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#039 第三の解

 僕が、自らの殻に閉じこもっている間も、世界は、止まってはくれなかった。

 東都工業大学の地下、アンファング開発チームの研究施設は、僕の不在などお構いなしに、フル回転で稼働を続けていた。潤葉という、かつてないほどの特異点を得て、紫京院教授と鳴海松二の生物科学チームは、ロスト・エヴォルヴの生態解析を飛躍的に進展させていた。綾辻教授と静海真音は、フェーズ・シフターが発する、微弱な高次元ノイズのパターン分析に没頭。そして、昴助教と創磨助教は、アンファングが持ち帰った、あの深海の残骸から採取された、未知の金属片の物性研究に、昼夜を問わず取り組んでいた。そして彼らは、何やら他の研究も行っているそうだが……?

 ともかく、僕が失っていた時間は、彼らが、必死に繋ぎ止めてくれていたのだ。

 そして、僕が美生奈さんと共に、ブリーフィングルームへと再び姿を現した日。彼らは、まるで、ずっと待っていたかのように、僕たちを迎え入れてくれた。誰一人、僕の不在を責める者はいなかった。ただ、その視線には、確かな信頼と、そして、次なる一歩への期待が込められていた。


 その日、この戦いの、本当の意味での始まりを告げる、会議が開かれた。

 メインスクリーンに映し出されたのは、深海に眠る、あの異形の残骸の三次元モデル。そして、その隣には、複雑に絡み合った、光の奔流のような、概念図が表示されている。

「……結論から言おう」

 議長の席に座る蟹江教授が、重々しく口を開いた。

「アンファングが持ち帰った残骸……その中枢部と、潤葉君の精神を、再度、安全なレベルで同調させた結果、我々は、あの『時空の汚染源』の、正体らしきものに、辿り着いた」

 彼の言葉に、室内に緊張が走る。

「あれは、エンジンでも、動力炉でもない。いわば、一つの、極めて強力な『祈り』だ。あるいは、『呪い』と、言ってもいい」

 蟹江教授は、概念図を指し示した。

「潤葉君のビジョンによれば、ロスト・エヴォルヴは、かつて、クリスタル・レプリカントによって故郷を滅ぼされた。その、最後の生き残りである『観測者』が、死の間際に、種の存続をかけて、一つの、強烈な観測を行った。『この宇宙のどこかには、我々が生きられる未来が存在するはずだ』、と。その、あまりに強すぎる意志が、この地球の、あの海域の因果律そのものを、捻じ曲げてしまったのだ」

 つまり、あの時空の汚染源とは、ロスト・エヴォルヴが生存する未来へと、強制的に歴史を収束させようとする、巨大な因果の奔流。

 その、衝撃的な結論に、誰もが言葉を失った。

 だが、蟹江教授の解説は、そこで終わらなかった。彼は、厳しい視線を、僕へと向ける。

「そして、物部愛都君。君が開発した『慣性制御システム』。これもまた、君自身の『意志』によって、無数の未来の中から、都合のいい一つを現実に固定化する、同質の力だ。君が、アンファングでその力を使うことは……固定化された因果の流れに、全く別の『観測』…すなわち、『人類が生存する未来』を、無理やりぶつける行為に、他ならない」

 そうだ。フェーズ・シフターは、どちらか一方の味方ではない。彼らは、この二つの巨大な未来の奪い合いによって、宇宙の法則そのものがバグを起こすのを防ぐために現れる、ただの冷徹な審判なのだ。

 その時、ずっと黙って話を聞いていた潤葉が、不安げな表情で、僕の服の袖を、小さく引いた。

「……愛都、お兄ちゃん……」

 その瞳は潤んでいた。彼女はかつて、ロスト・エヴォルヴの哀しみに、心を通わせた。彼らがただ、安住の地を求めているだけの、哀れな存在であることを、誰よりも知っている。

「じゃあ……お兄ちゃんが戦うと、あの子たちが……ロスト・エヴォルヴが、いなくなっちゃうの……?」

 そのあまりに純粋な問いに、僕は静かに、しかしはっきりと、首を横に振った。

「僕はそれでも、この『慣性制御システム』を使い戦います」

 僕の言葉に潤葉の瞳が悲しげに揺れる。だが僕は続ける。その瞳を、真っ直ぐに見つめ返して。

「それは僕が、人類の未来を、諦めたくないからだ。潤葉、君が、安心して暮らせる世界を、諦めたくないからだ。そして……」

 僕は、隣に立つ、美生奈さんへと、視線を送る。彼女は、静かに、僕の言葉を信じて、頷いてくれた。

「……僕の隣にいる、大切な人を守り抜きたいからだ」

 その言葉に、周囲が温かい目を向ける。

「……じゃあ、あの子は…ロスト・エヴォルヴは、やっぱり……」

「見捨てません」

「……え?」

 僕は、潤葉だけでなく、そこにいる、全ての仲間たちに向かって、宣言した。

「第三の道を、探します。人類がただ生き残るだけでもない。ロスト・エヴォルヴが、ただ犠牲になるだけでもない。その両者が、共にそれぞれの未来を歩んでいける、共存の世界を僕たち人間の手で探し出します。この地球でそれが不可能だというのなら、彼らが住める別の星を僕たちの科学力で探し出す。あるいはテラフォーミングで、新たな故郷を創造する」

 それはあまりに傲慢な理想論だった。一介の人間が口にするには憚られる、そんな台詞。

 だが、僕の心は、かつてないほど、晴れやかだった。

「僕と、美生奈先輩が作った、このアンファングの力は、確かにこの星に災いを呼び込みました。人の叡智は、時に取り返しのつかない過ちを起こす。それは、紛れもない事実かもしれません」

 僕はそこにいる、全ての研究者の顔を一人一人見渡した。

「ですが。逆にその過ちを帳消しにできるほどの、偉業を成し遂げられるのもまた、その人の叡智の力によるものなのではないでしょうか」

 僕は深々と頭を下げた。

「皆さん……僕の、この馬鹿げた考えに、賛同してくれますか」

 一瞬の、静寂。

 誰もが僕の言葉の、その途方もないスケールに圧倒されていた。

 だが、その静寂を破ったのは、割れんばかりの拍手と歓声だった。

「……ったく、言ってくれるぜ、パイロット様はよぉ!」

「別の星を創造する、だぁ? 面白え! やってやろうじゃねえか!」

「それこそ我々科学者の本懐だ!」

 一人、また一人と仲間たちが立ち上がり、笑顔で、あるいは涙ぐみながら、僕の提案に賛同の意を示してくれていた。

 僕は顔を上げた。隣で美生奈さんが、誇らしげに微笑んでいる。

「……全く、愚かな人たちだ。こんな途方もない考えに、本気で賛同してくれるとは」

 僕は、照れ隠しに、そう呟いた。

「ええ。でも……」と、彼女は僕の手に、自らの手をそっと重ねた。

「……とっても、頼もしいです」

 その時、場の空気を切り裂くように、蟹江教授が、パン、と、一度だけ、手を叩いた。興奮に満ちていた室内の空気が、心地よい緊張感へと、引き締まる。

 彼の瞳はかつてないほど、爛々と輝いていた。まるで、宇宙の真理そのものを、目の前にした、純粋な探求者のように。

「―――よろしい」

「それでは……これより、この、長すぎた『始まり』の物語を終わらせるための、暫定的な最終作戦会議を始めるものとする!」

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