#040 統合脅威理論
その日、東都工業大学の地下大講堂は、異様な熱気に包まれていた。
プロジェクト・アンファングに関わる、全ての人間。パイロット、科学者、技術者、そして、シークェルチームの矢部教授や、政府の伊集院監査官までもが、固唾を飲んで、演壇に立つ三人の人物を見上げていた。
物理学の魔人、蟹江翔太。
生命科学の魔女、紫京院玲。
そして、理論生物物理学の魔女、綾辻玻璃。
人類の知性が生んだ、三人の異端な天才。彼らが、今、この、出口の見えない戦いの、全ての謎を、解き明かそうとしていた。
「―――これより、我々が観測してきた、三種の敵性存在に関する、統合的見解を発表する」
蟹江教授の、静かだが、ホール全体に響き渡る声が、会議の開始を告げた。背後の巨大なスクリーンに、『Threat Analysis: Final Report』という文字が、荘厳なBGMと共に映し出される。
「まず、結論から言おう。我々が対峙してきた三種の敵は、それぞれが、全く異なる起源と、全く異なる目的を持って、この地球に出現した。そして、その出現は、偶然ではない。全てが、一つの巨大な因果律の鎖で、繋がっていたのだ」
最初のスライドが表示される。そこに映し出されたのは、潤葉の証言を元にCGで再現された、宇宙を旅する、巨大な生体播種船のイメージだった。
「第一の存在、『Type-B: ロスト・エヴォルヴ』。彼らの正体は、我々とは異なる生態系を持つ、宇宙の流浪民だ。遥か太古、彼らは、自らの故郷の星を、何者かによって滅ぼされ、この播種船で、新たな安住の地を求めて、宇宙をさまよっていた。そして、彼らが、ようやく見つけ出した希望の星こそが、我々の地球だったのだ」
紫京院教授が、蟹江教授の言葉を引き継ぐ。彼女の口調は、いつもの妖艶さを潜め、純粋な科学者としての、冷静な分析に満ちていた。
「彼ら自身に、我々人類に対する明確な悪意はありませんでした。彼らの行動原理は、ただ一つ。『生存と繁殖』。地球の環境を、自らが住みやすい環境へと作り変える……そのテラフォーミング能力こそが、彼らの本質であり、我々にとっては、脅威として映ったのです」
スクリーンには、秩父に出現した『フォレスト・キャンサー』、東京湾岸エリアを蹂躙した『タイプ・ヒュドラ』、そして、長野で潤葉と共鳴した『ガーディアン』の戦闘データが、次々と表示されていく。
「しかし」と、紫京院教授は続けた。「彼らのテラフォーミングは、常に、何かに怯えているかのように、限定的でした。それはなぜか。答えは、鳴海潤葉が見た、あのビジョンの中にあります」
スライドが切り替わり、今度は、無数の銀色の結晶体が、惑星を覆い尽くしていく、恐ろしくも美しい、絶望的な光景が映し出される。
「第二の存在、『Type-A: クリスタル・レプリカント』。彼らこそ、ロスト・Eヴォルヴの故郷を滅ぼし、今なお、彼らを追い続ける、天敵。その正体は、超高度知的生命体によって創造された、自律型の『宇宙環境保全システム』……あるいは、『銀河の検疫官』とでも呼ぶべき存在です」
綾辻教授が、レーザーポインターで、スクリーンを指し示しながら、解説を始めた。彼女の怜悧な声が、レプリカントの、機械的で、冷徹な本質を、暴き出していく。
「彼らの行動原理は、ロスト・エヴォルヴと同じく、極めてシンプル。『侵略的生態系の、完全な駆除』。彼らのシステムにとって、ロスト・エヴォルヴは、宇宙全体の生態系バランスを破壊しかねない、危険な『ウイルス』なのです。そして、彼らのプログラムは、そのウイルスが、新たに地球という惑星に感染したことを、正確に探知していました」
ここで、聴衆が、最も知りたかった、最初の謎の答えが、明かされる。
「物語の始まり……東都工業大学の地下ドックを襲った、最初のクリスタル・レプリカント。彼らの目的は、何だったのか」
綾辻教授は、そこで一度、言葉を切ると、僕らを真っ直ぐに見つめた。
「答えは、琴吹美生奈さん。あなたが開発した、『電場応答性人工筋肉アクチュエーター』です。あなたが、紫京院教授の研究を基に合成した、あの人工筋肉。その素材が発するバイオシグネチャが、偶然にも、ロスト・エヴォルヴのそれと、極めて酷似していた。監視システムは、アンファングの内部に、高濃度のウイルス……すなわち、ロスト・Eヴォルヴが潜んでいると誤認し、それを駆除するために、活動を開始したのです」
会場が、どよめきに包まれる。全ての始まりが、そんな、皮肉な偶然の産物だったというのか。美生奈さんは、唇を固く結び、その事実を、改めて受け止めていた。
「同様に」と、綾辻教授は続けた。「シークェルが初陣を飾った、あの日の、フラグメントの大群。あれも、アンファングを狙ったものではありません。その頃、日本各地の地中で、ロスト・エヴォルヴの休眠個体が、一斉に活動を開始していましたことが判明しました。レプリカントのシステムは、それを『面的汚染の始まり』と判断し、広範囲の掃討作戦を開始した。そこに、彼らにとっての『ウイルス』と同じ反応を持つアンファングが現れた。攻撃されたのは、当然の帰結です」
綾辻教授の解説は、一つの、恐るべき可能性を示唆していた。
「彼らは、我々の知らないところで、我々のために、戦ってくれていた、のかもしれない。……もっとも、彼らのやり方は、我々人類の存在など、一切、考慮に入れない、冷徹な『駆除』でしかありませんがね」
そして、彼女は、あの、悪夢のような戦闘の映像を、スクリーンに映し出した。シークェルに寄生し、その能力を学習・進化した、キメラ・パラサイト。
「この個体は、その、二つの天敵の生存競争が生み出した、最悪の突然変異です。駆除されかけたロスト・エヴォルヴが、最後の生存本能で、駆除者であるレプリカントの内部へと『寄生』し、その能力を乗っ取った。生物と機械、有機物と無機物が融合した、悪夢のキメラ。これは、彼らの戦いが、我々の想像を絶する、高度なレベルで行われていることの、何よりの証拠です」
ロスト・エヴォルヴと、クリスタル・レプリカント。招かれざる客と、その番人。二つの存在の関係性が、今、初めて、明確に定義された。
だが、謎は、まだ残っている。
「……では、第三の存在は、何なのだ」
静寂を破ったのは、伊集院監査官の、鋭い声だった。
「物理法則そのものを書き換える、あの、最も理解不能な存在……『Type-C: フェーズ・シフター』。彼らは、この、二者の争いと、どう関係している?」
その、最も根源的な問いに答えたのは、再び、蟹江翔太だった。彼は、まるで、これから、宇宙で最も美しい数式を語るかのように、恍惚とした表情で、語り始めた。
「彼らは、一切、関係ない」
その、あまりにシンプルな答えに、誰もが、息を呑んだ。
「フェーズ・シフターは、生物学的な生存競争などという、矮小な事象には、一切、興味を示さない。彼らは、より高次元の存在。この宇宙の、物理法則そのものを維持・管理する、『第二の番人』だ。彼らが監視しているのは、ただ一つ……」
蟹江教授の視線が、真っ直ぐに、僕を射抜いた。
「……宇宙の根本ルールを揺るがしかねない、『特異点』の発生だ」
スライドが切り替わり、そこに映し出されたのは、太平洋の深海に眠る、あの、異形の残骸の映像だった。
「我々が、深海で発見した、ロスト・エヴォルヴの播種船の残骸。その中枢部から、我々は、時空の汚染源を、発見した。そして、その正体は、我々の想像を、遥かに超えるものだった」
蟹江教授は僕があの夜絶望と共にたどり着いた残酷な真実を、冷静な言葉で紡いでいく。
「あれは、一種の『祈り』だ。故郷を滅ぼされた、ロスト・エヴォルヴの、最後の『観測者』が、死の間際に放った、『この宇宙に、我々が生きられる未来は、存在するはずだ』という、強すぎる意志。その『観測』が、あの海域の因果律そのものを、『ロスト・エヴォルヴが生存する未来』へと、無理やり、固定化してしまったのだ」
そして、彼は、アンファングの設計図と、その心臓部である『慣性制御システム』の理論式を、スクリーンに並べて表示した。
「そして、物部愛都君。君が作り出した、このシステム。これもまた、君の『意志』によって、未来を一つ、選択する力。……もう、分かるだろう。君が、その力を使うたびに、君の観測と、深海に眠る観測者の祈りが、衝突する。二つの、相反する未来が、互いを打ち消し合おうとする。その、因果律の矛盾こそが、宇宙の法則をバグらせ、審判であるフェーズ・シフターを、この星に呼び寄せていたのだ」
太平洋沖、そして千葉に出現したフェーズ・シフター。彼らは、全てこの二人の観測者の衝突が引き起こした、宇宙の免疫反応だった。
「……まとめよう」
蟹江教授は、静かに言った。
「この地球は、今、三つの、巨大な意志がぶつかり合う、戦場となっている」
スクリーンに、三つのキーワードが表示される。
【生存】を求める、ロスト・エヴォルヴ。
【駆除】を目的とする、クリスタル・レプリカント。
【調停】を為そうとする、フェーズ・シフター。
「そして、我々人類は、その、三つ巴の戦いの、中心にいる。ロスト・エヴォルヴと同じ、生命の宿命を背負い、クリスタル・レプリカントと同じ、知性という武器を持ち、そして、フェーズ・シフターを呼び寄せる、禁断の力に、手を出してしまった、愚かで、しかし、可能性に満ちた、存在なのだ」
全ての謎が、今、一つの、壮大なタペストリーとして、織り上げられた。
ホールは、水を打ったように、静まり返っていた。誰もが、その、あまりに巨大な、物語の全体像に、圧倒されていた。
その静寂を、破ったのは、意外な人物だった。
「……ふん。つまり、だ」
矢部教授が、腕を組みながら、立ち上がった。
「我々は、侵略者と、検疫官と、審判を、同時に、相手にしなければならん、ということか。……面白い。実に、面白いじゃないか」
その顔には、悲壮感ではなく、挑戦者としての、不敵な笑みが浮かんでいた。
その言葉を皮切りに、ホールは、再び、熱気を取り戻していく。
「途方もない話だ。だが、敵の正体が分かったのなら、やりようは、いくらでもある!」
「そうだ! 我々の知性を、総動員すれば、必ず、活路は開けるはずだ!」
絶望は、なかった。そこにあったのは、巨大な謎が解き明かされたことによる、安堵と、そして、これから始まる、本当の戦いに向けた、静かな高揚感だった。
僕たちは、その光景を、感慨深く、見つめていた。
自分たちが、撒いてしまった、災いの種。
だが、その災いに、共に立ち向かってくれる、仲間たちが、こんなにも、いる。
もう、一人で、罪を背負う必要は、ない。
演壇の上で、蟹江教授が、満足そうに、頷いた。
「―――話は、以上だ」
彼は、そう言うと、会議の終わりを、高らかに、宣言した。
「これより、我々、始まりの終わりを告げる者たちの、本当の反撃を、始めるとしよう!」
その声と同時に蟹江教授は、モニターに何かを映す。
「な、なんだあれは!?」
「見たことがありません……」
そこにいたのは、見たことのない巨大ロボットだった。僕も美生奈さんも、そしてこのチームの半分ほども動揺していた。紫京院教授が言う。
「これが、私たちの戦いを終わらせる最終作戦に必要なロボット。アンファングチームとシークェルチームの選りすぐられた精鋭に更に外部から人間を招致し、密かに作り上げていたのです」
続けて、蟹江教授は高らかに言った。
「その名も、『始まり』のアンファングに『続き』産まれたシークェルの更にその先を行くもの……つまり『終わり』を告げるもの。
『エンデ』だ」




