が、物部愛都君の理論を、さらに先へと進めた、究極の結論……因果律選択システム 。その力の、片鱗を、見せてやろう』

 次の瞬間、エンデの姿が、火山の頂から、忽然と消えた。

 いや、違う。消えたのではない。ほんの一瞬前まで山頂にいたはずのエンデが、コンマ数秒後、何の前触れもなく、島の対岸の砂浜に、立っていたのだ。瞬間移動。だが、その過程で、空間の歪みも、エネルギーの放出も、一切、観測されなかった。

『……観測、ご苦労』と、蟹江教授は笑う。『移動したのではない。私は、ただ、「エンデが、最初から、こちらの砂浜に立っていた」という、事象を、この空間に、確定させただけだ』

 もはやそれは、物理学ではなかった。魔法。あるいは、神の御業。

 僕は、自らが開発した理論の、その、恐るべき終着点を目の当たりにし、言葉を失っていた。やはり、僕はまだまだだ。真の天才にかかれば、僕の力など、軽々しく超えていける。今、目の当たりにしたように。

『さて。前座は、ここまでだ』

 蟹江教授は、満足げに言うと、エンデの機体を、再び空へと向けさせた。その左腕と背部のユニットが、巨大な砲身へと変形を始める。

『これより我々は、この宇宙の分厚く閉ざされた『蓋』を、少しだけこじ開ける。そして我々を、ずっと高みから見下ろしていた神々を、この我々の土俵へと引きずり下ろす』

 エンデの砲身に、これまでとは比較にならない、次元の違うエネルギーが、集束していく。空間が悲鳴を上げるように歪み、きしむ。

創世の鎮魂歌ジェネシス・レクイエム、発射シークエンス、開始。目標、座標X277、Y914、Z……無限の彼方!』

 紫京院教授の、凛とした声が、カウントダウンを告げる。

『―――撃てッ!!』

 蟹江教授の絶叫と共に、エンデから、光の柱が、放たれた。

 それは、単なるエネルギー波ではなかった。光が通過した空間の、全ての物理法則が、因果律が、ぐにゃりと、溶けていく。それはこの宇宙に、そこには高次元空間へと繋がる『門』が存在したという、全く新しい事実を、無理やりねじ込む、傲慢で、しかし、あまりに美しい神への挑戦状だった。

 光が突き抜けた先。何もないはずの、漆黒の宇宙空間が、まるで割れたガラスのように、砕け散った。

 そしてその、砕けた時空の向こう側から、二つの、絶望的なまでの『存在』が、姿を現した。

「な、んだ、あれは……」

 目の前で起きていることにただただ圧倒されるばかり。全てが物凄い勢いで収束に向かっていくのを、僕たちはただこの目で見届けるしかなかった。

 そして二つの存在は、完全にこの世界に身を乗り出した。一つは、月ほどの大きさを持つ、無数の結晶体が、自己増殖するように、幾何学的に組み合わさった、巨大な移動要塞。

 もう一つは、その隣に静かに佇む、純粋な暗黒。あらゆる光を飲み込み、その存在自体が宇宙の法則を否定しているかのような、人型の黒い巨人。

 その、神々の顕現を前にして、ただ沈黙するしかなかった。

 その時だった。

 結晶の要塞の表面から、一つの光の粒子が分離した。そしてそれは、エンデの眼前にゆっくりと降りてくると、一人の美しい少年の姿を形作った。ホログラム。彼は重力も真空も、何もかもを無視して宙に浮かび、穏やかな、しかし底知れない、ミステリアスな笑みを、浮かべていた。

 少年はまず背後にある巨大な結晶の要塞を、まるで自らの作品を紹介するかのように、優雅な仕草で指し示した。

「――クリスタル・レプリカントの母星にして、その全てを統括する、論理の神。AI『デミウルゴス』」

 次に彼は、その隣に浮かぶ黒き巨人へと視線を移す。

「――そして、全てのフェーズ・シフターを統べる、宇宙の法則の最終執行者。絶対の理『ジャッジメント』」

 そして最後に少年は自らの胸にそっと手を当て、にこりと微笑んだ。

「そして僕が、このデミウルゴスによって、君たちという、興味深い『バグ』と対話するために、生み出されたインターフェース。『ピーマ』だ。よろしくね、人類」

 ピーマ。ギリシャ語で「作品」「創造物」。創造主たるデミウルゴスから生まれた者として、それは、あまりに、ふさわしい名前だった。

 彼の言葉は、穏やかだった。だが、それは、これから始まる、最後の審判を告げる、静かな、号砲でもあった。

 人類の、全ての始まりの物語に、終わりを告げるための、最後の戦いが、今、幕を開けようとしていた。

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